第38話 豹変


 あれから1週間ほど経過したが、寺島行久枝は何事もなかったかのように元気に登校している。

 今朝も特に気にする様子もなく、秋水やティケと連れだって自転車通学しているのだ。

 ティケはこちらの世界に来てから初めて自転車を所有したそうだが、なんと数分で乗りこなせるようになったという。もちろん魔法の力には一切頼っていない。……さすがはティケ様だ。


 鼻歌交じりの行久枝を先頭に、地味な自転車を漕ぐ2人が続く。


『……オイ、ティケさんよ。行久枝ちゃんは本当に、あの時の事は覚えていないようだな』


『ええ、サキュバスに体を乗っ取られた時は、深層心理が表に出た別人格と思っていいわ』


『むしろ記憶が全然残ってなくて助かったよ。でないと恥ずかしくて・気まずくて、とても一緒にはいられないぜ』


 距離が開いたのにムカついたのか、行久枝は隣のクラスの委員長らしい口調で注意してきた。 


「ちょっと、後ろの人達! ひそひそ話はいいんだけど、前から来る車には気を付けてね」


「お、おお!」


「は~い! 行久枝ちゃん」


 ティケのスカートは風を孕んで膨らみ、手で押さえるのに難儀しているようだ。何だか目を奪われるような光景に、秋水は眼福である。堂々とした行久枝は、バレー部で鍛えた両脚を丸出しにしてペダルを漕ぎ、気にする素振りも見せない。



   ✡ ✡ ✡



 教室前の廊下で秋水は、やけに大人びた雰囲気を醸し出す人物とすれ違った。

 陸上部のエースにして1組のクラス委員長、しっかり者と評判の小俣君である。訳もなく好意を抱く人はいるものだが、秋水は男前な委員長の人柄が好きであった。


「……おはよう。西田秋水君」


「ああ、おはよう」


 同級生らしからぬ畏まった挨拶に違和感を覚えた秋水は、思わず委員長の目を見た。ふざけるのが本質の中学生にあって落ち着き払った小俣は、涼しげな意味ありげの微笑を綻ばせている。


「……?」


 そういえば最近、委員長は変わった、との噂を聞いた事がある。秋水は彼について色々と思い当たるフシがあった。

 席に着くと早速、クラスのお喋りな女子達がオープンに小俣の話をしていた。


「委員長、凄いよねェ。陸上部で次々と中学生の最速記録を塗り替えているらしいよ」


「聞いた、聞いた。種目も万能で、その実力は超中学級だってね。高校生にだって勝てるんじゃないの」


「ふーん私、小俣君の凄い話、塾でも聞いた事あんよ」


「何、何ぃ~?」


「塾の実力テストがあるんだけど、小俣君、どの科目でも成績が急に上がって、ついに総合トップになるんじゃないかと。県で一番、ひょっとすると全国でもそこそこになるかもって」


「すっげ~」


「カンニングするような人でもないし、どうやったらそんなにテストの点が急激にアップするんだろ。秘密をこっそり教えてもらおうかな」


「やめときな。今や委員長は、南中の2大スターと呼ばれるほどになってるんだから」


「女子があのティケ。男子が小俣君」


「委員長に近寄りでもしたら、狙っている女子グループから色々と陰湿な意地悪されるよ。親しくなろうとして話しかけようものなら、嫉妬に狂った奴らからイジメに会うと」


「こっわ~」


「人気者は大変だね」


「私は遠慮しとくわ。アイドルグループでも追っかけとこ」


 朝っぱらから妙な話を耳にしてしまった。

 それにしてもティケへの熱い思いが委員長をパワーアップさせたのだろうか。よく分からないが、恋の力は偉大である。自分はどうなんだろ、と考えているうちにチャイムが鳴った。

 小俣君が前のドアから教室に入った瞬間、ある種の緊張感のような見えない圧力がクラスメイトの間にもたらされた。ニコニコの委員長だった頃は、こんな風じゃなかったのに。


「…………」


 彼は教室の皆には興味もないような態度で前列端の席に座ると、紳士的だが隙のない背中を見せるばかりであった。別人とまでは言わないが、能力が向上した代わりに何か大切な要素を失ったような気がしてならない。


『……委員長?』


 秋水は一瞬、サキュバスに取り憑かれた秀島先生や寺島行久枝の顛末を思い起こした。だが奴は二度と我々の前には姿を現さないと言ったはずだ。誓わせた訳でもないので、約束を絶対守るとは言い難いが……。

 しかし今回の小俣君の件とは微妙に流れが違うように思える。短絡的というか、身近な人達に何か仕掛けてくる様子もないし、邪悪な気すら感じられない。


『第一、そうならば、ティケがとっくに勘づいているよな……』


 小俣君の広い背中をボーッと見つめていると、何かを感じたのだろうか、彼は急に振り向いた。


「…………」


 その表情は、絵か写真のようで感情がよく読み取れない。

 確かに男でも心が奪われそうな危うさがある。同時に生の動物死体から作った血まみれの刷毛で全身を撫で繰り回されるような薄気味悪さも感じられた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る