第12話 破邪の神剣

 山のような大きさの船が接岸すると、起きた波でまわりの船が揺れた。

 船室のある帆船ふねは、大陸まで行けるもので、イズモ国にも多くはない。

 船から手際よくハシゴが降ろされる。


「ば、バカな・・」


 ムルは逃げようとしたが、オオナムチが掴んで止めた。

 ムルの全身がガタガタと震えている。


「知ってるのか?」


「知ってるもなにも…」


 船から重武装の兵士が降りてきた。

 続いて赤い鎧が見えたところで、ミナが猛ダッシュした。


「ウガァアアアアア!」


 獣の咆哮ほうこうとともに赤鎧に飛びかかる。

 向かってくるミナを見て、赤鎧も飛んだ。

 日差しに白髪がきらめく。

 その手には長剣が抜かれていた。


 火花と轟音。


 ミナが飛ばされた。

 手をついて着地して地面を噛むが、勢いに流されて5メートルほど後ずさる。

 地面が両足と5本指の線にえぐれ、摩擦熱でなのか煙が上っている。

 土が焼けるにおいがあたりに広がった。


 赤鎧は悠々と歩いてきた。

 豪奢ごうしゃな造りの赤鎧は、身分の高さを示している。

 ジジイほどではないがでかい。

 鼻高の赤い仮面は、いかめしい表情で、子どもなどは見ただけで泣き出すだろう。

 実際、ムルは泣いている。


「さ、サルダヒコ元帥!」


 ムルが信じられないという表情で言った。

 どれほど恐怖を感じているのか。オオナムチにつかまれながらも、必死で逃げようとあがいている。


 オオナムチも呆然ぼうぜんとしていた。

 発する気配から察するだけでも、このサルダヒコ元帥とやら、桁違けたちがいの化物ばけものだ。強いなんてもんじゃない。

 あたりの空気がチリチリと音を立てている。

 威圧が空気を揺らしているのだ。


(ジジイもびっくりの化物だな)

 こいつには勝てないと本能が警鐘けいしょうを鳴らしまくっている。

 ミナがいなかったら、逃げていたところだ。

 しかし、弟子を置いて師匠が逃げるわけにはいかない。

 こんなところで死ぬつもりはないが、ミナを置いて逃げて無様に生き残るつもりもない。


 オオナムチが畏れるのも当然である。

 船から飛び降りてミナを飛ばした赤鎧こそ、スサノオ大王に次ぐイズモ国ナンバー2、サルダヒコ元帥なのだから。


 サルダヒコ元帥はイズモ国の先祓さきばらいとして、東西南北のまつろわぬ神々を斬りはらい、国土を拡大している最強戦力だ。

 海を渡り南蛮の国々まで遠征し、イズモ国にまつろわぬ者を根こそぎ斬りはらっている。


 荒くれ者である複数の海人族をまとめ、交易ルートを確立したのもサルダヒコ元帥である。

 塩の大規模生産と、塩による食料の貯蔵方法を広めて、イズモ国内の食料事情を大きく改善したのも、このサルダヒコ元帥の功績である。

 イズモ国重鎮の中の重鎮であり、ここ十数年姿を見せないスサノオ大王に変わって国政を司る実質トップである。


 とんでもない大物であり、その神威も武威も、今のオオナムチには計り知れないものである。


「ひさしく見ぬうちに、ふぬけたか鬼神?」


 ミナに向かうサルダヒコ元帥。

 サルダヒコ元帥は、イズモ国にまつろわぬ鬼神タケミナカタを追ってきたのだ。

 ミナはさすがにやりすぎた。

 イズモ国は、ミナの再教育を決定し、サルダヒコ元帥はミナを捕縛ほばくに来たのだ。


 オオナムチは前に出たがらない足を引きずるようにして、ミナの前に出た。

 ミナはまだひざまずいている。

 見たところ目立った外傷はないが、ダメージはわからない。顔をふせているので表情を読み取ることもできない。


 オオナムチは震える体から声を絞り出した。


「我が名はオオナムチ!ミナは俺の弟子だ!」


「ほう、我を前に名乗るか」


 サルダヒコ元帥は長剣をかざした。

 それだけで後ずさりしそうになるが、オオナムチはぐっとこらえた。


「我が名はサルダヒコ。イズモ国の先祓さきばらい。いかなる邪魔外道じゃまげどう滅入めいすとも、この神剣しんけんをもちて斬りはらい、国家鎮護こっかちんごを成さばやと存じそうろう」


 山を崩すような声は、大神の破邪の名乗りだ。


「ガァア!」


 ミナが左手と両足で地面を蹴って飛んだ。

 地面が割れる。

 ミナはサルダヒコ元帥の剣撃でひざまずいていたのではない。

 力を溜めながら、サルダヒコ元帥が間合いに入るのを待っていたのだ。


 地を割って飛んだミナを、オオナムチがつかんで止めた。

 そのままミナを後ろに放り投げる。


「師匠に譲れ!」


 オオナムチが凶暴な顔になった。

 身にまとう雰囲気が変わる。

 本気の本気だ。

 命を奪い合う領域に踏み込み、覚悟を決めた。


 幼いとき、ジジイに内緒で狩りに出て、遠くカサギ山の主である熊と戦い、死にそうになりながら仕留めたときも、これほどの恐怖は感じなかった。


 腰の袋に手を入れる。

 そして、中から長剣を抜いた。

 拳ふたつほどの大きさの小さな袋は、長剣が入るようなサイズではない。

 そこから長剣を抜いたのだ。


万宝袋まんぽうぶくろ


 オオナムチの腰の袋はなんでも収納できる神具だ。

 どれくらいのモノが入るのかは、オオナムチにもわからない。

 なんでも入って、好きに取り出せる。

 ものすごく便利な袋であった。


「ほう、十握とつかの剣か」


 オオナムチの取り出した剣は、十握とつかの剣。

 幅広の豪剣は、もちろん神級武具ミシカルだ。


 その昔山の神であるジジイオオヤマツミが、天津神アメノコヤネにもらった剣だという。それを、オオナムチが受け継いでいるのだ。


 岩をも断つ豪剣を、オオナムチは上段に構えた。


(こんなやつがいるのか…)

 オオナムチは、世界は広いものだと実感していた。

 サルダヒコ元帥は、間違いなく今までで最強の敵だ。

 全身の細胞が、逃げろと絶叫している。


 されど、オオナムチは逃げていない。

 おいそれと負けて死ぬつもりはない。

 勝つために剣を抜いた。

 生き残るために剣を構えたのだ。


 勝てるイメージがさっぱり沸かない。

 しかし、自分を信じて剣を振る。

 九死に一生、その一生を得て前に進む。

 このまま長引いても消耗するだけ。

 オオナムチは決断し、サルダヒコ元帥の間合いに踏み込んだ。


 剣を振り切る前に止められた。

 サルダヒコ元帥は、オオナムチの斬撃に片手で合わせてきたのだ。

 オオナムチは力量差に斬ることをあきらめ、止められることを前提にサルダヒコ元帥を押し下がらせようと思っていた。

 力を込めるためスピードが若干鈍っているが、オオナムチの剣は音速を超えている。


 それなのに、オオナムチが先に斬り込んだのに、後から出したサルダヒコ元帥の斬撃が速かった。

 オオナムチが全力で踏み込んだ剣の勢いは簡単に殺され、逆に押された。

 なんとか剣を合わせて踏みとどまるのがやっとだった。


 神剣と神剣の激突だ。

 剣を合わせた音が遠く村まで響いた。

 並の剣ならば、剣ごと両断されているだろう。

 十握とつかの剣だからこそ耐えられたのだ。


「よくぞ止めた」


 片手で剣を握るサルダヒコ元帥に、両手でギリギリと力を入れるオオナムチは押されていた。

 少しずつ押されて、サルダヒコ元帥の長剣がオオナムチの首元に迫る。


(うお、殺られる)

 サルダヒコ元帥はたしかに巨漢だが、ジジイほどではない。

 それほど力を入れているようにも見えないが、巨大な岩がのしかかってくるかのようにジリジリと押されていく。

 まさに、ジリ貧である。しかし、単純な力比べだからこそ、力量差がはっきりと出る。打開策が無いのだ。


 サルダヒコ元帥も驚いていた。

 その驚きが興味に変わり、オオナムチを一刀で斬り伏せることを留まらせてたのだ。


 見た目少年にして、これほどの膂力りょりょく

 十握とつかの剣もたずさえている。

 しかも、それは天津神が持つ宝剣レベルのものだ。

 何百年と国中を駆け回ってきて、国内の神はおよそ知っているつもりだったが、オオナムチのことは知らなかった。


 興味が湧いた。

 なので、向けられた剣を止めるに留めたのだ。


 勝てないと悟りながら、オオナムチは本気の全力で立ち向かった。

 そのことがサルダヒコ元帥の興味を引いて、絶対的な死から逃れることができたのだ。

 もし、オオナムチが命乞いをしたり逃げ出していたなら、サルダヒコ元帥はあっさりと殺していただろう。


(さて、どうしたものか?)

 サルダヒコ元帥は、次の一手を決めかねていた。


 そこで、サルダヒコ元帥は、オオナムチの胸にあるものを見つけた。

 オオナムチが首につけている水色の勾玉まがたまである。

 押し込むサルダヒコ元帥が押し込んだことで体勢が崩れ、襟元から勾玉がこぼれたのだ。


 にぶく光る勾玉の表面はなめらかに磨かれていて、一般的に流通している玉製品とはあきらかに品質が違う。

 豪族、いや、王族の至宝であってもおかしくないほどの逸品だ。


「まさかな」


 サルダヒコ元帥は、剣を振り抜いてオオナムチを弾き飛ばした。

 その剣圧は、ミナもろとも吹き飛ばす。

 ミナが気を失ったようだった。


「その勾玉まがたまをどこで手に入れた?」


「知らん。ずっと首にある」


 オオナムチは顔を上げ、立ち上がって構えた。


「鬼神を降したか?」


「ミナは弟子だ!」


 今の一撃で、オオナムチは満身創痍まんしんそういだった。

 立っているのがやっとだったが、気力は衰えてはいない。


「鬼神を手なづけたというか?」


 サルダヒコ元帥は、驚いていた。誰になびくこともない鬼神を手なづけた者などいない。

 災害指定され、町の出入りを禁じられてなお、気ままにうろついては、好き勝手に暴れまわる鬼神。

 高貴な血筋から見逃されていたが、その討伐にイズモ国実質トップで国内最強戦力であるサルダヒコ元帥が派遣されるほどの、超がつく問題児なのだ。

 その鬼神を目の前の少年が降したということが、どうにも理解できない。


 そして、もうひとつ。

 こちらのほうが驚きなのだが、オオナムチが身につけている勾玉は、スサノオ大王の血統に連なる印だ。

 並の至宝ではないというか、在野で見たのははじめてだった。


(おもしろい)

 オオナムチへの興味はさらに大きくなった。

 サルダヒコ元帥は、二人を見逃すことにしたのだ。


「よかろう。いずれまた会おう」


 サルダヒコ元帥は、そう言うと背を向けて船に向かった。

 突然にあっさりと闘いが終わった。


 オオナムチに、その背に斬りかかる余力は無かった。

 言葉を返す気力もなかった。

 生き残れたことが、ただただ信じられないほどであった。

 サルダヒコ元帥を乗せた船が港から出ていくと、オオナムチは気が抜けて座り込んでしまった。

 ミナのケガはたいしたことがなかった。


 絶対的な死、サルダヒコ元帥の破邪はじゃの神剣から、オオナムチは生還したのだ。


 こうしてオオナムチに、サルダヒコ元帥と引き分けたという伝説が加わったのだった。

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