ウェヌスの月(4月)30日の事件

 仕事中、関係者に見つかった。


 その人物は、かつて共に戦場を駆け抜けた仲間であり、無二むにの親友でもあった。


 執政官コンスルめいに従って、帝国領内の大規模な反乱を何度もしずめた。


 外征がいせいにも参加し、異民族いみんぞくの軍をいくつも打ち破った。


 だが、今はもう他人だ。話す必要などない。


 俺は顔を隠してこっそり逃げ出そうとしたが、遅かった。


 元老院議員せいじかとなったかつての親友、ポンティウス・ピラトは、鬼気迫ききせまる表情でこちらに向かってきた。


(仕方ないな・・・)


 俺は観念し、その旧友と話すことにした。


「よう、ポンティウス。久しぶりだな」


 何事もなかったかのように、つとめて自然に、俺は彼に話しかけた。


「・・・キサマ、軍を辞めるなどと戯言ざれごとを抜かして姿を消してから、いったいどこをほっつき歩いていたんだ」


 やはりポンティウスは怒っていた。


「しかも、行き着く先が、よりによって波止場はとばとは・・・どういう了見りょうけんだ?」


「・・・」


「またダンマリか」


 かつての親友は深いため息を吐つき、目を閉じて眉間みけんを押さえ始めた。


 俺に説教をかます時の前触れだ。


 十年前から変わらない。


「キサマはいつもそうだ。俺が論争ケンカを吹っかけると、いつも黙って何も言わなくなる」


「・・・・・・」


 俺は喋らない。


 こいつに口論こうろんで勝ったことがないからだ。


「・・・沈黙きょぜつは確かに大きな盾だ」

「しかし盾の向こうで何が起きているかが分からない」

「お前を殺すための毒が造られている可能性すらあるにも関わらず」

「お前はその情報を、何一つ、掴めない」


 俺は言い返さない。言い返せない。


 言い返せるような強さを、


 俺はすこしも、持っていない。


「・・・・・・・・・」


 ポンティウスはきびすかえして、最後にこう言った。


「貴様はなにも守れない」

「守れるのは」

貴様じぶんだけだ」


 その言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。


 亡くした妻子さいしの顔が思い浮かんだ。


 まるで誰かににぎりつぶされたかのように、胸の真ん中がひどく痛んだ。




 *********************




 ふと我に帰ると、雨が降っていた。周囲の海のおとこたちは家に帰っていた。


 俺だけが、港の近くの花壇のヘリに座り込んでいた。


 だがいつまでもうなだれているわけにはいかない。いまは同居人がいるのだから。


「・・・帰ろう」


 帰り道、自分を責め続けた。


 家族を喪った直後のあの頃と、まったく同じことをしている。


【あの子】に出会ってから忘れようとしていたのに。少しだけ忘れられていたのに。


(どうして守れなかったのだろう)

(どうして俺はこんなにも弱いのだろう)

(どうして・・・)


 雨水でびっしょびしょの大男が家に帰ると、【元少年奴隷】が、湯気の立つ料理と、月灯つきあかりのような笑顔とをたずさえて、俺を待っていた。


「おかえりなさい」


 俺は【元奴隷】を抱きしめた。


 ほとんど無意識だった。


 情けなかった。


 情けなくて、惨めで、格好悪くて、塵芥クズのような男が俺だった。


 二十以上も歳の離れた【少年】にすがりついて泣き叫ぶ男。


 それが俺だった。


 俺の本質よわさだった。






 俺は、俺が大嫌いだ。


 いままでも、これからも、永遠に。

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