星無本邸

 本当に無事に何事もなく車は星南市に到着する。


 私はウトウトし寝返りも何回か打った。その間さりげなく星無さんのお腹から背にかけて抱き枕替わりに手を伸ばしてみて。彼が何も言わないのをいいことにそのままクールな匂いを嗅ぐ。……変態みたいだけど、安心する。


 周囲の気配で、停車し目的地に着いたとわかる。ドアが開くと、ふわっと甘い春の匂いが、心地よい風に運ばれて鼻腔をつく。

 先に彼が降車し、差し出された手を握って降りる。


「降りられるか?」

「はい」


 地面に足が着くと、「失礼」と彼は断り、また私をお姫様抱っこする。


「えっ……?」

「無理するな」

「あ、はい。ありがとうございます……」


 彼はゆっくりと歩く。


 星無邸は和モダンな庭園つきの平屋で、2メートル位の高さのグリーンの門に囲まれている。入口は白柱のアーチで、玄関へつづく石畳には桜の花びらが散り敷かれ華やか。和洋折衷、非日常すぎて別世界に来たみたい。


「お邪魔します」

 

 玄関をくぐる。彼は私の靴を器用に脱がせ、ダイニングのソファにそっと座らせる。

 十六畳程で、部下たちは別棟に帰ったのでこの建物内には二人だけだ。


「ありがとうございます」


 立派な邸宅を。この若さで、我が物顔で闊歩して。お手伝いさんは見当たらないけど配下を何人も従えている。どれだけ苦労したのかあるいは親の七光りとか。


 ソファに横並びに座ると彼は言う。


「手当する」

「え。でも……」

「背中じゃ自分で薬塗れねーよな?」

「あ、うん」

「前は見ないから。俺、女に困ってないし」

「わかりました……」


 そこまで言われては断る理由もなくなるし……。

 下着まで外すとスース―する。


「ごめん。借りたコート、血で濡れてるかも」

「いい。気にするな。痛かったら言えよ」

「痛いっ」

「早すぎ。まだ、塗ってもいない」

「うう……。優しくしてください」

「わかってる」


 消毒液を塗布する彼の手つきが気遣い過ぎて逆にくすぐったい。


「……ふふっ」

「? どうした?」

「いや、くすぐったくて」

「……痛くないならいいけど」

「笑っててごめん……ふふ……ふふふふふっ」

「怖いよ」

「ごめんてば」


 これ以上、笑いださないよう両手で口を押さえる。

 しばらくして彼はガーゼを患部に貼ると、シートで背中や二の腕を拭いてくれる。


「今日は風呂入れないからな」

「それは自分でできるよ」

「背中は拭けないよな? いま一生懸命やってる」

「ありがとうございます……」


 大人しくしていると、ふいに彼は急にわきの下から腕を出す。


「あ、ごめん」

「……」


 彼の手が胸に激突するので、思わず黙る。彼は、反対側から包帯を引っ張り胴体に巻いてくれるようだ。何回か胴体に巻き付けるのでそのたびに触れる。


「……わざとでしょ?」

「わざとじゃない。本能?」

「変態っ」

「誉め言葉だね」

「はぁ」


 こんなすけべ野郎だけど、行く当てのない私はここに留まるしかないのだろうか……? 早く稼げるようになって自立したい。


「そう言えばお兄ちゃん、あの家に引き籠ってて部屋から出てこないんだけど、どうなったのかな?」

「……ん?」

「私の兄貴が引き篭もりで収入ゼロで学歴なしだけど、母の遺産? とかで生きていけるのかな?」

「さっきの家のことか?」

「うん。お兄ちゃんがいるから」

「報告が来てないな。から大丈夫だろ」

「なら……いいんだけど」

「死体が他にもあれば、現地に残した護衛から連絡が入る。心配しないで自分のことだけ考えてろ」

「うん……ありがとう」

「よし……できた」


 彼は立ち上がり、別の部屋からスエットの上下を持ってくる。


「着替えて」

「あ……はい」


 ここで? どこで?

 私がドギマギしているのを見抜き、彼は笑った。


「そんなに緊張するなよ。寝室で着替えて」

「はい」

「お腹空いたら冷蔵庫のもの何でも食べていい」

「ありがとうございます」

「俺はこれから出勤する。辛いときに一緒にいれなくてごめん」

「いいえそんな」

「危ないからこの建物から出るなよ?」

「わかりました」


 ふいに彼は顔を近づけ、頬のガーゼをいたわるように撫でる。


「濡れないように。朝起きたら、また手当する」

「わ。わかりました」


 彼が出ていくと、急に部屋が広くなる。心も、時間すらも全て体感は止まってしまったようなのに、現実の時は一刻一刻、流れてゆく。唯、星無さんの優しさが闇夜に灯った灯りのごとく私の心に沁みていく。

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