マイアの月(5月)8日の過ち①

 今日も起床時刻がやってきた。俺はまぶたを全開にし、ベッドから這い出し、カーテンを開いて朝陽あさひを寝室に入れる。


 背筋せすじまれた軍人時代くんれん習慣くせは、いつまでも抜けないものである。


 コンコン、と玄関のドアをノックする音が聞こえた。


【元ドレイ】はまだベッドで寝ている。最近やっと気付いたのだが、【この子】はめっぽう朝に弱い。この2ヶ月間、毎朝オレのために朝食を作ってくれていたのは、かなり無理をしてのことだったらしい。


 やはりどうしようもなく、健気けなげで、幼気いたいけだ。


 朝陽で起こしてしまわないように一度開けたカーテンを再び閉める。


 俺は早朝の訪問客の応対に向かう。

 誰も呼んでいないはずだが、さて、誰だろう。


「はい、我がアントニウス家になにかご用・・・お前かよ」


「は?なによその態度」


 これっぽっちも招いていない客は、ポンティウスの妻、クラウディアだった。


(よりによってクラウディアか・・・)


 なんとこのクソ美人、性格が捻じ曲がっている上に『悪罵あくば語彙ざいりょう悪魔あくまよりはるかにおおい』ともっぱらの評判うわさなのである。


「あー寒い。屋内なかに入れなさいこのゴリラ」


「ゴリラに謝れ」


 相変わらずの罵声である。


 おぼろげにしか覚えていないが、きっと若かりし頃も交わしたのであろうやり取りをまじえながら、幼馴染クラウディアから我が家の防衛を試みる。


「・・・我が家にはいま【ワケありの子ども】が居る。すまないが外で話さないか」


 クラウディアは片眉をピクリと釣り上げた。


「・・・へえ?女の子じゃないでしょうね」


 だとしたら睾丸切って中性歌手カストラートにでも転職する?といきなりの去勢きょせいすすめてきたので、


「男の子だよ」


 と返した。するともう片方の眉も釣り上がり、激怒直前の表情が完成。


「・・・もし性的な意味で手出ししてたらコロス」


 とこれまたスッゴイことを言い放ってきた。


(はぁ・・・相変わらずめんどくせえなコイツ)


 俺は「とにかくちょっと待ってろ」と言い捨て、ご近所の迷惑にならないくらいの乱雑さでドアを閉め、寝室に向かった。


「おい」と【ベッドで眠っている男の子】に向かって呼びかけた。


「んんぅっ・・・」という吐息が死ぬほど可愛いが今はそれどころじゃない。


「おーい」傷跡の残る愛らしい頰をツンツンしてみた。


 すると「むぅ・・・」と【男の子】は眉根を寄せて顔を逸らした。


 かわいい。カワイイ。可愛すぎる。


 ほっぺたいじるの楽しすぎるだろ永遠にやってられるわと思ったが、女怪人クラウディアを待たせているので、もう一度呼びかける。


「おーい?」


 すると。


「んぅ・・・おとうさん・・・」


 にへら、と笑った。


 俺はその笑顔に。


 衝撃を、受けた。


 日中の俺に見せている、月明りのようなもろい笑みとは、まったく違っていたからだ。


 例えるならばそう、木漏こものような、安心しきった、少年らしい、だらしなく口の端がゆるんでいて、今にもヨダレが垂れてしまいそうな、そんな、そんな・・・




 とても、まっすぐで、おだやかな、


 ほほえみ、だった。




 その瞬間、俺は言語化ことばにできない感情きもちった。


 そして同時にさとった。


 ただの男の子に【傷だらけの天使】などという一方的な幻想を押し付けていたのだと。


 身勝手な願望の押し付け、理想の押し売り。

 俺がしてきたのはそういうことのなのかもしれない。


 そうやってベッドの横で自己嫌悪に陥っていると、背後から声がした。


「ふーん、カワイイじゃない。ウチの養子にしていい?」


「うわっ!?いっいつからそこに!?」


 背後に忍び寄る女悪魔クラウディアにビビる三十路男アウレリウス


 ・・・情けない。


「静かに。その子起きちゃうでしょ」


「・・・スマン」


 クラウディアには逆らえない。

 たぶんポンティウスも家では尻に敷かれているはずだ。

 というか敷かれていなかったら許さん。

 嫁の尻に敷かれてろクソマジメ。


「はぁ・・・」


 ため息とともに全ての鬱憤うっぷんを心の中の旧友にぶつけておく。


「よいしょ・・・っと」


 おもむろにベッドを整え始めるクラウディア。意外にも、その手つきは慣れたものだった。


「・・・練習したのか?」


「ええ。姑がうるさかったから」


 こともなげにサラリと流したが、かつての彼女は本当に不器用だった。

 掃除をすれば必ず家具か調度品を壊し、

 料理をすれば必ず調味料を間違え、

 ベッドメイキングなどという概念すら知らなかった。


 きっとたくさん練習したのだろう。

 昔の彼女を知っている俺はその変化にビックリしてしまった。

 つい、その横顔をまじまじと見てしまう。


 ・・・ポンティウスとクラウディア。


 元老院で存在感を増す新興勢力ピラト家の双星ふうふ


 この二人の間には子どもがいない。


 原因はたぶん、不仲ではない。夜の営みでもない。


 子どもを授かることが、どうしてか許されないのだ。


 ・・・この世界では、素晴らしい人間ほど割りを食う。


 優しい人から死んでいく。

 純粋な子どもから殺されていく。

 清らかな女性から犯されていく。


 嫉妬と悪意と害意と敵意を撒き散らす魍魎もうりょうたちは、


 なんの意味も持たず、なんの感慨も抱かず、表面的な無関心を装いながら、


 隣人を業火にくべて、その熱で暖まりながら寒さをしのぐ。


 無自覚なまま、誰も知らないまま、虚しい灰だけが、地面ここに残る。


 きっとそれは、誰にも変えられない、不朽不滅ふきゅうふめつ現実げんじつだ。


「・・・ウス、アウレリウス!アウレリウスッ!」


「っああ、スマン。考え事してた」


 目の前のクラウディアの表情は、怒りに満ちていた。


「アナタいま、私をあわれんだでしょう」


「・・・」


 図星だから、黙る。


「しかも、ポンティウスまで巻き込んで」


「・・・はぁ。あいかわらずだな」


 昔からクラウディアは、他人の感情の機微きび敏感びんかんなところがあった。周囲の人間は何一つ隠し事ができないのだ。意図的に心を読むということではなく、『わかってしまう』らしいので、避けられないものらしい。


「歯を食いしばりなさい」


「ビンタはやめろ」


 クラウディアは上げかけた右腕をゆっくりと下ろした。


「・・・バカ」


 どこか拗ねたような言い方だった。


 久しぶりに見た、乙女のような表情かお


「はいはい」


 そういう顔は、ダンナに見せてやりなさいな。なんて思っていると、


「死ね」と暴言が飛んできたので、


「・・・はいはいスミマセンね」と受け流す。


 コイツの暴言は聞き飽きた。

 飽きたとは無関心になったということだ。

 だから水に流すことができる。

 無力な俺でも、それくらいはしてやれる。


「なによその態度。ムカつく」


「はいはい」


「・・・」


 無言でバシバシと肩を叩かれていると、


「んぅ・・・」


【眠っていた子】が目覚めてしまった。


「・・・?」


 パチクリとクラウディアを見つめる【寝起きの男の子】


「おはよう、ぼく。わたしはクラウディア。アウレリウスの古い友人よ」


「ごしゅじんさまの・・・おともだち?」


【寝起きくん】は戸惑いながら俺を見つめた。そういえば、雨に濡れて帰った日に「家族も友人も皆死んだ」と説明していたような気がする。


 クラウディアとポンティウスとの関係は一言では説明しづらいのだ。幼なじみのようでもあり、かつての友人でもあり、昔の同僚とその許嫁という関係でもあって。あぁもうめんどくせえな。


「詳しく説明すると長くなるからな・・・とりあえず、メシにしないか?」


「賛成。ちょうどお腹が空いていたのよね」


「あ、いま・・・、ようい、しますね。ふぁぁぁ」


【男の子】はベッドからのそのそとゆっくり起き出し、ぺたぺたと足音を鳴らしながら台所に向かった。うん、今日もかわいい。


「私も手伝うわね」


 とクラウディアも彼のあとについていった。とてもうれしそうだ。やはり子どもが好きなのだろう。


(不安だ・・・)


 俺は一抹の不安を覚えながら、2人のあとをついて行くのだった。

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