弐 ナツの猛威

 こうして、関係者のやる気とまとまりがあまり感じられぬまま、そこはかとない不安を抱えて船出したNATU委員会であるが、彼らの事情などお構いなく、問題は矢継ぎ早に襲って来る……。


「――夜具内大臣、全国で氷菓、ビールが深刻な品不足になっているとの報告が消費者庁より上がってきています!」


 数日後、早くも日本列島がすっぽり〝ナツ〟の熱波にさらされる中、首相官邸内の事務室に詰めていると、部下の女性官僚・御館一二三おやかたひふみが受話器を耳に当てたまま大声で夜具内に告げる。


「しまった! 盲点だ……〝ナツ〟の熱波はそんなところにまで影響をもたらすのか……」


 危急のその知らせには、想定外だった夜具内も驚きと戸惑いの声を上げて額に手を当てる。


「この暑さだ。そりゃあ、アイスとビールはうまかろう。一日に食される量は計り知れん」


 夜具内の嘆きに、彼の古くからの友でもある六本木総理補佐官が、その〝泡の立つ黄金の飲み物〟を脳内に思い浮かべ、ゴクリと喉を鳴らしながらとなりで答えた。


「ま、経済的にはうれしい悲鳴であると言えるが……ともかく、各メーカーには可能な限り急いで増産してもらおう」


「だが、今でも工場のラインはフル稼働だろう。これ以上の増産は無理じゃないか?」


 当然の判断を下す夜具内に、良き理解者であり、またライバルでもある六本木も適切な意見を述べてその問題点を鋭く突く。


「そうだな……仕方ない。夏季限定で工場の設備投資をする企業には特別助成金を出そう。また企業優遇だと野党に責められるだろうが、アイスとビールが不足して暴動が起きるよりはましだ」


 六本木のアドバイスを受け、夜具内はNATU特命担当大臣として、この困った問題に対してそんな思い切った決断を下した。


 しかし、〝ナツ〟の猛威とその侵攻は、まだまだこれからが本番である。


 同日。都内某所……。


 ――ミーン……ミーン、ミンミンミンミンミーン…。


「これは……芹鴨くん、今のを聞いたかね?」


「はい、先生! これは間違いなくミンミンゼミの鳴き声です!」


 都市部における昆虫の生態調査に出かけていた帝都大学生物学部の山葉浩やまはひろし教授と助手の芹鴨小助せりがもしょうすけは、傍らの街路樹から突然、聞こえてきたセミの声に目を丸くして顔を見合わせた。


「都内では初の確認かもしれない。急いで内閣府へ連絡だ!」


「はい! ……あ、もしもし、帝都大学生物学部の者ですが、NATU委員会に繋いでいただきたいのですが――」


 そのミンミンゼミ確認の一報は、予てからの協力依頼通り、すぐにNATU委員会へも知らされる。


「――あ、はい。わかりました。報告、ありがとうございます。それじゃあ、失礼します……大変です! 調査協力を要請してた生物学者からミンミンゼミ出現の情報が入りました!」


 さらに電話を受けた男性官僚の叫び声により、その報告は嫌でも夜具内の耳に入る。


「ついに都内にも現れたか……〝ナツ〟の眷属どもめ。あの音波攻撃にさらされては、ただでさえ暑苦しいのに堪ったものではないぞ……」


 そう言われると、なにやらこの界隈でも微かに聞こえているような気もしてくるうるさいあの羽音に、夜具内はまたも頭を抱えさせられてしまう。


「気象庁から週間予報が出ました! 明日より一週間、全国各地で35度を超える猛暑日となる模様です!」


 そこへ追い打ちをかけるようにして、今度は女性官僚の御館が手にしたタブレット画面を眺めながら、これまたうれしくもない情報を伝えてくる。


「35度だと!? 成長が速すぎるぞ! もう〝ナツ〟は最終形態の〝真・ナツ〟へ移行したというのか……冷房ももう限界だ。何かいい手は……他に効果的な対抗手段はないのか……」


 相次いでもたらされた問題のダブルパンチに、難しい顔で考え込む夜具内。


「そうだ! ここは先人の知恵に力を借りましょう!」


 そんな悩む上司の姿に、先程、セミの情報を伝えた若き男性官僚・加藤賢輔かとうけんすけがポンと手を打って口を挟んだ。


「先人の知恵?」


「風鈴ですよ! 目には目を、歯には歯をです。まだエアコンなどない時代、かつて先人達がしていたように、風鈴の涼やかな音で暑さを和らげるとともに、セミどものうるさい鳴き声にも対抗するんです!」


 怪訝な顔で聞き返す夜具内に、加藤は目をキラキラと輝かせながら、少々興奮気味に思いついたアイデアを上司に伝える。


「風鈴か……よし! それでいこう! 安物でもかまわん! 全国の問屋に連絡して風鈴をかき集めてくれ! それを各市町村を通じて各戸に配るんだ! ああ、加えて軒のある公共施設や商店にもだ!」


 若者のひらめいたそのアイデアはどうやら気に入られたらしく、夜具内は即断即決で部下の官僚達に指示を飛ばす。


「でしたら、同じく先人の知恵で〝打ち水〟を全国的に奨励してはどうでしょう?」


 すると、加藤に刺激されたのか? 御館も積極的に自分の考えを口に出し始める。


「打ち水はただのイメージだけでなく、気化熱で温度を下げたり、舗装道路の輻射熱を下げる効果があります。大規模に行えば、それなりの成果が得られるはずです」


「そうだな。東京都などの行っている〝打ち水大作戦〟の例もある。ただし、間違ったやり方では逆効果だという話も聞くし、水道水を使っては水不足も発生しかねない。御館くん、早急にガイドラインをまとめて、各自治体に大規模打ち水の実施を打診するんだ!」


 加藤とは対照的に、淡々と理路整然に話す御館の言葉も夜具内の心を動かしたらしく、こちらも即決すると、彼は彼女にこのプロジェクトを一任した。


 連日の猛暑日に、一日中鳴りやまぬセミの鳴き声……本格的に猛威を振るい始めた〝ナツ〟に対して、手探りながらも懸命に対応策をとる夜具内らNATU委員会の面々。


 だが、〝ナツ〟のもたらす災厄は、そんな純粋な〝暑さ〟だけに留まらなかった……。


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