第5話 魔法使いティケ その1


「改めまして、こんばんは。異世界から転生してきたばかりのティケです。勇者アスカロン、この国の事はまだ何にも分からないから色々と教えてね。……そうだ! まずはあなたの本名から知りたいな」


 あまりの出来事に言葉も出ない。個人情報を伝えるのはどうかと思ったが、咄嗟に偽名など思い付かなかった。


「ぼ、僕の名前は……秋水……西田秋水だ」


「ふ~ん、シュウスイか。とってもいい名前ね」


 ティケは黒ナース服の胸ポケットからメモとペンを取り出すと、日本語ではない文字で西田秋水と記録したようだ。今だに半信半疑だが、ファンタジー世界の住人らしくない行動。


「フフッ! 秋水、どうかしら? こちらの世界で見る私の姿は」


 今度は立ち上がると、漆黒のナース服で優雅にクルリと1回転した。短めのスカートがふわっと広がり、軽く編んだ長い黒髪から、何とも言えない春花のような芳香が。


 少しクラクラした秋水は、ティケに話を合わせてみた。


「君こそ、本名は何ていうんだい? 」


「ゴメンね、ずっとアバターのふりをしていたけど、私にプレイヤーはいないの。つまり、れっきとした意思を持った人間で、AIでもないのよ。ディアブルーンの世界に生を受け、そして魔力により転生した私の名はティケ……ティケ=カティサークです。ヨロシクね!」


 近寄りがたい雰囲気を持つ美少女なのに、意外と愛想良く喋る。

 ちょっと落ち着きを取り戻した秋水は、さっきから一番気になっている質問を続けた。


「あの……なんで君は看護師さんの格好をしているの?」


「……んん?」


 ティケは首を傾げて、小指を唇の上に乗せる仕草をする。


「オンラインで調べたんだけど、初対面の人に良い印象を与えるためには、『病室に行って身だしなみに気を遣いましょう』ってアドバイスが……」


「う~ん! 3つほど勘違いしてそうだね!」


 秋水は頬を引きつらせながら説明した。


「まず第1に、病室じゃなくて美容室に行く、が正解だと思うよ。それに病院の病室に行く格好は、何もナース服じゃなくてもいいし。最後に看護師さんは、白か薄いピンクやブルーの服装ってのが定番なんだ。真っ黒じゃあ、お葬式みたいで何だか縁起悪いよ」


「あら、そうだったの。いやぁ! 恥ずかしい! 私ってば、黒い服が本当に好きで……」


 ファスナーを降ろすと、目の前でいきなり脱ぎ始めた。


「わっ! ちょっと! 君は魔法使いなんだろ? 魔法でパッと変身できないの?」


「ディアブルーンの世界だと、コスチュームチェンジは楽で良かったわ……」


 ドタバタしているうちに部屋の外から母親の声がした。


「秋水? あなた、さっきから1人で誰と喋ってるの? 電話なら、もっと静かに話してよ」


 部屋の扉が造作もなく開いた。最初からカギを掛けるのを忘れていたのだ。


 母親の目に飛び込んできたのは……高級そうな純白ブラとショーツしか身に付けていない見知らぬ少女と、目を丸くした息子が戯れている(ように見える)光景。


「しゅ、秋水……!」


「母さん! 違うんだ! これには訳が! いや! 訳が分からないし! これはきっと夢か幻だよ!」


「そちらのスタイルのいいお嬢さんは、どなた?」


 ティケが下着姿のまま秋水のベッドに飛び込むと、同時に母親は何かに操られるように無表情で部屋を出て行ってしまった。


「……? 何だ一体、急にどうしちゃったんだ?」


 秋水の言葉にティケが申し訳なさそうに答えた。


「ゴメンね。お母様には暗示魔法サジェスチョンをかけて、ご退場願ったわ。暫くしたら全てを忘れて、普通の生活に戻ってるはずよ」


「おいおい、ありがとうって言いたいとこだけど、本当に大丈夫なんだろうな?」


「母思いのいい子なのね、秋水は。大丈夫! 安心して。私の魔法は完璧だから。でもこんな事にあまり魔法を使いたくないんだけどね」


「そうか……」


 そこまで言いかけて秋水は固まってしまった。脳から脊髄に至るまで、痛みとは異なる今まで体験した事もないようなショックが駆け巡る。


 

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