第3話
あれから美香は陰口ウォッチャーを利用するようになっていた。
『君が君であるための言葉なんだよ』
だっとの言葉に惹かれたからだ。
最初は授業が面倒だとか学年主任がウザいだとか別所でも愚痴るようなものだったが、陰口を叩くうちに自制できなくなり、内容は徐々に辛辣なものになっていった。
「
「それを平然と貼るその子も大概だよねー」
「あとこの前
「弟って母親が再婚した男の連れ子って奴だよね?同い年の」
「そうそう。絶対あれ気があるんだよ。血縁がないからってどうなの?というか流石に匂い嗅ぐとか」
「ないね」
「キモいが犯罪なら死刑確定だわ」
佳奈実と梨恵はグループのメンバーだ。かつて名前を覚えてなかった二人も美香の陰口の対象――つまりは空気でなくなった今はめでたく名指しで非難しているのだ。
あれから覚えた名前は随分と増えた。陰口ウォッチャーを利用していく度、美香は清々しい気分を味わっていた。周囲の眼を気にして色々考えることが馬鹿みたいに思えてきて、面倒に感じてきて、自宅ではずっとだっとと陰口を言い合うようになっていた。
おかげで機能は拡張され、今では言葉を口にするだけで投稿が可能に。だっとも音声付きとなり、より本音をぶちまけやすくなった。
そして利用を始めておよそ一ヶ月。
また新たな機能が付くことになった。
「これまでボクと陰口を言い合ってきたけど、結局のところそれってただの愚痴止まりなんだよね。どれだけぼやいても身内事の域は越えられないんだ。それじゃあまりにもつまらない!君もそう思うよね?ね?だからさ、今度はこの【吹き込み】を使って生の声を聞いてみようよ」
両腕をぶんぶん振って、だっとはいつになく熱弁していた。
「生の声……?」
ファッション誌を読み耽ってた美香はだっとに眼を向けた。
【吹き込み】という機能も初耳だったが、それよりも彼女はその後に出てきた“生の声”が気に掛かった。
妙な不安が背中を這う。
「うん。ここで散々叩いてきた陰口を本人に吹き込むんだよ♪」
そう言うとだっとは画面を操作し履歴を表示した。
目まぐるしい程の罵詈雑言の数々が勢いよくスクロールされていく。
「陰口の感想を本人から受け取るんだ。言いたいことが言えるって気持ちが良いでしょ?これを使った君なら分かると思う。なら対象が本人なら……この上なく幸せになれるよ絶対♪」
「えっ!?ちょ、ちょっと待ってよ!何なの急に。そんなの駄目に決まってるじゃん!何のための陰口なのよ。こんなの聞かれたらタダで済むわけないでしょ!」
声を荒げる美香。当然だ、そんな事をすれば清羅のようになってしまう。クラスのゴミ、校内のゴミ、社会のゴミ、空気の読めない欠陥品――。
だが変わらず陽気な声音が返ってくる。
「大丈夫だよ。実際に吹き込むのは本人じゃなくて本人の心にだからね。まあ、まずはやってみよう♪」
履歴の中から一つの投稿文が画面上に表示された。
『あんたなんか顔だけの能なしじゃない!自分の陳腐さに気付いてさっさと別れなさいよ』
以前千夏に対して投稿した文面だ。
彼女の
そんなものを千夏に知られたらとんでもないことになる。
制止する美香だがアプリの管理下はプログラム上、だっとにある。彼女を無視してだっとが文面に触れると切り取りやコピーといった編集枠が出てきた。
そしてその中から吹き込みという見慣れない項目を選択すると――。
『美香に別れろなんて言われる筋合いないし!つーかそれってあたしの顔に負けたって事でしょ?自分で言って恥ずかしくないの?』
瞬く間に返事がきた。
千夏の声と共に。
「えっ……あ、えっ?」
意表を突かれてしまい言葉に詰まってしまう美香。
「これが千夏の本音だよ♪」
無邪気な笑顔を浮かべるだっとを眺めて……。
「――なんで送ったの!?」
血の気が失せた表情になる美香。
遅れて事態を把握した。
「送ったんじゃなくて吹き込んだんだよ」
「どっちでもいいわよっ!ああ、どうしよう!」
「別に大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないでしょ!なんて謝れば……」
「気になるなら確認してみれば?」
「何よ他人事だからって!誰のせいだと思ってるのよ」
だっとを怒鳴りつけて、美香は急いで千夏に電話を掛けた。
「もしもーし、美香どうし――」
「千夏誤解なの!私じゃないの!」
繋がるとすぐさま美香は否定した。
「私からのだけど私じゃなくて!だっとが勝手に送っただけで私がそう思ってるわけでもなくて、えっとえっと、それから――」
「ストップ!ストップ!どしたの急に?ちょっと落ち着きなよ、何言ってるか分かんないからさー」
捲し立てるように話す美香に驚きながらも、千夏はなんとか彼女を
「ああごめん!えっと、だからさっきの」
「さっきの?」
「メッセだよ!今さっき送ったやつ。あれ誤解なの」
このまま陰口が露呈してしまえば校内での美香の居場所は失われてしまう。
清羅になんてなりたくない。なんとしても避けなければ――そんな思いだったのだが。
「んー?何それ?メッセなんて来てないよ?」
「え?」
二人には拍子抜けするほどの温度差があった。
「うそ……」
「嘘じゃないよ。どっか別のとこに送り間違えたんじゃない?」
「そんなはず……だって千夏から返信も……」
「もらってもないのにそんな事するわけないじゃん。夢でも見てた?せっかくの休日に昼寝だなんて美香も老けたねー」
千夏の笑い声が漏れてくる。
美香は何も言えなくなっていた。千夏は本当の事を言っているのか。
だがさっき受け取った返信、声……あれは間違いなく千夏だった。
「じゃあ用はないよね?今潤くんと一緒だから。じゃーねー」
電話を切る千夏。
美香は眼を丸くして、事態を把握できずにいた。
「ほらね、平気だったでしょ」
混乱するばかりの美香にだっとが微笑む。
「どうなってるの?なんで千夏、メッセの事知らないなんて」
「さっき言ったとおりだよ。あの陰口は千夏の心に吹き込んだんだ」
「どういうこと?」
「言葉って感じた事、思った事を口にするものでしょ?でもその際、人間は伝えて問題ないもの、除外すべきものを頭で整理してから話すよね?時には嘘も交えて……それって意味があるのかな?僕は思わない。だから純粋な想いを知るために直接心に聞くことにしたんだ」
「えっと、つまり?」
「これでも分かんないか……そうだなー」
腕を組み唸りながら思案するだっと。
「取り敢えず陰口に対して擬似的な返事が来たと思ってくれたらいいんじゃないかな?」
「擬似的?」
「吹き込みをすればアプリから本人そっくりの答えが返ってくるってこと。だけど千夏はその陰口を見てないし聞いてもいない。君に罵倒されてるなんて知りもしないんだよ。だから思う存分本音を言い合って溜め込んだ不満を吐き出しちゃおうよ♪」
「でも……」
美香はすぐには答えられずにいた。
だっとの説明がしっくり来ない。直接心に聞くという意味が理解できず、また擬似的な返事だという事に対しても納得できないでいた。アプリ内から何かそれらしい解答が届くというのであれば分からなくもないが、先程の返事は本当に千夏から送られてきたような文面で、そして何よりも千夏の声も一緒だったのだ……不可解な事象が多く躊躇する。
だがだっとはそんな美香の気持ちを強引に押し切るように気にしていることを平然と口にした。
「潤と一緒なんでしょ?気にならない?腹が立たない?言えるものなら言ってやりたい、そう思わない?」
「……」
結局千夏への怒りに流され美香は吹き込み機能に手を付けることにした。
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