参 ナツの幻惑

「――困ったことになりました。関東では湘南、関西では須磨の海水浴場を筆頭に治安の悪化が問題になっています」


 「熱いぞ! 熊谷」のキャッチフレーズで有名な熊谷市で41.1度の観測史上最高気温を記録したその日、加藤が眉を「ハ」の字にして困惑した様子で夜具内に告げる。


「治安の悪化? まあ、家族連れをはじめ、海水浴客がわんさか来るだろうからな。そこを狙ってスリや置き引きが横行してるってとこか?」


「いえ、そうではありません。むしろ、その家族連れが遊びに来れない状況になってるんです」


 加藤の話にそんな推測をする夜具内だったが、困った顔の若き官僚はなぜか首を横に振る。


「どういうことだね?」


「原因は若者達ですよ。今年に限ったことじゃないですが、夏の海水浴場にはナンパ目的の男女ばかりが集まります。その上、いわゆる〝パリピ――パーリーピーポー〟と称される輩がマナーを守らない行為を繰り返し、おまけに海の家まで彼らに合わせてクラブミュージックなんか流すもんだから、もう浜辺は家族連れなんか近づけない混沌状態と化しているんです」


 眉根を寄せて尋ねる夜具内に、加藤は肩を竦めながら、やれやれというように説明してみせた。


「ハァ……暑さ対策だけでこっちは手いっぱいだっていうのに、そんな心配までしなきゃならないのか……さて、どうしたものやら……」


「なあに、それなら今回も日本の古き良き伝統ってのに力を借りようじゃないか。〝美しき国、日本〟ってやつを取り戻してやろうぜ」


 今日もまた、額に手をやって深い溜息を吐く夜具内を見て、六本木が何か妙案を思いついたらしく、どこか愉しげにそんな助け舟を出す。


「古き良き伝統?」


「ああ、古き良き時代の〝パリピ〟の楽しみ方ってやつをガキどもに教えてやる」


 連日の熱さと重責に少々夏バテ気味なのか? 机にうっ伏し、頭を抱えて見返す夜具内に、六本木は含み笑いを浮かべながらそう答えた――。


 二日後、江の島対岸の海水浴場……。


「――ねえねえ、君達、どこから来たの~? うちらと遊ばな~い?」


「イェーイ! 湘南サイコー!」


 際どい水着の若い男女が砂浜を行き交い、ナンパやパリピが跋扈する混沌の極みと化した湘南の海岸……だが、彼ら浮かれ騒ぐ若者達の知らない所で、奇妙な車両の一団がその無法地帯へと近づいていた。


 選挙用の街宣車に紅白幕を張り、普段は立候補者や応援の政治家が立つ屋根の上の台にはなぜか櫓が組まれ、さらにその上に和太鼓が積まれている。


 その数10台あまり……各々適度な距離をとって海岸を見下ろす道路に陣取ると、各櫓の上には法被にフンドシ姿の演奏者が素早く駆け上がり、バチを大きく頭上に掲げて滞りなくスタンバイする。


「各車、準備完了しました!」


「よーし! オペレーション〝盆ダンス〟開始!」


 双眼鏡で各車を確認し、部下の自衛官が報告を行うと、陸上自衛隊娯楽・演芸係官の種林礼二たねばやしれいじが号令を下し、ついに六本木の考えたマル秘作戦が実行される。


 ドドン、ガッ、ドン…!


「あ、そーれっ!」


〝月が~出た出た~月がぁ出たぁ~あヨイヨイ〟


 和太鼓演奏者の拍子と合いの手に合わせ、各街宣車のスピーカーからは大音量で「炭坑節」が流れ始める。


「なにこの音楽~? なんか昔っぽくってぜんぜん盛り上がらないんですけどお~」


「うるさくて海の家の曲聞こえないし。これじゃ、さっきまでのクラブの雰囲気、台無しじゃね?」


 最大ボリュームの「炭坑節」によって瞬く間に湘南の海は覆い尽くされ、それまでのクラブだった砂浜は、一瞬にして〝盆踊り〟の会場へとその空気を一変させる。


 それにより、若き日を懐かしむ老人達が集まって来るとともに、大勢を占めていたナンパ師やパリピ達はその姿を次第に消してゆき、やがては家族連れの海水浴客もだんだんに戻ってくるようになった。


この成功を機に同様の作戦が各地で遂行され、六本木の目論見通り、海水浴場は本来の安全に子供達が夏の思い出を作ることのできる、あるべき姿を取り戻したのだった。


 …………ところが。


 〝ナツ〟による治安の悪化は、それだけに留まらなかったのである。


 第二回NATU委員会連絡会議……。


「――ま、夜具内くん達はよくやってくれているんだが、治安上、少々見過ごせない事態が発生しているらしい……警察庁さん、その話を」


「はい。毎年のことですが、この季節、若い女性がキャミソールやホットパンツなど、露出の多いファッションを好むのとともに、精神面でもそれに比例して開放的になることから、未成年者における不純異性交遊での補導、また、公共の場での不適切な男女の行為による猥褻物陳列罪などが急増しています」


 相変わらず活舌の悪い首相に話を振られ、青い制服をビシっと着込んだ衿原貴えりはらたかし警察庁長官がよく通る声で明朗に説明をする。


「学校教育の場でも、そのことは大きな問題となっています。特に夏休み中はなかなか目が届きませんからね」


 その言を受け、堺尻六郎さかいじりろくろう文部科学大臣も我が意を得たりという様子で声を上げる。


「若者の暴走は海だけじゃなかったということですか……でも、安心してください。我々には秘策があります」


 しかし、この話を聞いた夜具内は、いつになく落ち着いた様子で自信満々にそう答えた。


「これまでの経験則上、〝ナツ〟によって引き起こされる諸問題に我が国の伝統的な手段が非常に有効であることが確認されています。今回の件に関しても、おそらくそれで充分対処できるはずです」


「ずいぶんと抽象的な言い方だな。で、具体的にその方法というのはなんなのかね?」


 夜具内の回りくどい言い方に、団官房長官が少々苛だらしげに尋ねる。


「浴衣ですよ。若年層に浴衣の着用を奨励するんです。浴衣なら露出度が低い上に、夏祭りや花火大会など、着る機会の多いこの季節にはぴったりです。和服の中でもお手軽感から比較的普及しているものですし、容易に誘導できるものかと思われます」


 団の質問には夜具内に代わって、六本木がやはり自信に満ちた態度でそう答える。


「浴衣かあ……それはいいアイデアかもな……」


「これぞ、美しき国、日本! よし! それでいきましょう」


 すると、居並ぶ閣僚達は艶やかな女性の浴衣姿を妄想してうんうんと頷き、日本文化をこよなく愛する藪首相も活舌の悪い声でGOサインを出す。


 数日後、前もって立案していたマニュアルに基づき、この「浴衣作戦」は大々的に実行に移された。


 国の補助を受け、各百貨店・大型スーパーでは浴衣の大規模セールが催され、公共の電波でも「日本一億、浴衣美人だ!」のキャッチフレーズのもと、浴衣着用を奨励するCMが繰り返し流される。


 また、馴染みのない者にも浴衣デビューする機会を増やすため、例年以上に各地の夏祭りや花火大会が公的資金を投入されて大規模に挙行された。


 そんな国を挙げての誘導戦略の結果、街にはこれまで見たこともないほどの浴衣姿の男女が溢れることとなったのであるが………。


 ……これが、むしろ逆効果だった。


 なんと、普段見慣れない浴衣姿の和な色気に野郎どもが発情し、ますます未成年者の不純異性交遊や、イベント後の野外における破廉恥行為が増加してしまったのである。


 ――ドン! …ド、ドン! …ヒュゥゥゥゥ~…ババァァァァーン…!


「クソぉーっ! 〝ナツ〟のせいにしてさかる・・・んじゃね~っ! た~まやぁ~っ!」


 この大失態を閣僚らから叱責され、独り首相官邸の屋上に登った夜具内は、夜空に咲く大輪の花に向かって、そのやり切れぬ怒りを人知れず叫ぶのだった。

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