第12話 逃げたのは大きな過ちだった
「・・・何、これ?」
クレイの言いつけを破り、私は店から外に出ていた。
ケルクの街は悲惨な状況だった。
建物に穴が無数に空いていて、何軒かは火事で燃えている。
目の前の大通りでは多くの人が走って避難していた。
「何やってる!早く協会へ避難しろ!」
大声で叫んで住民を避難させている冒険者の姿が見えた。その姿に見覚えがある。
クレイのお店の常連客だ。
「・・・サキちゃん、ちょうどよかった!
魔物がここに向かってきている。
冒険者が何とか食い止めているから早くここから逃げろ!」
魔物、その言葉にある光景を思い出す。
お城での牢屋みたいな場所で国の兵士に魔物を見せられたことがある。
物凄く凶暴そうで見た目が怖く、ほとんど目を背けて、見ようとは思えなかった。
あんな化け物が向かっているのか?
普通なら逃げていたかもしれない。
でも、クレイの言うことを聞かなかった時点で私の決意は変わらない。
「・・・クレイは?
クレイは何処にいるの?」
「クレイの兄貴なら心配しなくていい!
それよりも・・・」
「いいから教えて!お願い!」
私が必死に頼んでいると常連客は困った顔をしていた。
「クレイの兄貴なら・・・へ?」
そう言って上の方を見上げていた。
私も振り返って空を見上げる。
「・・・ぉぉぉおおおおおおおおお!!!!!」
何者かが空を飛んで・・・いや、落ちてここに向かってきていた。
あれ?これって落ちたら死ぬんじゃ・・・
そう思ったときにはもう遅かった。
その子供は豪快に頭をぶつけて、地面とキスをし、ベコッと嫌な音を響かせて転がっていた。
「・・・し、死ぬかと・・・思った・・・デス」
小さな声でそう呟いた少年に見覚えがある。
「・・・ロギア?」
「あ、頭が・・・クラクラする・・・デス」
頭の近くで星がくるくる回りながら、ロギアは混乱していたが、この子に怪我は全く見られなかった。
突然空からロギアが降ってきたことにも驚いたが、あんな酷い着地で無傷のロギアにも驚きを隠せない。
そうだ、この子もイリアという騎士を簡単に押さえつけたんだ。十分化け物だった。
「あれ・・・サキ・・・デスか・・・何で・・・ここに?」
・・・ロギアがどうして空から落ちてきたのかは分からないが、そんな場合ではない。
「ロギア、クレイは何処にいるの?」
「師匠なら、あそこで・・・魔族と・・・」
その言葉を聞いて、私はロギアが指を指した方へ向かった。
「あ、ちょっと!そっちは危険だ・・・」
常連客の男の人が静止させようと声をかけていたが、私は無視してクレイのところへ向かった。
危険なのは承知の上だった。
でも、このままじゃいけないと思った。
もし、あそこにいたら、一生後悔すると思ったからだ。
何も言えないまま、クレイと別れてしまうと思ったからだ。
向かっている最中に黒い狼や大きな猪と戦っている人間の姿があった。
私は彼らを無視して外へと続く大きな石橋を渡る。
誰かが私に向けて何かを言っていたが、無視してそのまま走り抜けた。
外でも魔物と戦っている人達がいる。
その人たちを迂回して、私は走り抜けた。
街の外から離れると、灯りの光が届かず、真っ暗で道がわからない。
でも、向かうべき場所はわかった。
先程から、自分に警告しているなにかがある。
絶対に行くな。行ったら死んでしまう。
そんな警告が本能で感じる。
そして恐らく、クレイはそこにいる。
「伝えなきゃ」
そう口にして私は自ら死地へと走り出した。
足元が躓いて転んでも、獣の声が近くから聴こえても構わず走った。
私は痛みも何も感じなかった。
怖いと思うことはなかった。
なぜなら、死を恐れる理由はもうなかった。
生きている理由なんかないからだ。
だから、私が動いている理由は一つだけ。
クレイに伝えること。
今度こそ、正直に想いを伝えること。
それが私の動く原動だった。
小さな何かの音が聞こえる。
走っている内にその音は大きくなり、闇に慣れた目がとある光景を写した。
「・・・何アレ?」
それはクレイと見たことのない化け物との戦いだった。
クレイは距離をとりながら、杖から出す弾丸みたいな何かを撃っており、毛皮で覆われている化け物はそれを受けながらも爪の生えた手足で攻撃している。
背中から感じる風がやけに冷たい。
頭がガンガンと危険信号を送り出している。
見ているだけの私が何故か息が切れそうな光景だった。
遠くから目で動きを追うのがやっとで何をしているのかまでは頭に入らない。
でも、クレイが私のために戦っていることは分かった。
・・・胸が苦しくなる。
「誰だ!」
そう言って、化け物は突然足を止めると私の方へ顔を振り向いた。
私の存在に気がついたのだ。
クレイもこっちを見て、顔を青ざめていた。
「・・・臭う」
化け物は私を見ると、鼻を嗅いでそう呟いた。
「臭う、臭う、臭う!
鼻がひん曲がるほどの臭い香り!
そうか、お前か!お前が勇者か!お前が我らの敵か!」
大笑いしながら、化け物は大声でそう叫んだ。
「・・・あれが・・・私達の・・・敵?」
私が城から逃げなければ、戦っていたであろう。
絶対に勝負にすらならない。成すがままに殺されていただろう。
化け物は嬉々とした表情で私を見ている。
まずいと思ったときは既に手遅れだった。
いつの間にか足がすくんでいた。
恐怖はもう感じない。
でも、体が言うことを聞かない。
何もできなかった。
・・・ああ、やっぱり死ぬんだ。
「バカ!何しに来やがった!」
クレイは私の様子を見て、慌ててこちらへ向かって来た。
それは、あの化け物相手に背を向けることになるわけで・・・
「・・・おい、俺を相手に油断している場合か?」
そう聞こえたときには、クレイは私のすぐ側まで来ていて、
クレイの後ろにはあの化け物が立っていて、
化け物の爪がクレイの胸を貫いていた。
「・・・」
クレイは無言で立ち止まり、化け物が爪を抜くと、クレイの膝が崩れ落ち、そのまま倒れた。
「・・・クレイ?」
クレイの姿を見る。
彼の口から血が流れ、息が弱く、胸からドクドクと血が流れている。
・・・私の言葉に返事をしない。
「あ・・・ああ・・・」
なぜ、彼はこんなことになったのか?
それは誰もが分かる事だった。
どう考えても私のせいだった。
私が大人しく、店からでなければこんな事にはならなかった。
私がお城から逃げ出さなければよかったんだ。
私が現実から逃げ出さなければ、こんな事にはならなかったんだ。
自分のしたことについて何度間違えれば気がすむ?
私は元の世界でも自分の都合で人を殺した。
なのに、何で私は自分が死ぬだけだからと命令を無視したのだろうか?
生きる資格がないからと、やってはいけない事をやってしまったんだろうか?
過ちは正さなくてはならない。
間違えれば、誰かが代わりに傷つくことになる。
だけど、傷つくのが自分とは限らない。
裁きを受けるのが自分とは限らない。
何でそんなことに気づかなかった!
「・・・お前が勇者?こんなやつが勇者?」
いつの間にか、私の側にはあの化け物が立っていた。
「・・・勇者は五人いると聞いていたが、とんだはずれを引いた。
冒険者どころか雑魚兵士にすら劣る力じゃねえか!
こんな人間がこんな臭いを放っているだと・・・ふざけるな!」
化け物は何か言っているが頭に入ってこない。
理解できない。
何でこんな状況なのに、何もできない私が理解できない。
「くっそ!せっかく面白い事が起きると思っていたのに、とんだ期待外れだぜ!
これなら、王都を襲撃しに行った方が良かった!
最後の最後でこんなつまらないオチとかねえよ!」
いつの間にか、私の腹部に化け物の蹴りが命中していた。
「・・・あ・・・はあ・・・」
内蔵が潰れる音がする。
体感したことのない痛みが体の奥から脳へと伝わってくる。
胃から食道を通り、口に酸っぱい胃液と鉄の臭いがする血液がたまる。
「戦闘技術も培っていない素人かよ・・・最悪だぜ・・・どうすれば、このもやもやが晴れるんだ!」
化け物が蹴った足を戻す。
爪に刺さっていた肉がついていて、腹部から血が大量に溢れている。
「・・・街を全滅させる程度じゃ話にならねえ。
もっと、人間共の悲鳴を、醜い人間の顔を拝めないと気が済まねえ!」
私は仰向けになって倒れた。
感覚が遠のいていくのが分かる。
自分の死が近づいているのが分かる。
最悪だった。
私の人生は何もなかった。
私の人生は間違いだった。
逃げたのは大きな過ちだった。
あの時逃げなければ、誰も傷つかずにすんだのに、
誰かが犠牲にならずにすんだのに・・・
「ごめ・・・んな、さい」
私は死ぬ前に謝った。
許してほしい訳じゃない。
でも、私にできることはそれ以外にない。
化け物は私の前に立つと、足を大きく上げる。
「まずは、この女を殺して・・・」
そして、化け物が上げた足で私を踏みつぶそうとした時だった。
「・・・は?」
化け物は宙に浮いていた。
踏みつぶそうにも足がそのせいで私の頭に届かなかった。
「・・・確かに油断していた方が悪いな」
そう声がした。
私は最後の力を振り絞って、声のした方へ顔を向ける。
そこには、何事もなかったかのようにクレイが起き上がっていた。
そしてクレイは私の方へ歩きだすと、何かを私のお腹に塗った。
「!!!!!」
ものすごい激痛で全身が熱くなる。
そんな私にクレイはまじまじと私の様子を観察していた。
「・・・運が良かったな。
出血は酷いが、急所には当たっていない。
これなら何とか助かるだろう」
そう言って、「良かったな」と頭を撫でられた。はっきり言って、何が夢で何が現実なのかわからない。
「何だこれは!?おまえ!何で生きてやがる!?」
私が痛みに耐えていると、化け物がクレイに向かって叫んでいた。
「死んだふりをしただけだ。
陣術を組み立てるのにはどうしても時間が掛かるからな。
お前がサキの方に意識を向けていたから、簡単だったよ」
「陣・・・術・・・だと!」
化け物が空中でじたばたと動いているが何もできず、なすがままに浮かんでいく。
クレイがどうして生きているのか不思議だが、今はどうでもいい。
クレイは死んでいなかった。
「さっき、お前の言ったとおりだ。魔術士や陣士を相手にするのは難しくない。
呪文の詠唱や、術式の展開をさせなきゃいいだけだからな。
ましてや、お前みたいな魔族を倒すためには相当の準備と時間がいる」
クレイが何か言っているが、私にはわからない。
でも、クレイの顔を見て、怒りに満ちていることだけはわかった。
「だがな、魔術師や陣士相手にそれをさせた時点で、お前の勝ちの目は無くなった」
クレイが何かを書いている。
魔法陣みたいなものをいくつも書いている。
化け物は何かしようとしているが、反抗できない。
「ふざ、ふざけんな!こんなもので俺がやられるなんざ・・・」
「『
「・・・!!!!!!」
クレイがそう唱えて指を鳴らすと、化け物は瞬時に表情を変えた。
化け物の躰が風船のように徐々に膨らんでいるのが分かる。
目玉が飛び出て、耳から血を流し、苦しそうな表情をする。
「いくら強靭な肉体でも大気のない空間じゃ生きられないだろ」
「助けて・・・たす・・・け・・・」
化け物の声がどんどん小さくなって、聞こえなくなっていく。
「空気がなくなって、振動が伝わらなくなったか。俺の声もお前には届いていないだろうな」
その姿を見て私は自分がおかしいことに気づいた。
これ以上、見ていたら駄目になる。
きっと、元の私に戻れなくなる。
だからなのだろう。
クレイは来ていたロープを私の顔に被せて見えないようにした。
私が耐えられないと思ったのだろう。
彼なりの配慮だと今までの出来事で分かる。
(現実から逃げてばかりじゃ何も変わらないよ)
ふと、昨日の男の人の言葉を思い出した。
数秒後、プチっと何かが破裂した音が聞こえ、血生臭いニオイが私の鼻に届いてしまった。
・・・正直言えば見えなくて良かった。
クレイの優しさがありがたい。
でも、見なければならない。
そう思ってしまった。
私はゆっくりロープを外して、現実を見る。
空中には水槽に入れられたかのように、赤色の物体が直方体の形で浮かんでいた。
その中には小さな白い固形物や鼠色の布みたいな物も混ざっている。
「何で見たんだよ。この馬鹿が」
クレイが明らかに不機嫌な顔でそう呟いた。
・・・この世界に来てから、何が起きているのか全然わからない。
夢のような驚きの出来事があって、
悪夢のような残酷な出来事もあって、
それでも、この世界にいることは現実で、
今までいた世界が空想のように手に届かなくて、
・・・それでも一つだけ思う事がある。
私は逃げたから、こんなおぞましいものを見ているのだ。
きっと、あの時我慢していれば、こんな事にはならなかった。
耐えて、耐えて、耐え続けていれば、少なくとも、こんな光景を見ることは無かった。
そして、私はもう駄目なのだろう。
怖いと思っているのに冷静な自分がいた。
クレイが生きているのに、喜べない自分がいた。
何でこんな場所にいるのかわからない自分がいた。
心が壊れた自分がいることにようやく気がついた。
「さて、傷も塞いだ頃だろう、大丈夫か?」
クレイはそう言うと、私は腹部を見た。
傷口から血は流れておらず、あれだけの激痛がいつの間にか消えていた。
クレイが何かをして、死ぬはずだった私の命を救ったのだ。
でも、私は言わなくてはいけない。
「・・・ねえ、お願いがあるの」
私がすべきことはわかっている。
「何だ?」
はじめから、こうすれば良かったのに、私は目を背けていたんだ。
「私を殺して」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます