イナバの国のヤガミ姫

第13話 イナバ国への旅立ち

 オオナムチがサルダヒコ元帥との激闘のダメージから回復するのに、一週間が必要だった。なにせ、次の日は起き上がれなかったほどだ。


 オオナムチとミナ、ナオヤは稽古のために、村の西のはずれの広場に集まっている。

 完璧に負けたことで、オオナムチにも目標ができた。

 だから、稽古にも積極的になっていた。


 ムルは部隊に帰って療養りょうようしていて、あの日以来、村に来ていない。


 ミナは港の船で寝泊まりしているのだが、毎日、村に来て稽古をしている。

 そのため家臣団はヨドの港から動くことができず、かなり困っているようだった。


 ナオヤはあいかわらず稽古につきあわされていた。女性が苦手なオオナムチとミナが二人きりにならないためだ。


(よく生きて帰ることができたものだ)

 オオナムチは、体をほぐしながら考えていた。


 今、思い出しても、ギリギリの闘いだった。

 サルダヒコ元帥の神剣と対峙すること、つまり、絶対的な死と対峙して生き延びたことで得たものは大きい。

 強者と刃を交えたことで、オオナムチの中での強さの上限が大きく更新された。


 いつかあの化物を超えてみせる。

 根拠はないが、自信はあった。

 オオナムチの器が、一段と大きくなったのだ。


 サルダヒコ元帥が、なぜ突然に背を向けて去ったのか。

 オオナムチにはまったくわからなかったが、誰も死ななかったからとりあえず勝ちだ。

 次に会うときのために、もっと強くならなければいけない。


 ミナの上達ぶりは、すさまじいものだ。

 木剣で打ち合う稽古をはじめて二日目なのだが、余裕で避けていたミナの攻撃に、ヒヤリとする場面が増えてきた。


 こと戦いに関しては、ミナは天才なのだ。

 素質も飛び抜けているが、能力のすべてを、戦いのために使っているのだろう。

 戦うために生まれてきた鬼神。

 次代の最強はミナであっても不思議ではなく、むしろ妥当かもしれない。オオナムチはそう考えていた。


(わりとしあわせかも)

 ナオヤは黙々と木剣を振っている。

 頭をからっぽにして、体を動かすのは気持ちがいい。

 武術に興味はなかったが、やってみると悪くない。

 むしろ、しょうに合っているのかもしれないと感じることも多かった。


 ミナほどではないが、ナオヤの上達も速い。

 もともと村一番の健脚であり、基礎体力は高かった。

 気が小さいが真面目なので、オオナムチに言われたことを、素直に淡々と繰り返している。

 サルダヒコ元帥の気に当てられ、死地を経験したこと。そして、オオナムチやミナと稽古をしていることで、ナオヤも急激に上達していた。


「ミナとナオヤ、試合ってみて。ミナは手加減するように!」


「はい!」


 オオナムチに言われてミナが元気に返事をする。

 ミナとナオヤが木剣を構えて向かい合った。


「はじめ!」


「ヒグゥ!」


 ナオヤは一撃で飛ばされて8回転がって大きな石に当たって止まった。

 オオナムチは駆け寄って、万宝袋まんぽうぶくろから出した薬をつける。


「殺してない!」


 ミナは胸を張っている。稽古の心得である『殺さない』というのを、かろうじて守っているのだ。


 ナオヤはボロ雑巾のようになりながらも、なぜかにやけた顔をしている。


 そう…


 ナオヤはごうの深い男、ドMだったのだ。

 ミナの稽古相手という普通は誰もがいやがることに、率先して向かうナオヤ。倒されても瀕死でも、何度でも立ち上がるナオヤを、オオナムチは勇気と闘志にあふれる男だと尊敬していた。


 しかし、それは勘違いである。

 ナオヤはただの、いや、かなりレベルの高い変態だったのだ。

 ミナの斬撃ですら、最上級のご褒美ほうびにしてしまえるほどに…。


 こうして指導することは、オオナムチにとっても勉強になっていた。

 人におしえることで、深く理解できることがあるのだ。

 今まで当たり前に意識しないでやっていた動作も、いざ、おしえてみると自分でも感心するようなことが多かった。


 午前中の稽古を終えて村に戻ると、ひさしぶりにムルさんが来ていた。


「お!ムルさん!」


「オオナムチ!ひさしぶりだな」


 ムルは稽古中にはオオナムチを師匠と呼ぶが、村では年長でもあるので呼び捨てにしていた。これは、オオナムチのほうから頼んだことだ。


「タケミナカタもいるな。ちょうどいい。お願いがある」


 ムルはそう言っていきなり土下座をした。

 村の真ん中で衆人環視しゅうじんかんしの中、躊躇ちゅうちょのない土下座。

 軽く飛び上がってからのジャンピング土下座だ。

 さらに、それだけでは終わらない。

 泣きながら地面に額をすばやく打ち付けているのだ。

 そして、小さな声で『お願いします』を呪文のように繰り返している。

 ムルの額が見る間に赤くなっていき、どんどん村人が集まってきていた。


 只者ではない。


 ムルは土下座職人である。

 人目のあるところで派手に土下座をして、交渉相手をいたたまれない気持ちに追い込み、ムルの要求を断りにくい状況を作り出す超絶テクニックなのだ。

 人並みのプライドや、カケラほどの誇りを持つ人間には、けして真似できないおそろしい技である。

 純度の高いゲス野郎のムルだからこそできる技なのだ。

 よい子のみなさんは、けして真似してはいけない。


 周囲がざわついてきた。

 年長者に土下座させているのは、見た目が悪い。

 ギャラリーの視線が、自分を責めているように感じて、いたたまれなくなってきた。

 オオナムチはムルの術中に完璧にはまっていた。

 そして、ついに耐えきれなくなって叫んだ。


「ムルさん、ちょっとやめてよ!」


「お願いをきいてくれるまでやめない」


「ウザい!っていいか?」


 オオナムチは、ムルの首を落とそうとするミナを止めながら、ムルの腕を引っ張って無理やり立たせた。


「お願いってなんですか?」


「イナバ国に連れていってくれ!」


「え?」


「タケミナカタの船でイナバ国へ連れていってくれ!」


「なに?なぜ?」


 再度、土下座をしようとジャンプしたムルさんを制止する。


(さて、どうしよう?)

 イナバ国ってどこだっけ?なぜミナの船のことを俺に頼むんだ?オオナムチの頭の中に疑問と混乱が増えていく。


「よいでしょう!」


 人混みの中から、白髪の海人族が割って出てきてムルに答えた。


「え?」


(なんで、この人が答えてんの?)

 オオナムチを置き去りに新展開。

 答えたのはミナの家臣団の爺だ。


(村に来てみたらナイスタイミングですよ)

 爺は一人ごちた。


 ヨドの港に停泊しっぱなしの家臣団は、すでに限界に来ていた。

 ミナと家臣団は海人族である。ミナの船は一応、交易船である。

 一応というのは、この交易船の主目的が『交易ではない』からだ。

 では、その目的とはなにか?

 制御できない鬼神タケミナカタを、なるべく海上に隔離しておくことである。


 一応とはいえ交易船なので、寄港地と日程は決まっている。

 ヨドの港の次の寄港地は、イナバ国に近いカロの港だ。

 ヨドの港で、オオナムチの噂を聞きつけたミナは村に走り、そのせいで足止めをくらっているが、本来ならすぐにでも出発しなければならない。

 爺は、ヨドの港から出れば、なんとかなる、とにかく出なければならないと追い込まれていた。

 ミナを説得するため村に来ると、ちょうどよい展開だったため、すかさず答えたのだった。


「ありがとうございます」


 ムルがすばやく返事をした。ムルと爺の利害が一致したのを感じとり、すばやく既成事実化するため大きな声で返事をしたのだ。


「オオナムチの村長休暇申請もしてあるからな」


「え?」


 すぐさまオオナムチに告げる。

 外堀もきっちり埋めてくる。ムルはできる男だ。


「師匠が行くならミナも行く!」


「じゃあ、僕も行っていいですか?」


「え?」


 オオナムチを置き去りのまま、イナバ国行きが決まった。

 気づくと、荷物をまとめてヨドの港に向かっていた。

 ムルと爺の連携プレー、なし崩しに物事を進める力は本物だった。


 こうして、オオナムチはイナバ国に行くことになったのだった。

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