第5話 副魔王 受け入れられる
さて、家である。副魔王はこの小屋に住む気でいたが、
「無理っす。ここはやめときましょう」
と若い警官が却下した。
「なぜだ。屋根もあるしドアも窓もある。寝台らしきものもある。みろ、食器棚まであるぞ、あはは、扉が壊れておるな」
「無理っす無理っす無理っす。こんなフナ虫が這いまわったとこに住ませるわけにはいかない気がしますし、なにより俺が来たくない!」
最後の一言が一番の理由のようである。
「やめましょ。ね、もっといい場所探しますんで。なんなら村長の家の物置小屋とかでもいいじゃないんですか? この村の長ですからね、民衆の安全の為なら小屋の一つや二つどうぞどうぞと差し出しますよ。さ、帰りましょ。さっさとここから離れましょ」
どうにかこの小屋から出させようと、若い警官はぐいぐいと副魔王の背中を押したのだが、びくともしないとすぐに諦め、代わりにドアの外でカポカポと楽し気に走り回っていた天馬の子を一頭かっさらい、勢いよく陸地に向かって走り出したのだった。
「おい!」
副魔王に対するなんという行い。
ここに魔王城の側近がいたら声にならない悲鳴をあげ、次の瞬間にはかの警官は消し炭になっていたことだろう。
そして、まだ副魔王として君臨していたならば、自分もあの者を生かしてはおかなかっただろう。けれど今はどうだろうか。思いもよらぬ行動にあっけにとられ、笑いがこみ上げてくるではないか。
副魔王は「さー、この子の命が惜しければさっさとこっちに来てくださいーい」と遠くで叫んでいる警官を眺め、くつくつと笑っていた。
「しかたがない、行こうか」
ヒン。
副魔王は天馬の子と足並みをそろえて、恐れしらずの人間のもとへ向かった。
町中に戻ってくると、人間たちが集まってきた。
「お兄さん、おうちは決まりましたか?」
そう聞いてきたのは女だ。女の足元には先ほど天馬の子たちをなでていた幼子がいた。この女は母親なのだろう。
「灯台のそばの小屋にしばらく厄介になることになったのだ」
そう答えると、すかさず若い警官が割って入った。
「違います違います! あそこに住まわせるわけにはいきません!」
「私はあそこでよい。そうでなければ牢屋がよい」
「あそこの小屋は思った以上にぼろぼろでしたし、ベッドもほとんど腐ってました。灯りも水回りもありませんし、お風呂もありません!」
「それにフナ虫もいたしな」
「そうです!」
副魔王はくすくすと笑ってしまった。
「笑わないでくださいよ!」
顔を真っ赤にして警官が叫ぶ。すると集まっていた人々もけらけらと笑いだした。
すると今度はふくよかな女性がこう切り出した。
「灯りだったら使ってないランプがあるよ。灯台守の小屋までもっていってやろうか?」
「なんと。よろしいのか? ご婦人」
「もちろんだとも。あと小屋の雨漏りくらいなら、うちの息子にやらせりゃ一時間もかからずなおせる。寝台も直せるかもしれない」
「なに、直せなかったら、ワシは家具屋とやっとるから新しいのもっていってやるよ。これだけ上背があったら、備え付けの寝台では小さいかもしれんしな」
こぎれいな服を着た恰幅の良い老人もそう言った。
「水汲みをしなければいけないなら、樽と台車もいるんじゃないか? 誰か余っていないかい?」
「うちから貸せるわ」
「かまどで使う薪なら少し出せるけど?」
「食器とかはあるのかしら? かわいいけれど、旦那が趣味じゃないって言って使えていないセットがあるのだけれど」
「あ、そもそもお掃除の道具がないんじゃないの?」
「タオルとかもないんじゃない?」
集まってきた人間たちが次々と必要なものをそろえ始めた。副魔王はまたもやあっけにとられていた。なんと気の良い者たちが集う場所なのだろうか。
足元で天馬の子がヒンヒンと楽しそうに鼻を鳴らしている。
なるほど、天馬の選んだ村だから、というわけだ。ならば無下に断ることは法度であろう。
「みなの心遣い、感謝する。ありがとう」
副魔王は素直に感謝の言葉を述べた。すると、数秒の間があった。どうしたのだ? と首をかしげると、
「そんなかしこまらなくていいのよ!」
とふくよかな女性がパシンと魔王の肘を叩いた。
「こっちは好きでやってることなんだから!」
「そうですとも!」
「ねえ!」
「そうそう。ほんと。私たちはお兄さんを心から歓迎しております! ですからここにも毎日来てくださいね」
「うちの店にも顔を出しておくれよ?」
「マーケットに来てくれたらおまけしてやるよ」
本当になんと気のよい人間たちなのであろうか。これはもう死後に祝福を与えなければなるまい。スケルトンでもハイヤースケルトンの部類まで昇華させてやろう。
この、もはやあの灯台守の小屋に住むしかなくなった空気の中、フナ虫への恐怖を忘れられない若い男がいる。その者はじっと副魔王を見ていた。
目があうと、ぐっと親指を立て
「母に強力な虫よけポプリを作ってもらってきますね!」
と、覚悟を決めた男の顔で言った。
灯台守の小屋は半日もかからずに、朽ちかけた廃屋から白とブルーのかわいらしい小屋へと姿を変えた。屋根や窓やドアは、とても器用な若者の手であっという間に修復と改装が施され、狭いながらも風呂場も作られた。そして腐食を防ぐペンキで色を塗られたのである。
寝台はどうにも腐っていたので、家具屋がベッドをくれた。魔王城で使っていたものに比べれば小さいが、今の体は副魔王の時よりもだいぶ縮小しているし、角や翼や太い尾もない。鋭い爪も牙もない。であるので、もらったベッドに十分おさまるし体つきであるし、傷をつけることもないだろう。
テーブルや棚も修理された。そして床と一緒に磨き上げられ、天井からはランプがつるされる。竈は問題なく使えるということで、数日分の薪をおすそ分けしてもらえた。
小花模様の食器のセットにレースのカーテン。カーテンは手作りだそうだ。そして真新しいリネン類。
副魔王の新居はとてもかわいらしいものとなった。
子供たちが天馬の子のために飼い葉と桶をくれた。時々触りに来てもいいかともじもじと聞いてくるので、副魔王はもちろんだと歓迎した。天馬は邪気の少ない子供が大好きなのだ。
夕日が沈むころ、気の良い人間たちは副魔王の新居から帰っていった。
残ったのは副魔王と二頭の子馬、そして若い警官のみとなった。
「ここの村の住人は良い人ばかりでしょう?」
警官がにこりと笑って言った。
「うむ。本当に良い者ばかりだ。礼をせねば。何が喜ぶだろうか」
「はは。みんなそれなりに下心があってのことですけれどね」
「そうなのか? そうは見えなかったが」
「みーんな、あなたに気に入られたいのです」
「取り入りたいと?」
「そんなたいそうなものではないですよ。……毎日のように町に顔を出してほしい、それだけのことです」
「ふむ。それだけでいいのなら毎日顔を出そう」
「ええ、ええ。ぜひとも」
「ところで」
「はい、なんでしょう?」
「虫よけポプリをもらっていないが?」
「……。明日持ってきますよ! 朝一番に来ますからね!」
「歓迎する」
「そうだ。あなたは軟禁の身でした。いいですか? 出歩くのは日が昇っている間だけにしてくださいね。今からは外出禁止です!」
「わかった」
「それと、基本本官が一緒でないと出歩けません」
「ふむ。では、出歩けるのはお前がいる間だけということか」
「そうです」
「では、出かけたくなったら呼ぶのですぐに参じるように」
「はい。って、え?」
「もしくは日の出前に出仕し、日没後に辞せ」
「え?」
「私に同行するのだろう?」
「いや、しかし本官は警官としての仕事が……」
「では呼ぶので参じるように」
「はい。それでしたら。って、え?」
「ん?」
「いや、えっと……ちょっとすみません、頭が混乱しております」
「大丈夫か? かえって休め。今日はご苦労だった。感謝する。ありがとう」
「いえ、もったいないお言葉」
若い警官は頬を赤らめて敬礼をし、「ではまた明朝に」と言い残して帰っていった。
町の交番。
明かりがついているが、正面の机には誰もいない。使えない上司もいない。普段であれば、どこに行きやがった、また家に帰って飯でも食ってんのかと毒づくところであるが、今日ばかりはいてくれなくて助かった。
警官はどかりと椅子に座り、祈りをささげるように手を組んだ。
おかしい。
あの若者は、おかしい。
頭がおかしいという意味ではなく、存在がおかしい。
なんなんだあれ、なんなんだあれ。何者なんだあれは。
「なんだ、帰ってきたのか」
使えない上司が奥から顔を出した。いたのか。
「どうだった、首尾は?」
にこにこしながら聞いてくるので、若い警官は睨みつけた。
「あ?」
「うっ、な、……なんで睨むんだ……。その、……どうだった?」
「あの若者は灯台守の小屋にて軟禁することにしました。基本的に行動は私が一緒でなければならないこと、そしてそれは日の出と日没の間のみということも了承しています」
「そうか。穏便に済んだか?」
「それはもう穏便です。むしろ村民たちが自ら協力を申し出たため、穏便中の穏便にことは進んでいます」
「村民が協力したか。そうか」
上司がに顔をほころばせた。
「なんでそんなに受け入れてるんすか!」
「うおっ?」
「おかしいでしょう! おかしいっすよ! なんでみんなあの人外を受け入れてるんすか、っていうか喜んでるんですか! おかしいでしょうがぁあっ!」
「う、うむ。そう、かもな?」
「かもな? じゃないっすよ正気に戻ってくださいって! みんな自ら貢ぎだしたんすよ? 小屋を修理したり家具をあげたり掃除したり……、おかしいですよ!」
「う、うむ」
「おかしいんですよ、だって、だって、あの人外にお願いされると……、聞き入れちゃうんすよ……」
「つまり、やんわりとゆすりを働いていたということか? あの若者は」
「違いますよ! なに失礼なこといってるんすかあんた!」
「ひっ」
「あの人外がお願いすることなんてほとんどありませんでした。みんな自ら、気に入れられたいと思って……、こう……ささげるんですよ……。こう……差し出すんですよ……」
「だ、大丈夫か、お前」
「大丈夫じゃないです、全然大丈夫じゃない。駄目っす、もう、駄目っす。お願いされると、考えるよりも先に「はい喜んで」って口が勝手に動くんです! いや、でも、大丈夫。森に住みたいとか牢に住みたいとか言ったときにはちゃんとダメだって言えていました。大丈夫、大丈夫っすよね、大丈夫なはずだ!」
「落ち着け、落ち着くんだ。やはりあれはかかわってはいけない類の人外だったということがはっきり分かった。もしかしたら魅了魔法なんかをかけているのかもしれない。きっとそうだ」
「魅了。ああ、魅了魔法なら、ええ、そうですね、はい、はい……」
「気をしっかり持て。お前は警察官だ。魔法耐性の試験をクリアして警察官になったんだ、大丈夫だ。明日には預言者が来る。正体を探り、対処を考えよう」
「はい、部長。明日には解放されるんですね、頑張ります」
「それで、尋問できたか?」
「じ、尋問?」
「名前とか、出身国とか、種族とか聞き出せたのか?」
「な、名前……。名前だなんて……そんな、……そんな、恐れ多い!」
わあああ、若い警官は顔を手で覆って机に突っ伏し、その状態のまま頭をぶんぶんと振った。
「名前聞くなんて、できませんよ! そんな! お名前を頂戴するなんて! は、恥ずかしい! ああ、でも知りたい!」
「……よし、お前にとっておきの魔法耐性強化の腕輪を支給しよう」
「そんな、それは対テロ用の防具じゃないっすか! テロじゃないっすよ、あの人外はテロリストじゃないっすよ!」
「いや、お前には今必須のアイテムだ。ちょっと長い時間一緒にいすぎたんだな。いいか、今日は聖水入りの薬湯を飲んで、聖酒を含ませた風呂に浸かって、この腕輪をずっとつけているんだ。そうすればその魅了魔法か、もしくは服従魔法かわからんが、消えるからな」
「はい、わ、わかりました」
上司は明らかに魔法混乱に陥っている部下に腕輪を渡し、目の前で装着させた。
「明日は預言者がくる。その預言者と私であの者と対峙する、だから安心しろ」
「はい、わかりました」
「では今日はもう帰れ。さっき言ったことをきちんとやって、魔法を除去しろ。そして早めに寝るんだ」
「はい。そうですね、早めに寝ないと。明日は夜明け前にあの人外のところへ行かなければならないので」
「……」
「では。お先に失礼します」
若い警官は敬礼をしてそのまま交番から飛び出した。
よかった、この腕輪があればもうあの若者に魅了されることはなくなる。腕輪をなでながら警官は安堵の笑みを浮かべた。心のつかえがとれた気がした。
そうだ。母に頼んでポプリを作ってもらわなければならない。
実家の家のドアを開けると、若い警官は元気よく母を呼んだ。
「母さん! 明日朝一番であの方のところへいくから、急ぎ虫よけポプリを作ってくれ!」
「は? あの方って?」
「今日この村にお越しになった人外だ。部長が逮捕した。今は海沿いの小屋に収容しているんだ」
「犯罪者?」
「そう! 窃盗犯ってことになってる。俺は違うと思ってるんだけどさ。で、明日の夜明け前に軟禁場所に行くから虫よけポプリを至急作ってほしい!」
「なんで虫よけポプリ?」
「フナ虫が出たらどうするんだよ!」
「そりゃあフナ虫はいやね。軟禁されている犯罪者が極度のフナ虫恐怖症なの?」
「いや、俺」
「あんたなの」
「そうだよ、フナ虫なんて気色悪いだろ! そのポプリがないと俺、あの人外のおそばに行けないんだ!」
「行きたいの、その犯罪者のところに」
「そうじゃないけど、ほら、あの綺麗な顔とか髪とか指とかにフナ虫が這いまわったりしたら駄目だろ? フナ虫が這いまわったティーカップにあの唇が触れるなんてあっちゃいけないじゃないか!」
「……」
「頼むよ! 村一番の魔法薬師と見込んで、お願いだよ! 超強力な虫よけ作ってほしいんだ」
「わかったけれど……普通の意味の虫よけでいいのよね?」
「超強力な奴だよ。誰も寄ってこれないような」
「普通の意味の虫よけよね?」
「埒が明かないなぁ、それでいいよ。あと、部長曰く、俺今魅了魔法にかかっているらしいから、聖水入りの薬湯も作ってくれない?」
「ええ、急いで作るわ」
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