第26話 大将軍の決断

 巨漢のサジ大将軍が振るう全体重を乗せた戦斧の斬撃ざんげきが、体勢を崩しているオオナムチを襲った。

 小手調べも小細工も遊びもない。

 一撃で勝負を終わらせるつもりの、正真正銘しょうしんしょうめい、全力の斬撃ざんげきだ。

 受け止めたとしても、武器や盾ごと両断してしまう一撃に、惨劇さんげきを想像した観客から悲鳴があがる。


「あぶね!」


 オオナムチはあっさりとその斬撃ざんげきを受け止めた。

 崩れた体勢から片手に持ったムルの戦斧で、その無理な体勢のまま受け止めてみせたのだ。

 幼い頃から受け続けてきた山の神オオヤマツミの一撃に比べればなんてことないのだ。

 オオナムチの基準は、神の領域りょういきにあるのである。


(我が一撃を受け止めただと…!?)

 サジ大将軍はあ然とした。

 止められるはずがない一撃だ。

 体勢の崩れているところへ、全身全霊の渾身こんしんの一撃を放ったのだ。


 来るとわかっていて万全の体勢で構えていたとしても、サジ大将軍の渾身こんしんの一撃を受け止められる者などいない。

 多くの戦場に出向き、多くの敵と戦ったが、この十年間で放った斬撃ざんげきを止められたことなどない。


 それが、目の前の女のような顔をした少年に、あっさりと止められたのだ。

 信じられない出来事に、一瞬あっけにとられた。


 そして激しい怒りに駆られた。


 しかし、ここからが大将軍のくらいを頂く者のすさまじさである。

 一瞬で気持ちを入れ替えたのだ。

 相手が少年だろうが容赦ようしゃはしない。

 盾を投げ捨て、戦斧せんぷを両手に持ち替えて、さらにオオナムチの体勢を崩すために押し込んだのだ。

 体勢を崩したら、そのまま斬り捨てる。


 サジ大将軍の中で、殺すつもりのなかった試合が、必殺の死合に変わったのだ。

 渾身の一撃を止められた怒りは、もはや相手の死でしかしずめることができない。

 サジ大将軍の身にまとう殺気がふくれ上がった。

 大地を蹴り飛ばして、さらに前に出る。片手で斧を持っている少年をさらにくずすためだ。


「馬鹿な!?」


 しかし、動かない。

 両腕の血管が破裂はれつしそうなくらい力を込めているのに、微動だにしない。1ミリも押すことができないのだ。


「よっと」


 オオナムチはサジ大将軍の戦斧せんぷを払った。

 サジ大将軍は横に飛ばされてバランスを崩し、片膝かたひざをついた。

 オオナムチの片手持ちの戦斧せんぷに、羽虫はむしを払うかのごとく簡単に払われ、自分のほうが体勢を崩されてしまった。

 これは、信じられないことだった。


 そして、オオナムチが涼しい顔をしていることも、信じられないことだった。

 サジ大将軍と対峙たいじする敵は常に、恐怖と絶望の表情だからだ。


(なんなのだこれは!?)

 ここ十年、戦いで片膝かたひざをついたことなどない。

 理解不能な展開だ。

 これ以上無い屈辱くつじょくに、サジ大将軍の頭に血が上る。


「貴様、何者だ!?」


 サジ大将軍が、死合で相手の名を問うのははじめてだった。

 名を聞くまで相手が生きていないからだ。


「オオナムチです」


「貴様があのオオナムチだと!?」


「いや、あのどのですか…!?」


 サジ大将軍の顔色が変わった。

 オオナムチは、この人もまた変な噂を聞いているのだと確信した。


「どおりで合点がてんがいったわ。まさかオオナムチがこのような小僧だとはな…」


 サジ大将軍は死を覚悟した。

 頭に上っていた血が急激に冷えていく。

 寒気さむけすら感じていた。


 目の前の少年は、未来の覇王として近頃急に噂が広まっているオオナムチだというのだ。


 風神と雷神を倒し鬼神を配下にしたオオナムチの噂は聞いていた。

 しかし、そんなことは嘘だと、まったく信じていなかった。

 だが、オオナムチとやいばを合わせ、底知れぬ膂力りょりょくを実感し、それが事実であることを確信した。

 自分は風神や雷神には及ばない。

 つまり、オオナムチの前に、自分の死は逃れられないのだ。


「いやあの、どう合点がてんがいったかわかりませんが、おそらく誤解だと思うんですけど…」


 オオナムチは、急に顔色が悪くなったサジ大将軍に弁解のために話しかけたのだが、その声は届いていないようだ。

 サジ大将軍は、なにやら神妙な顔をしている。


「オオナムチよ!なにが望みだ?まさか国をりに来たか!?」


 サジ大将軍は、恐れていた。

 自分の背後には、イナバ国王がいる。

 目の前のオオナムチは、その気になれば自分を瞬殺しゅんさつし、そのまま近衛兵を突破して、イナバ国王の首をるだけの力があるのだ。

 オオナムチと戦えば瞬殺しゅんさつされるだろう。

 自分が倒れれば、背後の国王を守れるものはいない。

 それゆえ安易に戦ってはならぬ。

 つまり、自分から攻撃することはできないし、戦いになるのは避けなければならない。

 どうにか時間を稼ぐため、無口な性分を無理して、オオナムチに問いかけているのだ。


(この人なにを言ってんだろ?)

 オオナムチは困惑していた。

 助けを求めてムルを振り返るが、ムルは地面を見て目をそらしている。

 ムルはサジ大将軍の殺気に当てられて、腰を抜かしているのだ。


 オオナムチはムルが求婚するための従者役を手伝っているだけである。

 イナバ国に来ているのも、自分の意志ではない。

 自分の望みなど、とくにないので、望みを問われて戸惑とまどってしまった。

 いて言えば、ムルの求婚を応援しているので、この試験を突破することだろうか。


「望みは…この試験に合格すること?」


「ふむ」


(そうか、ヤガミ姫への求婚の義の試験だったな)

 サジ大将軍はこの戦いの意味を思い出した。


 武力で負けるという信じられない出来事に混乱していたが、これは求婚の義に向かう試験なのだ。

 そして、ムルが候補者でオオナムチが従者だということを知らなかった。

 戦闘の試験までは、裏の控え室で部下と酒を飲んでいたからだ。


 サジ大将軍は、オオナムチがヤガミ姫に求婚に来た候補者だと勘違いした。


 そうしてあらためて見ると、目の前のオオナムチは美少年であり、謙虚さと聡明そうめいさを感じることもできた。

 そして、なにより大将軍の自分ですら想像できないほどの、桁外けたはずれの武力の持ち主である。


 このオオナムチなら未来のイナバ国の王として不足は無い。

 これほどの武力の王ならば、東の国の併合へいごうなど容易よういだ。

 噂によるとイズモ国と対立しているようだし、イナバ国がイズモ国を併合へいごうすることすら夢ではないかもしれない。

 むしろ、そのためにヤガミ姫に求婚にきたのではないか。

 そうすると、ここで自分が勝つ意味などないだろう。

 むしろ、ヤガミ姫への求婚を邪魔立じゃまだてしてはいけない。

 オオナムチをイナバ国に取り込むことこそ国益こくえきであろうと。


 サジ大将軍の勘違いは、とどまるところを知らなかった。


 そして、サジ大将軍は決断した。

 オオナムチの軍門にくだることを。


「降参する」


 サジ大将軍は戦斧せんぷを捨て、その場で座り込んだ。


「え?」


 その場の誰もが耳を疑った。


 常勝無敗のイナバ国のサジ大将軍が、オオナムチに降参したのだ。


 そして、観客がオオナムチの勝利を理解すると、会場が割れんばかりの歓声が響いた。

 大番狂わせである。


 こうしてオオナムチは勝負に勝ち、ムルは求婚の義の試験を突破したのだった。

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