マイアの月(5月)の過ち②

クラウディアは名門貴族の娘だ。数多くの執政官コンスルを輩出してきた家系であり、本来ならば平民出身の俺とは接する機会など無い出自である。


幼い頃のクラウディアはとんでもない子供だった。両親の言うことなど一つも聞かず、自分が納得すること以外には従わなかった。貴族にとって重要な伝統や慣習といった不合理なものに従わない彼女が貴族社会になじめるわけがなく、両親も育て方がわからずに手を焼いていた。


ある日、彼女は退屈な舞踏会を抜け出し、街へ飛び出した。港で荷物を運んでいた俺は、高い塀の上に座り、足をぶらぶらさせながら退屈そうに空を眺めているその女の子に声をかけられた。


「ねえ、アナタ」

「なんだよ」

「わたしと遊びなさい」

「できねえよ、いま仕事中だぞ。見てわかんねえのか?」

「わたし以上に大切なことなんてこの世に存在しないわ」


幼い頃のクラウディアは自分を中心に世界が回っていると考えているようだった。独善的で高慢ちきだったが、不思議と俺はそれが嫌いじゃなかった。


クラウディアに手を引かれ、仕事をサボって街中を走り回った。街の外れの大木に登って遊んだり、川で魚を取り、焼いて食べたりもした。弟と妹が多かった俺は、14になると家族を養うため軍に入隊した。2年後、アカデメイアを卒業したポンティウスが入隊し、同じ部隊の配属になる。全く違うタイプだった俺たちだがなんだかんだ意気投合し、クラウディアも加わって3人でよくつるむようになった。


「・・・という感じで今に至る。要は幼馴染ってやつだ」


俺は【元奴隷】にクラウディアとの関係を説明した。


「そうなんですね」


と納得した様子の【名無し】だったが、その位置がおかしい。クラウディアの膝の上にちょこんと乗っかっている状態だ。


「おい、なにしてんだお前」


「なに?いいじゃない」


「よかねぇよ」


相変わらずのマイペースだが、その表情はどこか明るい。

クラウディアは膝の上の【名無し】と視線をあわせる。


「あなた、名前は?」


「あ、えと・・・」


クラウディアのなすがままになっている【名無し】は、緊張しているのか口ごもってしまった。


「名前は無い」


「はァ?どういうこと?」


「そいつは家の前に転がってた逃亡奴隷。その時の名前は聞いてない。でも名づけるのは俺が嫌だから名無しのままだ」


俺が簡潔に説明すると、クラウディアは少し思案したあととんでもないことを言い出した。


「あなたが名付けないなら、私が付けるわね」


「は?」


「マルク、なんてどう?ゲルマンの戦士っぽくていいと思うのだけど」


「いやいやいやいやちょっと待て!」


俺は焦りながら止めに入るが、【名無し】が「まるく・・・」とか静かにつぶやくもんだから、俺は何も言えなくなる。


「そもそもあなたはこの子の親でも主人でもないわけでしょう?じゃあ私と当人で決めても何の問題もないわよね?」


「そりゃまぁそうだが・・・」


そこにこのダメ押しである。ぐうの音も出ない。


「どう?マルクくん」


「はい、とってもいい名前だと思います。ありがとうございます、クラウディアさん」


そんなこんなで【名無しの元奴隷】はマルクという名前に決定してしまった。

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