第4話 副魔王 家を探す
「じゃあお前、あの若者と一緒に行動してくれ」
若い警官は上司からさも当然のように命令された。
「え? ……、一緒に、ですか?」
「そうだ。軟禁とかいって、どこかに行かれたらかなわないからな。ついでにできる限りでいいから正体を探ってこい」
「ちょ、え? いや、今あまりかかわっちゃまずい人外だって部長が言ったばかりですよね?」
「これも市民の安全を守る警察官の役目だ。こらえてくれ。私は預言者に連絡を取るから。じゃあ」
ポンポンと肩を二度叩いて、上司は交番の奥へそそくさと消えてしまった。
「そんな、……最悪……」
ほんと使えねえおっさん。若い警察官は心の中で唾を吐いた。
そもそも、あの尋問中に名前の一つも聞けていないということろがすでに使えない証拠だ。白紙状態の尋問票に、呆れを通り越して笑いすら出る。
仕方がない、使えない上司のしりぬぐいでもしますか。
交番の外で子供たちや子馬を眺め微笑んでいる若者は、上司がおびえるような危険人物には到底見えない。それどころか、男の自分でさえちょっとどきりとしてしまう美形である。
滑らかな肌に、端正な顔。長くのばされた金髪は、風にそよぐたびにプラチナの鎖がさらさらとこすれ合う可憐な音でも出しそうである。言葉遣いは少々クセがあるものの、気品のある物腰だ。上司が盗品と信じて疑わない金品の数々も、本当に彼の持ち物なのではないだろうか。
どこか遠い国の貴族のお坊ちゃんが、政略結婚でもさせられそうになって逃げてきたんじゃないかな。
若い警官は、自分の妄想はあながち間違っていないはずだと楽観し、そして少しだけドキドキしながら若者のもとへ向かった。
そして見上げて感じた。
思ったより、でかい。
副魔王 家を探す
副魔王のもとに、警察官の制服を着た若い人間がやってきた。性別は男だ。首が折れそうなくらい急な角度で副魔王を見上げている。
「どうした。お前もなでるか?」
「い、いえ。本官はこれからあなたと行動を共にすることとなりました」
緊張しているのか、最初少し上ずった声だったが、徐々に男特有の低い声にかわり、最後はぴしっと敬礼をした。
「私とともに行動をすると?」
「はい。あなたは軟禁という身の上。勝手にどこかに行かれては困りますので」
「それは確かに一理ある。よし、同行を許そう」
「は、ありがたき幸せ」
「それで、どこからどこまでが私が行動してよい範囲なのだ?」
「そ、そうですね。……まず、軟禁のための拠点を決めましょうか」
「拠点?」
「仮の住居です」
「おお! 家か!」
これぞ憧れであった。
魔王の城の執務室でふっと脳裏をかすめる妄想は、まさにこの町のような素朴な風景の中で暮らす自分の姿だった。
緑に囲まれた森の中、小さな家の窓辺、自分でこしらえたぶどう酒とパンをつまむ。
風に乗って花びらが舞い、ぶどう酒のゴブレットに一片の黄色い花びらが浮かび、小鳥たちが歌い、美しい小鹿が窓から顔をのぞかせる。
「あの森の中の小屋などどうだ?」
副魔王はワクワクしながら遠くに見える森を指さした。
「いえ、あそこは村長の私有地で、しかも町の外ですから無理です」
「……そうか」
急に萎えた。
「ならば別にどこでもよい……、牢屋でよい……」
「本官としても牢の中にいてくれるのであればありがたいと思うのですが」
「ならば牢でよいではないか」
「五十年も居座られたら困りますので……」
考えてみれば人間の寿命は短いのだった。副魔王はそれに気が付き、胸がきゅうっと締め付けられた。なんと儚いのか。寝て起きたら目の前の警官は白骨死体になっているかもしれない。うむ、悲しい。スケルトン兵として復活させてやろう。
「安心して天寿を全うするのだぞ」
「はい?」
「もちろん、この村の全員を引き受けようとも、寂しくないようにな」
「……まあいいです。えーと、一応犯罪者として扱うので、アパート住まいにさせるわけにもいかないし、住宅街の中の住居も問題になりますねぇ。どうしようかな」
「ではやはりあの森であろう?」
「あそこは私有地だから駄目です」
「ならばもうどこでもよい……牢屋でよい……」
「そんなに牢屋が好きなんですか。変な趣味ですね」
「なかなか住めぬからな、牢屋とは。それに面白いおもちゃもあるしな」
「ないです。おもちゃとかないですよ。なに、おもちゃって」
「使い道がよくわからないが、適当に使うと悲鳴が上がるおもちゃだ」
「あ、はい。じゃ、めったに住めないところがお望みなら、……そうだ、海辺に小屋がありましたね」
「海辺か。それはなかなか住めぬ。よいな、よい」
「そうですか?」
海には海王がいる。魔王と敵対しているわけではないが、気まぐれに文句を言ってくるので必要のないときは近寄らないようにしていた。
もしも海辺に住もうものなら、海王にそれが伝わり、魔王のアホに通じてしまわないだろうか。そんな不安がよぎったが、考えてみれば辞表を出した身だ。今更魔王や海王にあれこれ言われる筋合いはない。
「うむ、海! そこにしよう!」
「じゃあ行きましょうか」
「フーリン、クーリン、行くぞ。来い」
子供たちの手から逃れてきた天馬の子を後ろに配し、副魔王は警官の道行きで海辺の小屋へと向かった。
海面がキラキラと光っている。貝殻を混ぜて作った白い人工石が海岸線を覆っていた。同じ材質の石で階段が作られ、波止場へと降りられるようになっている。
波止場には船が何隻か停泊しており、周りに海鳥が飛んでいた。
カポカポとかわいいらしいひずめの音が耳に心地よく響いている。
「その馬は何を食べるんですか?」
警官が訊ねてきた。
「飼い葉や野菜だ。ニンジンが好きだ。まだ子馬だからな」
「母馬のミルクは必要ないのですか?」
「うむ。もう必要ないだろう。そもそも、卵の頃から私が育てているゆえ、母馬の母乳は与えておらんのだ」
「……卵……。え、馬ですよね?」
「馬だが翼がある。であれば卵から生まれるのは当然だろう?」
「……そういうものなんですか」
「うむ。孵るまでずっとあたためていたのでな、もうかわいくてたまらない」
「あたためていたんですか」
「そうだ。割らないように細心の注意を払ったのだ。なんどか失敗しているからな」
「……失敗したんですか……」
「ああ。悲しいな、思い出すと……」
ちょっと転寝をしていたらベッドに大量の黄身が広がっていたのは、副魔王といえど阿鼻叫喚であった。慰めのつもりなのか、まだ中で育っていなくて不幸中の幸いだったなとどこかのアホが言っていた。確かになと思ったので喧嘩にはならなかった。それからしばらく卵料理が食事に出なかったのは、やつの計らいかもしれない。そこは感謝している。
海岸沿いをだいぶ歩いた先、灯台のそばに朽ちかけた小屋があった。
「もともとは灯台守が寝泊まりする小屋なんですけどね、今は灯台も自動化しているので、使っていないんですよ。井戸や水道はありませんので、毎日汲んでこなければいけませんし、電気も魔法灯もありませんから、生活するには不便です。明かりにはろうそくやランプを用意しましょう。ま、なかなか住めないレアな小屋ですよ」
そういいながら警官はドアを開けた。
ザワッ
開けた瞬間、そんな音がした。そして一拍の間を開けて、警官が「ヒッ!」とかすれた声を上げたかと思うと、
「うああああああああ!」
と絶叫しながら全力で逃げ出したのだった。
小屋の中には、大量のフナ虫がいた。警官はしばらく戻ってこなかった。
フナ虫。
陸の生物か、海の生物か、分類するのは難しい。海辺の蜘蛛も、海の生物か陸の生物課を判断するのは難しいし、カニやヤドカリの類も難しい。
つまり、海王のしもべか否かを判断するのが難しいのだ。
副魔王はカサコソと動き回る大量のフナ虫について、どのように処するか考えていた。
今や副魔王としての力を限りなく抑え、見た目もだいぶ穏やかに変えてきたが、それでも副魔王だ。その傍にいながら逃げることなく、まるで探るように留まる虫は、ただの虫であろうか。
ちょっとだけ気をにじませてみようかと考えた。そうすれば虫ケラなどあっという間に消し飛ぶか、命からがら逃げだすであろう。けれども、このフナ虫どもが海王の触手の一部を担っていたとしたら、下手に力を触れさせれば居場所がばれてしまう。
いかにもう無関係だとは言え、面倒なことになりそうだ。
火でも走らせて焼き払ってしまおうか。
「ふむ……。クーリン、フーリン……やれ」
副魔王はそっと命じた。
すると、小さな天馬たちは、カポん、カポんと前足を鳴らし始めた。そのひずめから、ふわふわと、まるで綿菓子のように炎がではしめた。
カポん、かぽん。
発生した火の綿は薄絹のように形をかえ、フナ虫たちを拾い上げてゆき跡形もなく焼き消す。
ひずめの音がしなくなると、生き物の気配も消えた。
いや、背後に命が近づいてくる。それはちょっと腰が引けていて、小屋から十メートルほど離れたところで立ち止まっている。
あの警官だ。
虫が苦手のようだ。
「フーリン、クーリン、あの弱き生き物を迎えに行ってやりなさい」
ヒン。
ヒン。
天馬の子は小さく返事をこると、かぽんかぽんと足音を立てて警官のもとへ行った。
副魔王も振り返った。
「虫はもう退治したぞ。そうおびえるな」
「お、おびえてなんていませんよう、ちょっと量が多かったからびっくりしただけで、フナ虫なんてぜんぜん、」
その足元をサッと一匹のフナ虫が横切った。
「うぎゃああ!」
すかさずそのフナ虫をクーリンがひずめでつぶした。
「うああああ! つぶした! つぶしたぁあああ!」
警官は悲鳴を上げ、天馬の子たちはその周りを楽しそうに駆け、副魔王はおかしくなって笑った。
心からおかしくて笑ったのは、何百年ぶりだろう。
人間とは儚いが、面白い生き物だ。
スケルトン兵計画はきちんと進めておこうと、ひっそり決めた。
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