第8話 第4夜
頭が痛い。
その夜の私はとても頭が痛かった。
「スラウェシ大丈夫か?」
「う、痛い」
どうしてだろう。
かなり、いや、染みるように痛い。
痛い。
痛い。
痛い痛い痛い痛い。いたい。
いたいいたいいたいいたい。
ぐっ。
何だろ、これ。なに?
っ。
我慢するけど、我慢できそうにない。
でも我慢しないと。
どうしようもないのに。
「スラウェシ。病院に行こう」
救急車は呼ばない。
私は引退したとはいえ、ストーリーエンジンだ。普通の病院で治療はできない。
まして頭部が痛いとなれば、これはもう確実に、バイオトロニクス分野の知識がいる。
そこで、こんな時のためにあらかじめ見つけておいた医院に行くことにした。
個人経営の小さな医院だが、とある大病院を追い出されて開業したという、腕は本格以上。
何か、私は思い出さなければいけないことが……。
つっ、ダメだ。考えることが今はダメだ。
痛い。ただ痛い。
じっと我慢してると少しは痛みが過ぎ去ってゆくような気がするけど、しかしすぐにまた戻ってくる。何度も無限ループ。
*****
そこは静寂な世界だった。
この世界とはごくわずかに位相がずれた世界。
人間の姿はなく、でもそれ以外のものはすべてその通りある。
超立体の影。影ゆえにそこには本来ならある時間の経過が存在しない。
そこで時のある存在として動いているのは、自分たちのみ。
「もうダメだ。時間切れだ」
カロが言った。
「あと1人だけしか戻れない。カロ、お前が戻れ」
しかし僕も言い返した。
僕は覚悟を決めた。いちど接続を解除したら、2度と戻っては来られない。
永遠の死。いや、永遠の生か。
この偽物の世界で干からびていくまで。
「だめだよ」
カロは声を。
「だって君が帰らないと、次はどうするの?」
とても小さくして喋った。
誰かに聞こえたら命取りになる、そう思ってるくらいの真剣さで。
落ち着いて。悲鳴を押し殺して。
カロが僕を返そうとするには理由がある。
超立体の影の中で方向感覚を維持できるのは、チームでは今のところ僕だけだ。
だからカロは僕を生かして返そうとする。でも。
「いないわけじゃない。探せばいいんだ。他に存在することは分かってるんだから」
「そんなの、探している暇なんてないよ。どれだけ切迫しているか」
僕は時計を見た。戻るまであと2分。
あと2分までに決めなければならない。
「でもカロ、君は」
君は本当は、僕なんじゃないか?
未来の僕なんじゃないか?
それなら、カロが執拗なまでに僕の生存にこだわる理由が説明できる。
そうしなければ、ここにいるカロ自身が存在できなくなるのだから。
もちろんカロがここで僕を守るために自分の身を投げ出そうとするのも、カロからすれば当然の行動なのだ。
でも、それはつまり。
*****
俺の名はデイブ。スラウェシに作られた下級人口知性体だ。
そのスラウェシが頭痛で倒れた。
俺はスラウェシを背中に担いで駆け出した。自動車のような気のきいた小道具はない。それにスラは普通の病院には見せられない。だから自分たちのことを知ってくれている、顔見知りの医者を、裏事情を考慮してくれる医者を、探さなければならなかった。
幸いにして、その医者は街の反対側にあった。
今こそ人造人間の本領発揮とばかり、脚力でスラを運ぼうとする。
まったく息が切れることなし。自分で言うのもなんだが便利なものだ。
背中のスラウェシが妙に軽くて心配だった。最近は食べすぎて昔のファッション服が入らないよなどと言ってたが、それは成長に伴うもので、太ってるとかじゃない、もう少しふくよかになってもいいくらいだ。
そんなことを考えながら走り続けていると、すでに街を半分以上も横断していた。あと少し。だが、目前に誰かがいた。
「間に合った。指定した通りだったね」
それは黒人の血が入った美しい背の高い女性。髪は流れるようなウェーブで伸ばすメタリックカラー。そうか、相手側にも万物の法則をねじ曲げるストーリーエンジンがいるのだった。そうすると、もしかしてスラの苦痛も。
「いや。指定されたのは君の通り道だけだったよ」
こっちの思考を読んでいるかのような返答。
「だって気づいていたかい。この街、かなり大きいのに道が1本しかないってことに」
そんなわけはない。首都圏からそんなに離れていないのだ。複数の道があるに決まって……、しかし。俺がこの道を選んだのは。もちろん最短距離だからだ。いや、そうでもないのか。つまり。スラウェシがこうなったせいで誘導を受けてしまったというのか。
普段はスラウェシの現実改変能力が俺への攻撃を防いでくれているが、スラウェシが倒れたら、当然それどころではなくなる。その隙に他のストーリーエンジンから現実改変能力による攻撃を受けたならば。
「あたしは茉莉ヒメルだ。このわずかな時間だけ、お見知りおき願おう」
そういって相手は突っ込んできた。
スラウェシをその場に降ろして、防戦するしかない。
戦闘突入。
スラウェシを後ろに降ろして、できるだけ距離を取る。敵もそれは許してくれたが、ある程度の距離で攻撃を仕掛けてくる。そのまま好きな場所を取らせてくれるほど甘くはない。
重い。一撃、一撃が信じられないほど重い。肉体のフレームに歪みが生じ、そのたびにメタリジェンの能力で歪みを修正しているのだが、普通の人間ならば五体がバラバラになるくらいの重さだ。
「お前はメタリジェンの能力を使いこなしていない。なぜなら」
茉莉ヒメルは言葉でも攻撃する。
ヒメルの攻撃はすさまじく、でも後ろにスラウェシがいるのだ、一歩も下がれない、もしスラウェシが巻き込まれたら、この重量では、この打撃では。
上段への蹴りがくる。それを受け、ではなく捉えた。両手でホールド。これで反撃、と思うが2つ目の蹴りがくる。苦し紛れではない。これが本命だ。脇腹へ。背骨が歪むほどの打撃。まずい。
なぜ両足を使ってこれだけの打撃を。その理由はすぐに分かった。
茉莉ヒメルには3本目の脚が生えていたからだ。
「肉体を変形する能力こそが、メタリジェンであることの最大のメリットだからだ」
俺は、その場に崩れ落ちた。
こいつはメタリジェンだ。
この茉莉ヒメルという相手を甘くみていたことに今更ながら気づく。
マウントポジションを取られ、腕が巨大なピストンシリンダーに変形させたヒメルは赤熱弾を俺に叩き付けてくる。徐々に形状記憶を失っていく俺である。このままでは負ける。
俺は体の構造を無くし、あちこちが過剰の熱で崩壊し、ただの溶けた機能しない人工流体セルのインゴットと化していった。
*****
私は死ぬためにブラックホールに墜ちて行った。
だが、私は死ななかった。
潮汐力で引き裂かれながらも、ごく薄い特殊な再生線の状態で生き残った。
やがて、事象の地平線を越えた。
すべてが落ちてきた。
未来のすべて。
あの日、死ななかった人たちの未来。
いつか世界が終わるまで。
死者の世界からそれを見た私は。
こちらから手を伸ばすことだけは絶対に許されないから。
永遠にあのころの私のままでそれを。
愛した人たちが、死んで生まれ死んで生まれ死んで生まれ死んで生まれ、死んで。
そして、何もなくなった。
すべては去り。それでもまだ。
未来は落ち続ける。
あの日死んだ私だけが、
そのすべてを覚えている。
今でも。
これからも覚え続ける。
ずっと。
*****
私の名は茉莉ヒメル。
「さて、こんなものでいいかな」
私は立ち上がった。足元には既に破壊された一体のメタリジェンがあった。
なに、大量生産品だ。次のを買いたまえ。もっともバックアップされてない差分のデータは再生できないだろうが。
まだ赤く熱を発している部分と、黒色もしくは茶色に焦げた部分とが混ざり合った、メタリジェンの真新しい死体を脇に見ながら、私は回収ターゲットの方に目を向けた。こちらの方は傷ひとつ付けないようにとのオーダーだ。
「ふぅー」
こんなお嬢ちゃんがねえ。もちろん依頼内容なんて知らない。そういうことになっている。知らないということにしなければ危険だ。この記憶も後で消す。しかし修羅場で裏切られないように、知るべき点は知っておかなければならない。そうしなければ
何だ?
レーダー識覚が奇妙なものを検知したと思いきや、事態が飛んできた。
「っぁぁぁぁぁぁああああああああああ‘あ’‘あ’“あ”“あ”」
左上方よりドロップキックが飛来。
どうも近所の高校ジャージを着こんだ女子生徒らしい。
だが左手だけでがっちり余裕にブロックして。
「まだぁああああああああ」
電撃。
こいつ、発電人類か。
そういえばこいつ、靴を履いてない。素足だ。
だが発電人類の放つ電撃は、メタリジェンの形成装甲表皮を通り抜けるだけで、内部へのダメージはない。
「無駄ぁあ」
発電人類が1人、鮫島ハルルの攻撃をあっさりと撃退する。
そのままドロップをつかんだ左手を反対方向に放り投げる。
ゴロゴロごろ。どがっしゃあああ。
鮫島ハルルの攻撃はあっさり失敗した。
「ぶろっこりゃっ!」
ハルル、あっさりダウン。
これで妨害は排除された。
改めて回収ターゲットの方向を向く。
「ちっくっしょおお」
ハルル、土くれをかきむしる。
「なんでだよ。嘘つきい。ちゃんと守るって言っただろ? だったらさっさと」
立ちやがれ。
ぞくり。
金属の肌が震えたような気がした。
なんだ? 後ろを見るとそこには。
*****
とてもかわいい女の子の物語です。
いつもひとりぼっちだった彼女は、その人のことだけは好きでした。
やがて彼女は、わざと悪いことをするようになりました。
そうすることによって、ある人々をまもっていたのですが、誰もそのことを知りません。
もちろん大切なあの人も、そのことを知りません。
私は知っていました。だから何とかして、彼女をまもろうとしました。
でも私のやることはいつもずれてて、彼女をうまくたすけてあげられない。
ついに彼女は捕まってしまいました。
もちろん彼女は誰にも自分の秘密を言えません。
彼女のしたことは外側からそれを見た人にとっては、とても悪いことでした。
彼女がとっても大好きなあの人が、こう言いました。
「申し訳ありません。不良品は当社の責任において回収させていただきます」
そして、あの人が彼女をごみコンポーザーに入れました。
彼女はばらばらになってしにました。
こんなのひどい。
あまりにもひどすぎる。
私はタイムマーブルチョコ(その時代はもう代用品しかありませんでしたが。カカオがですよ。カカオはもう絶滅危惧種でした)を盗んで、彼女を助けに戻ります。
でも、彼女はやさしく帰ってと言いました。
わるものが必要なの。わるものがいれば、これは悪いことだと、みんなは考えてくれるようになる。
でも、これはちがうな。
本当は、そうしないとあの人に、会えないからかな。
あの人には、これが、必要なの。
これが短い寿命の、私にとっての使い方。そう決めたの。
そう。
彼女は最後に、あこがれの人に出会えたのです。
だからこれは、ハッピーエンドの物語。
私の記憶はそこで途切れました。
もちろん、これは夢です。
私が、あそこに行けるわけがないのですから。
*****
それは完全に死んでいた。
それは完全に溶解していた。
固有のメモリを破壊され、ただの人工流体セルの塊となったはずだった。
だが、いまやそれは真っ赤に溶解し、炎をあげながら、その中に新しい自己を再構成し始めていた。
私は、メタリジェンのそのような機能を知らない。
少なくとも市販されているメタリジェンにそのような機能を持ったものは存在しないのだ。
「バカな。再生するというのか」
戦いはまだ終わってはいない。
しかも奴の再生は、ただ再生するというものではなかった。
「な、なんだ。この大きさは!」
それは巨大な人間。
高さだけでは10mはありそうというくらいの巨人。
もともとの死体から取り出せる人工流体セルの量はたかが知れているので、こんなに巨大化するには大気中から元素を取り込まなくてはならない。おそらく炭素か窒素か、しかしそれでもその反応はずっと遅くなるはず。そしてそれによって構成された巨体も、剛体として使えるようなものではありえないはず。
「「「巨人パーンヂ」」」
巨人の腕が伸びてくる。もしかしたら思ってるより脆いかもしれない。
しかし徒な望みであった。
両の腕で受け止めた私は、数百トンの拳圧によって粉砕された。とっさに液化して逃れる。そのまま下水溝に流れ落ちて脱出する。敗北した時の脱出プランだったが、まさかこれを使う時がくるとは。屈辱だ。
「やった大逆転。見たか~。正義の力を」ハルルも勝利宣言。
「「「ごれはぜいぎじゃない」」」
巨人は謙虚さを忘れずに訂正する。
「「「だだ、まもぉりだがっだだげだ」」」
巨人になると声が妙な感じでエコーするのだ。
それはともかく、悔しさをこらえて私は撤退した。
貴様の名。覚えておこう。
そう思ってから、うかつにも名を名乗ったのは自分だけで、相手の名乗りを聞いてないことに気づいた。
*****
しばらくするとスラウェシはぱっちりと目を覚ました。
「あれっ」
スラウェシは、目をぱちくりしたが、もう頭痛は消えているみたいだった。
頭に手をやって不思議そうにしている。
「大丈夫?」「「「っだだいじょうぶがが」」」
見つめる2人は心配で気が気じゃない。
「ああ、そうか。謎っぽいのが解けたわ」
そういうことか。
それなら納得がいく。これまでの不思議がすべて綺麗に大きなひとつの形を指し示していることがようやく。
「もう大丈夫。もう頭痛いのは治った。そしてもう2度と痛くはならないわ。理由が分かったから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます