第13話 逃げてよかったんだ

『私を殺して』


 私のその言葉に一瞬の静寂が生まれて


「は?」


 クレイがワケの分からないという表情でそう呟いた。


「もう嫌なの、痛い思いをしたくない。辛い思いもしたくない。

 化け物を殺すとか無理だし、殺されるのも嫌、他人に尊厳を奪われるのも耐えられない。

 こんな世界で私は生きていけない。

 元の世界でだって生きる場所なんてない」


 理由を言っても、クレイは納得した表情を見せない。


 当然といえば当然だろう。


 クレイ達はこの世界で当たり前のように生きているんだ。

 この過酷な世界で小さなころからたくましく過ごしてきているんだ。


 私のような平和な世界からここに来た人間の気持ちなど分からないだろう。


 ・・・いや、それも言い訳だ。

 私のような世界の人間でもきちんと順応している人が沢山いる。

 私以外の人たちは勇者としてこの世界にいるんだ。そして、本来私もその一人なんだ。

 でも、私だけが逃げ出した。

 やれるわけがないと決めつけて、痛みに耐えて、努力することを放棄したから、こんなバカなことになったんだ。


「・・・だから?」


 クレイの言葉に怒気が籠っているように私は感じられた。

 当然だ。私の為に動いてくれたのに、その私がクレイの期待に裏切った。

 彼の努力を私は否定したのだ。


「・・・ひと思いに殺して、全てを終わらせてください」


 クレイは私を殺す権利がある。

 だから、彼に何をされても私に未練はない。


「・・・何でそうなる」


 しかし、彼は私の予想とは違う行動をしていた。


 確かに彼は怒っていた。

 でも、彼は私には何もせず、拳を震わせているだけだった。


「なあ、おい、悔しくないのか?ムカつかないのか?他人に振り回された人生のままでいいのか?」


「・・・だったら、どうだっていうの?」


 クレイの言葉は少し違う。

 確かに他人に振り回されていた人生だったかもしれない。

 でも、私もクレイを・・・この世界の人間を振り回している。


「私のせいでこんな事になっているんだよ!

 私が逃げなければ、町のみんなはこんな目に遭わなくて済んだ!

 私がここに来なければ、あんたもそんな怪我をしなかった!

 私が自殺しなければ・・・あんたが巻き込まれずに済んだ!」


 街はパニックになって、多くの人間が巻き込まれていた。

 怪我人だって間近にいて、何でこんな目に遭ったんだと嘆いていた。


 クレイは生きているけど、彼の姿は見るからにボロボロだった。

 正直立っているのがやっとの姿に見える。

 あの無敵にみえた彼を私はここまで追い込んだんだ。


 私はあそこに居てはいけない。

 私はクレイの傍に居てはいけない。


「でも、私に戦う力なんてない。戦う勇気なんてない。

 お城に戻ったとしても、きっと、また逃げて、みんなを傷つける。

 勇者なんて大役を私が・・・出来るわけない」


 あの化け物に対して何もできなかった。


 手元には護身用のギアがある。

 通じるかどうか分からなかったが、あの時の私はそんなことを考える余裕も実行する勇気もなかった。

 クレイがいなければ確実に死んでいただろう。


 私が勇者になれる未来などない。そうなる姿が見えない。

 だって、私が無力で無能であることを誰よりも知っているのだから。


「・・・だから、お願いだから・・・せめて、あんたが」


 今の自分が嫌になる。


 何もせず、何もできない。

 逃げてばかりで、怖がりで、打たれ弱く、自害する勇気すらない。


 前の私が見ればきっと呆れるだろう。

 努力すればよかったのだ。耐えればよかったのだ。

 ただ、それだけで周りは傷付かなかった。


 こんな事だって、他人に頼るようなことはしない。

 自分で死ぬ勇気もなくて、死から逃げている。


 そんな私が醜くて、大嫌いで・・・


「馬鹿じゃねえの?」


 クレイは私の願いを一蹴すると、私の頭に軽くチョップした。


「責任感強すぎ、他人を気にしすぎ、自分を卑屈し過ぎ、自意識過剰になりすぎだ。

 大体、俺がどうなろうが、世界がどうなろうが、元の世界に帰るお前には何の関係もないだろうが」


 クレイがそう言って、私はあっけらかんとしてしまった。

 私が悩んでいたことを彼はどうでもいい事だと言ったのだ。


「勘違いしているところ悪いけど、お前を助けたのは俺が勝手にやったことだ。

 俺が国のやっていることに許せなかったから、偽善の精神で自己満足でやっていることだ。

 お前が本当に嫌な奴なら問答無用で追い出している」


 クレイは私に非がないように説明しているが・・・


「・・・でも、私が原因であることには変わりない」


「それが馬鹿だって言ってんだよ。

 何でもかんでも自分のせいにしないと気が済まねえの?

 ただ単にお前は運が悪かっただけだ。

 不幸なクジを引いてしまって、不幸な目に遭っているだけだ。

 それに勘違いして自分のせいだとか自業自得とか言っているお前はどうかしている」


 クレイは励ましているわけでもなく、呆れた様子でペラペラとそう言った。


 飄々した態度は昨日も見ているが、それが私をイラつかせていた。


「・・・ふざけないで」


「ふざけるさ、ふざけないとやってられない」


 だが、よりイラついていたのはクレイの方だった。

 当然怒っているんだと思っていたが、その怒りは今までとは違っていた。


「あの話を聞いていた時に思ったんだけどさ・・・別にお前が悪い事なんて一つもしてないだろうが」


 ・・・突然の物言いに頭がついていかなかった。


「元の世界でもこの世界でも悪い奴はお前を押し付ける周りの奴らで、お前は何も悪くない。

 いや、自殺しようとしたのは悪いことだが、一番悪いのは周りの奴らだ」


 なぜそんなことを言うのかわからない。

 でも、私を庇っているように聞こえる。


 私はそれを否定する。


「・・・それでも、悪い事はしたの。

 償わなきゃいけない」


「いや、お前の世界の問題と、こっちの世界の問題は全くの無関係だ。

 どうしても、責任を取りたいというのであれば元の世界で償え。

 こっちで何をしようが、元の奴らは何の影響もでないぞ」


 クレイの言い分は間違っていなかった。

 私がここで何をしようが元の世界では何の関係もない。


 でも、だからと言って、ここで私が犯した過ちは消えない。


「・・・私は勇者の責務から逃げた」


「逃げる事が悪いのか?」


「悪いに決まってる!だって・・・」


 そう、それが間違いだったんだ。


 逃げても何の解決にもならない。

 あの騎士も言っていた。


 逃げて、逃げて、逃げた先がこんな目に遭ったのだ。

 もしかしたらもっと怖い奴等が来るかもしれないのだ。

 それではいずれ、逃げられなくなるだろう。


 それ以前に私が逃げれば、私の代わりに誰かが傷つく。

 それはもしかしたら、取り返しのつかないものなるかもしれない。


 そうなる前に私は・・・


「俺は宮殿魔術師という責務から逃げてたがそれをどう思う?」


「・・・え?」


「この国の人間共が大嫌いなのに、この国の為に仕えなきゃいけなくて、腹が立ったから逃げたんだ。

 お前はそれを悪い事だと言えるのか?」


「それは・・・」


 悪いことなの・・・だろう。

 でも、言えるはずがない。


 クレイがいたからこそ私はここに立っている。クレイに指図する資格はない。


 でも、正しい訳じゃない。


 逃げてばかりでは何の解決にもならない。


「何でお前は逃げた?」


「それは・・・」


 なぜ逃げたのか?


 あのときの私は正常じゃなかった。

 ただあそこにいると死ぬと思って・・・


「・・・怖かったから」


「だよな。いきなり拉致されて凶暴な化け物共を倒せと言われて、それを真に受ける人間がおかしい」


「それは・・・」


 真面目に立ち向かうあの人達がおかしいとクレイは言っているのだ。


 それは違う。だって私がしたことは・・・




「逃げたことを誇りに思えよ」




 クレイは私にそう言った。


「・・・何言っているの?」


 クレイの言っていることが分からなかった。

 ・・・誇り?


「俺はサキの事を尊敬している」


「何言っているの?」


 ・・・本当に何を言っているのか分からなかった。


「私を尊敬?どこに!?

 あんたに文句言って、迷惑かけて、何もできない私のどこに尊敬する部分があるのよ!」


 自分のことは自分がよくわかっている!

 自分は誰かに誇れるものなんか何もない!

 才能も、忍耐も、技能もない私のどこに・・・


「お前が馬鹿だからだよ」


 ・・・バカにしているのか?


 しかし、クレイの顔は真剣だった。


「昨日も今日も馬鹿正直に仕事をしていただろ。

 いつでも逃げ出すチャンスを作ってやったのに、お前はそれをしなかった。

 今日の騒動だって、元の世界に帰りたいと願いながら、お前はこの街の人間の人たちの事を安否している。

 怖くて、近づきたくない俺なんかの為に心配している」


「・・・違う」


 そんな高尚な事を考えていない。

 店の営業をしていたのは、頼れるのがクレイしかいなかったからだ。

 騒動で町の人の事を考えたのだって、自分の罪を恐れての事だ。

 クレイを心配してるのも・・・全部、自分の為だ。


「私は・・・自分の為に・・・生きる為に・・・」


「だからだよ。

 お前は常に生きるために考えることを諦めなかった。

 でも、お前は生きるために相手を傷つけようとは思わなかった。

 何より、他人のためにそこまで自分を追い込むほどお前は優しいやつなんだよ」


 ・・・そんな言葉は誰にも言われなかった。

 そう言ってくれたクレイが嘘ついているように見えなかった。


「お前が逃げたのはお前が生きたいと思ったからだ。それを否定するな。

 お前の心まで否定しなくていい」


「・・・訳が分からない」


 クレイの言っている言葉を理解できない。


 ・・・理解できないはずなのに、


 自然とクレイの姿がぼやけだした。

 何が起きたのか理解できなかった。


 ・・・これが涙だと気づくのに時間がかかった。


「逃げるのは悪いことじゃない。

 生きることを諦めないのが、悪いわけであるはずがないんだから。

 だから、生きることを諦めないでくれ。

 お前自信を大切にしてくれ」


「・・・分からないよ。

 いきなりそんなこと言われても、どうすればいいのか、分かるわけないじゃん」


 今まで他人のために生きていた自分が、自分のためにどうすればいいのかなんて分かるわけがない。


 どうすればいいのか思い出せない。


「俺がサキの為に生きてやる」


 クレイは私にそう言ってくれた。


「サキが自分の為に動けないなら、俺がサキの為に動いてやる。

 お前が自分を大切になれるまで、俺がお前を大切に護るよ」


「・・・馬鹿じゃないの?あんたにメリットなんて一つもないじゃん」


「だったらお前は俺のために働いてもらう。

 ただ飯喰らいを養うほど余裕はないからな」


「・・・絶対に割りに合わないよ?」


「お前はそれをずっとやっていたんだろ?

 だったら、俺はお前が元の世界に帰れるまで付き合ってやるさ」


 クレイは自信満々にそう答えた。

 その言葉に嘘はないことは知っている。


「・・・私、何もできないよ」


「いや、ロギアはご飯を作って喜んでいるし、店番をしてくれればたくさん儲けさせてもらっている

 それだけでも十分だ」


「・・・逃げていいの?」


「逃げることが悪いわけじゃない。諦めさえしなければ、いつか立ち上がってくれるなら、それでいい」


「・・・何でもしたい事をしてもいいの?」


「仕事はしっかりとしてもらうけどな。

 言っただろ?ただでしてもらえるほど甘くはない」


「・・・私は・・・生きていいの?」


「生きたいと思ったんだから逃げたんだろ?

 なら、お前のその思いを大切にしろ。

 それがお前の気持ちで、お前が望んでいることなんだから」


 ・・・私は周りを巻き込んでしまうだろう。

 勇者になって、その責務から逃げたんだ。

 きっとクレイや周囲に迷惑を出してしまうかもしれない。


「・・・生きたい」


 それでも、この気持ちが消えることはなかった。

 怖くても、痛くても、辛くても、罪悪感で押し潰されても、この気持ちは消しちゃダメだったんだ。


「生きて、皆と同じように楽しい生活を築きたい!

 元の世界に戻って、もう一度、やり直したい!」


 それが許されることかどうかは分からない。

 一度死んだ私が言える権利は無いかもしれない。


 でも、思ってしまったんだ。


「・・・お前はここで辛い思いをするかもしれない。他人が傷つく姿をたくさん見てしまうかもしれない。

 だが、お前は幸せになっていいんだ。

 元の世界でも、この世界でも、日々を楽しんで生きていいんだよ」


 そう言ってクレイは私の頭を撫でた。


「・・・俺が必ず帰してやる。それまで、絶対に護ってやる。

 それが俺の為で、お前の為であるように」


 涙が止まらなかった。

 ・・・もう、溢れそうで限界だった。


「クレイ、お願いがあるの」


「何だ?」


「・・・背中を貸して」


「・・・耳も塞いでおこうか?」


「必要ない」


 むしろ、言わなきゃいけない事がある。

 伝えなきゃいけない事がある。

 だから、聞いてほしかった。


 私はクレイの背中にもたれかかった。


「・・・ありがとう」


 今まで言われた言葉、私が今まで言えなかった言葉を私は口にした。


「助けてくれて・・・ありがとう!」


 私は大粒の涙を流して泣いた。

 今まで心の奥に貯めていたすべての感情を吐き出した。


 その背中に対して恐怖はもう感じていなかった。

 大きく、暖かく、受け入れてくれるその背中を・・・私は気を失う最後まで放さなかった。

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