第37話 心の叫び


 バレーボール部の更衣室には、一向に部員が訪れる気配はなかった。

 ベンチの上にまるで雌豹のように俯せで寝っ転がる寺島行久枝。

 ユニフォームの上着は限界まで捲り上げられ、ブラの一部が見えている。同じように自らの親指で骨盤の下まで降ろされた短パンからは、胸の谷間ならぬ尻の谷間が覗いていた。


『――コイツ、何気にスタイルいいじゃん……』


 組んだ腕を枕にしたまま、を作って微笑みかけてくる行久枝に、馬乗りとなった秋水は思わず魅了されてしまった。


「さあ、秋水……。早く私の腰を揉んでマッサージして。そっと素肌に触れてみて」


 行久枝の甘えた声に、だんだん我慢できなくなるのを感じた。

 じらされた行久枝は、大きな目を細め秋水の手を取ると、自分の艶々とした柔肌に直接触れさせようとする。

 

「……あはは、やめて!」


 秋水はリードされるがままかと思われたが、彼女のプニプニとした脇腹の肉をくすぐったのだ。


「オイ! ……君は行久枝ちゃんじゃないだろう。一体何者なんだ?」


 一瞬固まった行久枝は、無理に体を捻って秋水と目を合わせた。


「何言ってるの、秋水? 私よ!? どうしちゃったの!?」


「僕の知っている寺島行久枝じゃない。幼い頃から知っている君じゃない」


 秋水は行久枝から一歩離れると、真面目な顔で警戒するポーズを見せた。


「ひどい! 秋水。私は……、私なのに、何を疑っているの!?」


「いや、普段の行久枝ちゃんじゃないって言ってるんだ。幼馴染みで、ずっと一緒に育ってきたから、自然と分かってしまうんだよ!」


「…………!」


 寺島行久枝は背中を出したまま起き上がると、表情を歪め涙をじんわりと滲ませた。


「……本当にひどい! 私に恥をかかせるつもりなの? 秋水の事がマジで好きなのに、気付いてるはずなのに、わざと知らんぷりしてるでしょ!」


「行久枝ちゃん……」


 申し訳ない気持ちで一杯となった秋水は、構えていた両腕から次第に力が抜けてゆくのを感じる。


「私……私、心が苦しくてしょうがないの。それもこれも全部、あのひとのせい。突然、私達の前に現れたティケという異世界の人間」


 寺島行久枝の姿をした、彼女でない者は感情を昂ぶらせて号泣を始めた。秋水は行久枝と寸分も違わないが、そうでない者にも同様の慈しみを感じ始める。


「行久枝ちゃん、先生もそうだったけど、多分魔法か何かで操られてるんだね。かわいそうに、元の君に何とか戻してあげたい」


「誤魔化さないで! ティケが私から大切な物を奪おうとしてるの。泥棒猫が私の大好きな秋水を横取りしようとしてるの。そんなの絶対に許せない! わあああん! 秋水、今ここでハッキリと言ってよ。ティケより私の方が好きだって事を。……私の前で彼女と、親しくしないでよ!」


 子供のように泣きじゃくる寺島行久枝に対し、秋水は黙って全てを受け止めるしかなかった。


「秋水、今ここで私を抱き締めて欲しい。お願い……」


「……………」


 ベンチに座ったまま嗚咽する彼女を受け入れようと、秋水が数歩近寄った刹那。

 ……バレーボールが秋水の頭に直撃した。


「うげっ!」


 いつの間にか開いていた入口に、黒髪をなびかせたティケが真剣な面持ちで立っていた。手には長大なドラゴンメイスを持ち、バトンのようにクルリと1回転させたのだ。


「秋水! 気を付けて! その子は行久枝ちゃんだけど、体を乗っ取られているわ!」


「へっ!?」


 ぽかんとする秋水が、よそ見をした隙を寺島行久枝は見逃さなかった。


「危ない! 秋水!」


 行久枝が彼に向かって覆い被さるよりコンマ数秒早く、ドラゴンメイスの一撃が決まった。


「ぐッ! くそっ! まどろっこしいやり方は、もうやめだ!」


 行久枝から瞬間的に分離したサキュバスは、秋水への憑依を諦めたのか、角度を変えてティケに向かってきた。その姿は行久枝よりもボリュームのある大人の女性で、一直線にティケを狙って襲い掛かってくる。


 ティケの唇にキスしようとした瞬間、輝く障壁ファイアウォールのような物が発生した。サキュバスはボールのように弾き飛ばされるやいなや、部室のロッカーに叩き付けられたのだ。


「馬鹿ね……。魔法使いの体を乗っ取ろうだなんて、甘すぎるわ」


 ドラゴンメイスをまるでバットのように振り回したティケは、倒れたサキュバスに対して照準を合わせた。


「さあ、覚悟して!」


「ご、ゴメン、ごめんなさい! もう降参します! 許して下さい、この通りです!」 


 薄いピンクのハイネックノースリーブニットに白い巻きスカートを着けたサキュバスは、見た目人間の女性と何ら変わりはなかった。その彼女が尻餅をついたまま、両手を掲げて降伏宣言をしてきたのだ。


「私、本気でティケさんを倒そうとは思ってなかった。そんなの夢魔には無理に決まってるし、ただただ、現場を攪乱しようとしていただけなのよ」


 見苦しく取り繕うサキュバスに、ティケと秋水は顔を見合わせて肩をすくめる動作をした。


「見逃して頂戴。誰一人として人間を傷つけちゃいないし。もう二度とあんたらの前には現れたりしないからさ……」

 

 呆れ気味のティケは、何も言わずサキュバスを許した。瞬間移動の呪文で尻尾を巻いて逃げ出したのは言うまでもない。

 気を失ったままの寺島行久枝を、秋水は優しく介抱する。


「何が人を傷つけちゃいないだ! 僕達、思いっきり傷つけられたよ……」


 

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