その4

○下田港 特務艇はしだてを係留している桟橋 1448i


 何事もなく順調に進んだ“はしだて”の公開も、残すところ約一時間程となった。

 駿河達が予想した通りに、公開直後からとどこおる事無く流れ、1300から見学していた人達も既に“はしだて”から半分ほどが降りていた。

01マルヒト甲板に見えているのは、根山2曹とアキラ君と月夜野殿みたいなのじゃ。かなり時間をかけて見ているようなのじゃ」

 駿河が見上げた01甲板・プロムナードデッキには、三人が何かを熱心に話しているように見える姿がある。

 駿河の隣に立っていた東松原も、同じ方向を見上げる。

「確か、あの位置は艦橋から出て直ぐでしたね」

「そうなのじゃ。もしかしたら時間ぎりぎりまで、見学する予定かもしれないのじゃ」

 駿河達の視線の先では、制帽を被った海曹らしき人物が月夜野に声をかけられている様子が写っている。

「あれは……確か給養員長なのじゃ。月夜野殿が彼から話を聞いてどんな事を書くのか、少し気になるのじゃ」

 駿河は少し目を細めてそれを眺めていると、東松原から声をかけられる。

「どうしたのじゃ?」

「もしかしてお昼に声をかけたのは、あの女性ではないですか?」

 そう言われて東松原が指差す方を見ると、私服に着替えた柿崎が走って来るのが見え、駿河も思わず柿崎の方へと駆け出す。

「柿崎殿、そんなに慌ててどうしたのじゃ!?」

「店長に……頼んで、三十分……早く上がらせてもらったんですけど……ちょっと手間取っちゃって……」

 柿崎は時々声を詰まらせ、荒くなった呼吸も整えながら駿河に説明する。

「そんなに急がなくても大丈夫なのじゃ。少し落ち着くのじゃ」

「ありがとうございます、駿河さん。店長から南極の基地へ行った事のある料理人さんの事を聞いて、どうしても給養員長さんって人に話を聞いてみたかったものですから」

 駿河はそれを聞いて、プロムナードデッキの方を見ると、根山達の姿はあったが、給養員長の姿は既に無く、代わりに機関員長の姿が見えた。

「多分、今なら給養員長と話が出来るかもしれないのじゃ」

 そう言うと、駿河は柿崎を連れて手荷物検査場を通り、はしだてへと乗艦していった。

 艦内へ入ると艦橋へ通じているラッタルのそばで柿崎を待たせ、給養員長を連れてくると言って、艦外通路に出て順路を逆走し、直接プロムナードデッキへと向かった。

 だがそこに給養員長の姿は無く、近くにいた海曹に聞いて、柿崎のいるラッタルまで順路に沿ってから戻ると、そこから下にある隊員食堂へと向かう。

「のじゃ!?」

「ついさっき様子を見に来られてたのですが、また上に戻られてしまいました」

 所が駿河とはすれ違ってしまったようで、艦内からまた上に上がってしまったと、1等海士から告げられる。

「困ったのじゃ……。また上に行かないとなのじゃ……でも急がないと、柿崎殿を待たせてしまっているのじゃ……」

 頭を抱えていると、人が入ってくる気配がして駿河は給養員長が来たと思い頭を上げて振り向く。

「あら?駿河1尉ではありませんの。頭を抱えていらしたみたいですけれども、困り事でもございまして?」

「大江山1尉!丁度良い所に来たのじゃ!実は給養員長にすぐに合わせたい人がいるのじゃ!何処に行ったか教えてほしいのじゃ!」

 渡りに船と言わんばかりに、大江山へ事情を説明する。

「その事でしたら、わたくしが連れてまいりますわよ?それに艇長から食堂を使う許可を貰っておりますので、こちらで柿崎さんと員長のお話が出来るようにしてありますわよ、駿河1尉?」

 大江山はそう言うと、柿崎を隊員食堂へと連れてくるよう言い添えて、給養員長を迎えに向かった。

 駿河も大江山の後を追うように向かう途中で大江山を見失い、不思議に思いながらも柿崎をすぐさま隊員食堂へと連れて戻っていく。

「ここが皆さんの食堂なんですか?思っていたより小さいような気がしますけど、船の全員の人がここで食べるんですか?」

 周囲を見回した柿崎はそう感想を漏らすと、駿河に薦められて椅子に座る。

「全員ではないのじゃ。ここは海曹と海士用の食堂で、交代制で食べるのじゃ。艇長達士官は『士官食堂』という別の所で食べるのじゃ」

 そう言って駿河が向かいに座ると、柿崎は海曹と海士の説明を求めた。

 それについて駿河が説明していると、給養員長と大江山が隊員食堂へと入ってくる。

 駿河は立ち上がって給養員長に席を譲ると、員長の背中側の列の席に移動し、向かいに今度は大江山が座った。

「もう少しタイミングが遅ければ、員長は01マルヒト甲板へ出ている所でしたのよ?」

 人懐っこい笑顔を浮かべる大江山へ、駿河は目を細めて顔を近付け、員長と柿崎に聞かれないように声を抑えながら問い掛ける。

「そう言えば大江山1尉は、小官から柿崎殿の事情を聞いた直後に『艇長から許可を貰った』と言ったのじゃ。どうやって事前に艇長の許可をとる事が出来たのじゃ?」

「あら?わたくし、そんな事を駿河1尉へ言いましたかしら?聞き違えではなくて?」

 小首を傾げる大江山に対して、駿河は真剣な表情を崩さずに質問を続ける。

「それからさっき小官は、貴官を追いかけるようにここから出た筈なのじゃ。所が気がついたら、貴官の姿が見えなくなっていたのじゃ。貴官のすぐ後ろを、そんなに離れず着いて行っていたはずなのに見失うのは、とても変なのじゃ。まるで幽霊のようなのじゃ」

 駿河は何かを探るように、大江山の表情を見ているが、当の本人は疑問の表情を浮かべているだけである。

「それは、おかしいですわね?柿崎さんの横を通らなければ、員長を迎えにいけませんのよ?そうですわ。後で柿崎さんに確認されてはいかがかしら?」

「大江山1尉、小官はそこまでする気はないのじゃ。……それにしても大江山1尉と会う時は、なぜか丁度良すぎるのじゃ。たまたま小官が陸から声をかけた時も、乗艦して直ぐの時も、小官が員長を探してる時も、とても都合が良いときに現れているのじゃ。偶然とは思えないのじゃ」

「それでは駿河1尉は、わたくしとの出会いを偶然ではなく必然とお考えですの?」

「偶然や不思議な事がここまで重なれば、必然のように考えてしまうのじゃ」

「では、初めてお声をかけていただいた時、駿河1尉がわたくしのいる艦尾に向かわれていたのも必然なのですの?」

「それは分からないのじゃ。はしだてを見た時に大江山1尉が視界に入ったから、小官は艦尾に向かったのじゃ」

「そうですの?わたくしの方は、見学ルートの確認中に通りかかっただけですの。もし、そこにわたくしがいなければ、舷門当直の方へ声をかけておられませんかしら?」

「それは……そうかもしれないのじゃ」

 しばし互いに沈黙し、隊員食堂には給養員長と柿崎の声が聞こえるだけであった。

 駿河は背もたれに背中を預け、小さく溜め息を吐き出すと徐にテーブルの下を覗き込む。

「駿河1尉?どうなさいましたの?」

 大江山の疑問に、駿河は姿勢を戻してから答える。

「貴官が本当に幽霊かと思って、足があるかどうかを確認したのじゃ」

「それで結果は、いかがでしたの?」

「小官は、少々疲れていたようなのじゃ。疑って申し訳なかったのじゃ」

 駿河が謝罪すると、大江山は気にしないようにと伝える。

 少しして、員長と柿崎が立ち上がる気配があり、駿河と大江山も立ち上がる。

 員長と柿崎は握手を交わすと、駿河と柿崎は一緒に隊員食堂を出て艦橋を見学し、左舷側の階段を通ってプロムナードデッキに到着する。

「給養員長さんが言ってたレセプションをする場所が、ここなんですね。船の中と違って広いですね。ここでお料理を出すようにって言われたら、私だったらとても緊張しちゃうだろうなぁ」

 柿崎は足を止めると給養員長から聞いていた、階段そばにあるシャッターの閉まったカウンターを見ている。

「柿崎殿は、かなり料理が好きなようなのじゃ。興味があるのじゃ?」

「興味あり過ぎて、今、総合高校の調理科に通ってるんです」

「柿崎殿は高校生なのじゃ!?学校はどうしたのじゃ!?」

「創立記念日でお休みだったので、バイトしてたんですよ。学校と親の許可は、ちゃんととってます」

 駿河は柿崎の言葉に安心しつつ、興味を持った理由を尋ねた。

「店長が船好きなので、聞いてみたんです。そうしたら、しらせっていう船で南極へ料理を作りに行った人の話しをしてくれたり、護衛艦っていう船で料理してる人から聞いた話しをしてくれて、面白そうだなって」

「興味を持ってもらえて嬉しいのじゃ!それで実際に員長の話を聞いてみてどうだったのじゃ?」

「そうですね……給養員長さんが楽しそうに話しをしてくれたので、それが印象的でした。でも、とても大変そうにも思えました。献立を考えたり、揺れてる船で作ったり」

 駿河は柿崎を左舷側のスタンション(柵)の方へ誘導すると、下田港の沖の方を見ながら休めの姿勢をとる。

「小官も、給養員長達も凄いと思うのじゃ。柿崎殿は海自の金曜カレーはご存知なのじゃ?」

「お話の中で聞きました。毎週金曜にカレーを出すんですよね?」

「そうなのじゃ。毎週カレーを出すとなると、工夫をしてもらわないと、いくらカレーとはいえすぐ飽きてしまうのじゃ。小官から見ても、給養は大変だと思うのじゃ」

「私も普段の献立を考えるだけでも大変なのにって、聞いてて思いました」

「給養も表には出て来ることは少ないけれど、とても重要なのじゃ。海自はこの“はしだて”や護衛艦のような艦艇に、陸自は10式戦車やレンジャー等に、空自はF-15戦闘機やブルーインパルス等に、どうしても注目が集まってしまうのじゃ。でも、それら表を支える“裏方”もいなければ、【自衛隊の自己完結性】は、とても保たれないのじゃ」

 柿崎は視線を下田港沖から駿河の横顔へと移す。

 駿河の視線は厳しいようにも、憂いがあるようにも見え、少し躊躇しながら、柿崎は質問する。

「駿河さん、【自衛隊の自己完結性】って、なんですか?」

「それは、食料資材の調達や装備品の整備、負傷者の搬送や治療等、出来る事は全部自分達で出来るだけこなす事なのじゃ。そのために調理師や管理栄養士だけでなく、医者や看護師、それに弁護士もいるのじゃ。このような裏方もいなければ、とても自衛隊は成立しないのじゃ」

「そうなんですか。駿河さん達のお話を伺ってるだけでも凄いし、かっこいいなって思いますし、興味も少し出て来ました。けど、私に自衛隊は無理そうですね」

 柿崎も駿河と同じ様に、沖の方へ視線を向ける。

 駿河は少し柿崎へ視線を向けると、また沖に視線を戻す。

「どうして柿崎殿は自衛隊が無理そうだと思ったのじゃ?」

「員長さんのお話聞いていて思ったんです。自衛隊では体力が必要なんだなって。私は運動が苦手なので、とても着いて行けそうに無さそうです。それに、頑張って調理科に入ったのに、最近、本当にこの進路で良いのか迷ってるんです」

「迷っているのじゃ?」

「そうなんです。自分で食べ物屋さんを開きたいって、小さい頃から思ってたんです。でも調理科に入って勉強を始めたら、やっぱり自分には向いていないのかもしれないって思い始めたんです。まだ時間ありますけど、卒業したあと、本当に調理師としてやっていけるのか、不安になったんです……」

「将来に迷いが生じてしまうのは、誰でも起こる事なのじゃ。それならいっその事、海上自衛官として給養の道を選択してみるのは、どうなのじゃ?」

「でも、私に自衛隊が務まるか……」

「大丈夫なのじゃ。体力や水泳に関してなら、教育隊でしっかり鍛えられるから問題無いのじゃ。それに給養員なら、全国の基地に行く可能性があるのじゃ。」

「全国ですか?」

「そうなのじゃ。それからうろ覚えなのじゃが、艦艇に乗り組めば船舶料理士という資格も受験出来たと思うのじゃ。それにもしかしたら海外にも行く可能性もあるのじゃ。そうしたら、配属先や訪問先の美味しい料理が色々食べられて、料理の勉強にもなるかもしれないのじゃ」

「あちこちの地元の料理かぁ。食べてみたいし、作ってみたいですね」

「さらには自分の考えたカレーが紹介されたり、グランプリで優勝する可能性もあるのじゃ。もっと言えばこの“はしだて”でお持て成しの料理も、砕氷艦の“しらせ”で南極往還中の料理の創意工夫の仕方も勉強できる可能性もあるのじゃ」

「ちょっと想像しただけでも、やっぱり自衛隊って凄いですね。興味も湧いてはきますけど、私に務まるのかっていう気持ちも……。ごめんなさい、気持ちがぐらぐらで」

「柿崎殿、大丈夫なのじゃ。小官としては柿崎殿が進路を考える時に、自衛官も選択肢の一つとして心の隅にでも置いてもらって、覚えておいてくれれば十分なのじゃ」

 駿河は柿崎を見ると、その気配に気付いた柿崎も駿河の方を見る。

「柿崎殿。小難しい事を言ってしまったお詫びに、見学が終わったらアンケートの粗品をプレゼントするのじゃ」

 駿河は言い終えると笑顔を浮かべ、柿崎の方はやや驚いたような表情をした。

「アンケートの粗品ですか?でも、書かなくていただくのは……」

「柿崎殿を混乱させてしまったお詫びなのじゃ!」

「それは悪いですよ。アンケートなら、ちゃんと答えますよ?」

「それでは小官が柿崎殿に申し訳無いのじゃ」

 結局、少々の押し問答はあったものの、柿崎がアンケートに答える事で決着した。

 そして、プロムナードデッキの後部に移動すると、駿河は柿崎に記念撮影を提案した。

 すると、柿崎からは逆に、二人で一緒にと提案される。

 駿河はその提案を受け入れ、早速撮影を依頼しようと辺りを見回したのだが近くに乗員がおらず、代わりに月夜野達と一緒にいた根山が視界に入る。

 と同時に、根山も駿河の方を向いたため視線が合い、駿河は柿崎のスマホで記念撮影する事を依頼した。

 撮影を終えると、根山はせっかくだからと自分の一眼レフカメラでの記念撮影も提案する。

「無理にとは言いませんが、広報に提出用の記憶媒体で撮影してますから、自分の方に記録は残りませんからな。いかがでしょうかな?」

 それを聞いて駿河は隣を見ると、柿崎は小さくうなづいて肯定した。

 根山は撮影を終えると、二人にカメラのディスプレイで確認してもらい、了承されると三十から四十分ほど時間は大丈夫かと訪ねた。

 二人は不思議に思いながら大丈夫だと答える。

 了承を確認した根山は、近くの複合商業施設でプリントアウトして来ると言い、月夜野達を残してその場を後にした。

 その後、月夜野達と少しだけ雑談した駿河は、柿崎を連れてプロムナードデッキ下の控え室を見学して、はしだてから降りた。

 手荷物検査場のテントの隣に柿崎を連れて来ると、アンケート用紙を近くにいた空曹から受け取って、筆記具と共に渡す。

 柿崎が受け取って書き始めると、駿河は先程の空曹からアンケート用の粗品である航空自衛隊のクリアファイルとブルーインパルスのボールペンが入った袋を受け取る。

 駿河は足元にあったダンボールを開くと、そこから陸自と海自のクリアファイル、こんごう型護衛艦と90式戦車のボールペン、あたご型護衛艦と『艦艇のり』が描かれたスティック糊、それに海自・陸自・空自と“はしだて”のパンフレットを次々に入れていく。

 最後に一般曹候補生と自衛官候補生、それに余計かとは思いつつも防衛大学校の募集要項を手に持って確認すると、海自と空自のパンフレットの間に挟むように入れる。

 駿河が立ち上がって柿崎の所へ戻るとちょうど書き終わった所で、記入ミスが無いか確認すると、柿崎は用紙を渡してくる。

 駿河は粗品と交換のように用紙を受け取ると、そこに何か書き込んでから、たまたま近くに来た静岡募集案内所の3等陸曹に預ける。

「駿河さん、色々とありがとうございます!」

「今回は平日だったからなのじゃ。普段のイベント、例えば空自の航空祭や陸自の総合火力演習総火演等は、沢山の来場者が来るからここまで出来ないのじゃ。柿崎殿はとっても運が良いのじゃ!」

 そして、二人が雑談を始めたタイミングで手荷物検査場の撤収が始まり、はしだての舷門でも当直以外に数名の海曹と一人の幹部自衛官が何か話をしている姿が見える。

 そこへ中から月夜野とアキラが出て来て、二人は舷門にいる自衛官達に挨拶してから降りると、はしだての艦尾側へと向かった。

 1600になると撤収が本格的に始まり、東松原指揮の元、伊東地域事務所の人員が中心となって手際良く片付けを進めていく。

 少しして、道の駅の方から根山が走って駿河の元へ来ると、写真を二枚とケースに入った記憶媒体を渡した。

「根山2曹、ありがとうなのじゃ」

「駿河1尉、お気になさらないで下さい。それでは自分は三人で日没後まで撮影させていただきます」

「日没後?そんな時間まで撮影するのじゃ?」

「はい。本当ならはしだての夜景も撮影したいのですが、帰りの時間もありますからな。その前に月夜野さん達と、こちら名産のキンメダイの煮付けも食べに行くのですよ」

「羨ましいのじゃ。小官も出来ればここで食べていきたいのじゃ」

 それから二言三言会話を交わすと、根山は月夜野達の方へと戻っていった。

 駿河が振り返ると、静岡募集案内所と伊東地域事務所の副所長が柿崎と会話していた。

「何を話していたのじゃ?」

「どこの駐屯地の食事が美味しかったのかと、柿崎さんに聞かれていた所です」

「ほう?小官も知りたいのじゃ。因みに伊東地域事務所伊東の副所長は、どこが美味しいと思うのじゃ?」

「自分でしたら北海道の……」

「そうか?それだったらあっちの方が……」

 二人の副所長が意見を交わしているのを、駿河と柿崎は笑顔で聞いている。

 話題が落ち着くと、駿河は柿崎に写真を渡す。

 気がつくと撤収作業もほぼ終わり、最終的な片付けに必要な人員を残してほとんどが帰隊していった。

 柿崎も母親が迎えに来たからと言って、次回の地本イベントのスケジュールを聞いてから帰って行った。

「さて、小官達も撤収なのじゃ」

 副所長と3等陸曹を前にそう宣言すると、はしだての艦橋を見上げようとする。

 すると、はしだての方から大江山が歩いて来るのが見える。

「大江山1尉、どうしたのじゃ?」

「もう少しだけ、駿河1尉とお話が出来ないかと思いまして。お時間はよろしいかしら?」

「もう少しだけなら大丈夫なのじゃ」

 大江山は軽く頭を下げると、駿河の右横に立つ。

「慌ただしかったですわね?」

「小官は落ち着いた公開だったと思うのじゃ。土日の艦艇公開はもっと人が来るのじゃ。でも、浜松基地の公開に初めて行った時は、流石に人が多すぎてびっくりしたのじゃ」

「そうなのですの?わたくし、他のの公開もあまり経験しておりませんので、忙しく感じたのかしら?レセプションでしたらいつもの事ですので、人が多くても気にはならないのですけれども」

「そういう事もあるのじゃ」

 ちらりと大江山の顔を見ると、“はしだて”の方へと視線を戻す。

「そう言えば駿河1尉と柿崎さんのお話、悪気はありませんでしたけれども、偶然聞いてしまいましたの。『柿崎殿が進路を考える時に、自衛官も選択肢の一つとして心の隅にでも』と仰っておりましたわね?とても感銘を受けましたわよ?」

「確かにそれは言ったのじゃ。でも、どこで聞いていたのじゃ?プロムナードデッキでは姿を見なかったのじゃ。……ま!まさか、大江山1尉は本当に幽霊だったのじゃ!?」

 駿河は驚いて、はしだてに向けていた顔を大江山へ向ける。

 そばにいた副所長と3等陸曹も、幽霊という言葉に反応し、ぎょっとした表情で大江山を見る。

 大江山は顔を駿河へ向けると、満面の笑みをこぼす。

わたくし、幽霊ではありませんのよ?そうですわね……あえて言うのなら、横須賀警備隊所属の特務艇はしだてにいる妖精さん、でしょうかしら?ちょっと違うかしら?……意外に表現が難しいですわね?」

 大江山が途中から真剣な表情で言っているのを見て、駿河は呆れた表情を浮かべる。

「大江山1尉は、小官をからかっているようなのじゃ。あまり良い趣味とは言えないのじゃ」

「あら?本気で言っていたのですけれども、冗談のように聞こえまして?」

「小官には途中から冗談にしか聞こえなかったのじゃ。でも、冗談という確証も無かったから、大江山1尉には小官がどっちつかずのように見えたと思うのじゃ」

「それでは仕方ありませんわね?駿河1尉に、本気で冗談と思ってただけるくらいにしていたつもりだったのですけれども……中途半端でしたかしら?」

「中途半端だったのじゃ。何処までが本気で何処までが冗談を言っているのか、とても分かりにくかったのじゃ」

 大江山がくすりと笑うと、はしだてから『自衛艦旗降ろし方5分前』と聞こえてきた。

 自衛艦旗降ろし方は朝八時の自衛艦旗揚げ方の逆であるのだが、時間は入港している場所の日没時間にあわせている。

 このため、例えばこの日の下田港の日没時間が午後四時四十分なら横須賀港は午後四時三十六分頃、呉港は午後五時〇七分頃が自衛艦旗降ろし方の時間となる。

 これは基地等の陸上施設も、海上自衛隊では適用される。

 また陸上自衛隊、航空自衛隊も国旗の揚げ下げの時間のルールはあるのだが、海上自衛隊と同じかどうかは地本等へ聞いてみていただきたい。

「もうこんな時間なのじゃ」

「すぐに帰られますの?」

「そうなのじゃ。ここは伊東地域事務所長、東松原2尉が担当しているのじゃ。それに、小官達は手伝いも終わっているのじゃ。だから降ろし方を見届けたら撤収なのじゃ」

 駿河はそう言うと、艦尾の自衛艦旗へ正対する。

 大江山、副所長、3等陸曹も駿河にならい正対する。

 一方で少し離れた所で撮影していた根山は、第2輸送航空隊の帽子を被り、駿河達同様に正対している。

 カメラは三脚に固定したまま艦尾に向けているため、根山は動画として降ろし方を撮影するようである。

 その横ではカメラを持ったまま左手を艦尾の方へ伸ばし、何かを説明するように話している月夜野と、それに対して肯いているアキラも見える。


『自衛艦旗降ろし方10秒前』


 艦内放送と同時にラッパ譜の“気を付け”が吹かれ、はしだて乗員、駿河達地本の隊員、それに根山も不動の姿勢をとる。

 月夜野とアキラを見ると既にお喋りを止めていて、静かに時間を迎えるようである。


『時間』


 ラッパ譜の君が代が演奏される中、自衛艦旗と艦首の日本国旗が降ろされていく。

 同時にはしだての艦外の照明が灯り、これから迎える夜の時間に備える。

 そして、ラッパ譜のかかれが吹かれると同時に、艦内放送から『かかれ』と聞こえてくる。

 敬礼を終えた3等陸曹は車両を回してくるといって、駐車場へと向かった。

「もう、お時間ですわね。もう少しお話したかったですわね?」

「仕方無いのじゃ」

 そう言って大江山の方を見ると、彼女は駿河へと微笑んでいた。

「駿河1尉」

「どうしたのじゃ?」

「駿河1尉が自衛隊と一般の方々の【架け橋】として頑張っていらっしゃるのを、わたくし、横須賀警備隊の特務艇はしだてとして、応援させていただきますわね?」

「大江山1尉、まだ冗談……の、のじゃ!?」

 また冗談を言われたと思った駿河だったが、大江山の表情は真剣さを帯びていて、とても冗談を言っているようには感じられなかった。

 そして大江山はそのまま挙手敬礼して、駿河の答礼を待っている。

 駿河は戸惑いを感じつつも、挙手敬礼でそれに応じる。

 すると少し離れた所から東松原に声をかけられ、挙手敬礼を終えた駿河は彼に返答するためそちらへと向いた。

 東松原の横には静岡募集案内所と伊東地域事務所の副所長同士が挨拶をしているのも見える。

 そして、3等陸曹が運転する車両が見えて、駿河は大江山の方に振り向いた。

「それでは名残惜しいのじゃが、小官達は……帰る……のじゃ?」

 だが、そこには大江山の姿は跡形もなく、辺りを見回しても見つからなかった。

「おかしいのじゃ……あ、いや、小官が気付かなかっただけなのじゃ。きっとそう……そうなのじゃ!」

 無理矢理のように自分を納得させた駿河は、その場で静岡募集案内所の副所長へ声をかけると、二人で車両に乗り込んだ。

 しばらくして車中の駿河の脳裏に、特務艇はしだてが浮かぶ。

(はしだて……名前の由来は日本三景の一つ、“天橋立あまのはしだて”からなのじゃ。大江山1尉も面白い事を言うのじゃ。小官が自衛隊と一般の人の【架け橋】になれとは、粋なことを言うのじゃ)

 気がつくと車両は高架橋を走っていて、駿河は横目で車窓の風景を眺めている。

(架け橋……橋……はしだて……天橋立……そう言えば百人一首に天橋立の歌があったのじゃ。確か……)


 大江山

  いく野の道の

   遠ければ

  まだふみもみず

   天橋立


 駿河は疲れた頭にぼんやりと天橋立の一首と、自身の記憶にある今日の下田港と横須賀での特務艇はしだての姿を重ねて見るのであった。

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