第2話


 自室。


 部屋着になったところで美香のスマホが鳴った。


 見るとSNSアプリに一件の通知が入っている。


 千夏からだった。



 「はぁ……」重い溜息を漏らして美香は内容をチェックする。



 『美香今日なんか機嫌悪くなかった?もしかしてじゅんくんの事で怒ってたり?』



 「何がもしかして、よ。白々しい……」


 怒りが沸き立つ。


 「潤くん」というのは美香たちの隣クラスの生徒で千夏の交際相手だ。



 そして美香の元彼でもある。



 美香が潤と付き合っていたのはごく最近までのこと。


 別れを切り出されたのは放課後。人目など気にせず、腕を組みべったりとしている時だった。

 幸せいっぱいだった美香にとってそれはあまりにも突然で。理由を問い質すと千夏と付き合うことになったからだと言う。


 怒り露わに千夏に電話を掛けるも「そうなのごめんねー」のひと言のみ。後ろめたさや詫びる気持ちなど微塵も感じられなかった。


 (千夏が誑かしたのよ。あいつのせいで潤は……)


 潤は女子に対してとても優しい男子だった。だから千夏に言い寄られた彼は傷付けるのを恐れてはっきりと断ることが出来なかった――そう思う美香は千夏に深い恨みを抱いているのだ。


 当時を振り返り、益々苛立つ美香は入力欄にメッセージを打ち込んでいく。



 『怒ってるに決まってるじゃない。何なのあんた?人の男取るとか。あんたなんかs』



 そこで手が止まった。

 逡巡し、やがて文面を全て削除すると新たに文章を入力していく。



 『そんなわけないじゃない、大丈夫よ。今朝、親がウザかったから。それでだよ』



 送信するとメッセージはすぐに【既読】され、『そっかー分かったー』という返事と親指を立てウインクするゆるキャラのスタンプが届いた。



 返信を確認した美香はスマホを投げ出してベッドに倒れ込んだ。


 本音を伝えるなど出来るはずなかった。


 千夏が男を奪ったということが真実であれ、美香には誰一人味方がいなかった。



 人間は強い者の側にありたいと望む。

 小さくとも学校は立派な縦社会だ。閉鎖的な空間ではそれが顕著に見られる。


 多数決という手法がある。群れることを好む者達が公平に暮らそうと設けたルールだ。全員から決を取り、最も多かった意見を採用してその他の少数意見は握り潰していく。

 だがこれは公平でもなんでもないのだ。

 始める前から採用される意見は決まっている。権力のある者が手を回すことによって、或いは媚び売りや忖度によって決して揺るぐことのない確立された票数を占めてしまう。


 もちろん生徒達はわざわざ多数決を取ることはしない。同年代との長い集団生活によって、感情認識力が養われ自然と場の空気を読み取れるようになるからだ。

 稀にその能力の劣る者もいるわけだがそういう場合、大抵は珍獣として見世物扱いされるか、部外者として無視されるか、憂さ晴らしとして虐められるかに分かれる。


 故にどうすれば人間関係に余計なひずみを生まなくていいのか、本能的に理解しているクラスの生徒たちは「潤の彼女は千夏」という事実をもって上辺だけの安穏な学校生活を護っているのだ。



 ベッドにうつ伏せになっていると再び通知音が鳴った。


 「はぁ……」


 また千夏かグループの誰かがくだらない理由で文面を送ってきたんだろう。


 だが面倒だと思っても無視するわけにはいかない。

 たとえ頭の悪い内容でもちゃんと返信をしなければならないのだ。

 相槌を打って、中身のない話を掘り下げて、共感したつもりになってやる――それが友達だ。返信を怠れば、遅らせてしまえば友情など呆気なくヒビが入る。そうして保身の為だけに集まった烏合の衆たちの次の標的になる。


 友情など電波の有無で決まるほどに安くつまらなく脆いものなのだ。


 スマホを拾い画面を見る。

 来ていたのはグループからではなくアプリからのお知らせだった。


 このアプリは時折、制作側からこういったお知らせが届く。内容はアプリの機能更新だとか政治や芸能ニュースだとか多岐に亘る。



 お知らせの内容は抽選で選ばれたアプリ利用者のみに送られる試作版アプリの紹介だった。


 文面を読み進めていくと【だっと】という可愛らしいイラストの女の子が製品について簡潔に説明していた。



 『このアプリは【陰口ウォッチャー】って言うんだ。日頃家族や友人に抱いてる不満をここに書き記しちゃおうっていうものさ。

 「陰口を言い合える相手がいない。だけど胸に溜め込んでまで我慢なんかしたくない!」そんな人の為に作ったんだよ。

 ブログやSNSで愚痴を零したことがある君!あっという間に広がってそれが原因で炎上したとか、除け者にされたことはない?

 このアプリは他のアプリにはない特殊な管理体制が施されていてプライバシーが完全に守られてるよ。投稿内容、言語に関しても規制は一切無いからこれでもか!ってくらいに悪口を遠慮なく載せちゃってね♪

 初めはただ書き込んでそれにボクが返事をするだけなんだけど何度も使ってくれる人には機能が拡張されていくからまずは軽い気持ちで使ってくれると嬉しいな』



 興味本位に、美香は下部にあった【利用する】のアイコンをタップした。


 画面が暗転する。

 タイトルの陰口という言葉には似つかわしくないポップな背景、そしてだっとが現れた。下部の入力画面にどうやら不満などを書き込めば良いようだ。


 美香は試しに何か書いてみることにした。

 用途通りに悪口の一つでも書くべきなのだろうが、いきなりそういう投稿をするのはなんだか気が引けてしまい……まずはだっとがどんな応対ができるのか調べることにした。



 『だっとって何なの?』


 美香が入力すると――。


 『ボクは【陰口ウォッチャー】を作ったウサギだよ』



 「はやっ!?」


 時間を待たずして返事がきた。



 『みんな周りにばっか気を使うよね。でもそんなのおかしいと思わない?なんで自分の人生なのに他人に合わせてあげないとダメなの?そんな事続けてたら息が詰まっていつか倒れちゃうよ。空気を読むってほんとに大事なのかな?』



 ぴょんと跳ねたり、黒のウサ耳を揺らしたり、眼を閉じ首を傾げたりと様々なポーズを取りながら話は続く。



 『だからボクはこれを作ったんだ♪ここは嘘だらけの毎日から離れて堂々と本音を言える君だけの世界なんだよ』



 「へー。意外と真面目系なんだ」


 話に食い付く美香。

 てっきり通学の合間にやるような暇潰しかと思ってた分、関心が沸く。



 『でも陰口ってイメージ的に悪くない?』



 だが名前には違和感があった。日頃の苦労を忘れて遊ぶといったものなら前向きや癒し、爽快さといったプラス思考の方が利用者は喜びそうだが。



 『いけないって感じるのは現実に毒されてるからだよ。陰口や悪口ってつまりは本心なんだ。君が君であるための言葉なんだよ』


 『私が私であるため?』


 『そう!いくら空気が読めてもそれは本音を圧し殺すって事だ。ミイラ取りがミイラになるのと同じ。空気を読み過ぎてもダメ!読めば読むほど流されて、最後は自分が空気になっちゃうんだよ。君は友達の名前って覚えてる?顔を合わせていても空気になって忘れた子とかいるんじゃない?』



 「……あぁ」


 確かにいる。というよりも美香はクラスメイトの名前をほとんど覚えていなかった――今日も一緒だった女子二人……誰だっけ?


 二人にもSNSでやり取りするが皆HNハンドルネームの登録で分からないうえ、そのHNですら頻繁に変更するので文面から誰なのかと推察するしかなかった。


 唯一覚えてるのは千夏と潤と……それから清羅の三人だ。


 なぜ清羅の名前など覚えてるのか。

 だがそれ以上に――。


 「……」



 『案外覚えてないものなのね』



 そう返信していた。

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