習い事

 日曜日の午後、家でごろごろと過ごしていたイチヒメとニタローは、母から夕飯の買い出しを命ぜられた。

 小学生のころから変わらないおつかい用のスヌーピーの財布に、二千円と買い物メモを持たされ、へなへなのエコバッグをぶら下げて、二人はスーパーへ出かけた。


 メモに書かれた野菜や肉をカゴに入れていくと、思ったよりも量が多い。

「これ、二千円で足りるのかな… ちょっとニタロー、あんたずっとそろばん習ってたんだから暗算できるでしょ、エアそろばんみたいなあれで」

「えー、今はスマホも電卓もあるから、そっちを使うよ。ああいうのは手と頭を動かす毎日のトレーニングあってこそのもんだ」

「ふうん。あんなに見取り算だの伝票算だのやってたのに、今や特段デキルわけでもない若手中級サラリーマンとは悲しいね」

「そっちこそ、習い事いっぱいやってただろ。ピアノと水泳と習字と…」

「あと絵画教室と英語塾」

「俺はそろばんだけだったじゃん。かけてもらった金額が全然違うけど、そっちも結局フツーの会社員だろ」

「そうね、ピアノも買ってもらったしね」

「今、洗濯物置き場みたいになってんじゃん、ピアノ」

「まあ、誰も弾かないからね」

「そもそも、姉ちゃんはなんであんなにいっぱい習い事やってたんだっけ」

「私にもよく分かんないよ。だいたい、母さんが近所の誰それちゃんと一緒に見学に行ってみない?って言ってきて、見学に行ったらもう入る前提みたいな感じで、そのまま」

「姉ちゃんがやりたいって言ったわけじゃなかったのか」

 ニタローは少し驚いた。記憶の中のイチヒメは、どの習い事にも真面目に通い、優秀な成績をおさめていたからだ。

「そうだね。でも、別に嫌でもなかったから、辞めるっていう理由もなかった」

「けっこう賞とかとってさ、誉められてたじゃん」

「うーん、私はどの習い事も、それぞれの先生に言われたことをどうにか達成しようって気持ちだけでやっていたんだと思う。自分がこうなりたいとか、逆にやりたくないとか、そういうのは考えないで、ただ言われたことをやらなくちゃって」

「ほぼ毎日習い事でさ、遊ぶ時間がないとか思わなかった?」

「少しは思ってたかもしれないけど、もしどれかを辞めたとしたら、その時間がぽっかり空くじゃない。そしたらきっと、その時間帯はずっと、自分は親や先生を裏切ってなぜ辞めてしまったのかなって考えてしまいそうだった」

「習い事辞めるのは別に裏切りじゃないだろ」

「ね、今思うと可笑しい。でも、なんかそういう風に思っちゃってたんたよね。だから」

 イチヒメが続けようとしたそのとき、レジの順番が回ってきて、二人の会話は途切れた。

 だから、そろばんの級をあげようと自分で頑張っていたニタローはすごいと思ってた、とイチヒメは心の中で続けた。

 合唱コンクールとかで伴奏のピアノを弾いてる姉ちゃんはわりと自慢だったよな、とニタローは思っている。

 お会計は、ニタローの暗算通り、1986円だった。

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