赤い衝動

林檎をほおばる音だけのカセットテープを聴いてから、うまく息ができなくなってしまった。あの紅い実がしゃくしゃくと崩れて、ぼくの心臓がバラバラになって、甘い蜜だけが溢れかえるアイロニーの最中。あなたの笑い声と重なって、しゃくしゃく、しゃくしゃく。かじりつく痛みが慟哭の予兆を連れてきた。



殴り殺したい夢をみて、でも本当にはできず、目が覚める。燻りながらも起き出して、今日も一日がはじまってしまった。おだやかに昼中は過ぎて、なにに怒りを向けていたかさえ忘れてしまう始末に笑うしかない。夕暮れ時、空には傷痕があって、お前を殴ったのは誰だ、と問いかける。拳が、赤く染まった。



あの頃むさぼるように愛を捕食していた私は、相当に醜かったでしょうね。文庫本の文字が真っ赤にかがやいて、指でなぞるとねっとりと、私の皮膚にまとわりついて。拭いたくないあたたかさが神経を侵して、それなら舌で掬えばいい、なんて。飲み下した著者の血が、私の中にも流れてしまえばよかったのに 。



新品の靴に足を入れる瞬間は、晴れやかな気持ちと少し窮屈で心許ない気持ちをつれてくる。靴擦れは過去にすがっている証拠、と教えてくれた人はもうどこかにいってしまって、私はひとり、この靴に馴染まなければならない。絆創膏の裏をながめて、真新しい皮の赤さを知って、変わることの痛みを知って。



絶望的に静かな音は、過剰な呼吸をしずめてはくれなかった。むしろそれはわたしの苦しさを際立たせて、肺腑に押し寄せる冷たさで、孤独が脈を震わせる。硝子越しにのぞく景色の、濡れそぼつ紅い葉は、わたしと同じ色をしていて、ひとりきりではないんだと眩暈のなかに懐かせる。冷たい掌は、きっと幻。



 煤けた色の音楽がすきだったね。この世界はあまりにも居心地が悪すぎて。リリックにすがって生きていたね。つんざく音に意識をすべらせれば、ヒーローになれた気がして。妖しい光はきらめいて揺らめいて、幻想に酔うにはひどくお似合いな夜だった。僕らはまだ若かった。鈍色の瞳に憧れてあかくあがく。



 薔薇にはなれなかったんだ。あの燃えるような真紅で、魅了させたかったよ。どんなに血を捧げてもこの運命から逃れることはできなくて。滴る赤は潤沢な花びらの上で淡く揺らぐ。桃色に染まるそれをきっと愛と呼ぶのだろう。お前に言ったら嘘だろって笑うだろうな。だから俺も光に紛れて笑う事にするよ。



感傷からでた血液が紅葉に紛れてどこかにいってしまった。それはあかい、燃え尽きる寸前の夕日の色でもあり、秋風にたたずむ薔薇の花色のようでもあって、貴女によく似合う色だったな、とこぼした声があまりにも澄んでいて、空虚にひたる僕が生まれてしまったよ。貴女の整った唇が形づくるのは、甘く艶やかな香りと、またね、とつぶやく秋の契り。

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