その3

○特務艇はしだて 艦橋内 0853i(日本標準時間・午前八時五十三分)


 はしだて給養員の案内で艦橋まで登ってきた駿河達は、給養員から引き継ぎを受けた、2等海曹の航海員の案内で艦橋の見学を始めた。

「しらせとは違った雰囲気だな」

 周囲を見回した准陸尉である副所長の言葉に、航海員は笑顔を浮かべる。

「そうですね。しらせの全幅は約28m、本艦は約9.4mなのでそれだけでも印象が違うと思います。ちなみに護衛艦たかなみは約17.4mと本艦の二倍くらいですので、また違った雰囲気なんですよ」

 航海員の言葉に、駿河は反応する。

「もしかして、しらせとたかなみに乗っていた事があるのじゃ?」

「はい。たかなみは士長時代ですのでかなり前に、しらせはありあけの前ですね」

「ありあけの次がはしだて……」

 駿河は航海員と続けて会話をしていたのだが、ふと視線が気になり副所長達を見ると、自分が会話の置いてきぼりにしてしまった事に気付いて苦笑いを浮かべる。

「申し訳ないのじゃ!つい気になってしまったのじゃ!副所長は何か気になる事でもあったのじゃ?」

「いえ、大した事では無いんですが天井に手摺りとかが、しらせと違って無いのだなと思いまして。はしだてでは使えないのですね」

 天井を見上げた副所長の視線を追って、駿河達も見上げる。

「使えない、ですか?ん?」

 航海員は少し疑問の表情を浮かべると、副所長の言葉の意味に気がついたのかそちらへ正対する。

「もしかして、副所長はしらせの天井の手摺りを、懸垂けんすいに使えると思いませんでしたか?」

「えっ?ああ、確かに。船に乗ってたら運動不足にもなるし、使えると思ってたんだ」

「あの手摺りは体を支える為なので、ぶら下がるのは禁止されているんです。もしもしらせで昭和基地へ行かれる際は、是非覚えておいてください」

 航海員のその言葉に、3等陸曹が疑問を口にした。

「体を支えるとは嵐を想定して、ということでしょうか?“くにさき”と言う船に一度だけ乗った時、天候が悪くて大きく揺れていたような覚えがありましたが、体を支える程では無かったのですが?」

「自分は“くにさき”等の“おおすみ型輸送艦”や“ひゅうが型護衛艦”等へ配属された事はありませんので分かりませんが、“しもきた”へ配属された同期から聞いた話ですと、台風や時化しけに遭遇すれば、他の護衛艦同様に大きく揺れる事があると言っていました。ただ、しらせの場合は南極への行き帰りの途中、床が壁になるくらいに揺れるような嵐にいつも遭遇するので、どうしても必要なんです」

「床が壁に!?いつもですか!?」

「『床が壁に』は大袈裟に表現すれば、なんですが、いつもと言うのはそのままです。と言うのも、南極の周囲をぐるっと暴風域が帯状に取り囲んでます。通称で『吠える四十度』『狂う五十度』『絶叫する六十度』と呼ばれてるんですが、そんな暴風域が存在する海域を、昭和基地へ行くには通らざるをえないんです」

「絶叫!?ペンギンに一度は会ってみたいと思ってましたが……行くまではそんなに大変なのですね」

 副所長は航海員と3等陸曹の会話に入り込むように、更に質問する。

「そんなに酷いのか?しらせには揺れを抑える装置があるとか聞いたんだが?」

減揺げんよう装置はありますが、文字通り揺れを減らすだけで、南極の暴風域では大きく効果があるわけではありません。それでも、先代しらせの出した『左傾斜53度、右傾斜41度』の記録を今の所は破っていないので、その程度には効果はあると思います」

 航海員は右手をしらせに見立てて左右に傾けると、手を握っておろした。

 副所長と3等陸曹は言葉を失い、しらせの航海の状況を想像したのか、やや顔が青くなったようにも見える。

「貴重な話をありがとうなのじゃ!それで、もしもピンポイントに、たかなみ、ありあけ、しらせの事が知りたい見学者がいたら、貴官を案内しても大丈夫なのじゃ?」

 放心でもしているような副所長達をよそにして、駿河は航海員にそう言うと、少し見上げるようにして顔を覗き込む。

「自分は艦橋の案内担当ですので、艦橋から出ないのであれば特に問題はありません。それにしらせでしたら、確か機関員長と給養員長もしらせの経験者と聞いていますので、航海以外の事でしたらそのお二人にも聞いてみてはいかがでしょうか?」

「給養員長もしらせに乗艦していたのじゃ!?面白い事を聞いたのじゃ!?これは覚えておかなくてはいけないのじゃ!!」

 駿河は左を向くと副所長達にも覚えておくように、指示を出した。

「あの、どういうことでしょうか?」

「副所長、特務艇はしだては別名『迎賓艇』や『迎賓艦』とも呼ばれているように、国内外のお客様をお持て成しをするのじゃ。場合によっては会食も行われたりするのじゃ。だから、給養員長達を始めとした給養のメンバーは凄腕なのじゃ!」

「なるほど、要人をお乗せしますからね」

「そうなのじゃ!しらせの方は、オーストラリアのフリーマントルを出発してからシドニーへ戻ってくるまでは、限られた食材を遣り繰りして長期間の献立を考えるのじゃ。はしだてもしらせも、給養員長達の大変さで言えば大差はないと思うのじゃ。そんな両方の艦艇に乗艦しているのじゃ。海自の食事に興味ある志望者さんにも、興味を持ってもらえると思うのじゃ!」

 昨今横須賀や呉等では、海上自衛隊の艦艇等で出されているカレーが『海自カレー』として注目され、人気となっている。

 その海上自衛隊のカレーは毎週金曜日のお昼に出される事になっているのだが、これを各艦艇や陸上基地それぞれ、そこに配属されている給養員長達が工夫を凝らして作り上げている。

 なお、航空自衛隊も“唐揚げ”に関して、海上自衛隊のようにあるのだが……、こちらも近くの自衛隊イベントや広報センター、地方協力本部等にいる自衛官達へ聞いてみていただきたいと提案させていただく。

 しばらくして駿河達は、艦橋にいた当直士官に聞いた道順を通って、プロムナードデッキに到着した。

 だが、まだ準備中だったため、駿河はそこで行われるパネル展示の概要を聞き、パネル数点を乗員の海曹から見せてもらい、次の順路に進んだ。

 プロムナードデッキから下へ向かうラッタルを見下ろすと、駿河は(他の艦艇のラッタルも、全部こうだったら良かったのじゃ)などと思いながら、背後の二人に気付かれないよう小さく溜め息をつく。

 艦橋へ向かう際に登ったラッタルは、両手を手摺りに掴まらないと上り下り出来ないほどの急角度であった。

 しかし、プロムナードデッキ中央より、やや艦尾寄り付近に配置された駿河達の目の前にあるラッタルは、一般家庭の階段よりも角度は少し緩やかに見え、踏み板の部分の寸法もしっかりと確保されている。

 駿河達は片手で手摺りに掴まりながら降りていくと、扉が閉じられた控え室の前に立つ。

「この控え室は見学の対象なのじゃ。それで、小官達の後ろにある会議室と通訳ブースは非公開なのじゃ」

 後ろを振り返った駿河達の目には、左側のプロムナードデッキへ上がるラッタルと、そのすぐ右側の奥へ向かう行き止まりになっている通路が写っている。

「右の通路に衝立ついたてを置いて目隠しして、通行禁止にするそうなのじゃ」

「駿河1尉、この奥を見学者に見たいと言われた場合、公開禁止の説明をすればよろしかったですね?」

 副所長の確認に、駿河はそれでいいと言ってから補足する。

「今回は平日なのじゃ。特別公開を実施するほど志望者が集まるとは考えにくいと、艇長もそうに想定しているとは思うのじゃ。けれど、何処まで機密保全や保安上の理由が関わっているのかは小官には知り得ない事じゃから、見学出来るともなんとも言えないのじゃ」

「それでは、志願予定者が『どうしても見たい』と言った場合でも、公開が禁止されているとの説明でよろしいのでしょうか?」

 無言で肯いた駿河は、困ったような表情を見せて、両手を腰に当て副所長達に背中を向ける。

「そうとしか言えないのが、ちょっと悩ましいのじゃ。小官達地本側としては、色々と見て知って興味を持ってもらって、入隊までしてもらいたいのじゃ。でも受け入れ側の艦艇としては、保全や保安上等の理由で見学者の全ての希望を叶える事が、出来ないのじゃ」

 駿河がゆっくりとラッタルを見上げて小さく肯くと、今度は腕時計で時間を確認する。

「もう10ヒトマル20フタマルなのじゃ。もう少ししたら、近隣のお店も、開店してから落ち着く頃だと思うのじゃ。道の駅にある観光案内所や、お土産のお店とかから告知に行くのじゃ!」

 駿河は意気揚々と先頭に立って歩き始めると、副所長と3等陸曹は慌ててその後ろを追いかけた。


 特務艇はしだてから降りた駿河達は、予め伊東地域事務所所長の東松原から預かっていたパンフレットを持ち、港から出ると一番近い施設である道の駅へと向かった。

 到着すると三人は案内板を確認し、副所長と3等陸曹は手分けして一階の土産物屋を、駿河は二階の観光案内所や飲食店等へと向かう事にした。

 駿河は二人と別れると、そのまま階段を登って目の前の回転寿司店に入ろうとするも準備中の札がかかっており、扉のガラスには開店時間が十一時〇〇分からと書かれていた。

 こういう事もあると諦めると後回しにするのを決めて、駿河は東伊豆道路との連絡通路を挟んだ隣の観光案内所へと向かった。

「午後一時から午後四時まで、ですね?」

「そうなのじゃ!もし休憩に立ち寄ったりする人がいたら、是非声をかけていただきたいのじゃ!」

「分かりました。そのような方が来ましたら、案内させていただきます」

 観光案内所で艦艇公開の案内を終えると、今度は併設されている博物館にも足を運び、同様に公開の案内を行った。

 外へ出て時計を確認すると、既に回転寿司店の開店時間は過ぎていて、駿河はそちらへと向かう。

 店内に入ると手書きで、今朝採れた魚やお勧めの魚の名前が書かれた札が掛けられていたりするのだが、中でもキンメダイは特産と言うこともあり、一際大きく案内されていた。

「いらっしゃいませ!一名様ですか!?」

 店内を見渡していた横から若い女性の声が聞こえて、駿河は自分が客ではなく艦艇公開の案内に来たと説明した。

「へぇ~?はしだてって言う自衛隊の船が見られるんですか?」

「そうなのじゃ!午後四時まで見られるのじゃ!」

 駿河が案内していると、カウンターの奥に座っていたメガネの男性客が別の店員に声をかけていた。

 店員は皿の枚数を数えて伝票に記入し、駿河を応対していた女性店員へ「お会計をお願いします」と呼びかける。

 女性店員の方は駿河に少し待つように言うと、男性から伝票を預かり、会計を済ませた。

「ご馳走様でした。キンメダイ、美味しかったです」

 男性がそう言ってレシートとお釣りを受け取ると、女性店員は礼を述べ、聞いたばかりの艦艇公開の案内をした。

 駿河は早速の対応に心の中で感謝を述べると、男性から思わぬ言葉を聞いた。

「教えていただいてありがとうございます。実は私の目当てが、その船なんですよ」

「のじゃ!?それは本当なのじゃ!?」

 思わず女性店員より先に声を上げた駿河を見た男性客は、駿河へ一礼すると上着の胸ポケットから名刺入れを取り出し、中から名刺を取り出す。

 ここで先に名刺を出されるとも思っていなかった駿河は、慌てて自分も名刺を取り出して交換する。

「静岡募集案内所の駿河葵1尉ですね?よろしくお願いします」

「よろしくなのじゃ!それで、そちらは月夜野……出雲殿なのじゃ?小説家さんなのじゃ?」

「はい。今日の事は静岡地本さんの呟きサイトで“はしだて”公開を知って、出来れば給養員さん達のお話とかが聞けたら良いなと思って来ました。リツイートもさせていただいてます」

 そう言うと、月夜野は駿河から受け取った名刺を名刺入れに仕舞って、胸ポケットへと戻した。

「それはありがたいのじゃ!それで、はしだての給養員の話を聞きたいのじゃ?」

「ええ。はしだての料理を一度は食べてみたいんですけど、私は一般人なので無理でしょうから、せめて話だけでもと思いまして」

 月夜野が諦め気味に放った言葉に、今度は女性店員の方が反応する。

「料理ですか?」

「はい。とても美味しいと聞いているので、話だけでもと……あ、本職の駿河1尉がこちらにいらっしゃるのに出過ぎた真似をしてしまいました。失礼しました」

 月夜野はそう言うと、観光船サスケハナの出航時間があるからと、駿河と女性店員にそれぞれ一礼して、その場を後にした。

「駿河さん、さっきの人の話は本当なんですか?」

 女性店員の質問に、駿河は笑顔を見せて答える。

「小官も一度は食べてみたいのじゃ……あ、いや、美味しいという評判は本当なのじゃ!それに給養員長は、あの“しらせ”にも乗っていたことがあるのじゃ!」

「しらせって、たしか南極に行く船ですよね?それで、給養員長さんって誰なんですか?」

「給養員長は、料理長のような立場の人なのじゃ。もし、興味があるようなら、是非来て話をしてみて欲しいのじゃ!タイミングが合えば、員長や他の給養員達とも直接話が出来るかもしれないのじゃ!」

 そう言って一度仕舞った名刺入れを取り出すと名刺を手渡し、女性店員の方は「柿崎かきざき咲良さくら」と自己紹介し、行くかどうかは少し考えさせてもらうと言った。

 駿河は「是非考えてみてほしいのじゃ!」と言って、回転寿司店を後にした。

「さっきの柿崎殿、興味は少し湧いたようだったのじゃ。これで来てくれたら嬉しいのじゃ」

 階段を降りながら一人ごちていると、その下に見える歩道に副所長と3等陸曹が待っているのが見えて、駿河は彼らと合流した。


○下田港 特務艇はしだてを係留している桟橋 1316i


「やっぱり平日とあって、見学者は少ないですね」

 伊東地域事務所の東松原達と合流した駿河は、静岡地本の本部長達を出迎えたり、その他細々こまごまとした準備を行い、今に至っている。

 1255頃まで駿河と一緒にいた副所長は見学者から陸自の特科に関する質問を受けて応対中で、3等陸曹は見学を終えてはしだてを降りてきた見学者に対して、はしだてや海上自衛隊等のパンフレットを配布する係を行っていた。

「どうしても人が少なくなるのは仕方無しなのじゃ。呟きサイトでの告知もしていたのじゃが、行きたくても行けないという声が多かったのじゃ」

「艦と下田港のスケジュールもありますから、こればっかりはどうしようもありません」

 駿河と東松原は本部長の応対を終え、一段落ついている所であった。

「あ!どーも駿河1尉!見学に来ました!」

 男性の声がして横を見ると、右手でコンパクトカメラを持ち左手を軽く上げて振っている月夜野が、根山、それにアキラと共に歩いて来るのが見える。

「月夜野殿!それに根山2曹とアキラ君も一緒なのじゃ!?どういう事なのじゃ!?」

 驚く駿河に月夜野は訳を説明する。

「根山2曹とは私が作家になる前に、群馬の相馬原そうまがはら駐屯地での駐屯地公開で知り合ったんです。それで、アキラ君の方とは呟きサイトでの知り合いで、顔合わせは今日が初めてなんです」

「なるほどなのじゃ!と言うことは、アキラ君が見た呟きというのは、月夜野殿だったのじゃ?」

「はい、そうです!今日は作品の舞台も見られて、お話も聞けるので楽しみなんです!」

「はしだてが舞台なのじゃ?」

 駿河の問いに月夜野は、少し恥ずかしそうな素振りを見せながら説明をする。

「しらせを筆頭にして、海自の話を主に書かせていただいてるんです。はしだても登場させていただいているんですが、見学した事が無かったので……えっと、自分の作品を面と向かって説明する機会が少ないもので、緊張しちゃって」

 照れ笑いをする月夜野に、根山は彼の横に立つ。

「そう言う割にはアキラ君と自分に、作品内のはしだてについて、嬉しそうに裏話をされていましたな?」

「そ、それは二人とも私の作品を知ってくれているから、私も“白瀬さん”みたいになれるんですよ」

「“しらせさん”なのじゃ?その人は誰なのじゃ?」

「簡単に説明しますと、南極観測船しらせの擬人化キャラの事なんです」

 月夜野はそう言うと、駿河に“はしだて”を見学させてもらう事を伝えて、三人は手荷物検査場へと向かった。

「随分と面白そうな人だったのじゃ」

「そうですね。小説家さんも恐らくですがあちこちの公開に行ってるようですから、機会があればまた会えるような気がしますね」

 駿河と東松原は、手荷物検査場を抜け舷梯を渡り始めた根山達を見やると、地本広報班長達のいるテントへと向かったのであった。

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