ダンジョン学生寮とミノタウロスと司書

戸賀内籐

ダンジョン学生寮とミノタウロスと司書

 16世紀後半のことだ。


 魔女狩りを逃れた魔法使いや錬金術師の一部は、自分達が自由に暮らせる新天地を目指して転移門を開いた。いわゆるワープだ。


 星という概念はあれど、宇宙旅行など夢にも思わぬ時代。

 そんな時代に彼らは星間移動を成し遂げたのだった。


 辿り着いたそこは、童話や伝承の世界に似ていた。

 光の届かぬ深き森。霧に隠れる山々。そこに住むクリーチャーやモンスター。

 彼らはそこで生存圏を拡大し続け、開拓を続け、様々な種族と接触を果たした。


 いつしか開拓は学問となり、魔法や錬金術同等に学ばれるようになった。

 そして地球から得たもう一つの魔法、科学も彼らは貪欲に取り入れていく。


 そうしてそのための大学ができた。

 開拓大学と呼ばれるそこは、いつしか無料の大学として名を馳せ、各地に寮を建て、転移門で学生たちを全国各地から通わせるようになった。


 そんな大学から北へ1万キロ。

 永久凍土のど真ん中。


 そこに開拓大学学生寮、聖ゲオルギー寮がある。

 打ち捨てられたダンジョンを再利用したそこは、9割が地下に埋もれ、凍りかけている。


 敷金礼金無し、家賃は月に2000クリステ。わかりやすく言えば、鮭缶10個分。

 大学からの目も届きにくいここには、年中金欠の奴らが暮らしている。


 これはそんな極寒の学生寮で、日常的に起こっている出来事だ。




「大学図書館の者です。アリステ・アルズシェンさんの部屋ですよね? あなたが2年間放置している本の回収に来ました。今すぐドアを開けてください」


 鉄の扉がノックされる重々しい音が響き、机の上で眠りこけていたミノタウロスは薄目を開け、周囲を見回す。


 飲みかけのコーヒーが入ったマグカップ、電源不要の魔力式ケトル、それから凸凹の石造りの壁。壁には結露した水滴がいくつも氷になってへばりついており、天井の隅には落ちてくれば死にそうなつららが罠のようにはびこっている。


 それを見る度にしみったれた寮だ、という感想を彼に抱かせる。


 椅子から立ち上がると、枯れた柄の半纏を半ばはだけた状態でまとったまま、ふらふらとドアを開けた。寝ぼけているせいだが、厚い胸板と胸毛が剥き出しである。


「なにか用? ……あー、ですか」


 目やにではっきりとしない焦点のまま彼は眼の前の人物を眺め、それが自分の友人ではないことに気づいて言葉を正した。


 そこにいたのは黒いコートを纏い、耳あてのついた防寒帽を被った女性だった。黒縁で細身のメガネの奥からは、さらに細く疑り深い瞳がこちらを覗いている。


 なぜ女だとわかったかと言えば、声の高さと、コートの上からでもその細い腰がベルトで締め上げられて曲線を描いているからだ。


「ですから、本を返してくださいと言っているんです。タイトルは『戦争は精霊の顔をしていない』」


 女性はポケットからレジのレシート用紙を取り出して読み上げる。


「そんな本借りてましたかね。読んだ記憶がない」

「アリステさん、記憶がなくても記録がここにあります」


 彼女はそれを下からアッパーのような鋭さで角の前に突き出す。そこで彼は新たに気づいたのだが、なかなか背が高い人だ。


 ミノタウロスの彼の身長は2メートル強はあるのだが、大柄な人間でも彼と同じ身長になるのは極稀だ。そんな彼に紙を突きつけられる女性と踏まえると、かなり珍しい。腕がそもそも届かないのが殆どだ。


「あー、確かに記録はそうありますね。ちょっと部屋を探してみますから」


 そう言って彼は寝ぼけ眼を太い腕でこすると、天井まで伸びる本棚を見上げた。ただでさえ大きい彼の身長二つ分はある。

 ここは大学の学生寮なのだが、様々な種族が暮らしているためにやたらと高い部屋なのだ。そうしないと、3メートルを超える種族は入寮できないからかもしれない。


「んん?」


 天井の精霊灯から糸を引く蜘蛛の巣の奥、本棚の一番上にそのタイトルの本はあった。2年の歳月で埃まみれになっているものの、背表紙を見ると確かに借りた記憶がある。確か初めてレポートを書いた時に読んだものだったか。


 どうやって取ろうか考えて、彼はため息をつく。つい先日、酔ってはしごを壊してしまったばかりなのだ。


「すいません、ちょっと手が届かない場所にあって」

「と、いうと?」


 彼女の切れ長の瞳がさらに細められる。刺すような視線にたじろぎながら、彼は事情を説明する。聞き終えた彼女は面倒そうな素振り一つせずに協力を申し出てくれた。


「では私を抱えてください。なんとかして取りますので」

「ええ……悪いですよ」


 彼が遠慮すると、彼が見ているのもおかまいなしにため息をつく。


「そうですね、本を返さないあなたが悪いんです。これも仕事ですから、さっさとしてください」

「わかりましたよ」


 ずかずかと部屋に入ってきた女性は革靴を脱ぎ捨てると、ストッキングで覆われた足を顕にする。コートから伸びたその足はすらりとしていて、普段から同じ種族じゃないとイマイチ興奮しないと公言しているアリステの目も釘付けにするほどだった。


「早く持ち上げてください」

「あ、はい」


 とっさに目をそらして後ろから彼女の腰を抱えると、彼はミノタウロスとしては平均的な腕力で彼女を持ち上げる。しかし彼女からすればそれは予想外の勢いだった。


 反射的に掴まる場所を探した彼女の手は、本棚の本に向いてしまった。そしてそれは不幸にも、彼女が探している本の縁だったのだ。

 力強く引っ張られた本は蜘蛛の巣ごとあっけなく引っこ抜かれる。全く予期しない出来事にさらに混乱した彼女は、その手を離してしまった。空中を舞う本は、慌ててキャッチしようとした彼女の手にあたって方向を変え、最悪の着地点を見つける。


「やべえ!!」


 そこはどす黒く香ばしい、飲みかけのマグカップの真上だったのだ。


 倒れてしまったのはカップだけではない。彼女が両手を離して手を伸ばしたせいで、アリステもバランスを崩してしまっていた。姿勢を崩した瞬間に上を向いた彼は、角が彼女に刺さらないように顔を背ける。

 そのまま頭をしたたかに打ち付ける姿勢で倒れ込みながら、彼女の「やべえ!!」という言葉をリフレインしていた。見た目と発言の乖離が凄まじすぎたのだ。


 彼女はといえば、華麗な身のこなしで転ぶことなく着地していた。


 頭を抱えてうずくまるアリステと、黒ずんだ本を交互に見やった彼女は、彼を助けることにした。ああなってしまっては、彼女の魔法ではどうにもならない。コーヒーのシミを落とす魔法など、彼女の専門外だ。


 彼の打撲を魔法で手早く治してから再び本を見やる。冷たい石造りの床のせいか、へばりついたコーヒーが土で汚れた雪のように凍っていく。自分のミスだ、と深い絶望感に囚われた彼女は、再び深いため息をついた。


「どうしましょうか。あの本高いんですよ」

「なんだって?」


 まだ痛みの余韻があるのか、頭をさすりながら彼が聞き返した。


「もう50年前の本ですし、初版でしたから。8万は下りません」

「……ふざけなさんなよ、俺は払わねえぞ。あんたのせいだ! あんたがいかにもなんでもこなせます、なんて顔をして失敗するからだ! これだったら梯子代を払った方が安上がりになったじゃねえか!」


 外面のいい丁寧語の使い方など吹っ飛んでしまった彼は、早口にまくしたてる。


「元はと言えば、あなたが返さなかったせいです。普通なら、弁償していただきます」


 しれっと言い放たれた言葉に、少しの違和感を感じた。普通なら、ときたもんだ。


「弁償って……8万払うのか?」

「そうです。それか、同じ初版を手に入れてもらえればいいです。心当たりは……ありますよね?」


 女性が何を言いたがっているのか心得た彼は、机の一番下の引き出しを引いて、やけに大きなリボルバーを取り出す。一通りの動作確認を済ませた彼は、プラスチック製の薬莢を、そこに詰め始めた。しゅこん、しゅこんという音が静かに彼の垂れた耳に届く。

 この寮を歩く時の必需品だ。


「あの本屋を知ってるのか?」

「もちろんです。……ああそうだ、私の名刺です。長旅ですし、自己紹介は苦手なものですので、名刺で失礼しますね」


『開拓大学図書館資料回収部派遣資料回収人 ライサ・イオシフォフナ・アリルエワ』


「クソ真面目そうな肩書だなぁ。ライサ……えーと、読みにくい名前だなぁ。この辺出身なのか?」


 読みづらい氏名は、この地方ではよくあるのだ。噛みそうで仕方がない。


「ええ。それに一昔前までこの寮で暮らしていたので」

「なるほどね、あんたも貧乏人だったわけだ」


 彼は大きく笑い飛ばすも、すぐにこれから歩く距離を想像して再びがっくりと肩を落とした。この寮の構造を知っているなら誰もこうなるだろう。

 それほどまでに、この寮の道のりは危険で、長いものなのだ。住んでいる彼らでさえ、全貌を把握していない。


「あそこまで長いぞ。道は知ってるのか」

「当然です。百書房の常連でしたから。それに……昔取り置きしてもらった本を取りに行っていなかったので、どちらにしろ行くつもりだったんですよ」


 一体どんな本を買うのだろうか。どうせ真面目で学術的な本なんだろう、とアリステは想像する。まかり間違っても、彼のようにマンガを買うために行くのではないだろう。


「えっ、あんたもついてくるのか?」

「当然です。私の責任でもあるわけですから」

「見た目通りのクソ真面目だな」


 ふん、と彼は大きな鼻を鳴らす。


「仕事ですから。それとクソ、は要りません」

「はいはいわかったわかった。そんじゃ行くか」


 自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた彼は、重々しい足音を立てて、石造りの廊下を歩いていくのだった。




 それから数時間が経った頃、彼らは目的地まで後少しという所まで来ていた。懸念していた強盗や、駆除しきれていないモンスターの影響もなく、寒いということを除けば快適な旅路だった。


 しかし、この先から聞こえるものはそれらよりもっとヤバイものだったのだ。

 銃声と爆発音である。


「ここから先はフリーファイアゾーンだにゃ。死にたくなけりゃ引き返すことをおすすめするにゃ」


 自由か死か、と油性ペンで書かれたヘルメットを被った、青い迷彩服を着た猫がそう告げる。石壁のための迷彩だろう。


 手には小口径だが自動式のライフルを持ち、白かったであろう毛並みはいくらかが焼け焦げ、いくらかは毛並みがなく地肌が剥き出しになっている。周囲には数人の似たような、疲れ切った兵士の格好をした猫たちが、寮の壁際によりかかったり、座り込んだりしてこちらを睨んでいる。


 廊下の奥では、立入禁止と銃のマークの看板が所狭しと並べられ、見たものに危険を訴えてくる。先へ進む廊下ごと封鎖して、何十もの部屋を巻き込んでいるようだ。


 どうやら本当に戦争をしているらしい。


「あー、それとも傭兵かにゃ? 美味そうなあんたにゃ悪いけど、うちには網の上に載せる肉はいらないんだにゃ」

「肉より魚が好きなんだよジャーキー野郎!」


 壁際の猫が下卑た笑い声をあげて、ヘルメットのつば越しにこちらを睨んでくる。


「なん……なんだ?」


 そこまで言われてやっとバカにされたことに気づいたアリステは、肩を落としてライサの方を見る。落ち込んだわけではなく、異常すぎる事態にどう反応すればいいかわからなかったのだ。


 ライサは半開きになった彼の口の中を見つめて「やっぱり牛だからか歯並びいいですね」と言うと、猫達に向き直った。


「あなた達ケットシーですよね。猫の妖精。前は戦場というより、素晴らしい癒やしスポットだった記憶があるんですが」


「いつの話だにゃ! 今じゃここは残忍な戦場だにゃ。猫カフェに行きたいにゃら、転移門を通って大学の東口を出て真っ直ぐ行って徒歩15分の左側にゃ。知り合いがそこで働いてるからよろしくにゃー。それと、俺からってちゃんと言っといてくれにゃ! マージンが入るにゃ」


 おどける猫を見つめた後、すっとライサが身を引く。アリステと交代、ということだろう。彼女の眉が釣り上がるのを見た彼は、素直にそれに従った。


「ことの経緯を説明してくれよ。俺達はただこの先の百書房に行きたいだけなんだ」


 誠実に彼が言うも、容赦なく銃口が向けられる。すぐに彼は両手を上げてリボルバーから手を離した。


 彼からすれば猫用のライフルなど食らってもすぐに死にはしないのだが、痛みを進んで受けるほどマゾではないし、間抜けな向こう見ずでもない。


「じゃあ説明してやるにゃ。ここは2週間前に共産主義を掲げて王政を排除しようとする赤猫……ネコミュニストとの徹底抗戦中にゃ。王家は我々ケットシーが代々続けてきた政治形態であり、それを排除することはありえにゃい。それに、看板のセンスが気に食わにぇ!」


 先頭に立った猫が、立入禁止の立て札の奥を指差す。その先の廊下の突き当りの壁際には、真っ赤な旗が貼り付けられ、勇壮なスローガンが黒く力強い書体で描かれている。


『平等な昼寝! 平等な部屋割! 平等な単位!』


 覗き込んだアリステは絶句し、ライサは「パねえな」と呟いた。それを聞いた彼は、思わず彼女の顔を二度見する。


「ここから先はうちら猫にしちゃ珍しく真面目に戦争やってるんだにゃ。誰も死んじゃいないけどにゃ。そういうわけで、お帰り願うにゃ」


 リーダーらしき猫が手を振ると、今まで睨みつけるだけだった猫たちが銃を構え、毛を逆立てて彼らを威嚇した。アリステも銃を構えてしまおうかとそれに手をかけるが、ライサの細い手が上に置かれる。


「帰りましょうアリステ。猫の命を奪ってまで本を探しに行く気もありません」

「クソッここまで来てやったのに!」


 ライサはコートを翻して引き返す。アリステも一歩遅れてそれに続いた。




 失意の帰り道はやけに長く感じるものである。


 せっかくここまで着たんだから、漫画の一冊や二冊、と考えていた彼には悲しい事件であった。


 徒労感を引き摺りながら廊下の角を曲がった時だった。突如としてドアの一つが開き、中から出てきたふさふさの小さな手がライサの足を掴んだのである。それは紛れもなく猫の手だった。


 はたと足を止めたライサの足元に擦り寄った猫は、どこぞのハードでメタルなアルバムのジャケットのような柄のパーカーを着ている。おまけにやけに大柄なサングラスをしていて、いかにも、といった風体だ。

 第一、この暗い寮の中でサングラスなどナンセンスの極みだ。


「あんた達はどっち側なのかにゃ?」


 問いかけと共にコートの下からライサを仰ぎやる。色は白だ。


「覗かないでくれますか」


 ライサは蹴るようにして容赦なくメタル猫を振り払う。部屋の中に吹っ飛ばされた猫は、雑多な音楽機器の山に突っ込んでしまったのだ。


 どうやらライサも、その顔の下で相当怒りを溜め込んでいるようだ。


「なんだなんだ?」


 遅れて反応したアリステは、角でかさばる頭でドアの奥を覗く。


 中の惨状に気づくと、あたふたと小さな手を引いて猫を救い出した。


「いやありがとにゃ。あんた暖かいしいい人……じゃなくて牛だにゃ」

「そりゃどうも」


 ジャーキー呼ばわりされたことが脳裏にちらついて、複雑な顔で彼は答えた。


「いい足の美人さんに牛さん、あんた達は百書房に行きたいんにゃろ? そうなんにゃろ?」ずれたグラサンを肉球で直しながら、猫は言う。

「そうですけど」


 疑り深くライサが猫を見つめる。


「それならいい方法があるにゃ。うちが戦線越しに運んでやるにゃ!」

「どうやって?」

「抜け道があるんだにゃ」


 部屋の中に二人を招き入れた猫は、大きなメタルのポスターを剥がして牛一頭がぎりぎり通れそうな穴を披露する。


「ここはどうせ地下にゃ。寮の外側をせっせせっせと掘ったんだにゃ」

「こりゃありがたい。いいのか通って」

「もちろんにゃ。ただし、1000クリステはいただくにゃ」

「のった!」

「やっぱりあんた良い牛にゃ。うちの名前はジェイル、よろしくだにゃ!」


 トントン拍子に話が進む様を眺めていたライサは、凍った土のトンネルを通る様を想像してため息をついた。コートのクリーニング代は経費で落とせるのか、それが問題だ。


 中は想像に違わず、ライサにとって不愉快な空間だった。真っ暗でいちいちアリステの足を触ってついていかなくてはならなかったし、ストッキングに触れた雪は溶けて染みになって、ウシャンカもコートもすでにどろどろだ。


 アリステはと言えば、子供時代にはよく泥まみれになったなと言い、泥だらけの半纏を気にせずにジェイルと子供時代のことを喋りまくる始末だ。

 私のことは見た目通りとよく言うけれど、彼も見た目通りの牛だと心の中で悪態をつく。


「いつ出られるんですか?」


 不機嫌さを全く隠さずライサが言うと、ジェイルはいつもあと少し、あと少しというのだ。それから更にしばらく経った頃、再びライサが聞くと「ここが半分くらいだにゃ」としれっと言い切った。


 ライサが声を張り上げようとしたその時だった。ジェイルのすぐ前の穴が崩れ、外からの光が差し込んだのだ。思わず目を瞑った三人は、どうしようもなく外に出た。そしてすぐさま、それが得策でなかったことに気づく。


 突撃を待機していた赤猫の部隊がいたのである。二人と一匹を見つけた彼らは、スパイか工作隊か、と慌てて三人に銃を向ける。


「何をしてるにゃ! そんなところに敵はいにゃ……」


 怒鳴りつつ後方から現れたのは、かっちりとした制服と勲章の目立つ指揮官猫だ。しかし彼はジェイルを見つめて息を呑んだ。


「そのふざけた格好は……捻くれ者のジェイル王子だにゃ!」

「はぁ? どういうこと?」


 苛立ちで真面目な仮面をかなぐり捨てたライサの疑問が、ジェイルに突き刺さる。


「逃げられたら説明するにゃ」両手を挙げてジェイルが言う。


 だがそんなことで納得するほど、今の彼女は優しくなかった。こんな寒い場所に来て、泥だらけになって、おまけに戦争に巻き込まれる。もう散々なのだ。


「逃げるのも面倒なんだよ」


 ライサがアリステの銃を奪って平然と引き金を引いた。大仰な発砲音が響き渡る。猫達が使うような豆鉄砲ではなく、人ですら一発で殺せる銃の音だ。


 狙いは猫達ではなく、そのすぐそばの壁だ。石が砕け散って白煙を散らし、その威力が伊達ではないことを思い知らせる。ただの拳銃弾ではなく、散弾だったのだ。猫が当たっていれば粉々になっていただろう。


「当たったらどうなるかわかっただろボケ猫ども! ミートソースになりたくなかったら、さっさと道を開けろコラァ!」


 人格が変わったかのようなライサに、アリステもジェイルも呆然と事態を眺めていることしかできなかった。一歩一歩近づいていく度に、猫達は後ずさりしていく。そして指揮官の背が壁に触れ、追いつめられたことに気づいてライサの顔を恐る恐る見上げる。

 その時初めて、ライサの顔に笑顔が浮かんだ。と言っても、それは人を安堵させる類のものではなかったが。


「さて指揮官、このまま戦線を通り抜けさせて欲しいなぁ、もちろんいいよなぁ?」


 指揮官が「駄目だ」の触りの部分しか言わないうちに再びライサが発砲する。今度は床が飛び散って、指揮官の顔に破片が当たる。他の猫達はといえば、そろりそろりと後ろ足を器用に伸ばして逃げようとしていた。


「わ、わかったにゃ……」

「それでいい。話のわかるお人でよかったよ」


 そう言って彼女は指揮官の首裏を掴むと、宙に釣り上げ、道案内をさせ始めたのだった。


 戦線を通り抜けた百書房のドアの前で、ジェイルと別れたアリステは大笑いして転げ回る。それを見下ろすライサの目は、全くもって冷たいものだった。


「啖呵切ってんのに服は泥だらけなんだぜ、笑うなって方が無理だろ。あんた一体なんなんだ?」


「ただの図書館職員よ、うっさいわね」

「あー緊張が解けたら笑えてしょうがない」


 ライサは、わざとアリステにかかるように泥を落とす。


「わぷっ! やめっ……やめてくれよ!」


 背後ではジェイルの和平演説が響いている。猫達の甲高い歓声もだ。


『猫は勝ち取らない! 受け取るだけ! それこそが我らケットシーのモットーではなかったか! くだらない争いはやめ、自由気ままに缶詰を平らげて眠ろう!』


 自由と平等と猫であることを謳ったジェイルの演説は、先程までと違い、猫らしい語尾もついていない。対外的にも重要な話の時は、猫も真面目に話すと聞いたことがあったが、これがまさにそうだろう。


「あんたが戦争を止めろって銃突きつけて脅すもんだから、ジェイルもしっかり演説してるよ」


「だってこれじゃあたしの仕事にも支障が出るからね」


 それだけ言い残すと、彼女は百書房の中に足を踏み入れる。アリステも一通り笑い終えて、部屋のドアを開けた。


 天井を擦るほど大きなスプリガンの店主が入り口そばのカウンター内から、じろりとした居心地の悪くなる視線を飛ばす。それを無視して、アリステとライサは店内をじっくりと見渡した。


 木ではなく石を使った本棚やカウンターは、その汚れや傷で自分の年月を静かに語り、装飾のない実用一辺倒な作りを誇っている。腰をかけられる場所すらないのは、部屋まで帰れば読めることと、ただでさえ過密気味なこの本屋に余計なスペースがないからだろう。


 乱雑に平積みにされた本、埃の積もった壁際の本棚に、誰が読むのかわからない巻数の飛んだ学術書。変色したものもあれば、つい二日前に発売された色鮮やかな新刊コミックもある。

 それらがジャンル分けをされつつも、菌類のようにコロニーを形成して、広い空間に散らばっている。


 客も様々で、ゴブリンやオーク、エルフなどの代表的な種族から、グリフォンやインプなどの、素手では本を持てない輩もいる。彼らは魔法で本を浮かせ、ページを捲っている。


 こここそ、何十年、いや何百年と連綿と続く貧乏学生の大いなる憩いの場、明日のために知識を売り払う場所、忘れられた書物の闇鍋的集合体と名高い百書房だ。

 元々本好きの学生が始めた古本屋だったが、寮中の本を50クリステで買い始めてからはあれよあれよと複数の部屋を飲み込みながら成長を続けている古本屋である。


 ちなみに店名の百はどんな本でも一冊100クリステで買えることに因んでいる。この値段はどんな本でも変わらないことから、貧乏学生達はここに集うのである。


 ライサはカウンターでスプリガンに話しかけ、取り置きしてもらっていた本があるかどうか尋ねる。驚くべきことに、それはまだあった。会計を済ませた彼女は、ざっと本屋の中を見渡す。壁際の本棚に、そこにあって当然、と言いたげに『戦争は精霊の顔をしていない』はあった。


 それを抱えて、彼はアリステのことを探す。その巨体故に、すぐに見つかった。


 彼女は漫画のコロニーで立ち読みしている彼のことを後ろから覗き込み、彼に聞こえるように「ふーん」とだけ漏らす。


「なんだよ」と苛立ちを込めて彼が言う。

「いえ、そういう趣味の方だったんですね」


 また丁寧語に戻ったライサがそう呟く。


 彼が読んでいるのは可愛らしい絵柄の少女漫画だったのだ。いざ告白する、というシーンを、彼は離れた目を潤ませて読んでいたのである。


「あまりにも意外で、思わず声が出てしまいました」

「いやこれは……」バツが悪そうに彼は目を伏せる。


「別に人の趣味にどうこう言うわけじゃありません。ただ、初対面の人に向かって『見た目通りのクソ真面目』とおっしゃる方の読む本は流石に違いますね、と言いたいだけです」


「そんなこと言ったか? そりゃ、すまなかった」


 彼女の言動や行動を思い返し、そんなイメージが吹っ飛んでしまった今となっては、真面目という言葉がふさわしいとはとても言えない。彼にとって今の彼女は、スーツケースに入った爆弾としか思えないのだ。


「いいえ。私こそ嫌味を言って申し訳ありません」

「いや、いいんだ。ところであんたは何を買ったんだ?」

「私はこれを」


 そう言って彼女が得意げに取り出したのは、耽美な男性二人が至近距離で見つめ合う漫画であった。それを堂々と見せられる胆力に、アリステはなんだか笑ってしまう。


「本当に人は見た目でわかんねえなぁ!」








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ダンジョン学生寮とミノタウロスと司書 戸賀内籐 @tokatoka00

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