第1話
「あれ、なんだか随分増えてない?」
恵比寿駅から山手線の内側へ歩いて一〇分と少し。寂れたコーヒーチェーン店のオープンテラスには、寒風吹きすさむ十一月末の夕方にも関わらず、七名もの男女が座っていた。
紙コップを手にした三十代から四十代くらいの男性は、店内の椅子に充分空きがあるにもかかわらずテラス席に出てくると、そこに座った面々を見渡す。
「そっちこそ、やけに久しぶりじゃないか」
「いや、ご無沙汰してました」
仕立ての良いスーツを着た五十代くらいの男が声をかけると、新たに現れた男はバツが悪そうに軽く頭を下げた。その空いていた向かいの椅子に、そのまま腰を下ろす。
「どうしたの? てっきり、もう結婚したのだとばかり思ってたけど」
「あの、こちらももしかして『だけこん』の?」
え、それじゃこの人も?
見慣れぬ顔に親しげに声をかけた、この場のリーダー格の五十代の男性――顔と愛称を見知っているだけで本名も実年齢も連絡先も知らない――に、圭人はたずねた。
「そうか、宇渡さんは初対面だっけ。他にも、初めての人っている?」
「というか、ぼくに見覚えがあるのは三人だけです」
現れた男は心当たりがあるとおぼしき二名に軽く目礼する。
二人も目礼を返しながら、嬉しそうに声をかけた。
「お久しぶりです、岸田さん」「ひょっとして、ご成婚の報告ですか?」
「だったらよかったんだけどねぇ。……佐伯くんがまだここに居るのは正直意外だなぁ。そんなに難しい条件じゃないし、とっくに相手を見つけているかとおもってた」
「え? それじゃわたしは?」
「もちろん、水沼さんは絶対売れ残ってると確信してた」「ひどい!」
岸田、と男の名を呼んで挨拶したのは三十代半ばの佐伯という細身の、やや神経質そうな男性だった。一方、水沼は三十代前半の女性である。顔立ちの華やかな、メリハリのはっきりしたボディが印象的な美人だった。
水沼の悲鳴に、周囲から笑いが漏れる。
「はじめまして、宇渡といいます。よろしくお願いします」「こちらこそ、岸田です」
やっはり、ここに集うのは個性的な人が多いなぁ。
笑いながら圭人に会釈する男は、カジュアルだが洒落た身なりをしていた。一見して遊び人風だ。そして、髪はライオンの鬣のように脱色されて黄色い。
「やっぱり、『だけこん』に来ると落ちつくなぁ。いや、ここで和んでちゃダメなんだけど」
その後、面識のない数人と簡単な自己紹介を兼ねた挨拶をかわしたあと、岸田はふぅ、と大きく息をついて、椅子の背もたれに寄りかかった。
「近頃ご無沙汰していた理由ですけど、実は、半年くらい前にお見合いパーティで出会った相手とちょっといい感じになったんです。外資系で、かなり稼いでいるらしい
それから、誰に促されることもなく、しばらく無沙汰だった理由を語りだす。
「話も合うし、趣味もそこそこ一致してる。これはいけるかな、としばらく彼女に専念していたんですが……最後は、やっぱりいつものパターンで」
「無理無理」
大げさに、芝居がかった仕草で嘆く岸田の脇で、パンツスーツ姿の水沼がストーローを口にしたまま、これみよがしに微笑む。
それは先程、絶対に売れ残ってる、と断言された意趣返しのようだった。
「だって、岸田さんの条件はいくらなんでも女性に厳しすぎますよ」
「そうかなぁ。近頃、もてはやされてる生き方だと思うんだけど」
「岸田さんの場合は確か『稼ぎだけはお願い』婚活でしたっけ」
少し離れた席に座ってカフェオレを飲んでいた佐伯が、確認するようにたずねた。
「そうそう。専業主夫なんて今どきごく普通だろ?」
それから岸田は、初対面の相手もいるからと、自分が結婚相手に求める条件を簡単に説明した。
結婚相手に求めるのは『収入だけ』婚活かぁ。
岸田の話を聞いて、圭人は納得した。
「元調理人だから料理はまさにプロ級。それ以外の家事も万能ですか。……ですけど、それだとひょっとして婚活サイトの登録では単なる無職扱いに?」
圭人の指摘に、岸田は頷く。
「そうなんだよ。料理が上手、なんてのは趣味の一項目としてしか扱われなくてさ」
「まあ、世の中の専業主夫は、大抵は彼女と愛し合って結婚して、その後にやむを得ぬ成りゆきで主夫に……でしょうから。最初から専業主夫希望となると、女性からはただのヒモ願望に見えるのかも」
「岸田さんの条件の厳しさは、単にそれだけじゃないんですよ。……まったく、年収六百万以上の女性が、いったい世間に何人いると思ってるんです」
慰めるように告げた圭人の言葉を、水沼が横から嘲笑うかのような口調で遮る。
「自分が東大出てるからって、感覚ズレすぎなんですよ」
「あのなぁ、夫に年収六百万を求める女なんて、世間には腐るほどいるだろうが。ならこっちが同額を希望してもいいじゃないか。そのうえ見た目とか安定性とか……俺の条件は年収だけだぞ!」
「あの、東大卒なら、昔の同級生とかに稼いでいる方がいらっしゃるのでは?」
「一通りあたったよ。額はともかく、せめて定職に、ってのが一番よくあるラインかな」
まぁ、そうだろうなぁ。
あまりにももっともな結論に、圭人は続ける言葉がなかった。
「年収だけ、って本当に、他の条件は問わないんですか?」
少し離れた席から、圭人同様に岸田とは初顔合わせの男性がたずねる。
「そりゃ、これから俺と一緒に生きていく意思だけは欲しいけどね。それさえあるなら七十代でも風俗嬢でも、まったく構わないよ」
なら……本当に本気の『だけこん』なんだ。
断言する岸田に周囲で、へぇ、とどこか感心したようなため息が漏れる。
「いやいや、相手が稼ぎのある七十代じゃ、今度は遺産目当てと誤解されかねないよ。でもまぁ、それくらいの覚悟がなければ、岸田くんの条件に一致する女性と巡り会うのは難しいだろうね」
五十代の男性はそう頷くと、ふと視線を横に向けた。
「というわけで、こんな感じの困った婚活をしている男女が、ゆるく情報交換したり愚痴を語り合うのが、この集まりの目的なんだ。なんとなく『だけこん』と自称している」
その視線の先には、まだ二十代とおぼしき女性の姿があった。
「決まりは何もない。皆に自分の名前や連絡先を告げる告げないも自由だよ。日曜日の夕方、ここに来れば自分と似た悩みを抱えた誰かが居るかもしれない。本当にただ、それだけの会だ」
「もしかして新人さんかな?」
岸田がたずねると、水沼の隣に座った女性は立ちあがり、軽く頭を下げた。どちらかといえば小柄でしっかりとした体格の、活発で可愛らしいタイプだった。髪はショートカットだ。
「はい。渡久地です。よろしくお願いいたします」
「わたしが連れてきたの。昼間のパーティで、すっごく目立ってたから」
水沼も渡久地も、どうやら婚活パーティからの直行だけあって、コーヒーショップのオープンテラスにはいささか場違いなほど、明るく華やかな装いだった。
「水沼さんの目立ってたから、は褒め言葉じゃない気がするなぁ」
もっとも、着飾ってはいても二人とも標準的な婚活衣装である。つまり渡久地が目立っていたのは、その服装のせいではないのは確かだ。
岸田は苦笑いすると、座ったまま軽く会釈した。
「さっきから聞いてて俺の婚活条件はよくわかったと思うけど、君はどう?」
「すみません、全然年収が足りてません」
渡久地は引きつったように笑うと、もう一度頭を下げた。だよねぇ、と岸田も笑う。
だが、顔を上げた渡久地は口調を変えて続けた。
「あ、でも職場に、もしかしたら条件が一致するかもしれない人は居ますよ」
「え、うそ、マジ?」
「わたしは看護師なんですけど、大学病院の外科に、毎日オペで忙しくて、でも結婚したい、ってしきりに愚痴っていた女性の先生が確か……バリバリで収入はある方ですから、いっそ家政婦がわりに若い男を囲って、とか。同業者は気疲れするから一緒に暮らしたくない、とも口にしていたし」
「ぜひ紹介して! いますぐ!」
身体を乗りだして意気込む岸田に、渡久地は若干身を引きながら頷いた。
「連絡先を勝手には教えられないので、わたしから向こうに打診してみる形でよければ……水沼さんがここに誘ってくれた理由って、つまりこういうことですか?」
頷いた渡久地は、振り向いて水沼にたずねる。
「まあね。類は友を呼ぶ、で似た変わり者と巡り会えるかも、って理由もあるけど……こんなに都合よく話が進む事は滅多にないから、基本はあくまで息抜きよ。だから過度な期待はしないでね」
「とはいえ、蒔かない種は永遠に芽吹かないのも事実だよ。というわけで、差し支えがない範囲で結構なので、どんな相手を求めて婚活をしているのか。もし教えてくれたら皆も気に留めておきますけど」
水沼が釘を刺す隣から、圭人はたずねた。
「合コンとか婚活パーティとかで、ここに集う他の人の条件に合う相手を見かけたら、互いに情報を提供しあうんです。ここは、そういう互助組織でもあるので」
自分ももちろん協力しますから、そう宣言したあと、圭人はふと水沼へと振り向く。
「水沼さんの条件も、結構独特でしたよね」
「えー、そうかなぁ」
「いや、誰でも良いから、とにかく芸能人と結婚したい、ってのは相当変わってる部類だろう」「そ、それは昔の冗談です!」
横から岸田に突っ込まれ、水沼は顔を真っ赤にして言い返す。
「あれは、ここに最初に連れてこられたとき、まだ皆さんをどこまで信用していいのか判らず、つい適当に口走っただけで!」
「なんだ。こっちは結構本気で、六本木界隈で誰か有名人に知りあったら連絡先を、なんて思っていたのに」
岸田は残念そうに肩をすくめる。そこで水沼は、自分が本当の条件を打ち明けたのは岸田が姿を見せなくなってからだと気づき、すみません、と慌てて謝罪した。
それから圭人や水沼は、岸田に自分がどんな結婚相手を捜しているのか、その条件を説明した。他の幾人かもそれに続く。
「なんだ、皆さん『だけこん』に流れ着くだけあって面倒な相手がお好みだなぁ。ぼくの条件なんて、可愛いものじゃない」
「そこまで公言するならさっさと結婚してくださいよ。半年もたってから出戻ってこないで」
佐伯のつっこみに、場がドッと盛りあがる。その後しばらく雑談を続けていると、新たに数名が姿を現し、そのたびに岸田が挨拶をしたり懐かしげに握手を交わしたりした。
やがて日がすっかり沈みきり、風が冷たさを増してきた頃、いつの間にか人の群れから抜け、少し離れた場所から皆の姿を穏やかに眺めていた五十代の男性が渡久地に声をかける。
「というわけで、いつもだいたいこんな感じですから。渡久地さんのご事情については、またいずれ気が向いた時にでも。よかったら今後も気軽に顔をだしてください」
「はい。ぜひ……今日、ここに来て、なんかすごくホッとしました」
渡久地は大きく何度も頷いた。
「その、最近、婚活に行き詰まって精神的にかなり滅入っていたので。水沼さんにこちらをご紹介いただけて本当によかったです」
「そうか、いい気晴らしになったのならよかった」
「ええ、とっても。あたし、婚活を始める前は、恋愛と結婚ってベクトル的には同じで、ただ長さが少し違うんだろうな、くらいに軽く考えてました。だから、新しい出会いにもの凄くワクワクしていたんです。なのに、実際に婚活パーティに行ってみると、会場は明るくて綺麗で誰もがにこやかに微笑んでるのに、空気だけがどんよりと澱んでる、っていうか。皆自分の幸せ捜しに目が血走っていて……あの雰囲気にはほんと、参りました」
渡久地の独白に、周囲の会話が止まり、視線が集まる。
「目的は同じなんだからと、今後のために情報交換しようにも、同性は敵だ、といわんばかりの人が少なくないですし。結婚相手と巡り会うには、そんなにも殺伐とした心構えが必要なのか、って近頃ずっと憂鬱でした。でも皆さんは、同じように婚活をしていても、なにもかも違っていて……心底癒されました」
深々と頭を下げようとする渡久地に、水沼が慌てて手を差しだす。
「でもそれは、前提条件が違ってるからだもの。ここは相手を捜す場所じゃないし、皆似たような悩みを抱えているから……婚活の場で友人、それも場合によっては異性のまで作れちゃう、コミュニケーション能力に秀でた人の集まりだから、でもあるけど」
「それがまったく良い方向に生かされてないけどな」
身も蓋もないヤジに、場がドッと湧く。
確かに。自分はともかく、ここに居るのは特殊な条件さえ諦めれば、相手には不自由しなさそうな人が大半だもんな。
水沼の釈明に圭人は頷いた。ここに集うきっかけはほぼ全員、メンバーの誰かと婚活中に知りあったからだ。目の前の異性を口説くだけで目一杯の者には、そんな友人は作れない。
その脇で、五十代の男性が口調を少し改めて忠告する。
「それでも、婚活の主戦場はあちら側です。勘違いしないでくださいね。あの特殊な場では誰だって身構えてしまうものですよ。……ここの居心地が優しいのも良し悪しですね」
その言葉に、端で聞いていた、あきらかに古参の四十代の女性が苦笑する。
「確かにそうかも。某相談所なんて病院と一緒で、二度とこんな所に来るもんか、って目に遭わせて結婚を決断させるって噂があるくらいだし。婚活は楽しくちゃダメなのよねぇ……ま、入り浸ってるわたしみたいにならないように」
「え? 鈴木さんって、OBの旦那持ちだって聞いてましたけど。違うんですか?」
「そりゃ、夫はいるけど、少しくらいなら婚活したっていいじゃない。だって、すでに三回離婚してるのよ。なら、もうあと一回くらいあるかもしれないわよね。だから先手を打って『もう一度だけ』婚活しておこうかなって」
「それは『だけこん』には含まれません! ただの不倫です」
圭人の指摘に、周囲に笑いが広り、場の空気が再び緩む。
鈴木が、隣に並ぶ決して名前を名乗らない五十代の男性同様、この場に集う皆を気遣って結婚後もここに出入りしているのは、ある程度通っている者なら全員が気づいていた。
さて、そろそろ潮時かな。
その始まり同様、『だけこん』の終わりにも特に決まりはない。
話題に一区切りがついたと判断した圭人は、周囲に軽く挨拶をして、席を立つ。
朋香との夕食に、丁度間に合う時刻だった。
「おかえりなさい」
ドアを開けると、まるで待ちかまえていたかのように声がした。
パタパタと、スリッパの底を鳴らしながら、エプロンをかけた小柄な人影がマンションの狭い廊下を駆けてくる。圭人の小さな同居人、小学四年生、
「ただいま。なんだか美味しそうな匂いがするなぁ」
「寒くなってきたから、おでんに挑戦してみたの。おじさんも食べたい?」
「そりゃ、食べたいさ」「じゃ、もう少し待ってて。今晩はあたしがご馳走してあげる」
朋香は嬉しそうに細い右手でガッツポーズをした。それから慌てて台所へと戻っていく。
その後ろ姿を、圭人はわずかに目を細めて幸せそうに眺めた。
高山朋香は圭人が学生時代からずっと世話になりつづけた先輩の遺児だった。四年前、自らの病の行き着く先を悟った先輩から相談をうけ、夜な夜な病室で様々な検討をした結論として、亡くなる半月前に圭人を後見人とする全ての法的な手続きを終えた。当初は孫を引き取る意向でいた朋香の祖父母も、幾度かの圭人との面談の結果、それを認めた。
養子縁組まではせず、後見人に留めたのは、なにより六歳の朋香、本人の意向だった。
おとうさんと、おじさんは別。
だから一緒に暮らして以降、圭人は朋香に自分をおとうさんと呼ばせたことは一度もなかった。父母会も授業参観も、あくまで法的な保護者であるおじさんとして参加した。そして生命保険を含めた高山の遺産は、圭人が管財人であるもののあくまで朋香が相続し、同居するに当たって家計はそれぞれ別とした。
なので今夜、朋香の作っているおでんの材料費は、あくまで朋香の財布から出ている。それを圭人に食べさせてあげるのだから、『朋香のご馳走』だ。
「今日はどうだった? いい奥さんになってくれそうな人、いた?」
「うーん、やっぱりなかなか難しいなぁ」
昼間、圭人が参加していたのは、どらかといえば縛りの緩い、小規模な街コンだった。地方都市振興のために役所が企画したもので、その真の目的は商店街の活性化などだ。そのため間口は広く、本気で婚活をしている、というよりは気軽な異性とのお喋りを楽しんでいるだけの参加者が大半だった。
「でも、まぁ楽しかったよ。地元の名物料理とか、けっこう美味しかったし」
「前にもお願いしたけど、あたしが邪魔なら遠慮無く言ってね。四年生になってから、少しは料理もできるようになったし、頑張れば一人で暮らすのだって」
「それはまだ無理」
椅子に登り、おでんの煮える様子を覗きこむ朋香の発言を遮って、圭人は断言した。
聞き分けのない子供を叱るように、声に力をこめる。
「朋香の一人暮らしなんか絶対にだめ。ありえない。先輩に申し訳が立たないし、だいいち小学生に部屋を貸してくれる大家なんか居るわけがないだろ。っていうか法律的に不可能」
「えー、でもお爺ちゃんの家の離れなら、頼めば使わせてくれるんじゃないかなぁ」
可愛らしく小首をかしげる朋香の提案に、圭人の態度は少し改まった。面倒をみている子供に対してではなく、あくまで自分と対等な一個人と接する姿勢になる。
「それは……朋香が、この家を出てお祖父様と一緒に住みたい、と望むなら話は全然別なんだが」
「別にそういうわけじゃないよ。ただ、おじさんの結婚を邪魔するのは嫌なだけ。だってこの家で暮らすのは楽しいもん。居られるならずっとこのままがいいよ」
……ふぅ。
無邪気に笑う朋香に、圭人は内心で安堵せずにはいられなかった。
「だったら余計な心配はしなくていい。俺は、朋香と一緒に暮らせないような相手と結婚するつもりは最初からないから」
「だから、そうやって自分がお荷物になっちゃうのは嫌なんだってば」
「そういう意味じゃないよ。……朋香は、俺とこの家で暮らすのが楽しいんだろう?」
圭人は、照れくささのあまり、少し視線を宙に泳がせながらたずねた。
「うん。もちろん」
だが、朋香はそんな圭人の態度など気に留めず、おでんの火を止めると椅子の上からいきなり圭人の身体に飛びつく。
「おじさんと一緒で、毎日、とっても幸せ」
「おいっ! ……もう小さい子供じゃないんだから、そういう真似はよしなさい……俺だって、こうして過ごすのは楽しいよ。最近、朋香はおいしいご飯を作るようになってきたしな。だから、その楽しさを理解できない女性と結婚する気はないんだ」
「じゃ、あたしが居ても居なくてもおじさんの結婚には影響ないってこと?」
「そういうことだ。邦香が邪魔だ、なんてタイプの女性はとっちにしても論外だよ。第一、妹か弟みたいな子が欲しいなぁ、と言いだしたのは朋香だろ。なのに、真っ先に居なくなるのはずるいじゃないか」
圭人は朋香の身体を抱き上げて床に立たせると、おでんの入った土鍋を掴んで、ダイニングテーブルの上へ移した。
「なにか相応の理由や動機があって、お祖父様の家へ移りたい、というなら当然相談にのるが、それ以外に余計なことは考えなくていい」
「うん。……わかった、ありがとう圭人おじさん」
朋香は一瞬何やら考えこんだあと、顔をあげてにっこりと笑う。
「じゃ、このまま妹や弟を期待しててもいいんだ?」
「いや、それはその……いつになるかは正直判らないんだけどな」
圭人は今度は焦りとばつの悪さが理由で、朋香から視線を逸らした。
「妹や弟のためだけに、奥さんを見つけて結婚するのは時間と手間が無駄に……いっそ、どうにかして娘や息子だけ作った方が、話が早いんじゃないかと」
「それってただのおじさんの妄想でしょ。あたしは別に、どんな人がおばさんになったって虐めて追い出したりしないよ」
「……そろそろ、おでんが冷えるから食べようか」
小学四年生から容赦のない指摘をうけて、圭人は露骨に話を逸らした。
ジャーからご飯をよそり、取り皿をそれぞれの前に置いて、手をあわせる。
「いただきます」「いただきまーす」
それからしばらく、食卓の話題はそれぞれの来週のスケジュールについてになる。それが日曜日の夜の、圭人と朋香の習慣だった。
「来週はねぇ……木曜日の夜に……」
お互いの予定を尊重し、なおかつ出来るだけ一緒にいられる時間を作る。親子のような、友達のような、不思議な距離感が圭人には心地よかった。
やっぱり、この生活は手放せないよな。
それは大切な先輩の不幸により訪れた幸せだったが、今ではすっかり圭人の人生の一部となっている。
新たな子も、別に俺の実子じゃなくたって構わない。むしろその方が互いにもっと……独身男性に養子を紹介してくれる組織なんてあるはずがないんだけど。
役所やNPOなどの養子縁組を斡旋する公的機関がその対象とするのは、一定以上の収入のある夫婦がほぼ絶対条件である。昔は実子の育児経験が求められる場合も多かった。現在は不妊治療を受けた夫婦や、同性婚のカップルに門戸を開いている組織もあるが、男女を問わず養い親が独身ではどれほど収入に恵まれていても養子の斡旋をうけるのはまず不可能だ。
もっとも、たとえ養い子が同性であっても性的虐待の被害に遭う可能性が存在する以上、それらは致し方のない対応だと圭人も理解している。
だとすれば、後は子供を産んだ後、物わかりよく別れてくれる女性を見つけるしかない。
圭人にとって、家庭に妻が居るのが嫌なわけでは決してなかったが、一方でこの曖昧な距離感の幸せを理解できる女性、というのも正直想像がつかなかった。
「じゃ、来週末はまだ予定が入ってないんだ。だったら、ちょっと気が早いけどクリスマスプレゼントを選ぶのにつきあってもらおうかなぁ」
「ああ。世間ではそろそろ忘年会シーズンだからな。どこも婚活は一休み、って雰囲気なんだよ。……でも、もしかしたら今度、本格的なお見合いをするかもしれない」
「え、お見合い、って?」
「朋香はまだ知らないか。世話好きなおばさんが、歳や立場のつり合った相手を紹介する制度で……所長の娘さんがお相手を捜しているとかで、俺にも話がまわってきたんだ」
「えー、そういう人って大概いいところのお嬢さんで、あたしみたいな子供が一緒に住んでるおじさんなんて、最初から対象外じゃないの? 釣りあってないじゃない」
お見合い、は判らないのに、いいところのお嬢さん、なんて単語は知ってるんだな。
小学四年生らしい、その知識のアンバランスさが面白くて、圭人は微笑みながら頷いた。
「確かに。だから声がかかったのはまったく予想外なんだが……結婚できれば出世間違いなしの相手だしな……よほど、本人に難があるのか、それとも理想が高いのか」
圭人は途中から声を殺して、口の中だけで呟いた。
「いずれにしても、もし正式に話が来たら、その時はいつものように頼むな」
「えー、そりゃ、おじさんの相手がどんな人かはあたしも興味があるからいいけどぉ」
圭人が頭を下げると、朋香は困ったような、でもどこか嬉しそうな顔で、渋々うなずく。
「時々、余計な小姑きたぁ! みたいに露骨に疎まれるし。あれ、あたしも傷つくんだよね」
「もちろん、そんな態度だったらさっさと断るから」
婚活を始めてからしばらくの間は、自分の結婚だからと圭人は一人だけで行動していた。
だが、多少話が進んでも、朋香の存在を伝えると大概すぐに破談となった。ロリコンの変質者なのでは、と誤解されたことすらある。だから、まず最初に朋香と合わせて、その反応を確かめてからのほうが無駄が少ない、と気づくまでに、そう時間は必要なかった。
「じゃ、相手と会うお店、今度はタカノのパーラーにしてくれたら行ってもいいよ」
最近では、休日昼間の婚活パーティなどでは、あらかじめ近場で待機していてもらい、カップリングに成功した場合はそのまま朋香と合流して三人で会うようにしていた。
「あそこのパフェ、そろそろクリスマス仕様になるんだって」
「はいはい。奢るのはいいが、気をつけろよ。さっき飛びつかれた時、結構重かったぞ」
「……仕方がないじゃない。成長期なんだもん」
つい言い返した圭人は、困ったように胸元に手をあてる朋香をみて、大いに反省した。
もう、そんな歳なのか。
外見ではまだ顕著な違いは見あたらない。だが、きっと本人にしかわからない身体の変化があるのだろう。
やっぱり、そうのんびりもしていられないな。
「もし正式にお見合いとなったら、すぐに教えるよ。その時は朋香にも同席してもらわなきゃならないから」
「えー、それって変じゃない?」
「全然変じゃないよ。子連れの再婚だと当然らしい。きっと美味しい物が食べられるぞ」
「おじさんは初めての結婚でしょ。あと、あたしを食いしん坊みたいに言わないで」
だが、頬を膨らませて圭人に抗議する姿は、やっぱりまだ子供だ。
その態度に、圭人は密かに胸をなで下ろすと、残っていたおでんに箸をのばした。
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