間章 衣食住は人間の基本だから

閑話その一 お風呂に入りたい

 ・・・もう駄目、もう耐えられない。


 この世界は狂っている。この世界は間違っている。


 いろんな事に我慢はしてきたつもりだった。

 異世界の文化の違いも理解しようと思った。


 でも、これだけはどうしても我慢できない。


「お風呂入りたい!」


「・・・いきなり大声でどうした?」


 サキとロギアが夕食を食べている中、突然サキが叫びだし、クレイは驚いていた。


「私、もう五日もお風呂に入っていないのよ!

 今までは国の兵士がここに来たり、魔物が襲ってきたりでそれどころじゃなかったけど・・・

 冷静に考えたら、この状況はおかしいわよ!」


 初日は色々混乱して気絶し、

 二日目は自分の部屋の掃除、

 三日目は王国騎士の乱入により、

 四日目はクレイに恐怖して、さらに魔物の襲撃でドタバタしていた。


 もちろん、その分、仕事で汗を流し、冷や汗も流し、自分のお腹から血も流れたわけなのだが、体を洗う方法は自室で水で濡らした布で身体を拭いて汚れを落とすだけである。


 今日だって店の掃除と修繕をして、ついでにクレイの部屋を遅くまで掃除していたら日がくれて、そのまま一日が終わろうとしていた。


「・・・風呂を利用するって、狙われている人間にとって最も危険な場所だぞ?

 大衆浴場では男の俺とロギアは近くで護衛できないし、護身用のギアを持たせることもできない。

 ギルドで女の傭兵雇ったとしても、少し心もとないし、肝心のサキ自身に護身術が持ち備わっていない」


 この世界では風呂は一般的ではなく、裕福な家庭でしか利用されないらしい。

 一般人が利用する時は日本の銭湯のように大衆浴場を利用するとのことらしいが、クレイは危険だからと行かせなかった。


「お風呂に入らなくても、外で水浴びすればそれで十分デス。ロギアもたまにそうしているデス」


「・・・正気なの?」


 ロギアは子供だからまだしも私がそれをしたら社会的に終わる。


「俺にしてみれば、お前の行動は狂気に近いな。

 紛争地域に潜んでいる地雷を踏む為に、自らその場所に侵入するようなものだぞ。

 昨日の出来事をもう忘れたのか?」


「う・・・」


 昨日の悲惨な出来事を忘れるわけがない。

 アレは元の世界で言えば大災害に近い。

 避難する人達が津波やら台風やらでパニックになっている状態に似ていると思った。

 違うのはアレがテレビの画面越しではなく、現実であったことだ。


 死傷者はいないという事らしいが、パニックになって、けが人は結構な人数がいたと聞く。

 それが私のせいだとは考えないようにしているが、あんな被害を自分で誘発したくはない。


「・・・でも、毎日あるわけじゃないでしょ?」


「魔物の襲撃はな・・・お前の存在は良くも悪くも目をつけられる。

 魔物や魔族だけでなく、国の兵士やゴロツキ、人攫いに目をつけられてもおかしくない」


「前半はともかく、後半はそんなに可能性があるの?」


 不良や悪党が私を狙う可能性って無差別の犯行に巻き込まれるぐらいに低いんじゃ・・・いや、あるのか。ありえるのか?

 そうだ、そうに違いない!

 なんてったって、私は魅力的な女性なのだ!

 辛いわー、美人で眼を離せないくらいに可憐な私がこんな事でデメリットになるなんて辛いわー!

 そう言う事なら仕方ない。ああ、仕方がない。大衆浴場は諦めよう。


 しかし、だからと言ってお風呂を諦める私ではない。


「だったら作ってよ。私の為の家庭風呂」


 その言葉にクレイは目を見開いていた。


「貴族でもない平民が風呂とは何と贅沢な願いを・・・」


「好きに生きていいって言ったのはアンタでしょ!

 だったら、これだけは譲れないわ!

 私の為に動いてくれるんでしょ!」


 そういうとクレイの表情が曇った。

 ・・・何の考えもなく適当に言った言葉だったが、どうやら効果抜群だったらしい。


「それを言われると弱いが・・・しまったな。

 勢いで言うべきじゃなかったな。

 もっと細かく条件を提示すればよかった」


 クレイは昨日のあの場所での約束の事を言っているのだろう。

 確かにあの内容は私に都合の言い言葉ばかりだけど、あれを真に受けていないわよ?

 というか、あの場で細かく条件とか突きつけられたら、絶対に空気が壊れてたから。


『俺がサキの為に生きてやる』


 ・・・やばい、アレを思い出すと私も恥ずかしくなってきた。

 私が紅くなった顔を手で隠している間に、クレイは私の要望に熟考して返答した。


「わかった。風呂はすぐに作ってやる。

 ・・・だけど、一つ条件がある」


「・・・何よ?」


 私が条件が何なのかを聞くと、クレイはニヤリと笑った。


「『錬金術』をサキには学んでもらう」


「・・・錬金術?」


 元の世界で聞いた事はあるが・・・ここだと魔法の一つなのだろう。

 小さいころ、友達からそう言う漫画を勧められたことがあるような・・・まあ、勉強だの、委員会の仕事だの色々あったから、結局あまり読めなかったけどさ。


「陣術の一つで物質の化合、分解、生成といった現象を起こす。

 サキには新しい仕事をしてもらうから、その為にはこれを身に着けてもらう」


「いや、私は会計で一杯なんですけど」


 陣術というのは魔法の一種だろう。

 魔法という事で少し期待している自分がいるけど、仕事が増えるのは正直嫌だった。


 元の世界での事を思い出す。

 コンビニの店長がバイトの私に自分の仕事であるはずの帳簿や人事管理をさせていた。

 今思えば、そう言うのを任せている時点で懲戒免職を受けてもおかしくない案件なのだが、それを断らなかった私もどうかしている。

 そのおかげでバイトなのにサービス残業が当たり前だった。


 それを教訓に仕事は余裕を持ってやりたい。ブラック勤務はもう二度とごめんだ。


 だが、クレイは余裕の表情を隠さない。


「別に学ばなくてもいいんだが、俺は学んだ方が良いと思うぞ」


「何よ・・・覚えなきゃ作らないって言うわけ?」


 もし、そんな条件を出すのであれば、私はこの店にストライキをしようじゃないか。

 ロギアと組んでクレイと戦う・・・のも、負けが見えているので出来れば止めてほしい。


「いや、俺は約束を守る男だから作ってやろう。

 だが、俺が作るのは風呂場のみだ」


 風呂場・・・のみ?


「どういう意味・・・は!」


 サキは気付く。

 お風呂には重要なものがまだある。

 それは乙女にとって重要な案件である。


「石鹸やシャンプー、トリートメントの作り方を知っているのなら、別に問題は無いが、果たしてサキにそれが出来るのだろうか?」


「くっ、卑怯よ!」


 それらの原料が何なのかはある程度把握している。

 しかし、どうやって作るか細かい知識はないし、そもそもこの世界で全く同じ原料があるとは思わない方が良い。

 クレイが知っているのも少しおかしな話ではあるが、こいつの事だ。

 どっかのお偉いさんの為に作った経験があるのかもしれない。


「だったら、それもあんたが作ってくれれば・・・」


「もちろん俺なら朝飯前だし、なんなら俺が提供できる最高級品を提供してやろう。

 だが、いちいちそう言う案件を俺に任せていると、肝心の帰る手段はどうする?

 苦労人だったお前なら、複数の作業を同時にこなすことがどれほど大変か容易に想像できるだろ?」


「・・・それぐらい、分かるわよ」


 クレイの言いたいことはハッキリわかる。

 何せ私が苦労した話なのだから。


 元の世界では私はいくつもの役割を押し付けられた。

 学校では委員会や部活動の仕事、

 コンビニでは本来の業務にバイトリーダーの仕事、

 家では家事を手伝いながら受験勉強、

 スケジュールを組み立てても、同時進行しなければいけない事が多く、そう言う場面では一つ一つが疎かになってしまってミスも多かった。


 クレイは今、私の護衛だけでなく、帰るための手段を探してもらっている。

 それに加えて、私の世話までしてしまうとどこかでミスしてしまう可能性も大きくなる。

 たとえ、出来たとしてもクレイは一人なのだ。

 私に構ってしまえば、それだけ研究する時間が短くなってしまう。

 結局、私が帰れるようになる時期が遅くなってしまうだろう。


「教わるのか?」


「・・・分かったわよ!教わるから!」


 覚えておいて損はない。美容液も使いたいし、何よりこれは私の力になる。

 私は観念して、クレイに魔法を教わることになった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 陣術の基礎は陣形から始まるとのことだ。

 円を描き、魔力が流れる回路を作る。

 円である理由は最も魔力効率が良いかららしい。難しい話は半分も理解できなかったので割愛。


 次に、円で描いた陣形の中に術式を記入する。

 これは魔力をどの条件でどのようなエネルギーに変換させるかをハッキリさせるためである。

 これらを記入することで錬金術の土台となる錬成陣が完成する。


 今回の目的は『合成』

 大きな円の中にある小さな円が四つある。

 手前の左右の小さな円には原料となる素材を置き、奥の一つには変化を促進させる触媒を置く。

 そして中央にある残りの一つに何も入っていないガラスの器を入れる。

 術式を記入し、スペルミスがない事を何度も確認したら、私は魔力を流す。


 魔力を一定に流すことに意識しながら錬成陣を見ると、錬成陣が光り、原料である二つの素材と触媒となる素材が粒子となって消える。

 代わりに、空の容器からトクトクと液体が現れて容器の中に貯まっているのが分かった。


 素材が完全に消えると、錬成陣の光も消えて、魔力の流れが途絶えたのを感じる。

 そして、中央には緑色の液体が入った容器が残っていた。


「・・・成功だな」


 クレイが器に入った回復薬を確認すると、そう告げた。


「やっと・・・成功した」


 私は仰向けになって倒れていた。

 いや、本当に疲れた。マジで体がだるい。

 何で全く動いていないのに、体が重くなるんだろう?


「品質は良いとは言えないが、ようやく売れる程度の回復薬を作れるようになったな」


「たったこれ一つ作るために、三日もかけて、何十回も挑戦すればそりゃ成功するわよ」


「ロギアは百回・・・いや、千回しても成功していないデス」


「『こんなの楽勝よ!要は化学反応をプログラミングの要領でやればいいんでしょ!』・・・っと言っていただけはある」


「止めて!他人に言われると凄い恥ずかしいから!」


 本当に舐めていた。

 最初のお手本でクレイがあまりにも簡単そうに作っていたから、私でも簡単にできるものだと思っていた。

 ギアの扱い方に慣れて、魔力の流し方も分かるようになり、意外と簡単に出来ると思いあがっていたのだ。


 甘かった。


 そもそも、術式を記入するにしても、この世界の文字を知らないからクレイに教わりながら書いているし、それでもスペルミスが多くみられた。

 魔力を流す感じもギアより多く流さないと上手く起動しなくて、頭が沸騰するくらいクラクラした。


 三日間丸々使って、ようやくできたのがこの小さな液体だ。


 クレイはその小瓶をロギアに渡すと、懐からいくつかの小瓶と紙を私に渡した。


「これが約束の品物だ

 それとこれがそのレシピと素材な。

 回復薬と同じ様に陣術を組み立てれば出来る。

 風呂も完成させたし後は自分で何とかしろ」


 ・・・つまり、今後は作らないという事らしい。

 はっきり言って、風呂の為にここまで疲れることをしなくちゃいけないのはどうかと思うが・・・


「・・・ふふふ」


 とうとうこの日が来た。

 この世界に来てから五日が経って、ついに念願のお風呂に入れるのだ!


 ・・・と喜んで、ドラム缶風呂とか、五右衛門風呂というオチとかじゃないよね?

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