第7話 第4昼
あれ。
ここはどこだろう。
気づいたのは、明るく橙色の照明に照らされた和風のテーブル。
気がついたときにはなぜか、和風のテーブルとイスに座っていた。
そして隣にはなぜか早都ちゃんが座っている。
えっ。ちょっと戦慄。ドキドキ。
どうする? この前、ケンカしたばかりなのに。
他の人も並んでいる。
「ハイ、ネギラーメンいっちょ」
ラーメンが端から置かれてくる。
「ハイ、辛味噌いっちょ」
これは早都ちゃんの前。
さあ、私の前にもどんとおけ。
ここはラーメン屋さんだった。
ええと、これはいったい?
ちょっと思い出せない。
「ハイ、ストレートいっちょ」
来た。
そうだ、確か。
「私はグアドループ66という名前のストーリーエンジンです。実はここに集まってくださった皆様には、あるお仕事をやってもらいたいのです。もちろん、ストーリーエンジンにしかできない、超現実魔法の報酬つきです」
ジャマイカ出身の女の子、髪の毛はストパーを宇宙巻きとよばれるマンデルブロ集合的ヘアスタイルにまとめてライトブルーで極め。まあ、外見はともかく彼女も神さまの1人だ。
神ちゃま少女の依頼は、あるラーメン屋でラーメンを食すこと。それだけだった。
その過程であることがおきるが、演出まではしない、自然の流れにまかす。
といういわば、不思議の依頼とスーパーラーメンの謎、的な今回のお話。
なんで、忘れてたんだろう。
疑問に思うけど、そのときはそれで終わった。
ドラマの幕が開けたから。
来た来た来たあああっ。
私の前にもラーメンが来たあああっ。
その名もストレートラーメン。
何がどうストレートなのか分からないけど、こうなったら食べるしかない。
疑問点はその後だ。
え、始まったのはドラマじゃなくて食い気だろって?
いやいやいや、この時、すでにドラマが始まっていたんですよ。
私は、まずスープをすすった。
?
な、なんだ。これは。
普通、スープって味噌とか醤油とか豚骨とか魚介とか、ベースが決まってるけれど、これはそのどれでもない。まるで鶏がらスープのようにグルタミン酸が効きまくってるけど、それでいてしつこさはまったくない。ローカロリーだ。さんざんダイエットに失敗した私はローカロリーのものをまず間違いなく見分けることができる。
しかも、これは、この出汁(だし)は、なんだ?
魚系じゃないし。
はっっ。
「しじみ? シジミか?」
あの川に住んでる2枚貝。お味噌汁のお友達。
しかもシジミの味がまったく殺されてない。何という濃厚な薄あじ。こんな味がありうるのか? しかもこれ、マシジミじゃないか? 絶滅危惧種とさえ言われるマシジミを贅沢に使い切っているというのかっ。すごいっ。
そしていよいよ麺を食べる。
つるつるっ。
「うっ」
「ううううまああああいいいいぞおおおおおっっっ」
思わず亜空間を4段活用して喜びをダンスして表現する私の脳。
え、なんですか? 昔のネタ? そんなものは知りません。
この細くコシのあって、それでいて癖のないほそめんっ。
今、前世の記憶を思い出したっっ。
こ、これは忘れもしない、あのクレタでヴェネツィアの傭兵だったころに、謎の中華そばを無理やり食べさせられて、あまりのうまさに涙を流したあの夏、そう、あの日の午後に「このいくさが終わったら結婚するぜ」と誓いつつ、いもしない脳内彼女を作り、そしてこの中華そばを嫁さんに作ってもらうのだ、と思いつつ戦死していた夏の日。
そう、これは朱全忠が長安に攻めてくるので急いで逃げ出さなければとあわてていたら、通りすがりの若い格闘家が「お姫さん、これが俺の最後の料理かもしれねえ」そう笑って作ってくれた謎の料理の懐かしさ、美味しかった、あの格闘家さん、そのまま前線に行って、老後は北方の皇帝になったんだって。2度と会えなかった。
そしてネロ皇帝が死んだ日にローマに開店した謎の中華そば屋、その3日後には閉店してて、あれは東方の諜報部員だったとか噂された。だが本当はネロ皇帝に寵愛された伝説の料理人だったのだ。だがこの人はネロ皇帝に対するクーデター派に組したという。その人が消える直前にぼそっとつぶやいた言葉。「僕は友情より愛より味を追求することを選んでしまった。でもどうしようもなかったんだ。僕にはそれ以外に選べなかった。許してくれっっ」秘密を聞いてしまったあの日。
そしてこれは戦時中の横浜でゾルゲが逮捕される瞬間、「チョット、マッテクダサーイ」と言って、最後に流し込んだラーメン。そのラーメンで2か月の絶食に耐えきったという。
実はゲーペーウーがスパイの精神力を強化するために開発した究極の味だったとか。スターリンが脳卒中で死んだのも、ラーメンを食べすぎたからなのだ。
そう、すべての謎はラーメンでつながっているのだっ。
「まさに悠久の歴史の流れを越えたオリンピック、大河、そして銀河、宇宙、そう、人生はすばら……」
「ちょっと。うるさいんだけど(怒)」
隣で激怒する早都ちゃん。
ひっっっっ。
いかん。調子に乗りまくって脳がオタク空間に行ってた。そうだ、早都ちゃんが隣にいるんだった。
恐懼する私。
何で、この子いつも怒ってるの?
怖い。
しかしラーメンは文句なく美味しかった。
おとなしく食べます。美味しいです。
腕だけは確かだ、このおっちゃん。
でも態度が。
ロマンスグレイのおじさんが早くも食べ終わった。
「ごちそうさま。とても美味しかったよ」
とても速い。と思ったら、スープを残してらっしゃる。何ともったいない。
と、思ったら、いやしくも私もストーリーエンジンの端くれだ。
このひと、内臓を壊してるな。すぐわかった。
しかも本人の不摂生とかじゃなくて、先天性の障害に由来してる。
でもおっちゃんから出た言葉は。
「じゃあ、もう来ないでくんな」
「ラーメンを完食できない客におれのラーメンを食って欲しくねえ」
「俺はこの一杯で完全食になるように作ってる。金は返すよ。でも完食して初めて意味のあるラーメンを中途半端に食われちまうんじゃ、気力を無くす。おれはこんなことのためにこの道に入ったんじゃねえんだ。おれのラーメンを食えねえ客には帰ってもらう。それだけだ」
うおお、出ました歴史の謎が、じゃなくてどうしてこうラーメン屋ってゴーマニストが多いんだろ。
これはさすがにちょっとかわいそうだ。
「いや、私はラーメンがとても好きで、でも体を壊してるんだ。これでもかなり無理をして食べたんですよ。それってあんまりじゃないですか?」
ロマンスグレイのおっちゃんの丁寧な抗議。
でもラーメン屋のおっちゃんは1000円札をロマンスグレイさんの前に置いた。
「釣りはいらねえよ。文句ねえだろ」
どうしよう。こういうのって、抗議するのに勇気がいるんだよね。どうしよう。
まごまごする私は、迷うけど、しかしその葛藤はすぐに解決されるのだ。
すぐ隣で、ドンッとお椀が置かれる音がしたからだ。
「まずいわね」
ひやあああああ、早都ちゃんが激怒していらっしゃる!
そんなあからさまに低い声を出して。怖いっ。怖すぎるっ。
何でいまこの子の隣に私がいるの? あれ以来、私はちょっと早都ちゃんが苦手だ。いや、これはもうちょっとどころじゃないかも。
まあ、苦手なのはこの子のせいばかりだとは言えないんだけど。
そしてもちろんラーメン屋のおやじとくれば、地獄耳に決まってる。
「あん? いまなんつった?」
なんか汗っぽい何かを流す私。
「まずいから、まずいと言ったのよ。何か文句ある?」
前言撤回、この子の性格の悪さは折り紙つきですっ。
おやっさんは早都ちゃんと早都ちゃんの食べたラーメンどんぶりをみて、ふっ、と鼻で笑った。まずい、こりゃまずい。震源地がすぐ隣だ。早都ちゃん大震災。なんでよりにもよってこのタイミング。
「そりゃ、お嬢ちゃん。まずいのは当たり前だ。それは辛味噌シジミラーメンだからな。しかも激辛だ」
「うちはシジミの出汁を使ってる。それを特性のレシピで貝の臭みを無くして、うまさだけを引き出すようにな。おれが開発したんだ。そしてこいつは薄口に限る。おれが作ったんだから間違いない。そのシジミ激辛は、その長所をわざわざ犠牲にするような作り方してんだ。そりゃまずいだろうよ」
なんかどっかのマンガで聞いたことあんぞ、この説明。というのは禁句である。
マンガに影響される人はとても多いのである。
「解せないわね。あなたはわざわざ、まずく作った料理を出しているわけ?」
「ああ、そりゃあな。簡単な理由だ。パンピーには味が分からねえからよ」
こ、このおやじ、何様だーっ。さすがの私もちょっと頭に来るかもー。
「俺は最高のラーメンを作った。自信がある。だが、売れ行きは芳しくなかった。迷ったよ。でも原因は簡単だった。見た目だよ」
「ストレートシジミラーメンは見た目がすごく地味だ。そして大衆ってのは自分では味が分からないから、ラーメン雑誌に書かれたうまい店とやらに行く。そこで評価されるのは、いわゆるラーメンの味が分かりもしないやつが勝手に決めた、濃いとかトッピングとかのいわゆる写真写りの良いラーメンだ」
「まあ記者も仕事でやってるんだろうが。どっちにしろ、そこで評価されるのは本当の味を追求したものでは無く、目で見て分かりやすいラーメンだった。最初は苛立ったよ。でもビジネスだからな。おれは割り切った。そこで大衆向けに見た目の良さを追求したやつを作った。そしたら、売り上げは急上昇したよ。あっというまに有名店だ」
「だから、おれは悟ったのさ。ラーメンの味が分からないような大衆には、それなりのものさえ出しておけばいいってな。そこいうとその隣の嬢ちゃんは、まだ若いのに味は分かるようだな」
お、っと、私のことですか? 確かにこのストレートシジミラーメンはとても美味しかった。
でも、なんだろう。この割り切れなさ。
おやっさんの追撃は続く。
「あんたの食べたのは激辛だ。そりゃまずいさ。でもあんたみたいなのは、どうせ味なんて分かんねえだろ? だから、その程度の奴にはそれがふさわしいんだよ」
ラーメンが大好きな人を侮辱するようなこの言われよう。そんな歪んだ精神でラーメンをつくってほしくない。なんだか、さっき食べたのもまずい気がしてきた。こんなのってひどいっ。これはもう、私も頭に来たぞ。
しかし、そんな私の怒りなど、お隣に比べるとどうってことなかった。
「あははははははははははははははははっ。
すごいわ。あなたってとても職人気質のある職人さんだったのね。すごーい、そんな偉い人だって今の今まで解らなかったわ。アーティスト気取りね。意外よ」
え、なんでこの状況で笑ってるの?
怖すぎるんですけど。
「でもいまの発言を聞いてはっきりと分かったわ。あなたは職人としては2流よ」
「2流だあ?」
「だってこれ、つまり手抜きでしょ」
自分の食べてた辛味噌ラーメンを無下に指さす早都ちゃん。ニタリ。
漂う緊張感のあまり全員がラーメンを食べるどころではなくなっております。
さすがに鼻白むおやっさんだけど、当然ここで言い負ける壮年男子ではない。
「年上に向かって、また随分となめた口を利いてくれるもんだな、お嬢ちゃん。あんた、働いたことあるかい?」
「あるわ」
「へえー、見えないねえ。あんたみたいに減らず口叩いてるやつってのは大抵、現実が分からない、苦労もしたことがない奴だ。嬢ちゃんには正しい方が間違ってる、そういうのがまだ分かんねえだろ。そのうち嬢ちゃんにも反吐がでるような現実がわかるさ。そういう綺麗ごと言ってるやつにかぎって、すぐ音を上げるもんさ」
でも早都ちゃんはニタリニタリとうすきみ悪く笑うのだ。
早都ちゃんの長セリフが始まる。
「アーティストと名のつく職業は、誰の為でもなく、まず自分のために仕事をする人たちのことなのよ。どんなに札束を積まれても自分が気に入らなければ、その仕事はクソなの。
大層なご高説だったけど、要は金のためにわざとまずいものを作る、ってことでしょ。
そんなやっつけ仕事で適当な仕事ができる奴の仕事なんて、たかが知れている。それはアートではなくワーク。つまり2流ってこと。金のためだけに仕事してる奴の仕事よ。
あなたがどれだけ自分の仕事に自信があるのか知らないけど。確かにこの程度のお店があなたには似合ってるわ。私はラーメンのことなんて知らないから、別にどうでもいいけど。そうね。カレーがいいわ。ラーメンよりカレー派だからカレーラーメンを作ってよ。それなら別にだしなんていらないし。当然、お金の為なら作れるのよね。これからはラーメンなんて作らないでカレーを作りなさい。あなたのお金で曲げられる人生なんてその程度の価値しかないの。分をわきまえなさい」
「何だと!?」
「だったら不本意な条件でも自分なりにベストをつくせば良かったのよ。味なんて分からないだしを使うのをやめて、残るだしを使えばよかった。そうすればわざわざまずく作る料理なんて出さなくてもいい。
誰に分かってもらえなくても最高の仕事をするのがプロフェッショナル。
仕事というのは他人に誉められるためにするものじゃないの。
ラーメン屋の仕事を始めたのもどうせそれがかっこよいからとか、そんな理由なんじゃないの?
どうせ他人のやりかたなんて鼻からバカにして勉強しようともしなかったんじゃないの。目に見えるわ。あなたが最高と思えるラーメンを誰も食べなかったのは、単にそれがクソまずいからじゃないの?」
「違う。お前みたいなガキがっ」
「そういう屁理屈を言う奴は大抵2流よ。いつか分かる。本当は自分の腕が悪くてそれを客のせいにしてただけだって。本当は自分の仕事に自信がなくて、ただ客のウケをねらっていただけだから。だから必ずうろたえるわ。自分が作ったものが何の価値も無かったことがきっと誰よりも理解できるから。その時が来てもへらへら笑って適当にごまかしながら生きていく。鏡に映った自分の姿に必死で目を背けながら生きていく。それが2流よ。
まずいラーメンでも命がけで作って生きてきたのなら、新しいものに素直に感動できるし、いくらでもやり直せる。幾つになっても成長できる。でもあなたはしてこなかったのよね」
そこでしばらく、おやっさんが黙ってしまった。
あ。この人、見た目より素直なのかも。
*****
面白くないロボット映画の夢を見る。
家族は面白くない、と非難轟轟、それでも僕は最後まで観たい。
母。
「こんなつまんないものを見て時間を浪費したくないの。私はやらなきゃならないことをたくさん抱えてるんだから、もっと限られた時間でいいのを見ていきたいの」
父。
「これって男らしくないだろ。主人公が逃げてるばっかで責任を取らない。主人公が卑怯じゃないか。そういうのって何か嫌いなんだよ」
そりゃそうだけど、でもまだ最後まで時間がある。これから、運命的な大逆転が待ち構えているかもしれないじゃないか。
それに、つまらない映画だって味はある。少なくとも反面教師にはなる。
僕はそうやって擁護しようとするのだが。
妹。
「とにかく時間の無駄。気持ち悪いし」
その映画のタイトルは。
「僕の人生」
そこで目が覚めた。
カメラが回ってる。
それは不気味な1つ目を僕の方に向けている。
「止めろ。僕を撮るなっっ」
*****
ロマンスグレイさん。
「いや、みんなラーメンが大好きってことが分かって、少なくとも僕は不愉快じゃなかったですよ」
この人の取り成しのおかげで何とか、お勘定を支払うところまで無事に済んだのだ。
あんだけ、ひどいこと言われたのに。
でも実をいうと。お勘定でまたもめたのだ。
「てめえみたいなやつから、金をとれるかっ」
「金を取らない職人にプロを名乗る資格はないわ」
どんだけですかっ。
ついにブチ切れた私が無理やりお金を置いて、引き上げたのだった。
それにしても。
私は、ごちそうさまでした、と言わんばかりの視線で早都ちゃんを見てしまうのだ。うひゃあ、こんな1面があったんだ。すごいもん見ちゃった。いいぞいいぞ。ラーメンよりこっちの方がよっぽど収穫かも。
「勘違いしないでくれる?」
え。
「私、あなたのこと嫌いなんだけど。そもそもなんで私の隣にいるわけ? 一緒にいると不愉快なんだけど」
ぷぎゃっ。
事後説明。グアドループ66さんより。
「どうもありがとう。ちょっとあのお店は気になっていたのよね。あのままじゃ埋もれちゃうって危惧していたのよ。でも、これでもっと美味しくなるかも。思わぬ付随効果だったわ。ああ、いえいえこっちの話よ。気にしないでね。もちろん、クリアボーナスは全員に既に配布してあります。必要な時に思い出してね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます