第27話 ヤガミ姫の選択

(サジ大将軍が負けただと!?)

 イナバ国王は、驚きのあまり立ち上がってしまった。

 全幅の信頼を置いているサジ大将軍が、戦いで負けるなどとは考えてもみなかったことだ。

 将軍の仕事は勝つことであり、大将軍の位は、幾多いくたの戦いのすべてに勝ってきた証だからだ。


 しかも、サジ大将軍に『降参する』と言わしめての完勝だ。

 どんなに不利な戦でも、あきらめることなく勝利をつかみ取ってきたサジ大将軍に、『降参する』などと言わせることができた者はいまだかつていない。

 サジ大将軍の立場では、口に出してはいけない言葉が出たことが信じられないし理解ができない。

 誇り高きサジ大将軍がこれほどの観衆を前にして、自らの敗北を認めて誇りと勝利の象徴しょうちょうである戦斧せんぷを投げ捨てるなど、想像したこともない場面だったのだ。


 戦いは予期せぬことが起こる。

 油断やアクシデントによって、予期せぬ結果になることもある。

 しかし、心を折り敗北を認めさせることは、よほどの実力差がないとむずかしい。


 イナバ国は農業と観光業を主とした国家であり、イズモ国のような戦争大国に比べれば武人の人材におとることは理解していた。

 しかしまさか、見たところ農民のような軽装をした少年が、大将軍の心を折るほどの武力を持っているとは、これほどとは思っていなかった。

 農民でこれなら、軍人はどれほどなのか、イナバ国王は想像し恐怖した。


(イズモ国とはどれほどおそろしい修羅の国なのだ…)

 イナバ国王が、イズモ国との不戦をあらためて誓った瞬間だった。


 そして、候補者のムルを驚異に思った。イズモ国正規軍の部隊長であり、大将軍に勝つほどの従者を従えていることもそうなのだが、戦いの間、後方で座り、戦いを見ることすらしていなかった。

 イナバ国の大将軍を相手に従者が戦うことに、興味すら持っていないということだ。

 つまり、絶対的に従者の勝利を確信しているということであり、見る価値もない安易あんいな勝負だと思っていたのだと、イナバ国王はそう理解したのだ。


 実際のムルは恐怖で腰を抜かしていただけなのだが、イナバ国王はムルを過大評価しはじめていた。


 聞くと、貢物も一番多く、筆記試験の結果も一位だという。

 イナバ国王は、今回の求婚の義では、よもやの結果もあり得るかもしれないと覚悟を決めたのだった。


「それでは、勝ち残った二名は前へ出よ!」


 文官が号令をかけた。

 オオナムチがムルの代理で戦ったことについては、配下の戦士が戦うのはよくあることなのでまったく問題がない。


「オオナムチ、行くぞ!」


 ムルが前に出て、従者役のオオナムチが少し下がって続く。

 さあ、ヤガミ姫への求婚の義である。


 さて、ついに求婚の義なのだが、実はまさにこれは儀式なのである。

 ヤガミ姫が求婚に応じることは無く、形式的なものなのだ。


 求婚の義は、大勢の観衆が集まるエンターテイメントショーであり、イナバ国に大勢の観光客が訪れる。そして、ヤガミ姫への大量の貢物が集まることで、産業のようなものだと揶揄やゆされることが多い。

 しかし、ある意味それは間違っている。

 産業のようなものではなく、産業そのものなのだ。

 イナバ国は稲作を主要産業だと公称しているが、実際のところは治水がうまくいっていないため、それほどでもない。

 この求婚の義こそヤガミ姫の美貌びぼう基軸きじくとした、イナバ国の真の主要産業・・・・・・なのである。


 つまり、主要産業としてヤガミ姫の求婚の義を続けるためには、ヤガミ姫は結婚することはできないのだ。

 ヤガミ姫が断るというのは確定事項なのである。


 ムルともう一人の候補者が、ヤガミ姫が立つやぐらの前に辿り着いた。

 やぐらに階段が設置される。

 ヤガミ姫が、階段を降りて候補者の前に立てば、婚約が成立する。


 今まで6万人の候補者から勝ち上がった者たちが、このやぐらの前に立ったが、ヤガミ姫が階段を降りたことはない。


 そして、観衆もヤガミ姫が降りないことを願っていた。

 ヤガミ姫は全国民から愛されているスーパーアイドルであり、誰かの者になるのは許せないのだ。


 広場は静まり返っていて、その場のすべての者が、ヤガミ姫の挙動を、固唾かたずを飲んで見守っている。

 ヤガミ姫を溺愛しているイナバ国王も、結果がわかっているとはいえ、毎回ドキドキする瞬間だ。


 すると、ヤガミ姫がイナバ国王を向いて会釈えしゃくをした。

 そして、一歩踏み出したのだ。


 会場に動揺どうようの波が広がる。

 何が起こっている?なにがはじまったのだ?誰にもわからない。

 いまだかつて無いことが、歴史的ななにかがはじまっている。


 イナバ国王は、声にならない声で、口をパクパクさせているし、ヤガミ姫付きの女戦士がよろめいて倒れている。


「お、おいおいおい来たじょ…」


 ムルはわけのわからないテンションと口調でつぶやいた。

 やぐらの上から天女てんにょが降りてくる。

 咲き誇る白い花が、その美しさを振りまいて近づいてくるのだ。

 ヤガミ姫が一歩踏み出すたびに、会場が大きくどよめいて揺れている。


「やったねムルさん!」


 オオナムチはムルを祝福していた。

 やぐらを降りて一直線にムルに向かって歩いてくるヤガミ姫、旅の目的が達成されるその時がやってきたのだ。

 全財産をはたき、泣きながら土下座をしたムルの旅立ちが、ついに報われる瞬間がやってきたのだ。


「あべごぼあめま…」


 ムルの瞳孔どうこうは開き、全身は痙攣けいれんし、膝はガクガク震えて失禁している。

 ヤガミ姫に求婚に来たのだが、いざこうしてヤガミ姫が歩いてくると、想像以上のものがあった。

 この世の者とは思えない現実味の無い美姫びきが歩いてくるプレッシャー。

 そして、会場のすべての者からの嫉妬の視線、その悪意の熱量はすさまじく、ムルの小さな心では受け止めきれないものだったのだ。


 あと三歩…あと二歩でヤガミ姫がムルの前に立つことになる。

 人生で最高の瞬間に、ムルは絶叫した。


 そしてついにムルの前に立った…?


「って、え?」


 ヤガミ姫は、ムルを通り過ぎてオオナムチの手をとった。


「え?」


 オオナムチもあっけにとられた。

 ヤガミ姫は候補者のムルではなく、従者役のオオナムチの手をとったのだから。


「我が君よ。幾代久しく」


 ヤガミ姫は顔にかかるベールを取り、宝玉が転がるような、鳥の美しいさえずりのような、小さいがはっきりした声でオオナムチに告げた。


「あ、はい」


 オオナムチは、よくわからずに返事をしてしまった。

 想像を絶する美しさと気品に、逆らうことなどできなかった。

 ヤガミ姫の愛の言葉ことのはに逆らえる者など、三千世界に存在しないのだ。


「なんじゃいそりゃあああああ!」


 ムルの絶叫がこだました。


「全軍出陣!」


 錯乱さくらんしたイナバ国王は、軍を出した。


「うおおおおお!」


 興奮した観客は暴動を起こした。


 王城前の広場は大混乱に突入したのだった。

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