第11話 副魔王 乗り気になる


 村の中心を出れば、そこには一面の麦畑が広がっている。几帳面に舗装された道は少し広いあぜ道といってしまっていいほどの素朴さだった。麦畑の間にこんもりとした林が点在している。魔王の城周辺の牧歌的な風景とは異なるものの、副魔王の心には不思議と懐かしさが芽生えるのだった。

 麦畑だけでなく、様々な種類の野菜畑もあった。畑が変わるたびに歩いている道も枝分かれする。


「トーマよ、馬車駅にはどの道をゆけばよいのだ?」


 副魔王が訊ねてもトーマはぽかんとした表情で空を見たままだ。ちゃんと歩いているが、まるでその足取りはアンデットのように意思がない。


「脳みそがまだ石のままなのだろうか」


 副魔王は目を覚まさせようと、トーマの目の前でもう一度手をパチンと鳴らした。


「はっ! こ、ここは!」


 脳の石化が治ったようだ。


「村の外だ。馬車駅とはこちらの道であっているのか? 牧場のような場所は一見ないが?」


「え? あ、ああ、合ってます合ってます。うちの村はあまり馬を飼っていないので、馬車駅の馬はヨタルの馬ですね。一日に二便の乗合馬車と、予約しておけば専用の馬車が呼べます。今回は呼べないので、通常の乗合馬車で行きます。運行時間ではないですが、運行再開の予定もないし、一週間足止めを食らっているのでしょうからむしろ時間外でも喜ばれますよ」


 トーマの言ったことは本当だった。

 田んぼのあぜ道にポツンとある休屋のような建物のところに、二頭の青毛の馬が待機していた。馬がひく車の部分は人間が十人は乗れるほどの大きい。少し小柄な御者がトーマと副魔王を見つけて会釈をした。


「お待ちしておりました。準備は整えております。どうぞお乗りください」


 荷車にホロをかぶせたような馬車ではなく、四輪のキャビン状の馬車は、この村とヨタルの交通事情が良いことを知らしめていた。荷ではなく人を運ぶ専門の馬車だった。そして一匹の大きな犬が馬車の下から出てきた。


「これは馬車犬として訓練しております。道中の警護にあたります。魔物にたいしても臆しませぬのでご安心ください」


 御者は犬の頭を強くなでながら言った。その犬にトーマは近寄ってゆく。


「魔物が近くいたら合図を送ってくれるのですか」


「はい。もちろんですよ、警察官殿。短い遠吠えのような鳴き方をします」


「強い魔物がこの辺りに出没している。本官も帯刀してまいった。魔法も使える。魔物が出たら本官が対処するので、危険を感じたら自分の身を優先するように。そのためには、お前のその鼻と耳が頼りだぞ」


 トーマは御者に警察官然として告げ、最後に馬車犬の顔をワシワシとなでた。


「私も魔物をやっつけるから、知らせてくれ。主に殴ってどうにかしようと思っている」


 副魔王も乗り気で言った。武器は没収され魔法もよくわからないので、この拳が頼りであった。これでも腐っても元副魔王。その辺でチンピラのように人間を襲う魔物の一人や百人、屁でもない。

 しかし、御者は


「お気持ちだけで」


 とやんわりと笑うのだった。

 もしや、頼りにされていないのだろうか。副魔王はその可能性を察し、なぜだか酷く寂しくなった。

 この色合いの薄い容姿のせいだろうか。せめて肌は前のように青と緑をベースにしたままのほうが良かったか。選択を誤ったかもしれないが、今更どうしようもない。ならば名誉挽回と行きたいところ。

 副魔王は馬車に乗り込み、窓の外を注視した。

 さあ、いつでもこい魔物ども。

 副魔王直々に成敗してくれる。


「サガン様、なんだか楽しそうですね」


「ああ、とても楽しい」





 魔王城のとある一室。円卓はキンと鎮まっていた。

 そこに集まるは十二の魔族と、一の魔族。計十三の魔族だった。

 十二は四天王と八魔将。一は魔王の補佐官である。


「して、この副魔王様がいなくなり一週間が経過したが、……どうだ?」


 沈黙を裂いて言葉を発したのは魔王の補佐官である。仮面の前で手袋の指を組んでいた。憔悴が見て取れたが、十二の魔族の半数は無反応だった。

 どうだ、という問いはあまりにも曖昧だったかもしれないと補佐官は思っていたが、それ以外に言葉が出てこなかったのである。


「たいした支障はありませんね」


 魔王の補佐官に一人の魔族が答えた。

 続いて


「目立った混乱も困った事態にもなっておりません」


 との返答も来る。

 やはりか、と魔王の補佐官は心の中でつぶやいた。


「むしろ士気が上がっているのではないですか?」


「副魔王様の細かさに辟易していたものは多い」


「そのくせご自分は自ら動くことはなく執務室にこもりきりだ」


「たまに出てくれば、上手くいっていた作戦を台無しにするしな」


 十二の魔族の半分がそのように副魔王を評して笑う。

 やはりかと、補佐官は二度目のつぶやきを心の中で落とした。ため息をつきそうになるのを堪えて、次の問いを投げかけた。


「魔王様はすぐにでも副魔王様を連れ戻せといっているが、皆はどう思う?」


「呼び戻してどうする」


「これまでできなかった作戦や計画を通すせっかくの機会だぞ」


「そもそも役に立たぬだろうが」


「いるだけ無駄だ。気を遣うのはもうこりごりだ」


「我々は魔王様のもとに集っているのであって、副魔王様のもとに集っているわけではない。むしろ、魔王様の配下という立場は同じだ。どうしてこびへつらわねばならない。アレに」


 補佐官の問いに対して、今度は矢継ぎ早に文句が飛んだ。

 これにはたまらず、ため息が漏れた。


「我々魔族は、あまりにも大人しすぎているのではないか? この世界を支配できる力を持っているというのに、世界の勢力の三分の一程度だ。それもこれも、副魔王様が野心のある作戦をことごとく却下していたためだ。今ではこの世界で一番力をもっているのは妖精族となっている。次いで人間。魔族は第三勢力だ。妖精族はまだよいとしても、人間ごときに勢力で負けるなどと我慢ならん」


「その通りだ。そもそも国と国の間に国境を定めぬという前提をお作りになったことが、副魔王様の失策だ。おかげで繁殖力の高い弱き生き物が数で圧倒し始めたのだ」


 すると、これまで無反応であった魔族が言った。


「それに関しては、増えすぎた場合は人間の国を襲い、一定数を駆逐している。すべては計算された数だ」


「それだけでは足りぬと言ってるのだ! 我々はそろそろ、己の意思で動くときなのだ」


「副魔王様がいなくなったのは好機」


「むしろ、いなくなるべくしていなくなったのだろう」


「お戻りになっていただくのは、この世界のすべてが魔族の手に落ちたときでいいのでは?」


「飯炊きにでも雇って差し上げよう」


 嘲笑が上がった。

 まるで副魔王をかばうような発言は、火に油を注ぐようなものだったのだ。

 やはりか。

 三度目のつぶやきが補佐官の心の奥底に沈んでいったとき、ほとんど無反応であった魔族たちが無言で立ち上がった。

 そして


「我々にはやらねばならぬ仕事があるので、このような意味のない会議に割く時間はこれ以上捻出できぬ。失礼する」


 と言い、部屋を出て行った。それに倣うように、怒りが燃え上がっている魔族たちも苛立ちを隠そうともせずに退席してゆく。

 そして再びキンとした静けさが円卓に訪れた。


 やはり、これはまずい。


 補佐官は瓦解の音を聴いた。




 魔王がどのように考えて副魔王を連れ戻せと言っていたのか補佐官は理解していない。しかしながら補佐官は副魔王の復職を切に願った。

 このままではまずい。まずいことになる。

 十二の高等魔族たちは不満かもしれないが、あれらの手綱を引けるのは副魔王だけだったのだ。魔王は大きなことをいい、方向を定めるが、その方向にきちんと向かうように操縦するのが副魔王だった。操縦士を失ったのも同然だ。

 補佐官は先ほどの会議で無反応だった魔族たちを追った。


「待て」


 六名の魔族はそろって通路を歩いていた。六名は魔族の中でも妖魔に分類され、半獣に近い容姿をしている。冷たいが美しい妖魔たちは、笑いもせずに振り返った。


「お前たちは副魔王様を呼び戻すことについてどう考える?」


「……なんとも」


 一名がそっけなく答えた。


「呼び戻すために動いてくれと言ったらどうする?」


「……どうも」


「どうもしない気か」


「戻ってくる気がないのであれば、無理に連れ戻すこともないでしょう」


「副魔王様が必要ではないと考えるか? 必要がないと考えるか?」


「必要でしょうね」


「であれば!」


「我らにあの方を連れもどせと?」


「そうだ。お願いできるか?」


「魔王様が直々になさってはいかがですか」


 凍てつくような声だった。


「そうですよ。魔王様が危機感を持っているのでしょうか。そして魔王様を信奉するあの者たちも」


 奥にいた魔族が笑いながら前に出てきた。


「躍起になって副魔王様の悪口を言ってたようですが、もしも副魔王様がご自分の派閥をお作りになり、魔王城から独立でもしたらあの者たちはどうするのでしょうね。自ら戦うのかな?」


 独立。

 ぞくりとした。

 なぜ今の今まで、副魔王独立の可能性を考えてこなかったのか。なくはない。いや、大いにあり得る。

 そもそも、副魔王単体であっても相当に強い。強いという域を超えている。


「ま、だとしても、しばらくはないと思いますけどね。あはははは」


 その甲高い笑いに、六名の妖魔たちがさざ波のように笑いだした。


「お前たちは何かを知っているのか?」


「いえ? なにも? 最近は副魔王様には近寄っておりませんでしたので。少々気味が悪く」


「気味が悪い?」


「ええ。あまり思い出したくもありません。では、失礼」


 六名の魔族はさざ波のような含み笑い漏らしてから、補佐官の前から消えた。

 何を知っているのだ。

 そして副魔王は独立を企てているのだろうか。

 補佐官の無いはずの内臓がキリキリと存在を主張し、仮面の下もなにやらガンガンと鈍痛を感じ始めた。

 それらをどうすることもできずに、魔王執務室に戻る。

 そこには、本来副魔王がするべき仕事が、まさしく山となって積みあがっているのだった。

 今、副魔王はいない。

 であるので、魔王がやる。

 しかし、魔王はやらない。

 やらされるのは、補佐官であった。


「……うう……」


 この山の中には、全くかみ合わない主張が詰め込まれていて、どれかを選べば別の主張に角が立ち、却下をすれば陰で文句を言われる案件ばかり。

 例えば、無差別に村や町を襲い、人間を殺し、魔族の領地を増やせ、というような。

 そんな企て、容易に許可など出せぬ。

 とはいえ、魔王城の目の届かぬ遠い場所や目立たぬ場所などでは、これまでも横行していた。黙認していたこともあるが、あまりにも目に余ると処罰の対象にしていたため、種族間の大きな争いは起こっていない。

 しかし今、その監視を行っていた副魔王はいない。むろん、補佐官も許可などなしていない。しかし、副魔王の監視がないという解き放たれた状態である。許可の有無などもはやあってないようなものだ。

 副魔王が戻らなければ、この世は混沌と化す。


 呼び戻さねば。


 補佐官は心に決めるも、まずはこの山を処理することが最優先だった。誰も手伝ってはくれない。魔王でさえ今、外でがれきの撤去をしているのだから。









 副魔王はじっと馬車の窓から外を見ていた。馬車は深い森の中を走っていた。魔物の気配がした。臭いに近い。魔力の残り香のようなものだ。また、大型の魔獣が歩いた痕跡がそこかしこにあった。

 しかしそんなことはどうでもよかった。


「犬も良いな」


 窓の外を走る馬車犬が魔王をちらちらとみてくるのだ。なんと愛くるしい目をしているのだろうか。

 手を振れば、ちょっと跳ねる。


「動物がお好きなんですね、サガン様は」


「うむ、好きだ。牛も馬も好みだ。ヤギや羊も」


「食べるほうの好きの話ですか?」


「食べても美味いな!」


「天馬を飼っているのに馬を食べるんですか……」


「食べると決めたものは食料で、飼うと決めたものは愛玩だ。好いた相手はつがいになるし、憎い相手はその命をただ消す。食べぬ」


 副魔王は窓の外だけを見ていたため、トーマがどのような表情をしているか知らなかった。そもそも、知ろう思うことさえなかった。

 窓の外で馬車犬が前に走り出した。馬車もスピードを上げ、ほどなく森を抜けた。

 手入れのされた原っぱが広がり、その向こうには大きな城砦が影を背負っている。その上には銀色に光る太陽と、青い空。


「あれが始まりの街です、サガン様」


「思ったよりも大きいのだな」


「はい、世界中から人が集まる街ですから」


 村を出てから二時間余り。

 副魔王とトーマは魔物に会うことなく始まりの砦に到着した。


「あっけなく着いてしまいましたね。本当に魔物なんているんですかね」


「つまらん。帰りは出てほしいものだ」


 そうでないとこの拳が活躍しないではないか。副魔王は拳をぶんぶんと振って見せた。


「一個師団で来てもよいのにな」


「怖いこと言わないでくださいよ」


 ははは、副魔王は笑った。つまらないけれど、楽しい。


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