第39話 生かすために死す

「ムルさん、逃げろ!」


 オオナムチが叫ぶ。

 ムルは意識の無いナオヤをかついで逃げようとしたが、重くてかつぐことができない。

 そして、顔を上げたとき、ソレが見えた。


「なんだあれは!?」


 邪神の背後から赤黒く燃える巨大な獣が出てきた。

 燃え盛る研究所の炎の色とはまったく違う赤黒く渦巻く炎の獣は、牙が八本ある巨大なイノシシの形をしていた。


「これが赤猪ってやつか…」


 オオナムチはつぶやいた。

 邪神の儀式がまだ途中だったからだろう。テマ山を噴火させるほどのエネルギー体には成長していないが、それでもテマの町を焼き尽くすほどの勢いはある。

 これ以上遅れていたらやばかったが、今の状況も十分にやばい。

 打開策は見当たらないし、神殿跡への突入が間に合ったとは言えない状況だ。


 邪神と赤猪を前にして、オオナムチは、ただ、絶望を眺めることしかできていない。

 テマ町を守るためには、これ以上退くわけにはいかない。


 自分が止めなければならない。

 オオナムチは死を覚悟した。


「バオオオオオオオオオ」


 赤猪の咆哮が山頂を揺らす。

 口から黒煙が吹き出し、全身から立ち上る赤黒い炎が大気を歪めている。


「キャアアアアアアアア」


 邪神が甲高い声で絶叫するとともに、赤猪がオオナムチに向かって突進してきた。


大瀑布だいばくふ!」


 オオナムチのかざした手から、滝のように水が吹き出した。

 鬼道の技だ。

 赤黒い炎に向けて、大量の水が噴射されている。

 全力を振り絞るオオナムチの顔は険しく、額には血管が浮いている。


 だが、大量の水は、赤猪に届くことなく蒸発していた。

 赤猪の突進の足止めにもならない。

 黒煙と水蒸気に視界が奪われていくが、その熱量で赤猪が突進してくるのがわかる。


「山落とし!」


 赤猪の上空に、いくつもの岩が現れ、次の瞬間勢いよく落下した。


「バオオオオオ」


 次々と落ちてくる岩は、赤猪に当たって砕けるが、やはり勢いを殺すことはできない。

 むしろ、勢いを増してオオナムチに突進していく。


「オオナムチ!逃げろ!!!」


「止める!」


 オオナムチが逃げれば、赤猪はテマ町を焼き払うだろう。

 それは大勢の人の犠牲を意味する。

 そんなことは絶対にさせない。オオナムチは、命を捨てても止めようと決意した。


 オオナムチは神剣ハバキリを自分の足に突き刺して、地面に縫い止めた。

 鬼道の技を使って、真剣ハバキリを媒体として大地に自分を繋ぎ止める。

 どうあっても止める。止めてみせるのだ。


「来い!」


 オオナムチが両手を広げると、赤猪が突っ込んできた。


「ガアアアアアアア」


 巨大な赤猪の突進をオオナムチが受け止めた。

 凶暴な熱量に、オオナムチの顔が歪む。

 両手で牙を持ち、額を赤猪の目と目の間に押し当てて、決死の表情で受け止めている。

 オオナムチの体は焼け焦げて、肉が焼けるいやな匂いがムルの鼻腔を刺激する。


 すると、赤猪が少しずつ小さくなっている。

 オオナムチのエネルギーと相殺されて縮んでいっているのだ。


「やめろ!オオナムチ!死ぬぞ!」


 ムルは泣きながら戦斧せんぷを振り上げ、牛ほどの大きさに縮んだ赤猪の背に突き立てる。

 オオナムチが膝をついた。

 小さくなった赤猪に覆いかぶさるように倒れ込むと、やがて、赤猪は小さくなって消えた。


「やったか…な…?」


 オオナムチの全身は焼けただれて、すでに虫の息だ。

 誰の目から見ても助からないのは間違いないし、ムルも助けられるとは思っていない。

 しかし、それでもどうにかなるんじゃないか、どうにかできるんじゃないか、ムルはオオナムチの薬を探した。


「やった!やったぞ!おい!オオナムチ、いつもの薬はどこだ?」


 神具である万宝袋は焼け残っていたが、所有者ではないムルでは、中の薬を取り出すことができない。


「ごめん。ムルさん、ここまでだ」


 オオナムチはうつ伏せに倒れて死んだ。


「おい!オオナムチ!いい加減にしろ!おい!おまえ俺に借金返してないだろうが!起きろ!起きろや!」


 ムルは泣きながら、オオナムチの体を激しく揺さぶるが、それはもはや消し炭のようなものだった。


 そして、ムルは気づいてしまった。

 そこにはまだ邪神が残っていることに…。


「キャアアアアアアアアアア」


 邪神の絶叫で、そこら中の岩や壁の破片が飛び散った。

 破片が当たってムルの頬が裂ける。


「くそお!」


 邪神が宙に浮いたまま向かってくる。

 もう、オオナムチはいない。

 ムルはへなへなと座り込んだ。


「こんなもんかよ!はは、ハハハハ」


 ムルは、極限の恐怖に笑いがこみ上げてきた。

 自分の感情がよくわからないが、とりあえず笑えるのだ。

 そして、逃げようにも、腰が抜けて立てない。


 すると、気を失っていたはずのナオヤが、むくりと立ち上がったのだ。


「え?誰?」


 ムルは笑いを忘れた。

 そのナオヤは、ナオヤであってナオヤでなかった。

 泣き虫でひ弱なナオヤとは、まるで別人なのである。

 静かで自信に満ちた表情に、なにより鋼のような筋肉に覆われた巨体。

 なぜだかナオヤは、でかくなっているのだ。


 そのナオヤは、ムルの前に立ち邪神に向き合った。


「我はナオビ、禍事まがごとを直す神なり!」


 山を割るような猛々しい声が轟くと、あきらかに邪神が怯んでいる。


 ムルは超展開にあっけにとられるばかりだった。

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