第12話 副魔王 始まりの砦に着く
ヨタルの街はとても大きい。魔王の城を目指すには一番最適とされるルートの一番端にあるからだ。むろん、魔王城に行くルートはほかにもたくさんある。なにをもってして、ヨタルが始まりの砦と言われ始めたのか、そのきっかけはもう誰もわからない。
しかしそのおかげでヨタルは栄えた。
人が集まり、物も集まり、それらを収容すべく街自体がどんどん拡張されていった。街を囲む砦は今では五重になり、街の歴史を年輪のごとく刻んでいる。
そしてこのヨタルの街。始まりの砦と言われているが、別の名前でも有名だった。
お終いの砦、と。
勇者を夢見てやってくる冒険者が、勇者を諦めていつく街であると、皮肉を込めてそう呼ぶのだ。
ヨタルの街の出入口はすべて閉ざされていた。
一つだけ出入りが許されている門も、分厚い石の扉が下ろされていて、横の小さな通用口の小さな窓だけが開いている。
その窓から衛兵が外を見ているのだ。
通用口にいる衛兵は二人。一番外側の五の砦と四の砦の間には兵士が多くいた。街の住人もまだいるが、ほとんどは四の砦の内側に避難している。
通用口にいる衛兵二人は、砦の上から外を監視している兵から連絡を受け取った。
『一台の馬車が来た。周りに魔物はいない。馬車のマークと番号から、朝に連絡のあったヒヨリ村からの馬車だと確認が取れた』
二人いる衛兵のうち、左の者が街への来訪者名簿を確認した。
ヒヨリ村より、警察官一人とハールエルフの青年が一人、来訪予定。
目的は、ヨタルで足止めをされている村人の迎えと、商品の仕入れ。及び、ヒヨリ村へ用のある人間を運ぶこと。
すでに一週間近く、ヨタルとヒヨリの物流は止まっている。衛兵は、獰猛な魔物がうろついている中、危険をおしてやってくるのだから、よほど困っているのだろうと同情していた。
しかし、近づいてくる馬車を見て呆気にとられた。
護衛が全くいない。
「まさか」
左の衛兵が呟いた。
「どうした」
右の衛兵が訊ねる。
「無事だ」
「そりゃよかったことだ」
「護衛が全くいないのにだ」
「まさか」
左の衛兵と全く同じことをつぶやいて、右の衛兵が窓を覗き込む。
確かに、門の外には青毛の馬が二頭、体調もすこぶるよさそうに立っていた。その向こうに、馬車から一人の御者が下りるところが見えた。ぴんぴんしている。馬車の周りを馬車犬が楽しそうに歩いていた。
「信じられない……」
「……神はいらっしゃったのか……」
思わず左の衛兵は祈りをささげた。
「なにをのんびりしている、早く開けてやらないか!」
右の衛兵は叫び、門に幾重もかけられている巨大な鍵を急いで右にひいた。左の衛兵も慌てて鍵を左にひく。鍵には魔法もかけられていて、解除魔法を知る特定の衛兵でしかそれを開けることも閉めることもできない。
兵士は力を振り絞って重たい鍵を開けた。
巨大な扉がゆっくりと上がってゆく。
それに合わせて、砦の中の兵士たちが集まり、剣に槍、銃の先を門へと向けた。後ろでは魔道兵士達が手で印を組んでいる。
臨戦態勢。
その中、久しぶりの外の風が砦の中に吹き込んできた。
清々しい風だった。緊張や疲れがあらわれていくようだった。そして兵士たちは風と共にゆっくりと現われる金色の影に、しばしの間、口を開けて見惚れた。
左の衛兵は思った。神はここにいたのか、と。
右の衛兵は思った。何がハーフエルフだ。エルフの族長みたいなのが来たじゃねえか、と。
副魔王が砦の中を見たとき、そこに死の影をはっきりと感じた。集まっているの人間の兵士たちにはあまりないが、代わりに精神的な疲労を感じ取った。
「えっと……、これは……」
トーマがうろたえた。目の前に広がっている光景をうまく呑み込めていない。大勢の兵士たちが武器をこちらに向けているのだ、当然と言える。副魔王は兵士たちをぐるりと見遣った。戦意が剥がれ落ちている。
その中で、衛兵の一人が一歩前に出た。
この者は戦意を失っていなかった。
「失礼いたしました。今、この辺りには狂暴な魔物がうろついているので、万が一開けた門より中へ入ることのないよう、いつでも応戦できるようにしているのです。ヒヨリ村のトーマ巡査ですよね」
「はい、そうです」
トーマが証明書のようなものを見せた。
「そしてそちらが、ハーフエルフのサガン殿」
「うむ」
副魔王は身分を明らかにするものが何一つない。しかし衛兵は詳しく聞いてくることなく、視線を副魔王の後ろへと向けた。
「そして、馬車の御者と馬が二頭と、犬ですね。登録番号も確認が取れました。では中にお入り下さい。すぐに門を閉じますので」
よほど危険らしく、周りの兵士たちからやや急かされるように砦の中に入った。そしてすぐに、
「あちらの扉より更に中へとお進みください」
と行く道を定められたのである。その扉とはだいぶ遠い場所にあった。
扉には、小さな商店が所狭しと連なる区画をいくつも抜け、民家の集まる区画を抜け、公園の中を通り、噴水のそばを通り過ぎ、大通りを渡り、時計塔のレリーフを見上げてやっとたどり着く。
副魔王が滞在している村の中心部とは、比べ物にならぬほどに広い場所だった。あの町が三つは入るだろう。しかもそれが円を描くように広がっているのだ。
だが不思議なことに、ほとんど人間がいなかった。いても兵士だった。たまに一般人も見かけるが、どうやら医療従事者のようで、そのような人間たちが用いる赤い十字マークをどこかしらにつけている。
「どうしたのだ、ここは」
道を先導していた兵士に副魔王は訊ねた。
「どうした、と申しますと?」
「人がおらぬし、……病人がいるのか?」
「ああ、……いえ、けが人です。魔物に襲われたものたちを治療しています」
「……本当に魔物が出たのか」
「出たのか、ではありませんよ!」
兵士は声を荒らげた。
「毎晩襲われております。あなた方が来ると聞いて、なんと無謀なやつらなんだと誰もが思ったんですよ? 魔物に会わずに来たのが奇跡と言っていいくらいだ……」
トーマと副魔王は顔を見合わせた。そしてトーマが少し申し訳なさそうに言った。
「そんな大変な事態になっているとは知らず。なにせ、ヒヨリ村には一切そのような魔物が出ていないので……」
「そんな、……沿岸部には出ていないのですか?」
トーマの言葉に兵士は眉根を寄せた。
「え、ええ。ですので、通行禁止ときき、何を大げさにしているのだろうと思っていた次第……」
「……そんな、ここ、だけなのか……」
兵士の顔が絶望の色に染まった。
「……もはや、あの噂は本当なのかもしれません」
「噂とは?」
「……誰かが、ここに魔物をおびき寄せているのだ、と。旅の者を装い砦の中に入り込み、魔物を呼び寄せる呪術を施していると、噂がささやかれているのです。そのため、心暗鬼になった人々が諍いを起こし、……魔族や精霊族の住民と人間の住民で対立が起こったり、一方的に暴力をふるったりと、混乱に陥っているのです。トーマ巡査は人間の警察官ですので大丈夫だとは思いますが、サガン殿は聖霊族の血が入っておりますので、どうぞご注意ください」
「うむ、心遣い感謝する」
ようやく四の砦に到着し、細長い門が開けられると、副魔王とトーマはそこをくぐった。
中は賑やかな街だった。
目の前には多くの人間があふれ、馬車や蒸気で動く小型の車が行きかっていた。喧騒と笑い声と機械の音。馬のひずめの音に鳥の声、子供たちのはしゃいだ声も聞こえる。
「……外の雰囲気とは全然違いますね……」
「うむ」
「ちょっと安心しました……」
「……」
しかし、表面上は活気にあふれているのだが、あの兵士が言っていた通り、魔族の血を引いているものと、精霊の血を引いているもの、そして人間の間に、目に見えぬ壁を感じた。お互いを視ないように、同じ種族でのみ固まっている。
副魔王はそっと口元を抑えた。不快感に口元が歪むのを隠したのだ。
世界の縮図があらわれている。
同じ場所に、憎み、もしくは疑いあっている別々の種族が放り込まれている。争いの前兆。
長い長い時間の中で何度も繰り返し感じてきた空気。
「うんざりだ」
副魔王は手の中でつぶやいた。
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