色彩標本帳
森山 満穂
青の記憶
「愛を叫ぼう」命を産み落とすようにそっと、歌声は締めくくられた。彼は静かに笑みを湛えて目を瞑り、生配信された四角い画面の中で永遠に眠り続けた。命の終わりに歌は寄り添い、そして人々の心に息衝く。ささやかな愛の歌はぽつりと空洞を塞いでいった。空が藍色に染まる頃、世界中が愛を口遊んだ。
微睡みの中でみた淡色の瞳には見覚えがあった。追憶の彼方を見つめるようなその色は、インクにするには優しすぎて、書き留めてはおけないね。色褪せてもこの胸に残る鈍痛は、じんわり儚く散ることを許さない。夢が覚めてしまう前に君の言葉を小さな花びらに書き留めた。forget me not.
秘密を抱えたとき、世界はこんな色になるんだ。不確かな想いを混ぜ合わせるように僕らはあいまいな色に囚われて、ただただ霧に溶けていく。隠さないで、と君は言うけど、そんなことできるはずないんだよ。鮮烈な色で傷つけるより、僕はとるに足らない色として消えていければそれでいい。
明日世界が終わるなら「終わりたくない」と叫ぶだろう。溢れる言葉は青い吐息へ。燕となって人々の脳に滑り込む。彼らは理性と結ばって、時間をひき止める術を探させる。飛び交う一縷の望みが忙しなく闇夜に光の繭を描く。伝染したのは意思か息吹か。空が青く晴れ渡る頃、「生きろ世界」と皆が叫んだ。
天の川、観れるよ。完璧な雨空を背景に君は笑って言った。この雨じゃ、と呟く僕を連れ出して、紺色の傘に二人おさまる。しゃらしゃら、と星の光をとかしたみたいな、雫が傘地に降り注ぐ。一等輝く二星を無数の光が繋ぐ軌跡を、君は指先で奏でるように辿る。ほらね、君が笑うから時を止めてと星に願った 。
その小さな花びらからこぼれた露が、あなたの涙だと気づいた時にはもう遅かった。衣の裏に隠した想いは、涙を飲みすぎて深く、静かな哀に染まっている。夕べの空はあまりにもそれと似ていて、煌々と浮かぶ月はあなたの涙のあとだろうか。はらり、零れ落ちた露が琴線を優美に揺らした。
「君は宇宙」と歌っていたあの頃、僕たちはまだ群青の一部だった。この広い銀河の中、煌々と光る星に憧れて、ただただ浮遊する小さな欠片。いつかあの星みたいになろうと語り合った。もう君と僕の輝きは何億光年も離れているけれど、名もない僕にくれた言葉は「君も星だよ」
僕は歌う「君は宇宙」と。
翼があれば、よかったのに。置き去りにされた日記帳の、最後の一行にそう記されていた。なんの変哲もない黒いインキで書かれた文字は、たしかにそこに佇んで、太陽にうたうように瑠璃色に輝く。ページを捲るたび、るるる、とうたっては、小さく笑って手をふった。私が翼を描いたのに、飛び立つきみを追いかけられなかった、あつい夏。
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