だけこん

早狩武志

プロローグ


 今夜は時間の無駄だった、というほどではないにしても……やっぱりはずれかな。

 圭人けいとはテーブルの反対側に居並ぶ女性を眺めながら、内心でそう呟いた。

 閑静な住宅街の一角にある、瀟洒な隠れ家的イタリアンレストラン。

 古い一軒家を改装した、全席個室を謳う洒落た店だったが、部屋は多少手狭だった。もっとも、当初の話では四対四だったのが、直前で五対五に増えたからかもしれない。それに多少窮屈な会場のほうが、合コンが成功しやすいのは事実だ。

 飾り刺繍の愛らしいオフホワイトのワンピースやウエストを絞った清楚なブラウスなど、甘く華やかに着飾った五人の女性は皆それぞれ美しい。今回の幹事は大学の同期だった。大手製薬会社に就職したゼミの出世頭だけに、面子をかけて水準以上の女性を集めたのだろう。

 しかし、こちらの希望する条件と一致した相手と出会えなければ、どれほど魅力的な美女が揃っていても意味はない。それが婚活の宿命だ。もちろん、アルコールを楽しみながら、綺麗で社交性に富んだ女性と語らう一時は素直に楽しかったけれど。

「では、そろそろ二次会に移りましょうか。もう少し気楽な居酒屋の席を押さえてありますので。金曜ですし、皆さんお時間は大丈夫ですよね」

 一通り食事が済むのを待って、幹事がそう声をかける。雰囲気のよいどちらかといえば高級なレストランだけに、食事中、参加者が気楽に席を移るわけにはいかない。ここでは顔見せとお互いあたりをつけるにとどめて、メインは二次会で、という流れなのだろう。

 悪くはない。でも、俺はやっぱりパスだな。

 皆が席を立って移動を始めるのを横目に、圭人は幹事に歩み寄った。耳元で囁く。

「すまない、今夜はここで抜けさせてもらうわ。今なら、朋香ともかが寝つく前に帰れるから」

「おいおい、マジかよ。もとはといえば、お前の振ってきた話が発端の合コンなんだぜ。なのに一抜けするか? それともそんなにレベル低かったか?」

「そういう意味じゃねーよ。滅多に巡り会えない綺麗どころを集めてもらえて感謝してる。いすれこの埋め合わせはさせてもらうよ。でも、最初に説明しただろ……いま、本気で婚活してるんだ、って」

「もちろん承知してるさ。だからそういう前提で向こうにも頼んだんだ。全員、気に入った相手に巡り会えたら、いずれ結婚するつもりで」

「かもしれないけど、程度があるだろ。今夜の彼女たちは魅力的な分、そんな自分と釣りあう相手を求めてる。ぶっちゃけ『どこかにわたしの眼鏡にかなう相手が居ないかしら』ってタイプだよな。……あとは皆でぜひ頑張ってくれよ」

 反論の言葉を途中で遮ると、非難がましい口調にならないよう、圭人は明るく笑いながらスマン、と片手で同期を拝んだ。実際、友人の仕切りに不満はなかった。これほど粒ぞろいの女性が揃う合コンはめったにない。

 だが今夜の彼女らは皆、容姿端麗なうえにまだ二十代である。経済力も備えていそうだ。ひとまずは恋愛を楽しんで、そのプロセスの先に結婚が、と思い描くのはごく自然だろうと、圭人も思う。

 つまり今回は、いわば『将来結婚を考えてもいい恋人と巡り会うため』の合コンなのだ。しかし、それはすぐにでも結婚したい圭人の婚活にはあまり向いていない。

 紹介料などが必要なく、カップル成立率が比較的高いのが婚活における合コンの長所である。その一方で、参加者の結婚への熱意に個人差が大きいのが短所だった。

「久しぶりに、せっぱ詰まった雰囲気のない合コンで楽しかったよ。でも、軽く俺の条件を晒してみたけど、だれも関心なさそうだったしな。ここは空気を読んで失礼するさ」

「そりゃ、そっちの状況が普通じゃないのは良く知ってるよ。けど、それでも結婚したい、っていうなら尚更、簡単には勝負を投げないほうがいいんじゃねえか?」

 幹事役の彼はなおも引き留めようとしたが、圭人は強引に話を押し切った。

 それから、場の雰囲気を盛り下げて他の参加者に迷惑がかからぬよう、二次会に向かう全員にコミカルに声をかけてまわる。ここで下手な対応をしたら、今後声がかからなく可能性もある。抜けるにしても、きっちり役割は果たしておきたかった。

「えー、本当にもう帰っちゃうんですかぁ?」

 女性陣は皆、残念そうに名残を惜しんでくれた。もっとも、連絡先をたずねられはしなかったが。男性陣はもちろん、ライバルが減るのは大歓迎だ。

 そうして挨拶を済ませると、圭人は皆と別れ駅へとむかって歩きだした。

 だがすぐに、背後から近寄ってくる足音が聞こえた。

「あの、すみません。駅ってこの道ですか?」

 そう圭人に声をかけてきたのは、先程の五人の女性のうちの一人だった。急いで駆けてきたのか、華やかな藤色のワンピースの裾が、軽く揺れている。

 ああ、あいつが心配していたのはこの流れか。

 圭人はすぐ事情を察した。参加者が一組増えたと知らされたのは当日になってからだった。増えたのは男性側に幹事の先輩が強引に加わったからのようだ。だとすると、数あわせに直前で呼ばれた女性が一名いるはずである。それが彼女なのだろう。

 圭人が帰る姿を目の当たりにして、ならばここで自分が抜けても問題ないと彼女が判断したのも無理はない。自分を目当てに追いかけてきた、と想像するほど圭人は自惚れてはいなかった。

「ええ。よかったらご一緒しませんか」「はい。ありがとうございます」

 振り返った圭人にむかって、彼女はわざわざ腰を折って丁寧に会釈する。その様子を眺めながら、まいったな、と圭人は密かに嘆息した。

 今夜、一番人気だった彼女じゃないか。

 艶やかな黒髪に大きな瞳。たしか年齢は圭人より少し下である。粒ぞろいだった今夜の女性陣の中でも彼女はひときわ人目を引く存在だった。それも、決していわゆるお洒落美人などではなく、むしろ服装や化粧には歳の割にどこかぎこちなさが漂っている。それがまた、男心をくすぐるタイプの女性だった。

 いまふり返れば、積極的でそつなく会話する他の四人と比べて、彼女の態度はやや腰が引けていた。それも、数あわせに動員されたからだとすれば納得がいく。

 きっと恨まれてるな、こりゃ。

 リズミカルに響くパンプスの音を聞きながら圭人は思った。先ほどまでの一次会の雰囲気からすると、今夜の男性陣のうち二人は間違いなく、もしかしたらもう一人も、本命をこの彼女に定めていたようだった。こっそり示し合わせて抜けだした、と邪推される可能性は低いが、圭人が彼女に中座する口実を与えてしまったのは事実だ。

 かといって、いまさら戻るわけにもいかない。おとなしく並んで歩きだす。

康本やすもとさん、は確かIT系企業の研究者と仰ってましたけど、具体的にはどのような分野を?」

 しばらくの沈黙の後、圭人は言葉を選んで慎重にたずねた。時折、帰宅する人にすれ違うだけの静かな住宅街を、二人並んで無言で歩くのはどうにも居心地が悪い。

 けれど彼女、康本麻衣まいは合コンの最中、ぎこちない愛想笑いをうかべるだけで男性へ積極的に話題を振ることはなかった。ならば、圭人から話しかけるしかない。

「ええと、わたしの研究テーマは自然言語処理を……なんて、普通判りませんよね、すみません」

 麻衣は二言三言口にしてから、返答したのを後悔するかのように俯いた。だが圭人は、勢いづけるように大きく頷く。

「そんなことはありませんよ。そういった分野なら自分も多少は理解できます。そのテーマでIT系企業ということは、具体的には機械翻訳のアルゴリズムとかをご担当で?」

「いえ。いまは言語の認識とか、もっと基礎研究に近い内容を……将来的に、会社からそう期待されているのは事実ですけど」

 麻衣はそれまでとはうってかわって生き生きとした表情で、自分の研究について語った。

「わたし、実は学生時代はITとはまったく縁のない文学部で。主に室町から江戸期の随筆を学んでいたんです。でも、平安以降の文学って、教科書でもあまり扱わないし、なかなか皆さん馴染みがないじゃないですか。そもそも同じ日本語なのに、読めない人の方が多いって変ですよね。だからいっそ日本書紀の頃から明治の旧字旧仮名まで、時代を問わず、あらゆる作品を文学性を残して読みやすい現代文へと変換できるソフトがあったら、もっと皆に古典と親しんでもらえるのに、というのが自然言語の研究をはじめる発端で」

 突然饒舌になった麻衣は、ふと言葉を止めると、うかがうように圭人の顔を見た。

「あの、でもどうして? 宇渡うとさんは、たしか自己紹介では公務員のようなもの、と」

「決して身分詐称していたわけではないんですが。実は自分、公立系の研究所の所員で」

 圭人は職場の名刺をとりだし麻衣に手渡した。今夜、はじめて渡す名刺だった。

「農林水産省の所管なんですが、最近は主に脳科学から人工知能方面へと進んでまして。自然言語なんかも一部では扱っています。もっとも研究の本命は脳の物理的な構造からの知性へのアプローチで、まだ基礎研究以前みたいな段階ですけどね」

「え? それって、以前学会誌で読んだことがあります。たしか」

 麻衣は名刺に記された圭人の肩書きに目を見張った。おもわぬ場所で同志に巡り会った、とばかりに嬉しそうに笑む。

 それから駅まで、圭人と麻衣は互いの研究内容について熱心に語りながらすごした。麻衣は先ほどの合コンでの態度が嘘のよう積極的だった。話が盛りあがると、短い道程はあっという間だった。

 自動改札を抜けた後、名残惜しさを自覚しながら、圭人は呟いた。

「だけど、それなら先程の場でもっと詳しく訊ねておけばよかったなぁ」

「わたしもです。まさか関連のある研究をされている方が同席していらっしゃるとは夢にも思わなくて」

「まぁでも、学会の懇親会、ってわけじゃありませんからね」

 圭人は立ち止まり、チラッと麻衣の様子をうかがった。

 婚活に来て、まさか研究系の話で盛りあがるとは。いささか驚きだけど。

 ないだろうなぁ、と半ば諦めつつも、圭人は軽くさぐりを入れてみる。

「自分は一応、そういう目的の……けっこう真面目な集まり、って聞いてたんですけど」

「なんだか、歳を重ねただけの、サークルの延長みたいなノリでしたね」

 麻衣も足を止め、饒舌だった先程までとは一変して、再びぎこちない口調になる。

「確かに。単なる合コンって名目でも充分でしたよね、あの雰囲気なら。なにも数あわせに康本さんを呼びださなくても……こうしてお話しできたのは楽しかったですけど」

「そんな、無理に動員されたわけでは……わたしも、いわゆる婚活コンだとは聞いていましたし」

 労ったつもりの圭人の発言に、なぜか麻衣はあたふたとした。そして、一呼吸おいてから、妙に力のこもった声で圭人にたずねる。

「宇渡さんは、未婚にもかかわらずすでにお子さんがいらっしゃるとか。男性ではちょっと珍しいですよね」

「ちょっとじゃなくて、結構かもしれません。とはいっても、真相は後見人をしている子供と一緒に暮らしている、ってだけの話なんですが」

 圭人は頷くと、軽く肩をすくめて笑った。

「実は今回参加したのも、そろそろ妹か弟が欲しい、とその子が望んだからなんです。でも、他人の子供を養っている男性と結婚を、なんて心の広い方はやはり簡単には見つかりませんね」

「養子縁組もしていない赤の他人の面倒をみて、そのうえその子が望むから結婚ですか?」

「とてもお世話になった、尊敬する先輩の遺児なんですよ。それにさすがに、あの子の言葉だけが理由、ってわけじゃありません」

 口調はたどたどしいなから、遠慮のない麻衣の質問に圭人は苦笑した。

「自分はもともと生き物が好きで、人工知能に関わる以前は獣医学部で、主に脳や神経の勉強をしていました。どうにか国家試験に合格して、動物園の飼育係などに応募してみたんですけど、とんでもない狭き門で……でも、人の親になるのは免許も資格もいらないんですよね」

「そりゃ、資格試験があったら問題だと思いますけど」

「街中で暮らしていて個人で気軽に飼えるのは、犬猫爬虫類くらいですし。でも人の子供だけは例外で……類人猿の発達の過程をもっとも身近に、手軽に観察できるのは人間だって気づいたんです。朋香と暮らしはじめたのはあの子が六歳の時からですけど、それでもとても興味深かったですし」

「あの、結婚して子供を望むのはともかく……実験動物扱いするのは」

「失礼。もちろん、実験的興味はあくまでおまけです」

 麻衣の視線が冷たくなるのを感じて、圭人は慌てて手を振った。

「誤解されても仕方のない言い方でしたね。つまり昔から生き物はなんでも好きで、同様に子供も好きでした。なので、朋香との生活も毎日楽しんでます」

 発言を釈明しながら、やばいなぁ、と圭人は内心で独りごちた。これまで、婚活の最終目的を、直接相手に伝えたことはない。これは、と見込んだ相手にそれとなくほのめかした経験は幾度かあったが、その度にすべて拒絶されてきた。

 でも、人数あわせに参加しただけの彼女はそもそも対象外だし……仮に、後日さきほどの女性陣にこれが漏れ伝わっても、たぶん最初から対象外だし。

 それでも、自制すべきだ、との意識は心の片隅に残っていた。けれど駅まで軽く歩いて、気持ちよく酔いが回っていた勢いもあり、麻衣とは直前まで話が弾んでいた余韻もあった。

 ここはあの場じゃないけど……ま、いいか。

「正直、妻となる女性の選り好みはしていないつもりです。ただ、朋香やもっと沢山の子供と幸せに暮らしたい、そんな自分を理解していただける方を捜しています」

 圭人の希望を聞いて、麻衣はわずかに顔をしかめた。

「初対面なのに不躾を承知でお訊ねしますけど、宇渡さんはどちらかといえば、女性不信気味でいらっしゃいますか?」

「いえ、そんなつもりはまったくありませんが」

「子供たちと楽しく幸せに……本当にそれだけが望みだとしたら、肝心の子供さえ産んでくれば、相手は誰でも良い、って理屈にもなりますけど」

 麻衣は固い声で、とがめるように圭人に問いただした。

「むしろ先ほどまでの雰囲気からは、まるで宇渡さんと子供だけで成立している、母親の存在しない家庭を望んでいるかのようにすら感じます」

 さすがに、そこまで露骨に言ったつもりはなかったんだけど。

 鋭い、そして聡い女性だなぁ、と圭人は認めずにはいられなかった。

「まいったな。妻が必要ない、とまで言ったつもりはないんですが……そう受けとめられても仕方がないでしょうね。なので、たまに女性が羨ましいなぁ、と感じるときがあります」

「……どういう意味ですか?」

 訝しげに首をかしげる麻衣にむかって、圭人は微笑みかける。

 それは圭人の本心だった。無論、これまで婚活の最中に公言したことは一度もなかったけれど。

「そんな自分に愛想が尽きたら、離婚してもらって全然OKです。子供さえ残していってくれれば。むしろ、いっそ最初から子作りだけでも自分はまったく構わないんですが……少なくともこの国では、未婚の母と比べて、未婚の父はとてつもなくハードルが高いんですよね」

 淡々と語られた強烈な告白に、麻衣はしばらく、ぼんやりと圭人を眺めていた。

 やがて、ハッと我に返り、表情を改めると、小さく、だが澄んだ声ではっきりと呟く。

「変わったご趣味ですね。わたしは、相手が誰でも子供だけはゴメンですけど」

 これまでの、自信なさげで控えめな態度が嘘のような、鋭い眼差し。その声には、疑いようのない明確な意思が込められていた。

 な、なんだ?

 あまりの豹変ぶりに驚く圭人の手に、麻衣は何かを押しつける。それは先程手渡したばかりの、圭人の名刺だった。

 だがそれは、麻衣が力をこめすぎたのか大きく歪んで折れていた。戸惑う圭人が受け取りを躊躇うと、麻衣は今度は躊躇なくそれを握りつぶし、ハンドバックに放りこむ。

「今日は貴重な話をお聞かせ頂き、ありがとうございました。失礼します」

 それから、麻衣は両手をワンピースの前であわせると、深々と、どこにも非の打ち所のない鮮やかなお辞儀をした。極めて他人行儀な。

 そして鋭く踵を返すと、呆気にとられて立ちつくす圭人の返事を待つことなく、颯爽とその場を立ち去った。

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