第8話 副魔王 名乗る


 魔王城は今日も平和だった。

 副魔王がいなくなり二日が経った。魔王と副魔王の壮絶なる喧嘩によって魔王城は半壊していたが、その修理はすでに始まっている。しかしながら喧嘩の果てに副魔王が遁走したなどと外聞が悪すぎたため、外部から専門の業者を呼ぶことははばかられた。その結果、建築や工事にはあまりかかわったことのない部署の者たちも駆り出されての修復作業だった。

 魔王も修理現場にやってきていた。


「魔王様、手が足りませぬ。ついでに材料も足りませぬ」


 ぬるっとした風体の魔族が魔王の足元に座した。魔王の補佐官をしている粘体の魔族である。白地に赤で文様を刻んだ仮面をつけており、手の先には白い手袋をはめている。そのようにしなければ、どこが顔でどこが手足なのか分らぬからだった。周囲の者も、そして魔族自身も。


「作業員が足りぬのは仕方がない。こうやって私も手伝っておるのだ、文句を言うな。しかし、材料とは?」


 魔王はがれきを拾っては積み、拾っては積みを黙々とこなしていた。元来外に出て騒ぐのが好きな性分である。単純な肉体労働は気晴らしにもってこいだったのだ。

 一方で城の中で策略をめぐらすのは苦手だ。城の中での夜の宴は好きだった。妖艶かつ豊満な肉体の美女たちを抱きながら酒を飲むのは格別この上ない。しかし城が半壊しているために、そのような楽しい宴はしばらくできない状態だ。魔王自ら修理を手伝っているのは、これが理由であったりもする。


「この城は経って何万年も経っております。しかし材料の鉱石は全く風化されず、鏡のように磨き上げられ、刃物はおろか重機による切断もままなりません。……石材の正体がわからぬのです」


「そうなのか。にしてはがれきの山だがな」


 それだけの馬鹿力で喧嘩したのだよあなた方は、と補佐官は思ったが言わなかった。


「なにか心当たりはございませんか?」


「そういう裏の作業は副魔王がやっておったからな。知らんな。あやつに聞け」


「魔王様……、副魔王様は、もう辞めました!」


 魔王城は平和だったが、副魔王がいなくなり、魔王補佐官の無いはずの内臓がキリキリと痛みだしていた。





 副魔王は朝から釣りをしていた。

 夜が明けてすぐに若い警官がやってきて、朝餉と娯楽のために釣り竿を持って来てくれたのだ。

 最初、海に触れれば海王にばれると思ったのだが、ぼんやりと釣りをして過ごすのは夢であった。

 朝餉のあとに波止場へと降り、小さな樽に腰を掛けて釣り糸を垂らした。餌をつけずに、ただ釣りの真似をするだけである。それでも副魔王は幸せだった。


「水平線は、良いな」


 目を細めてぼんやりと昼まで過ごした。





「釣れました?」


 副魔王は若い女性に話しかけられた。まだ少女といってもいい年齢かもしれないが、大人かもしれない。人間の成長具合はよくわからないのだ。


「いや、釣れぬ。釣れるわけがない。餌をつけておらんのだ」


「まあ、……餌は貰えなかったのですか?」


「さて、どうだったであろう。もしかしたら餌もあったかもしれぬな」


「なぜつけないのですか?」


「なぜであろう? わからぬなぁ」


「不思議な方ですね」


「そうかな」


 副魔王はにこりと笑った。足元では子馬たちが戯れている。


「小さなお馬さんですね。子馬にしても小さい。ペットとして品種改良された馬ですか?」


「いや、これが正常な大きさだ。まだ生まれたてなので、このようなずんぐりむっくりとした愛らしい姿をしている。大きくなれば天を裂き地を割る巨大な天馬となるぞ」


「まあ、そうなんですか」


「うむ。とても良い子たちだ。賢い。曲芸もできるのだ。よし、クーリン、フーリン、練習の成果を見せてあげような」


 副魔王はそう言って釣り竿を置くと、天馬の子たちはカポカポと寄ってきた。


「では、お座り」


 天馬の子はちょこんと座って見せた。


「まあ、お利巧!」


「次、ぐるぐる」


 立ち上がった天馬の子はお互いのしっぽを追いかけるように走り出した。


「まあ、かわいい!」


「次、火車」


 ヒン

 ヒン


 フーリンとクーリンはひずめから火を出し、そのまま高速回転をはじめ、見事な火の輪を作り出して見せたのである。


「おお、成功だ、よくやったぞフーリン、クーリン」


「あわわわわ」


 火車はそのまま空へ飛んで行き、一羽の海鳥が丸焼きとなって落ちてきた。


「おお、昼餉だな」


 フーリンとクーリンは主の言葉にヒンヒンと嬉しそうに鳴き、昼餉を食べ始めた。


「どうだ、賢い子たちであろう?」


「は、……はい……」


 若い女性は、丸焼きの鳥をおいしそうに食べ始めた天馬の子を、青ざめた顔で眺めていた。



 

「まあかけてくれ。ここの初めてのお客だ。たいしたもてなしはできないが、ゆっくりしていってくれ。じきに若い警官が来るゆえ、」


 と言いかけていた時に、まさしくその若い警官か来たのである。


「こんにちは、お待たせしました、お昼ご飯買ってきましたよー、って……ローザ!」


「あらトーマ」


「なんでお前がここにいるんだ!」


「トーマこそ随分と入り浸っているのね、お母様がとても心配されていましたよ?」


「くっそ、母さんの虫よけ効かないじゃないか! 超強力なやつって頼んだのに!」


「なに? 私は虫なの?」


「うっさいなぁ、なんでいるんだよ、ここは犯罪者の軟禁場所だぞ! 危ないから出て行きな!」


「なんであなたに命令されなきゃならないわけ? 私は出て行かないから! ふん!」


 若い警官と女性はフンっと鼻を鳴らしてお互いにそっぽを向いた。


「……知り合いか?」


「ええ狭い村ですからね」


「エリートを気取って都会の大学に行ったくせに出戻ってきた男はそりゃあ有名ですもん、知っていますとも」


「出戻っ? なんだと? 異動願いを通してもらうのがどれだけ大変だったか知らないくせに! これだから箱入りのお嬢様は!」


「ええ、どうーせ私は働きもせずに親の脛をかじってますよーだ!」


「まあまあ、ところでお前はトーマとう言う名なのか?」


 副魔王は間に入って若い警察官に訊ねた。すると警察官はちょっと照れ臭そうに鼻の頭をかいて、


「そうです」


 と答えた。


「んで、そいつはローザと言って、村長の娘です」


「なんでトーマが私の紹介するのよ」


「うっさいな。早く帰れよ。ここは俺の仕事場だぞ」


「私だって用事があってきたのよ。お父様から、この小屋のお客様に仕事の希望を聞いてきなさいって言われたの」


「どうして警察に通さず勝手なことをするんだよ」


「村長の判断よ!」


「ここは犯罪者の軟禁場所だぞ! 危険なことを勝手にするなよ」


「そーいって一人占めしたいだけでしょ。それに村民の多くはこの小屋に来るじゃない」


「軟禁場所って決まってからは近づかないように言ってるんだ」


「町中では子供と戯れてるって聞いたわ」


「本官が一緒なので安全なんですー!」


「じゃあ警官のあなたがいるんだから今は安全のはずよね! 村長からの用事の邪魔をしないで!」


 喧嘩するほど仲が良い。そんな言葉が頭をよぎったのが、本気で喧嘩するほどに煩わしい相手の可能性もある。副魔王はなにも言わず、外から腰掛用の樽を持って来て、茶を淹れるために湯を沸かしたのだった。




 税金の予算の中で用意された茶葉だったが、思ったよりも良質なものだった。副魔王は一口のんでにこっと笑った。

 そしてすかさずローザが言った。


「では早速ですが、お名前を」


「まずこっちの仕事から先にさせてくださいね。調書を取るんでお名前を教えてください」


 トーマが遮った。


「ちょっと、邪魔しないでもらえない?」


「まずは警察の尋問が先なんですよ、民間人。名前や出身地、性別に趣味その他もろもろこちらで確認するんで、あとで問い合わせください?」


「問い合わせたら警察でなんにも調べてなかったんじゃない。仕事しなさいよ仕事」


「今からするんだよ、黙ってみてろ」


「私の名はサガンという」


 トーマとローザはザザっと紙にペンを走らせた。


「本当の名は別にあるのだが、だいぶ使っていない」


「できれば本名を知りたいのですが! 調書に偽名は書けませんから!」


「ちょっとトーマ、サガン様が言いたくないことを強要しないで。それでサガン様? もしかしてサガン様はエルフですか?」


「こらローザ、種族はナイーブな問題だぞ軽々しく聞くんじゃない!」


「うっさいわね! エルフは若い乙女の憧れなのよ!」


「私はエルフ族ではないぞ。まあ、エルフ族となにかしらつながりがあるかもしれんがな」


「ほらな、ナイーブな問題なんだよ! 口出しすんなよ!」


「それもでまるでエルフのような美しさです!」


 種族を聞くことはナイーブな問題だとは思いもよらなかった。そしてエルフが若い人間の女性の憧れの的になっているとは思わなかった。

 

「えーと、その、サ、サガン様は……、エルフとのハーフ……ですか?」


 トーマが聞きにくそうにしながら、ちらちらと視線を投げてくる。


「いや、ハーフではない」


 むしろエルフのほうが副魔王の血を引いている可能性がある。はるかむかしに血を分けた種族が、長い時を経てエルフとなった可能性は否定できない。

 

「クウォーターとかでしょうか?」


 目を輝かせでローザが食い気味で聞いてくる。


「そんなに濃くはないのではないかな?」


「ですが血は引いているのですね、やっぱり!」


「否定はしないが、よくわからんな」


 昨今の流れから考えるに、エルフの祖は副魔王となったら大問題に発展するのではないだろうか。エルフは魔族と距離を置いているはずだ。敵対はしていないが、相いれない。お互いに喧嘩をしないように、関わらないようにしている。魔族の中でもエルフを嫌っている者は多いし、エルフも魔族を嫌っているだろう。

 なるほど、種族の問題はナイーブだ。


「そ、それで、年齢はおいくつですか?」


 トーマはやはりちらちらと視線を投げてくる。そんなに聞きにくい質問なのだろうか。

 であればあまり詳しく伝えると角が立つかもしれない。いや、言われてみれば本当の年齢が分からない。

 魔歴は五万年であるが、今の人間たちの暦が魔歴と同じかどうかわからないし、五万年よりも前から副魔王は生きていた。

 魔歴とはつまり、魔王が魔王として名乗ったことよりはじまったのである。魔王が魔王を名乗る前から魔王はおり、副魔王もいた。


「人間に比べればうんと長く生きているぞ」


「そ、そうなんすね。……やはりエルフの血か……」


 トーマはぶつぶつ言いながら何かを書き込んでいる。


「では、出身国は?」


 出身。

 それは魔王の城、などではない。

 出身国などない。

 副魔王を名乗る前に暮らしていた場所はあるが、そこには副魔王とは関係のない国が建国されていることだろう。


「考えてみれば、私に出身国はないな。故郷がない……。暮らしていた場所は、もうほかの何者かたちの故郷となっているだろう」


 唯一故郷といえるのは、もうあの魔王城なのかもしれない。

 いや、違う。

 故郷と言えるのは副魔王としての自分の城であり、断じてあの魔王城ではない。


「だがよいのだ、私にはちゃんと家があるからな。少し……帰りにくいが」


「サガン様……」


「……サガン様、では、どうぞこの村を第二の故郷にしてください! 第三でも、第四でもいいです! お父様に言って、サガン様をこの村の民として迎え入れられるように頼んでみますから!」


「そうですよ! 本官はもはやサガン様の家族の一員だと思ってください!」


「なにさらっととんでもないこと言ってんのよ!」


「じゃ下僕でもいいっす!」


「エルフに焦がれて良いのは乙女だけと決まってるんだからあんたはお呼びじゃないのよ! さっさとここから消えなさいよ」


「サガン様は純正エルフじゃないからいーだろ別に」


「警察官が純正だとかなんだとかで種族判断してんじゃないわよ。エルフの血を穢れた目で見ないでくれる?」


「お前こそ仕事の希望を聞きに来たくせに全くそんな質問しないじゃないか。遊びに来てるんなら帰れよ、さっさとな」


「ちょと文脈がつながってないんですけどー? それでよくエリート大学入れたわねー」


 喧嘩は延々と続いた。この二人は仲が良いのだという結論に至った。







 村に一つだけの魔法薬局の母屋。

 トーマという名の警察官は、テーブルに肘をついて母が店を閉めて戻ってくるのを待っていた。


「はー、今日は調合依頼が多かったわー、疲れた疲れたー、あらトーマお帰り」


「……ただいま。母さんもお帰り」


「どうしたの暗い顔しちゃって。お父さんは?」


「二階じゃない? それよりさ、話があるんだけど」


「な、なぁに?」


「虫よけポプリ作ってもらったじゃん? あれ効かないんだけど」


「あ、あら。フナ虫出ちゃった?」


「ローザが来た」


「村長さんとこのローザちゃん?」


「そう。ローザが来たんだけど。超強力な虫よけって言ったよねぇ? なんで来るの?」


「……えっと」


「あとさぁ」


「な、なぁに?」


「聖水入りの薬湯、効かないんだけど」


「……」


「なんで効かないんだよ! 全然魅了魔法が解けてないよ! ちゃんと作ってくれた? ねえ!」


「えっとぉ……」


「もっと強力な奴作ってくれよ! めっちゃ恥ずかしいこと口走っちゃったよ、もう明日サガン様のところ行けない!」


「あらぁ、困ったわぁ。親としてもこれは由々しき事態だわぁ……、お父さんに相談しなきゃいけない案件だわあ……どうしましょ」


「ねえめっちゃ強力なやつ作ってくれよ、解毒剤でもいいよ!」


「それがね、……困ったわね、……ちょっと無理なの」


「なんで! 母さんってそんなレベルの低い魔法薬師だっけ?」


「パニックになってるかわいそうな息子じゃなかったらぶっ飛ばしてるところなんだけど。それがね、注文してた材料が……、道が緊急閉鎖されたとかで届かないのよね。だから、売り物以外で使える薬草も材料も、ないの! えへ」


「ち、ちっくしょおおおおお! なにやってんだよ行政ーーーーーー!」


 トーマの慟哭は家を揺らし、階段をおりてこようとしていた父に二階で二の足を踏ませていたのだった。



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