ハジマリ
わけがわからなくて傷みしかなくて痛いしか考えられない。
気がつくと敵は誰もいなくて身体も重いし怠い。寒い。
初牢の中に横たわる灰亜の方へ這っていく。銀柱に触れぬよう隙間から手を伸ばすと、それは掻き消えた。彼には私が見えているのかいないのかわからない。動かない彼の手を掴み、握りしめる。
「お兄ちゃん……」
ガラガラガラッ
唐突に玄関のドアが開いた。月雪母が戻ってきたのかと身を固くする。血塗れの灰亜を庇うように抱きしめ、入口に背をむけ顔だけ来訪者にむける。
知らない人だった。物凄く美麗で。彼は素早く辺りを見回し一瞬眉をしかめ舌打ちする。
「クソっ。間に合わなかったか」
アンニュイな黒目に激情を映し、背後の部下を制する。
「来るな」
それから真っ赤なスーツケースの中の肢体の生存確認をし、案の定首を横に振る。反対側の私の方へゆっくり歩いてくると目を合わせるようにしゃがみ込み、
「辛かったな」
と言い、着ていた黒いロングコートを脱いで私にかけてくれた。
「誰?」
思わず声は掠れた。
「俺は
「あ、戦士の家系の人」
「そうだな」
入学式、駅で見かけた親切な人だった。あんな綺麗な人間、見間違う筈もない。星無さんは話しながらコートのファスナーを閉めてくれる。彼は灰亜を一瞥、眉間に皺を寄せる。
「酷すぎる。こんなに弱かったか?」
……ん?
意外に辛辣すぎて星無さんに目をむける。
「開戸斗雪さん」
「はい」
「守るべき戦士を守り切れない護衛は要らない。これからは月雪家に代わり星無家が開戸さんを保護する」
「えと灰亜は……?」
「彼も当面ウチで面倒をみるしかない。怪我人を放ってはおけない」
ほっと私は息を吐く。
「灰亜の母親がこれをしたんです。だから月雪の家には戻さないでください、健康になっても」
「それは灰亜が決めることだ」
「なら選んだときはお願いします」
「仕方ねぇ」
彼のもつ雰囲気とことばがあって酷く物憂げだ。
「失礼」
そう断り、星無さんは私を抱き上げる。
「問答無用だ。一人で歩かせられない」
「ありがとうございます。あの母が」
私がスーツケースの方を見ようとすると、彼はまた眉根を寄せる。
「クソ、彼女は開戸さんのお母さまだったか」
「あの私、どうしたらいいか」
「お母さまの葬儀はウチが手配する。だからまずは出席できるよう回復してほしい」
彼は玄関から出ると、外で待機している十人くらいの配下たちに素早く指示を出す。
家の外には黒塗りのワゴン車が二台待機しており、内一台に乗り込むと発車する。運転席に一人、後部座席に二人。中央の椅子に星無さんと私だ。
星無さんは救急箱から消毒薬やらガーゼ、軟膏を出す。
「口を閉じろ」
「……」
真剣な彼と目があう。消毒液のついた綿棒が口元に当てられ、力加減の優しさに驚く。軟膏を塗りガーゼを貼り。両頬も同じように甲斐甲斐しく世話される。
「できた」
「……」
手当してくれるのはありがたいがガーゼやテープで覆われた顔面は凄く仰々しい。
「ありがとうございます」
「ここから本邸までは遠いので身体に障るかもしれない。辛くなったら必ず言え」
「はい」
親切を地で行っているのだろうか。優しさの塊みたいだ。
……それとも、何か利用価値があって私を丁重に扱っている、とか? 初対面の、それも傷物になった女の手当てなんて、周りの部下たちに任せればいい。
背もたれにおそるおそるもたれようとしたら、腕を引かれる。
「辛いだろ。横になれ」
「えっ……でも」
「膝くらい貸してやる」
「え……」
彼が優しい手つきで、しかし半ば強引に私を倒して寝かせてくれる。
「痛くなったらいつでも言え」
「ありがとうございます……」
今も十分痛いのだが。周りに人の目があるので背中を見せたくない。
彼がいろいろ私目線で気遣ってくれているのが嬉しい。さっきまではあんなに辛かったのに、星無さんのおかげで少し元気が出る。たとえそれが偽りのおためごかしであったとしても、親切な行動であることに変わりはない。
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