第2話 副魔王 出奔する
紫色の雲が晴れると、そこには美しい草原が広がり、赤い屋根の粉ひき小屋の風車が点々と風景に郷愁を添えている。
ここは魔王の城のすぐ近く。
草原に放牧された牛や羊がのんびりと草を食んでいる。
そこに一本の道が伸びている。広く、そして綺麗に舗装されたその道を、コトコトと荷馬車が走っていた。
引いているのは二頭の子馬。片方は白と黒のブチに銀色の鬣。片方は黒に銀色の鬣。どちらも背中にかわいらしい翼がある魔獣である。
草原で草を食んでいる家畜たちも、いわゆるひとつの魔獣である。ごつごつとした岩のような肌に黒曜石のような黒い角を持つ牛。金色の毛をもつ羊は獰猛な肉食だが、品種改良を重ねて草食となり、今では美味しい肉になってくれる。
「はぁ~なんていい日なのだろうか」
荷馬車にちょこんと腰を掛け、淡い金色の髪をなびかせているのは、つい昨日まで副魔王と言われていた超絶高等魔族だった。
辞表を提出してから魔王とひと悶着あったが、それらをすべて無視して、先ほど晴れて自由の身となったのだ。
副魔王にもそれはそれは立派な城があったが、もう何千年帰っていないか定かではない。
魔王の城での生活に不自由はないが、朝も晩も関係なく仕事がついてくる日々には不満しかなかった。
魔王と違って副魔王の仕事は地味の極みである。城や世界各地の多種多様な雑務を監視し、不正がないか調べ、経費に目を光らせ、種族間の諍いをなだめ、時には種族間戦争をつぶし、たまにやってくる人間たちの軍隊や勇者とかいう少数精鋭部隊を迎え撃つ計画書にハンコを押さなければいけない。
魔王はいい、魔王は。
豪胆を見せつけ「それ、いいね? やっちゃえよ」みたいなことを言っていれば、魔王のもつ圧倒的覇気の裏打ちを得て、「さすが魔王様!」と崇め奉られるのだ。
やっちゃえよ、の一言をやっちゃうための雑務のしわ寄せは副魔王にくる。しかも、ちょっと計画が失敗したら、それは副魔王がだらしないからだと言われてしまっていた。
「だってあいつら弱いんですもん、殺さずにすませろっていう前提がむずい。いーじゃんちょっとくらい人間が死のうがさぁ」
とか口が裂けても言えない。
この星の生命のバランスを崩してはいけないことになっている。じゃないと食料難になってしまうからだ。
人間は弱いが、自然界の中ではそれなりに食物連鎖の上位にいる。彼らを著しく減らしてしまえば自然動物たちの数が異常に増え、森林や草原の植物が食いあらされるかもしれない。海洋生物のヒエラルキーにも変動があるかもしれない。かといって人間を増やせば、勝手に文明だとか産業だとか言って山を崩し川をせき止め、海を埋め立て始めるから厄介だ。その上、徒党を組んで反発してくるから目障り極まりない。
バランスが大事なのだ。
それをわかっているのかいないのか、魔王の「まーたお前の失敗か、使えんなぁ」という言葉を目の前で発し、呆れの目つきで見てくる。
下からの「あのヒトあんなに低能なのにどうして副魔王の席にいるんすか。おかしくないっすか」っという陰口ももうほんと心をえぐる。
ならばお前らがやればいい!
能力があるやつがやればいい!
私を何だと思っている? 副魔王だぞ!
魔王と同等の力を持つ、この星で最強とうたわれて相応しい魔族だぞ!
魔王ほど外見が体育会系ではないが、そこら辺の魔族よりずっとゴツイんだぞ。
分かるか。
脳みそ筋肉なんだよ、分かるか。
魔王ほどの体格じゃないからみんな忘れているかもしれないが、この惑星で五指にはいるのは確実な脳筋だ。
相手を殴って一発解決していた四万年前が懐かしい!
もうそういう時代じゃないことは分かっている。
そりゃあ、魔王ほどアホじゃないから裏方やるなら私だろうと思っていたし、異論はなかった。けど時代が違いますよね。もっと仕事のできる魔族を副魔王に据えたほうがいいですよね。
はいはい!
だから辞めた。
ノーストレスハッピーライフ!
副魔王を辞めたのだから、副魔王としての自分の城に帰るつもりは一切ない。そこに行ったらどうせ、認めぬ、許さぬ、私を愚弄するのもいい加減にしろ! とあのアホが怒鳴り込んでくるのが分かり切っている。
「さー、逃げるぞ、クーリン、フーリン!」
この牧歌的な風景を眺めながらゆっくりと荷馬車を走らせたいのはやまやまだが、いつ魔王が眠りから目覚めて、副魔王の個室がもぬけの殻になっているか気づくかわからない。
早々にどこか当たり障りのない田舎へ瞬間移動するのが得策だというものだ。
荷馬車には大量の私物が積まれている。
副魔王の時に少しづつ断捨離をし、残ったのはどうしても処分できないお気に入りのものばかりだ。これを引っ提げて流浪の旅を楽しむのもいいし、どこか田舎町に小さな家を借りて、ぼんやり釣りとかしながら流れゆく時を味わうのもいい。
小さな天馬が翼を動かした。
その瞬間、荷馬車は光に包まれる。
天馬の翼には瞬間移動の力がある。子馬であってもその力は本物。
元副魔王は魔王の領地から光をまとって消えたのだった。
魔王城。
魔王は寝起きの頭でぼんやりと考えていた。
俺はいつ眠ったのであろうか。
たしか昨日は副魔王が世迷いごとを言ってきたのだった。辞める、などと。
ご丁寧に辞表まで書いてきた。
認められぬ。認めるわけがない。
あいつは何を考えているのだ。この世を統べる大いなる力の一つの柱としての自覚はないのか。
許さぬ。この俺を放り投げて行くなど許されぬ。
「はっ! あいつはどこだ!」
魔王の叫びに、影からぬるっとした細長い魔物がそっと姿を現した。
「お目覚めですか、魔王様」
「副魔王はどうした!」
「元副魔王様でしたら、朝日が昇るとともに荷物をまとめて城を出てゆかれましたが」
「な、な、なんだと! なぜ止めぬ!」
「なぜ、と申されましても。魔王様と全力で喧嘩し、それどころか魔王様の頭を破壊してKOした相手ですぞ、どうやって止めろというのですか」
「貴様らが束になってかかれば足の腱の一本でも切れただろうが!」
「城にいるすべての魔族が戦意喪失でございましたゆえ。それより魔王様、頭のお加減はいかがですか」
「すっきりしている」
「さすがでございます。しかしおかしい、三分の二は吹っ飛んでいましたのに。元副魔王様は、寝せておけば治る、とおっしゃっておりましたが、誠だったとは」
「まて。その元副魔王とはなんだ。元、とは。あやつは副魔王だろう」
「しかし、お辞めになったのですから、元、でよろしいかと」
「辞めてはおらぬ! あやつの辞職を認めておらぬからな!」
「さようでございますか」
「さっさとあいつを連れ戻せ!」
「御意に。ところで魔王様」
「なんだ」
「破壊されました城と、巻き添えをくい死んだ魔族たちの補充はいかがいたしましょう」
「……」
「それと、巻き添えで死んだ魔族たちの家族への保障は……」
「……」
「……残ったものでどうにかできるだろうが。できなければさっさと副魔王を連れ戻せ!」
「御意に」
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