灰亜

生まれて十五回目の春。

私の住む大凪市の隣、雪花市にある公立雪花やよい高校の入学式は今日。


いにしえ、月雪家という巨大な地主がいたのが雪花市の名前の由来だ。

市内のほぼ全域を月雪家が所有していたが、第二次世界大戦後の混乱のさなかで没落し、現在では本家と僅かな分家がささやかに住まうのみ……と、いわれている。


自宅最寄りの鍵河駅から雪花駅までは一駅。

降車し、ホームを上がり改札へ歩いてる途中で、前の人が何かを落とす。

それを無視してると、私の後ろを歩く男性が拾い上げる。


「落としましたよ」


と、言って。


私の前を歩く人がそれを受け取り、感謝する。

思わず、落とし物を拾った男性を見上げると。


超絶美麗な横顔だった。二度見してしまう。

肌が綺麗で、アンニュイな黒目と通った鼻筋、唇はふっくらしている。

サラサラとして艶のある黒髪、黒いカットソーを着、同色のジーンズを履いている。


通勤・通学時間帯なので、彼は人混みに紛れてすぐに見えなくなってしまう。

外見のみならず行動も華麗で、私とはまるで違う。

……なんか、朝から疲れた、自分の汚さを見せられたようで。

落とし物が、落ちた瞬間を見たのに無関心な私とはまるで違う。


入学式には保護者も大勢出席していて、でも母はいない。

門出なのに差す水ばかり量が増えてく。


一学年は五クラス。私のクラスは二組で、新入生代表挨拶をしてた月雪灰亜ツキユキカイアがいて。

月雪家なら私立に通えばいいのに。同じ市内の、燦吾の雷高の方が偏差値も高いはず。


灰亜は、制服を着ているせいでスラリとして見えるが、きっと筋肉を鍛えている。

背は高く、黒髪で、頭のよさそうな顔をしている。当たり前か。


一度は話してみたいけど、話す機会はあんまりないんだろうな。

……はぁ。


入学式だから昼には解散で、でも。

家に帰りたくないし、お金もないので。

帰る新入生たちに紛れ逆方向へ。一年生の教室があるD棟から、職員室などがあるA棟へむかう。


A棟には図書室があり、昼休み前だからか人気もなく。それでも奥の方、入り口から見えづらい場所に座る。

飲食禁止の貼り紙を無視し、母親から渡された昼ご飯代で朝買ったコンビニのおにぎりを食べる。

誰かに見つかったら……と思うと心臓がドキドキして、ゆっくり味わいたいのに早食いになってしまう。


食べ終わると暇になり、さっきもらったばかりの教科書を開き、匂いでも嗅いでみる。


……バイトしたいけど校則で原則禁止、部活はお金がかかる。ケータイにはムダにフィルタリングがかかり。活字の海(本)よりマンガ派だし。……詰みだ。空いた時間にやることもなく。かといってダムに行くわけにもいかない。予習でもしようと思い、国語の教科書を読む。そのうち眠くなったので机にうつ伏せになり、意識を手放す。


……ふいに目が覚めた。


誰かが私の首筋をなぞり、ネックレスを触っている。あの夜、燦吾さんから貰った大切なものなのに。

寝たふりをし、様子を伺う。


「は? 何でこの子が……?」


聞き覚えのある声。まさかとは思うが……。

ネックレスを盗られる前に、身体を起こし、彼に言う。


「あげないよ」


そこにいたのは月雪灰亜で。彼は澄んだたれ目を瞠らせる。


「何で? これどうしたの?」

「あげないよ、って言ってるじゃん」

「いや、そうじゃなくて。誰から貰ったの? まさか燦吾?」


今度は私が驚く。


「燦吾を知ってるの?」

「やっぱり燦吾から貰ったんだ? でもどうして?」

「……秘密」


あの夜のことは、一般人である月雪くんには内緒。いくら顔面が美麗でも。

私が初めて人生に希望を持てた、大事な日の思い出だから。

……それも半ば絶望に変わりかけてるけど、すぐに諦められるほどじゃない。


「……ここで何してるの?」


月雪くんは質問を変える。


「寝てた」

「……確かに」


この子、少し抜けてるのかな? 私が寝てたの、訊かなくてもわかるじゃん。

だから進学校の雷高じゃなくて、やよ高なのかな。


「月雪くんこそ、何してるの?」

「あぁ……。開戸さんを探してた」

「……ん?」


ことばの意味を理解するのに数秒かかる。


「え、先生呼んでた?」

「いや違う。燦吾に言われて」

「燦吾に?」

「うん」


ますます訳がわからない。燦吾に会ったのは半年以上前の話だ。


「今日一日、『開戸斗雪さん』についてるよう言われた」

「何で?」

「俺が知りたい」


理由もわからないのに燦吾の言うことを聞いてるあたり、月雪くんも素直なのか、それとも燦吾に弱みを握られてるとか。


彼が隣の席に座り、スマホをいじりだしたので言う。


「ストーカーみたい。やんなくていいよ」

「つきまとってない」

「じゃ隣に座らないで」

「……」


無視される。


じっと視線を彼にむけるけど、月雪くんはそしらぬふうでスマホから顔を上げない。

それで私は再び寝ようと思ったけど、よく考えれば、イケメンと室内に二人きり。


図書室なのに、昼間に利用する人が全くいないようだ。


なんか目が冴えてきた。

私みたいなフツーの子が、月雪くんと自由に話せるなんて。

こんな機会二度とないだろう。


「ねぇ月雪くん」

「ん、何?」

「燦吾は雷高なのに、何でやよ高なの?」

「俺?」

「うん。頭よくないの?」

「……直球すぎ。いろいろ理由があんの」

「どんな?」

「初対面の子に言う話じゃない」

「……わかった。ごめん」


やっぱり頭よくないんだ。見た目とは違うギャップ。

気にしてるみたいだし、触れない方がよさそう。


彼が顔をこちらにむける。


「開戸さん寝ないの?」

「う~ん、目が冴えちゃった」

「あ~ごめん。俺が」

「棒読みだね」

「そんなことない」

「……」


また無言がつづく。

月雪くん、したくもないのに私のお守りをして、やっぱり可哀想だ。


「……いいよ。」

「……ん?」

「教えてあげる。……このネックレス外すと私死んじゃうんだ。燦吾が言ってた。だからあげられない」

「……ふーん」

「じゃおやすみ」

「……」


月雪くんと少し会話できた。満足して、私はまたうつ伏せになり、目を閉じる。


……差し込む陽が橙色に変化して、夕方になる。


「ん……っ」


起きて伸びをし、フワ~と欠伸する。何か肩がバキバキになってる。変な体勢で寝ていたからだ。ちらりと見ると、まだ月雪くんがいる。


ケータイを見ると、四時。まだ早いけど。


「帰ろう」


と、彼に提案する。


「いいけど。少し待って」

「予習?」


と、彼の手元を見て言う。携帯に飽きたのか、教科書を開いている。


「うん。今夜できるかわからないから」

「何それ? 用事あるの?」

「まぁねー」


それから彼と共に図書室を出る。

授業中なのか、上級生の時間割はわからないけど、廊下は閑散としていた。


「俺チャリだけど、開戸さんは?」

「私はバス」

「駅まで? 電車で帰る?」

「うん」

「なら俺もバス乗るか」

「駅に用事があるの?」

「え? 話聞いてた? 開戸さんを無事に送らないと燦吾に怒られるんだけど?」

「怒られるまでは聞いてない。ストーカーみたいについてくるの?」

「燦吾に頼まれてるから」

「弱みとか握られてるの?」

「燦吾に? いや? 」

「なら、わけわからないのに言うこと守らなくていいんじゃないの?」

「燦吾は目的もなく依頼しない」

「ふうん」


彼は頑なだ。燦吾の命令から解放するのは無理そうだ。

でもいったい、私についていて何があるんだろう?

ひとまず別角度から攻める。


「なら明日クラスの話題になりたくない」

「話題? 俺と二人で帰ったって? 女子にひがまれるって?」


彼はおもしろそうに笑っている。


「うん。苛められたくない」

「それなら俺も開戸さんと二人きりで帰ったって男どもから嫉妬されるだろうなぁ」

「え? そんなことないでしょ。月雪くんにあって私にないのは地元での権力とか財力だよ」

「うん? なら美貌はあるってこと?」

「違う。私のような平凡な子は、いいようにやられちゃうけど。月雪くんには大きなバックがあるから手出しされないって意味」

「大丈夫。俺のダチに手を出したら俺がそいつをボコボコにしてやるから心配すんな」

「手を出される前に助けてほしい」

「あははっ」


……


それは唐突だった。

校門を出ると、闇に呑まれた。

音も視界も感触も黒く塗り潰される。心が冷える。

星なき夜の暗さとは比べ物にならないほど圧迫され、泣きそう。

近くにいるはずの月雪くんもいない。


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