天槍銀海

紙山彩古

天槍銀海

 気がついたら茶の間で寝ていた。昨夜は結局古洞こどう家に泊まった。風呂に入って、寝る前に、弦蔵げんぞうが新しく購入したRPGを借りたのだが、試しにちょっとやってみるつもりが何となくだらだらと続けてしまって、いつの間にか寝てしまったようだ。

 気配がしたので、庭の方を見に行くと、古洞美咲こどうみさきが、すでに汗だくになって、朝げいこの詰めに入っていた。

 肩上で切りそろえたクセの強い濃紺の髪が、複数との攻防を想定した槍の型の動きで激しく揺れ、乱れる。つややかな色白の肌は淡く光を放つようで、規則正しい呼吸が白いもやとなり、おりからの、金色の光のなかで雲のように輝く。

 ああしていると、まったく文句のつけようがないな、と鶴城つるぎは辟易とした。だぼっとしたスウェット姿でも違いの分かる、伸びやかで健康的な肢体に加え、黒目がちの瞳の美少女だ。同じ年ごろの当千とうせん仲間の間では、陰で「代われ」と詰め寄られてさえいる。

 何も知らないくせに。

 鶴城は、目深に巻いたバンダナの下の、少しくすんだ水色の目で、美咲を見つめた。


「ふう」

 朝日の中で、美咲はゆっくりと木槍を下げ、自然体で、さいごの呼吸をととのえ、目を開いた。そして幽霊のように突っ立ってどんよりと見つめている鶴城に気付くと、描いたようにくっきりとした眉を険悪に吊り上げた。

「何? 何か文句ありそうね?」

 鶴城は肩をすくめた。憎たらしいことに、そういう仕草が様になる男だった。一八〇を超える長身に、さらりとしたセミロングの白い髪、すらりとして手足の長い体つきも申し分ない。顔なんか整いすぎて人形みたいだ。「鶴城くんて、陰があるしいいよね」と、クラスの女子がひそかに騒いでいるが、美咲に言わせれば「ムダに高い背とムダに謎めいた眼差しで、だらけた中身がばれずに済んでいるだけ」である。

「文句か。ありすぎて一口にはいえないな」

 鶴城は庭に降りると、ぶらぶらと近づいてきた。目深に巻いたバンダナの下で皮肉っぽく笑う。

「ま、とりあえず、スキが多すぎるかな」

 いいざまに鋭い突きを放った。美咲は小さく後ろに跳んだ。すかさず、回し蹴りが迫る。構えた槍で危うく防ぎ、美咲は舌打ちした。

 蛇のように自在な鶴城の突きを、美咲は槍の柄でさばいてしのぐ。大きく跳んで間合いをとる。鶴城は身を沈め、地面すれすれの蹴りで足元を払う。何とかジャンプして躱す。

「んもう! ムダに長いんだから!」

「ムダにデカい君の胸とは違う。また反応が鈍くなったんじゃないか?」

「そんなこと……ありません!」

 槍の柄を回転させて鶴城の腕を絡め、体勢を崩す。軽いバックステップで間合いを取るとともにタイミングを外し、無防備な胸元に突きこんだ。

「げふっ! 君、本気で入れやがったな!」

「手抜きじゃ訓練にならないでしょ」

 槍の突きと見せかけて、棒高跳びの要領で体を宙に舞わせ、追い撃ちの跳び蹴り。そろえたつま先が鶴城のあごにドカンと命中、鶴城はのけぞってしりもちをついた。

「ちょ……いってえだろ!」

「うそ。痛かないでしょ、当千のくせに」

「当千だって、痛えときは痛えんだよ、このバカ力!」

 あごを撫でつつ起き上がり、本気で構える。

 美咲も赤い瞳をすっと細め、静かに槍を構えた。

 二人の心に、同じ台詞が響いた。

『こいついっぺん、ぶっ殺す!』


「そこまでにせい、そこまでに」

 ぽんぽん、と手を叩く音が響いて、二人は振り返った。

 作務衣姿の老人が立っていた。美咲の祖父、古洞弦蔵こどうげんぞうである。鶴城ほどではないが、背は高く、穏やかそうな風貌に似合わず骨のしっかりした体つきをしている。

「じいちゃん」

「弦さん」

 弦蔵は、二人を見比べ、ため息をついた。

「なんでもう少し仲良くできないのかね。お前たちにはいずれ組んでもらうつもりだと、ずっと前から言っとると思うが」

 美咲は憤然としてぶんぶん首を振り、鶴城はそっぽを向いてため息をついた。

「いいか美咲。わしが引退したら、お前がこの古洞家の名を背負い、異怪いかいどもと戦うことになる。よもや、異怪狩いかいがりではなく、やっぱ普通に会社勤めたい、とかはいわんじゃろう?」

「とんでもない! 喜んでじいちゃんを継ぐつもりよ」

「ナオト。お前を預かったのは、小学生のときじゃったな。もう七年の付き合いになる。わしが引退した後も、腕前を信頼できるよい使い手と組んで、今後も大いに活躍して欲しいんだがの」

「弦さん、弦さん、孫が可愛いのは分かるけどさ。古洞は良い使い手とはいえないんじゃない? こんなバカ力は、素手で充分だよ」

「ええ、ええ。生身のキックでぎゃあぎゃあ騒ぐようなナマクラ当千に用はないわ、素手のほうがまだまし。」

「君が乱暴なんだよ、練習用の槍も爪楊枝みたいにバカスカ折るし。今仕事で使ってる火炎槍、何本目だっけ?」

「四本目よ、何が悪いの?」

「はあ? どこの女が火炎槍かえんそう三本も使い潰すんだよ。資源無駄遣いしすぎ」

「これ、よさんか」

「資源の無駄遣いは、あんたの方でしょ。ただでさえムダにニョキニョキ背が伸びて、すぐにサイズが合わなくなるのに、ちょっとデザインがカッコいいからって、しょっちゅう防御ウェア買い換えて! しかも前より防御力低いし!」

「その際限なく成長するフーセン胸のお陰で、鎧とか装甲とか注文不能なのは君じゃないのか? 僕の古いウェアをリフォームしてなかったら、君の防御ジャケット代は相当なものだと思うけどね。よく破くし」

「あんたが趣味で買わなくても、あんたのお古で充分こと足りるのよ!」

「たく、色気のねえ女」

「なんですって!」

 しらけた水色の目と、燃えるような赤い目が、険悪な視線をぶつけ合う。

「だから二人ともいい加減にせい……」

 弦蔵はため息をついた。

「何がいけなかったのかのう……」


 茶の間のテレビの朝番組で、占いコーナーが始まった。

「お、いて座、今日十位だってよ」

 鶴城は、自家製オレンジジャムべったりの厚切りトーストをかじりながら言った。

「何よ、やぎ座は十一位じゃない」 

 美咲は御飯をよそいながら呆れたように眉をあげた。

「ぬ、かに座はワーストか!」 

 レーズン入りのシリアルを深皿にガサガサと出しながら、弦蔵は渋い顔をした。

「今日はみんなで仕事だというのに、なんか幸先悪いのう」

「仕事?」

 缶から味付け海苔を出しながら、美咲は聞き返した。

「ふむ。ちょっとした大仕事じゃが、土曜日じゃし、引き受けた。十時に迎えがくる。場所は渦地十三区うずちじゅうさんく。例のビルじゃ」

 いちょう切りのリンゴをシリアルに載せ、ヨーグルトをたっぷりかけてかき回しながら、弦蔵は説明した。異怪駆逐業共同組合いかいくちくぎょうきょうどうくみあいの方から、今朝打診が来たのだという。

「一ヶ月かけてようやくウズヌシのいる階層に入れるようになったそうだ。勝負はわしとナオトに、というわけだな」

「弦さん、でもみんなって言わなかった?」

「今回から美咲もいっしょだ。将来に備えて、美咲もそろそろウズヌシとの戦いを見ておく方がいいじゃろう」

 仕事については、否やはなかったものの、二人は互いに互いを嫌そうに見つめた。

「お前ら、そんなにケンツク嫌がることはなかろうが。仕事のパートナーじゃぞ、何も結婚せいと言ってるわけじゃなし……」

 暗い怒りを宿した水色の目と、激しい怒りに燃えた赤い目を向けられ、弦蔵は口をつぐんだ。


 渦地との境界地帯で迎えのバンを降りた。

 すでに異怪との戦いに備えた戦闘装備だ。

 弦蔵は、白い着物に、青磁色の袴姿。着物の下には着込みをつけ、両腕には打撃効果もありそうなごつい籠手をつけている。鶴城は、中国服っぽい雰囲気がオシャレな、ブルーブラックの防御ウェア。同じ値段で、防御力がもう一ランク上のものがあったのに「これじゃなきゃ嫌だ」と譲らなかったしろものだ。体にフィットしたすっきりとしたラインで、たしかに鶴城に良く似合う。美咲の防具は真っ赤な戦闘ジャケット。打撃力重視のショートブーツ。折りたたんだ火炎槍を収納したバッグを肩に担いでいる。

 道路の向こうを見やると、周囲の寒々しい静けさとは対照的に、明かりがついて騒がしい一帯がある。境界近くの空家や空き店が、渦地に入る異怪狩りたちのための施設として改築され、営業しているのだ。

 車を持っているならともかく、たいていはバスか自転車か、そんなところだから、ものものしい戦闘装備はバッグに詰めて持ってきて、更衣施設で着替え、戦いに不要なものは手荷物預かり所や貸しロッカーに預ける。渦地へはたいてい集団を組んで入るから、雇用者の定めた集合時間や仲間との待ち合わせ時間までの間は、軽食コーナーつきの休憩所で過ごすこともできるし、コンビニだった建物で営業している装備類の販売店で買い物をしてもいい。内部の戦いで必要なものは、値段や質はともかく大体網羅されている。

 美咲たちは、全部準備が済んでいたので、念のため食料だけ購入した。というよりは、鶴城はここで売っているホットサンドが、美咲は焼きお握りが、なぜか好物なのだった。もちろん美咲はまじめに、乾パンとチョコレートとミネラルウォーターも買う。

 鶴城や弦蔵を認めると、周囲に囁きが起こる。今日、十三区のウズヌシの一体と戦う話はもう伝わっているらしい。それにこのコンビの強さはこの数年で有名になっている。弦蔵が今まで預かった当千の中でも、鶴城は最高に強力だった。

「あのすっごい可愛い子、古洞の跡取りだよ」

 注目は美咲にも集まる。古洞は、古くからの異怪狩りとして有名な家だが、美咲の父親は異怪狩りではなく、普通の会社員になってしまった。跡継ぎが出るのはめでたいことなのだ。

「将来あの当千君と組むんだろうね」

「すげえツーショット。似合いすぎだよ」

 美咲は思わず鶴城の様子をうかがった。すると鶴城も、目深に巻いたバンダナの下から、そっと見下ろしていた。お互い、弾かれたようにそっぽを向いた。

「勝手なこと、言ってるわよね、みんな」

「ああ。まったくだ。最初から決まってるなんて冗談じゃない。そうだろう?」

「ええ。……嫌よ」


 祭りのようなざわめきを抜けると、急速にまた通りがさびしくなる。

 向こうに境界が見えてきた。

 物理的な何かがあるわけではない。道の先が、まるで黒いベールを被せたように陰になって見えることでそうと知れる。歩いて近づくにつれ、だんだんと周囲が薄暗くなる。そして見えざる境界を潜り抜けた瞬間、全身をびりっとした感じが走り、空気の温度と湿度、感触がまるで変わる。

 美咲は息苦しさに胸を押さえた。冷たいくせに、粘っこくまとわりつくような、濃くて重苦しい空気だ。

 ちらりと見ると、鶴城も冷や汗を拭っているし、弦蔵も眉をしかめ、やたらと肩をゆすったり、首をかいたりしている。

 何度通っても、気持ち悪いものは気持ち悪い。体調しだいでは、これだけで吐いたりよろめいたりすることもある。

 境界を離れれば、気配は薄らいでいき、空気は気にならないほど軽くなる。目的のビルは、遠くからでもよく見えた。黒光りする金属と、多数のガラス窓で構成された、先鋭的な雰囲気の十階建てビルだ。元はIT企業の社屋だったらしい。

 吹き抜けのロビーで最終チェックをした。

 美咲はバッグを開け、火炎槍を展開する。金属パイプのオブジェのような外観で、機能的でシャープな穂先に、ショットガンめいた構造が一体化している。手元のトリガーを引くことで、装填した火炎弾が穂先の穴から打ち出される仕掛けだ。複雑そうだが、とことん頑丈で、購入可能な対異怪兵器では、一、二を争う優秀さと人気を誇る。

 弦蔵は、籠手の護拳の起爆穴に、爆裂チップをセットする。拳の正面、手刀側、裏拳側、掌底部。予備のチップも腰の袋に入れておく。

 鶴城は素手でいいので、道具類を入れたポーチを腰につけてしまうと、ロビーのカウンターに腰掛けて、長い脚をぶらぶらさせながら、二人の準備を待つばかりだ。

 美咲は頭上を見上げた。本来、白く近未来的な空間を作り出すはずの吹き抜け構造に、薄紫のガスのようなものが立ち込め、ゆるゆると流れている。目を凝らせば、人魂のようなシルエットの何かが多数飛び交っているのが見えてきた。耳を澄ませば、奇怪な、興奮した鳥のような鳴き声が聞こえた。

「いちいち気にするなよ、ただの目魂めだまだ」

「知ってるわよ、戦ったことあるもの」

「じゃなくて。ちらちら見てないで、さっさと済ませろよ。僕がいるんだ、近づいてこない」

「大した自信ね」

「ばか。当千だからだよ。何度か来たから、ここのウズヌシは僕が何か知ってるんだ」

 奥の階段をみやる。

 濃く、黒々とした気配が、うごめいてわだかまっていた。


 階段を下りると、そこはすでに異界だ。ビルらしい壁も床も完全に消えうせ、焼き溶かしてえぐったようなトンネルが、どこまでも曲がりくねりながら続いている。黒い岩壁はもろく、湿っぽく、ところどころ真っ黒な液体が染み出している。

「……来たよ、弦さん」

 鶴城が立ち止まった。

 奥で、何かがうごめいた。濡れたようなきしむような音がして、天井に届くほど巨大な、心臓のような肉の塊が、巨木の根のような太い触手で這い進んでくる。どこから発しているのか分からない、あぶくめいた笑い声とともに、肉塊の中心で金色の一つ目が輝いた。びくびくと血管状の網目が脈打つ。

「なんと気の短いウズヌシじゃ、自分から出てきおったわ……行くぞナオト」

「OK、弦さん」

 弦蔵と鶴城が、互いに右手を合わせた。鶴城の白い髪が炎のようにひるがえり、重ねた手のひらの間で光がはじけた。

 ――化身けしん当千とうせん天槍銀海てんそうぎんかい

 次の瞬間、鶴城の姿は消えうせ、弦蔵は、銀色にきらめく長大な槍を手にしている。浮き彫り模様に飾られた長い円錐形の穂先は月光のように淡く輝き、黒々とした冷たい金属の柄は、深くひかえめな青い輝きを帯びて、かすかに呼吸するように、星をちりばめたように、瞬いて見える。

「天槍銀海、現参ゲンサン!」

 ウズヌシが触手を放つ。弦蔵は最低限の動きですべてをかわすと、一転して鋭く詰め寄り、槍を振るった。触手を一閃でごっそり刈り取る。どす黒い血がしぶいた。

 天槍銀海の穂先には、血の一滴もつかない。

 ウズヌシが怒りの声を上げる。

 これが当千だった。はるか遠い昔、この世界とは別の空間から、異怪に苦しめられている人々の味方として出現した、もうひとつの異次元存在である。当千の名は「一騎当千」に由来する。

 異怪は、ウズヌシによって世界の境界に風穴を開けて侵入し、ウズヌシの助けを借りてこの世界に存在している。

 当千もまた、本来はこの世界ではその存在を維持されない。ゆえに「それら」は人間の血肉を借りて一体化し、自らの意志と力を宿主に委ねることでこの世界にとどまる道を選んだ。宿主が死ねば、新たな胎児が選択され、ふたたび新たな当千として生まれてくる。

 鶴城の血筋は、代々当千が好む体質と性格で当千が現れやすい「当千系」のひとつである。古洞家は、当千を扱い、使いこなし、力を最大限まで引き出す精神力と身体能力を持った「当千使い系」のひとつである。

 その昔、これほど異怪が一般化していなかったころは、いやおう無しに内輪で受け継ぐことになる業のような宿命だったらしいが、異怪の方がしだいに白昼堂々と現れだしたのに伴い、外部の血筋で当千が現れたり、当千使いに選ばれたりも、まったく珍しいものではなくなった。それでも面子もあるし、ブランドもある。実際、幼少時からその為にカスタマイズして育てられてきた当千と当千使いは、まだまだ強力な存在だった。

「美咲、後ろを頼むぞ!」

 あたかも、親玉の出陣に勇気付けられたように、目魂の群れが空中を泳いで駆けつけてきた。オレンジ色のうねる肉で出来た人魂のような姿で、頭部の大きな一つ目を激しく血走らせている。美咲は火炎槍をふるい、飛び交う目魂を次々に叩き落とした。踏みつけて動きを止め、穂先を押しつけてトリガーを引く。重い爆発音とともに、靴の下で、目魂が粉々にはじけた。

 次に向き直り、穂先で殴りつける。特殊金属の刃が食い込むが、しかし切れない。たとえ小さくとも、異怪は恐ろしく硬い。穂先に引っ掛けた目魂を壁に叩きつけ、落下するいとまを与えず連続キックで蹴り潰した。

 奥の様子を目の端で確認する。弦蔵は身軽に飛び回り、一抱えもある触手を、粘土でも切るようにあっさり両断する。脈打つ本体の肉塊に深々と突きこみ、どす黒いシャワーを噴出させる。

「すごい……」

 感嘆しつつも、だが美咲は違和感を覚えていた。ウズヌシの処理とはこの程度なのか、と。

 ウズヌシがやられたら、このビル周辺を勢力圏にしている異怪たちはこの世界に存在できなくなる。ほかのウズヌシの勢力圏に逃げ込むか、異界に通じる風穴に大急ぎで逃げ込むか……。

 そんな大事なときに、どうして目魂しか出てこないのか。

 ぞく、と鳥肌が立った。


『弦さん、やっぱこいつ変だよ!』

 鶴城の声が弦蔵の脳裏に響く。

『なんでこんなやけっぱちなんだ?』

 弦蔵も気付いていた。だが、同時に、目の前のウズヌシから、いったん逃れる隙を見つけられないでいた。何度触手を両断されても、すぐさま再生にかかると同時に、別の触手で攻撃してくる。何度本体を刺し貫かれても、黒い血を噴水のように撒き散らし、どろどろに黒くまみれて吼えながらもまったくひるまない。

(刺し違える気か)

 弦蔵はいぶかしみ、ふと気付いた。

「いかん……分身か!」 

 まさに、とどめの突きを放った瞬間だった。

 中心の一つ目に輝く穂先を深々と埋めたそのとき、ウズヌシはゴボゴボと狂ったように笑い、最後の力で、自らに近づいた弦蔵に、いっせいに触手を伸ばした。断末魔のでたらめな動きで、四方八方から襲いかかる。

「ぬう!」

 弦蔵は籠手をはめた拳で一気に殴り返した。護拳部分にセットされた爆裂チップが、インパクトの瞬間起爆し、爆発の衝撃を叩きこむ。どうにか巻きつかれるのだけは防いだが、槍を引き抜き、逃れたときには、あちこちに傷を負わされていた。


 トンネル内を咆哮が揺さぶった。


「や、やっぱり……」

 美咲は、火炎槍にすがって気持ちを支えた。


 トンネル全体を地震のように揺さぶり、ばらばらともろい部分を崩しながら、奥から、より巨大なウズヌシがゆっくり姿を現した。

 堂々と脈打つ、大地の心臓。中央の一つ目は、半ば閉ざされ、何かもの思わしげに、こちらを見渡している。無数に生えた触手は、古びた外皮に覆われ、そびえる巨木をただ見上げるような、圧倒的な重量感があった。

「ぬう……」

 弦蔵は冷や汗を流した。これほどのウズヌシを相手にしたのは、ここ数年なかった。

 手の中で、天槍銀海が、急速に輝きを失っていく。

「大丈夫か、ナオト?」

『平気さ、ちょっとびっくりしただけだ』

 輝きはやや持ち直すが、脳裏に響く声は、強がりを隠せない。

 大ウズヌシの一つ目が、満足そうな笑みを見せる。深いところから湧き出すような音で、笑った。

 触手が襲いかかった。

「……!」

 弦蔵はすばやく槍を構えたが、いつにない重さに引っ張られる。すぐにもう一方の手を添えたものの、すでに触手は目の前に迫っていた。

「じいちゃん!」

 弦蔵の体が大きく吹っ飛んだ。地面に叩きつけられ、起き上がれないうちに、次の触手が襲いかかった。

 美咲は飛び込んだ。特殊金属の穂先を横合いから押し付けて軌道を反らす。なおもうねって押し返す触手を力任せに押し返しながら、トリガーを連続で引き絞る。表面が次々と円形にくぼみ、嫌そうに震えて退いた。

「弦さん!」

 人の姿にもどった鶴城が駆け寄った。老人とはいえ、骨太で重い体をなんとか担いで、助け起こす。

「安心せい、かすり傷じゃ……」

「弦さん……」

 弦蔵の片袖は大きく裂け、腕に血の筋が流れ落ちている。わき腹の辺りからも血がにじんでいた。弦蔵を必死で支えながら、鶴城は自分がくずれそうだった。

 自分が、あの大ウズヌシにビビッたから、こうなった。

 天槍銀海がいつもの軽快さを保っていたら、こんなことにはならなかった。弦蔵の当千として、強く心を保って、折れても沈んでもならなかった。

「僕の……せいだ……」

「そうよ!」

 鉄拳が飛んできた。頬骨にがっきり食い込む。いっぺんで目が覚めた。

「何するんだ、君は!」

「あんた最近、最強~とか褒められすぎて、打たれ弱くなったんじゃないの? ぼうっとしてないで、さくさく逃げるわよ!」

 鶴城の腰のポーチを引きちぎり、まるごと大ウズヌシに投げつけると、火炎槍の、最後の一発でポーチを撃った。中に入れておいた攻撃道具も煙幕も何もかも一緒くたに火がついて何度も爆発し、次々に違う色の煙がもうもうと立ち込めた。

 煙が薄らぐと、三人の姿は大ウズヌシの前から消えていた。


 二人で左右から弦蔵を支えてトンネルを進んだ。

「ちょっと、じいちゃんかなり重いんだから、もっとしっかり支えてよ!」 

 美咲の怒声に、鶴城は辟易してきた。

「……まったく、向かうところ敵無しだな、君は」

「むちゃくちゃびびってるわよ、ばか! だから急いで逃げるんじゃないの」

 よく見ると美咲は涙目だった。鶴城はいつにない衝撃を受けた。

「君泣いてるの?」

「……違うわ、さっきの煙幕がしみてるだけよ! くっだらないこと言ってるひまがあったら、もっと早く歩いてよ!」

「君も泣くんだ」

「泣いてないわよ! 異怪がこわいくらいで泣いてられないわ!」

「ふうん。僕は泣いたよ」 

「え?」

「初めてウズヌシとやったときは、ビビッて泣いたよ」

「知るわけないじゃない、そんなの」

「そう、君は来なかったよな」

「何言ってるの、あのときは無理やり一人で留守番させられたのよ、あたしは」

「君のことだから、ダメだろうと何だろうと、絶対ついて来ると信じてたよ、土壇場まで」

「ちょっと。あんたも来る必要ないって言ったじゃない。普段はともかく、異界狩りの仕事でなら、絶対あたしの味方だと思ってたのに……」

「タカくくられるのはごめんだ」

「けちね! それで結局? あたしがいないんでビビッて泣いたって訳だ。ずいぶんな弱虫……」

「……そうだよ、悪いか」

「……え?」

 鶴城は、ぷいとよそを向いた。。

「僕なんてその程度さ。知ってるだろ」

 よく知ってる。

 でも、本人が自覚しているとは、知らなかった。

「あんたも素直だと、かわいいわよ」

 正直な感想だったが、鶴城は苦々しげに口を曲げた。


 ……半ば朦朧としつつ、弦蔵は理解した。

(ぬう、そういうことじゃったのか……)


 階段を上っている間も、繰り返し襲ってきた揺れが、ロビーを揺るがした。

 つややかな床板がそこかしこで大きくめくれ上がり、太い木の根のようなものが次々と飛び出した。

 大ウズヌシの触手だ。

 三人はロビーを右に左に駆け回り、何とか出口に向かおうとしたが、触手が次々と先回りして飛び出し、ドアの前も、窓の前も、林立して立ちはだかった。

「くそ、当千逃がす気はないか」

 

 鶴城が死ねば、一体化している天槍銀海が再び前線に出てまともに戦えるようになるまでには、十数年の月日が必要になる。

 十数年たてば、天槍銀海は復活する。

 だが、鶴城は一人だ。

 この見栄っ張りの弱虫は、この世で一人だ。

「だめ……」美咲はつぶやいた。「死ぬなんて、許さない」


 好きで当千に生まれたんじゃない。

 何度も思った。

 何で好きこのんで異怪なんて怖いものと戦ったりしなきゃいけないんだと。

 好きこのんで戦うバカは、側にいた。

 ずっと側にいた。


 手は、自然に引き合った。

 触れ合わせた瞬間、同じ思いが心に響いた。

『そういえば、出会ったころは、何も考えないでこの手に触れていた』

 ……光が、はじけた。

 

        * 


 協会が手配した救急車が、弦蔵を病院に運んで行った。

 美咲も鶴城も、一緒に乗るつもりだったのだが、ほかならぬ弦蔵当人に「不要じゃ」と下ろされてしまった。

 サイレンを鳴らしながら遠ざかっていく救急車を見ながら、二人は途方にくれたように顔を見合わせた。

「すごいご機嫌だったね」

「ま、無理もないね」

「アレは夢だってことに出来ないかしら」

「君はそうしたいの?」

「どうしようかな?」

 いたずらっぽい笑みで見上げられ、鶴城は観念した。

「現実でいいです」


                 ―終―                                    

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