第13話 ミミック


 意を決した秋水は、美術準備室に入って画用紙とイーゼルを準備した。アンティーク調の椅子にティケを座らせてポーズを取らせる。そう、ジョコンダ婦人のように。

 夢中でコンテを画用紙に走らせていると緊張感も薄れてくる。 何とかティケという至高の素材を表現してみたい、シンプルに紙に写し取ってみたい。

 集中力がピークに達する頃、何とティケは席を立った。


「え? どうした?」


 ティケは答える事もなく、厳しい表情で傍にあったペインティングナイフを握った。

 ――かと思うと秋水の背後に鎮座していた古代ローマ軍人を模した白い石膏像、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの胸像に向かって信じられないスピードで投げつけたのだ。


「えっ?!」


 鈍い命中音がしたかと思うと、重いはずの胸像が棚から崩れ落ちる。

 すると耳を塞ぎたくなるような『ギャッ!』と聞こえる断末魔の悲鳴。

 ……秋水は自分の目と耳を疑った。

 床に落ちて粉々に割れた石膏像。その砕け散った真っ白な破片の隙間から、生々しい鮮血と共に肉屋で見かける臓物めいた物が、ドロドロと流れ出してきたからだ。

 

「うわ!?」


 秋水は、ホラー映画さながらのビジュアルに腰を抜かさんばかりに驚き、座っている椅子から転げ落ちそうになった。

 ホルモン入りの石膏像は、甲羅を割られた亀のように暫く脈打ち、びくびくとしていたが、光り輝くポリゴン片となって昇華しつつある。


「何だ! 何なんだ、このグロい奴は?!」


 ティケは初めて見せる表情で、過呼吸ぎみとなった秋水の方に視線を投げた。


「これはミミックね。像に擬態化して見張ってたんだわ」


「ミミック? 化けてたのか? な、何のために?」


「それは、こっちの世界に転生した私を監視するためよ」


「監視? 君は、一体何をやったんだ?」


「別に何もしちゃいないけど。私の存在自体を危険視していると思う」


「え……、誰が?」


 ティケが答える前に準備室外の廊下で、美術部員数名の足音と話し声が聞こえてきた。

 次々と矢継ぎ早に起こる非日常的な事件。

 秋水は感覚が麻痺してきたのか、狂った笑顔で表情筋を引きつらせた。


「オイ、もう部員達が入ってきそうだぜ。見られたらヤバそう。どうする……」


「取りあえず、ここは立ち去りましょう。大丈夫、ゲームの名残でアイテムをドロップするだけだから」


 ティケの言う通り、床に染みを残したミミックは爆散した後、緑色の水晶柱をカランと落とす。


「あら、回復系のアイテムだわ。ゲットしておきましょう」


 それを拾いつつ荷物を纏めると、バレないように窓から2人で脱出した。


「ちなみに君の銀行口座にはディアブルーンからお金マネーが振り込まれているはずよ。さっきの奴なら低レベルで攻撃力もないし……、そうね500円ぐらいかも」


「一体どういう仕組みになってるんだ?」


「さあね! 運営に聞いてみないと」


 走って逃げてきた先は、自転車の駐輪場。幸いあまり人影もなく落ち着いていた。体力のない秋水は、早くも息切れ気味。


「はぁ、はぁ……。さっきのでパニックが起きてないかな? 美術室……」


「ディアブルーンのモンスターは、こちらの世界で死ぬと魂を維持できず、消えてなくなっちゃうよ。宝石や武器の類いを依代よりしろにしてるから最後にそれがドロップするけどね。割れた胸像もマネしただけだから、オリジナルが無傷で残ってるはずだし」


「つまり普段と変わったところと言えば、書きかけの絵が放置されている事くらいかな。……それならいいんだけど。でも結構ショックがキツいよ、今日はもう帰ろうぜ」


 秋水は心を落ち着かせるために、改装されたばかりの守山市立図書館に立ち寄った。

 これから起こるであろう様々な困難。

 大人がいなくなった事による不都合。

 生きてゆくため必要になりそうな知識。

 護身術や武器、更には悪魔とか幻獣、魔法に関する事まで――。

 色々考えると頭が痛くなってきた。とにかく関係しそうな本を読み漁る。

 

「問題のゲームに関しては、ネットの方が情報を収集できそうだな……」

 

 最新の図書館は広くモダンにデザインされ、まるで美術館のよう。ティケは大層喜んで、すぐに利用者カードを作った。異世界から来たはずなのに、日本語でも普通に読める事が誠に不可解である。


 魔法使いがどんな本を読むのか気になったので、借りた本を見てみる。

 日本の歴史や文化、世界の国々の成り立ちに関する事、それにファッション雑誌も含まれていた。

 



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