はじまりの村
第2話 神域の神と少年
時は流れた。
そしてイズモ国を打ち立ててスサノオ大王となった。
従わぬ神や民は荒れ狂う暴風雨のように鎮めた。
それは無慈悲で絶対的で純粋な武力であり、争いごとを知らなかった未開の地の民は怯え震え逃げ回った。
海人族と山人を川でつなぎ、鉄の道具を広めた。
海人族のネットワークによって、農耕、建築、家畜、食料保存の方法、さまざまな知識や技術が広められた。
イズモ国に与するということは、これらを
それは新しい豊かな暮らしに変わるということ。
山奥に住むあやしげな者たちのほかは、競ってイズモ国に与することになった。
そうして人は地にあふれた。
自然の調和の中で生かされてきた未開の民が、
人々は急速に変わっていった。
豊かになったことで、富を奪い合う争いは増えたが、元の暮らしに戻ろうとする者はいなかった。
イズモ国は、サヒメ山から
さらに海を挟んだ大陸の一部まで侵略の手を延ばし、広大な
こうして、驚くべき短期間で並ぶものなき大国となったのだ。
人々は荒神スサノオ大王を多いに
そうしたイズモ国の片隅、人里から遠く離れた辺境、神域と呼ばれる山奥で、森を駆けるふたつの影があった。
巨人と少年が、深い森の中を駆けている。
浅黒い岩のような分厚い筋肉に覆われた巨人。
まるで岩山が駆けているかのようだ。
人間離れしたそれは、そう人間ではない。
山の神オオヤマツミ。
それがその巨人、いや、巨神の名であった。
隣を走る少年の名はオオナムチ。
15年前に西の砂浜に船で流れ着いた赤子は、たくましい少年になっていた。
オオナムチは、走りながら弓を引いている。
ここは神域の森の中だ。
起伏が激しく木の根や石など障害物の多い森の中を、弓を引きながら走ることなど、普通はありえない。
しかし、オオナムチの
オオナムチの引く弓の狙いの先には、200キロはあろうかというイノシシがいた。
巨神とオオナムチは、逃げるイノシシを追って駆けているのだ。
「射よ」
「ラァ!」
巨神の合図で放たれたオオナムチの矢は、空気を引き裂いて進んだが、イノシシの左脇の地面に刺さった。
イノシシが驚いて右に進路を変える。
「下手くそが!」
「うるせえ!ジジイ!声かけんじゃねぇ!」
矢を外したオオナムチをなじる巨神。
なじられたオオナムチは巨神に対して『ジジイ』と悪態をついたが、たしかに巨神は山の神であり、永い時を過ごしてここにある。人で言えば老人の部類になるのだろう。
老人といっても筋骨隆々の巨神だ。
背丈は2メートルを軽く超えている。
その顔はいかめしく、スキンヘッドに濃い眉毛と長いヒゲ。鋭い眼光はビームを出してもおかしくはない。
そんな巨神を相手に、オオナムチは少しも畏れている様子がなかった。
右に進路をとったイノシシが崖にぶつかって止まった。
森の中に激突音と衝撃が広がる。
驚いた鳥が飛び立った。
全力の猛スピードで逃げてきて、行き止まりでも止まりきれなかったのだ。
そこは、崖と木に阻まれて進路が無くなっていた。
袋小路の行き止まりである。
血だらけの顔でイノシシが振り向いた。
「これを狙ってたんだよ」
「嘘をつけ。クソガキが」
オオナムチが勝ち誇って言うが、巨神はあきれたように吐き捨てる。
イノシシの目は怒りに燃えている。退路を塞がれて、向かってくる気なのだ。
死から逃れるには前に出るしかない。
前足で地面をかいて、今にも飛びかかってくる素振りを見せている。
「下手くそは座ってろ。これ以上、血が回ると臭くなる」
そう言って巨神はイノシシの前に出た。
イノシシをはじめとした獣は、殺すのに手間取ると肉に血が回って臭くなる。
美味しく食べるためには、すばやく仕留めて内蔵をはずし、川で洗って血抜きをすることだ。
巨神は無手だ。
人間が野生動物に立ち向かえるようになったのは、弓矢が発明されてからである。
道具を持たない人間は、野生動物にとって脅威になりえない。
しかし、巨神は非力な人間ではない。
岩山のような筋肉の塊、山の神なのだ。
巨神が前に立つと、イノシシは
動きが止まったのだ。
己より強き者がわかるのか?
いや、それもあるだろうが、巨神の放つ暴威が
「もらい」
イノシシの額に深々と矢が刺さった。
一瞬遅れてイノシシが倒れる。
オオナムチは動きを止めたイノシシの隙を逃さず、すかさず射止めたのだ。
「俺の勝ちだなジジイ」
「クッ、黙って血抜きをしろ」
巨神は一瞬、不愉快そうな表情を浮かべたが、それ以上、とくに
オオナムチは巨大なイノシシの足を蔦のロープで器用に縛り、川まで軽々とかついでいった。
筋肉質だが中肉中背で、見方によっては
オオナムチもまた人外の
山中を流れる川だ。
ごろごろとした石の起伏の間を白い糸のように水が流れている。
雪解け水は冷たく透き通っていて、触れると手足が痺れるようだ。
ナイフでイノシシの腹を裂き、内蔵を取り出す。
川の深くなっているところでイノシシの血を洗い流し、流されないようにロープで固定し、川の水にさらした。
しばらくこうしてさらしておけば、血抜きの作業が完了する。
ここまでをいかにすばやく行えるかで、肉の旨さが変わってくる。
オオナムチは、イノシシを川にさらしている間に川辺の香草を集めてまわった。
そして、川からイノシシを引き上げると、空洞になったイノシシの腹に香草を詰めた。
「マアマアうまくなったじゃねぇか」
「もう
「口の減らないガキだ。帰るぞ」
家に帰ってイノシシをスープにする。
家といっても天然の洞窟に手を加えたものだ。
奥のほうはどこにつながっているか、いまだに少年は知らない。
「おや、誰か来たぞ」
巨神の言葉に、オオナムチは驚いていた。
ババ様のほかに、誰かが訪ねてきたことなど、いまだかつてないのだ。
この山は神域であり、人が入ることができない結界が張られている。
(どうやって?誰が来た?)
オオナムチは洞窟の外に向かった。
神域の洞窟に訪れた客人は、オオナムチの人生を大きく変えることになるのだった。
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