2-2 異世界へ……(?)
「何だ、ここは……?」
呆然と呟きながら、あたりを見回す。
木々が生い茂っていて、新緑の葉の隙間から日の光が差し込んでいて。
上の方だけ見ていればまあ、どこの山奥にでもある景色だろう。
問題は足元だ。草に混じってありえない植物が生えている。たとえばそう、棒の先に丸い紫色の綿菓子をつけたみたいなものとか。
「たんぽぽの綿毛?」
――いや違う。似てはいるが、色が変だしやたらとデカい。
目を疑うような奇妙な植物はそれだけじゃなかった。虹色のクローバーや、昼間なのにもかかわらず、蛍のように光る花まである。
最初は驚いたものの、ここが夢の中だと気がついて落ち着きを取り戻した。
夢の世界ならどんな奇妙な植物が存在していても不思議ではない。
現実世界にもありそうなものもあった。俺の背と同じくらいの高さがある。
陶器で作られた噴水の置物だ。
美術品に興味はないのだが、不思議な魅力を感じて吸い寄せられるように近づいた。
日の光を反射してキラキラ輝く水が、一番上の小さな皿からあふれて少し大きい二段目の皿、そして一番大きな三段目の皿へと落ちていく。
喉の渇きを感じて、一番下の皿にたまった水を両手ですくって飲んだ。
口元を拭ってから水面に視線を落とすと、奇妙なことに気がつく。
反射して映るはずの自分の姿がない。
日の光に照らされているにもかかわらず、まるで暗闇の中にあるように、三段目の皿の中は底が見えない水たまりになっていたのだ。
どうなってるんだろう……。
「飲んじまって大丈夫だったのかなこれ……」
そういえばさっきからかすかにゴオオという地響きみたいな音がしているが、それも不気味だ。
どこから聞こえてるんだ?
何気なく背後を振り返り、俺は思わず目を見開いた。
遠くにある木々が、奥から順に、一定方向に向かって倒れていくといった恐ろしい光景を見たのである。
例えるなら、俺が今立っている地面から視線の先までまっすぐ線を引いて、その線に向かって木が両側から倒れているといった感じだろうか。
頭上の空は晴天なのに、そっちの方は空が赤く染まり、黒い雲で覆われていた。
西側の崩壊。
リオラなんとかが言っていた言葉を思い出す。
そこからふと“境界線なき泉”という単語が浮かんで、目の前の噴水と結びついた。
ひょっとして、ここはさっきまでリオラとイナノエルタがいた場所じゃないだろうか。
後方の黒い雲はどんどん大きくなっている。とうとう地響きが足元にまで伝わってきた。
まずい。このままじゃ死ぬ……!
夢だから死なないだろうとか、そんなこと考えている余裕なんてなかった。
竦む足に鞭打って走り出す。
後方を振り返ると、まっぷたつに割れている地面が見えた。
まさに崩壊と呼ぶにふさわしい地獄絵図だ。
視線を真上に移すと、頭上がだんだん赤く染まりはじめている。
前方に見える、まだ青いままの空を追いかけるようにして駆け続けた。
「はあ、はあ、はあ……っ」
どれくらい走ったのか分からない。たった数分くらいかもしれないが、今まで出したことのない速さで全力疾走したせいか息が苦しくなってきた。
もう限界だ。
あきらめモードになった俺を、さらなる不幸が襲う。
「ぐおおおおおおおお」
「え、何!?」
右の方に獣らしき影が見えたと思ったら、そいつがとんでもない速さで俺の方に向かって突進してきたのだ。
目をこらせば、ふたつの頭を持ち、角を生やした豚みたいな化け物だということが分かった。大きさは牛くらいだろうか。
「のわああああああああああ!」
化け物と同じくらいの声量で叫んで、止まりかけていた足をふたたび前に動かす。
何かもう、つんのめってるみたいな走り方だった。
右側から迫りくる化け物から逃げるため、左に方向転換したわけだが……。
この行動は失敗だとすぐに気がついた。崩壊が進む西側とは並行する形になり、割れた地面が生み出す奈落底にダイブするリスクが上がってしまったからだ。
慌ててもとの方向に身体を戻そうと速度を落とした時、すぐ後ろで化け物の咆哮が聞こえた。
「…………ッ!」
悲鳴を出す間もなく、背中をものすごい痛みが襲う。血がついた化け物の前足を見て、鋭い爪で引き裂かれたのだと察した。
立っていられずに、膝から崩れ落ちる。
「うう」
痛え。めちゃくちゃ痛え!
何だよこれ、おかしいだろ。夢なのに、夢のはずなのに、どうしてこんなにリアルな感覚なんだ!?
「ぐ……っ」
地面に倒れ込む直前、化け物が二本足で立って前足を振り上げたのが見えた。
痛覚があるだけに、夢だと分かっていても怖い。
全身を何度も切り裂かれ、食いちぎられるという未来を、嫌でも想像してしまう。
逃げなければ殺される。
頭では分かっていても、立ち上がることはおろか身をよじることすら叶わなかった。
――絶望に目を瞑ったその時だ。
「シュヤララク!」
凛とした声が俺の耳に届いた。
この声には聞き覚えがある。
リオラアゼル……ミドル? 何だっけ? いや、今はどうだっていい。とにかくリオラなんとかのものに違いなかった。
「せいりゃあああッ」
と、力強い掛け声が聞こえた次の瞬間。肉を切るような鈍い音がして、化け物の断末魔が辺りに響いた。
「……?」
地面に額をくっつけた状態から、何とか顔を横に動かす。
血を流して倒れる化け物の前に、RPGゲームに出てくる戦士みたいな恰好をした女の後ろ姿があった。
綺麗なオレンジ色の髪を丁寧に編み込んでアップにしている。どこかのお姫様みたいで、身に着けた鎧とは少々不釣り合いに思えた。
「リ、オラ……?」
喋るのがと苦しいのと、後半部分に自信がないという理由から最初の三文字だけで呼んでみる。
すると彼女は思い出したように俺を振り返った。
「シュヤララク! 大丈夫!?」
剣をしまって駆け寄ってくると、俺の顔を覗き込む。
意思の強そうな瞳。キリっと引き締まった薄い唇。やたら整ったその顔立ちは、声の印象とぴったりだった。
「イナノエルタ! 早く来て!」
彼女が叫ぶように呼ぶと、少し離れた場所から呆れたような声が返ってくる。
「急に走り出したと思ったら今度は何ですの? 危ないから神殿にいようとあれほど」
それからすぐに、丈の長いワンピースの裾を持ち上げて走るイナノエルタと思しき女が姿を現した。
腰まで伸ばしたふわふわの銀髪。その片方を服と同じ白色の花で飾っている。
リオラが姫っぽい戦士だとしたら、彼女の方は正真正銘本物のお姫様といったところだろう。
草むらに突っ伏している俺に気がつくと、イナノエルタは血相を変えて近づいてきた。
動きどうにもたどたどしい。
何度も転びそうになりながら傍までくると、彼女は俺の前にしゃがみ込んだ。
「シュヤララク様! このお怪我はいったい……!」
「ゴーツにやられたみたい」
動かなくなった化け物を見やりながらリオラが答える。
「ゴーツ? どうして彼がそんな下級の魔獣に?」
「分からない。でも、もしかしたら力をなくしてるのかもしれないわ。とにかく治療して!」
「ええ! 言われずともそうします」
『ええ!』って、道具とか何も持ってませんよねお姫様?
何をする気?
どうやって治すつもりなのか聞きたいが、苦しくて上手く声が出せない。
探るような目を向ける俺に、イナノエルタは安心させるように優しく微笑んだ。
リオラほどの迫力はないが、こちらも現実世界では中々お目にかかれないほど綺麗な顔をしている。
デカすぎる胸が邪魔で、この位置からだとちょっと見えづらいけど。
密色の瞳を細めながら、彼女は艶やかな唇を妖しく釣り上げた。
「じっとしていてくださいね、シュヤララク様」
相変わらずの色っぽい声で告げると、そっと背中の傷口に触れてくる。
触れられた部分がじんわりと暖かくなった。心地よさを感じていると、だんだんと痛みが消えていく。
「はい。治りましたわ」
「え? 嘘だろ」
どうやら嘘じゃないらしい。ちゃんと声が出せるようになっていた。
触っただけで怪我を直すとか、お姫様じゃなくて魔法使いだったのかこいつ。
剣士と魔法使い。
夢の舞台はどうやら王道RPGだったようだ。
ついこの前クリアしたゲームでは、回復役は魔法使いじゃなくて僧侶だったから、剣士と僧侶の組み合わせかもしれない。
その仲間である俺の職業は何だろう?
銃使いか、武器を使わない格闘家か。できればゲームで使い慣れてるランサーだとありがたい。
「ちょっと! ぼんやりしてる時間はないわよ。崩壊に巻き込まれたらおしまいなんだから!」
リオラに二の腕を掴まれ、無理やり立たせられる。
「え?」
「え、じゃない! ほら早く! 神殿へ!」
彼女は俺の腕を引っぱりながら、ものすごい勢いで走りはじめた。
早すぎる。
早すぎてついていくのがやっとだ。ちょっとでも気を抜いたら転びそう。
「何してるの、イナノエルタ!」
イナノエルタはやっぱり運動が苦手なようで、よろよろと後ろを走りながら、急かすリオラに言い返していた。
「わたくしの足が遅いことはご存知でしょう? だいたい、人を呼びつけておいてそういう態度はないと思いますわ」
「うっさい! 鍛え方が足りないのよ」
さすが剣士なだけあって脳筋のようだ。
「貴女のような野蛮人と一緒にしないでくださいな」
一方的に虐げられているのかと思いきや、こっちはこっちで意外と気が強い。
「誰が野蛮人ですってぇ? この尻軽女ッ!」
「そういう物言いが野蛮な証拠でしてよ」
「んああああアナタのその気取った喋り方、ほんっとうにむかつくわね!」
「わたくしだって、リオラミトルアルゼの下品な言葉遣いが心の底から大嫌いですわ!」
あれ?
何か、仲悪くねぇかこいつら。
軽口の叩き合いというよりも本気の言い争いに聞こえる。
器用に喧嘩をしながら走り続けるふたりに、俺はぜえぜえと息を切らしながら問いかけた。
「な、なあ、お前らそんな調子でラスボス倒せるのか?」
「らすぼすって何よ」
リオラが怒った顔のまま、イナノエルタから俺へと視線を移す。訝し気に細められた瞳は、獲物を見定めるネコ科の猛獣を連想させた。
この剣士、確実にレベル90以上はありそうである。わざわざパーティ組まなくてもひとりで戦えるんじゃないのか。
「ラ、ラスボスってのは最後に出てくる一番強い敵だよ。俺たち王様の依頼でそいつを倒しに行くんだろ?」
気圧されてしどろもどろに答える俺は、きっとレベル3もいってないに違いない。
「え?」
リオラの厳しい表情が一転して曇り、奇妙なものを見るような目つきに変わった。
「いったい何を言ってるの?」
不安げな声を漏らしたと思ったら、心当たりがあるようにハッとした表情になって足を止めた。
「リオラミトルアルゼ? どうしたんですの?」
追いついたイナノエルタが石のように固まったリオラに声をかける。
リオラはイナノエルタには構わず、俺の方をまっすぐ向いておそるおそる聞いてきた。
「まさかアナタ、自分が置かれてる状況が分かってないとかじゃないわよね?」
「分かってるよ。俺はシュヤララクって名前で、お前らとパーティ組んで魔王と戦ってるんだろ?」
一応空気を読んで、『そういう設定なんだよな』というメタな発言はしなかった。
俺なりに気を使ったつもりなのだが、ふたりの表情がみるみる凍り付く。
長い長い沈黙の後、先に口を開いたのはイナノエルタの方だった。
「……とにかく今はここを離れましょう。話は神殿についてからです」
――あれ、もしかしてハズレだった?
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