第9話 有限なる黒きノワール
設定123
こちらに戻ってきてからのことを書く。
まだ、もう少し、おつきあい願いたい。
「きいちゃん、大丈夫? きいちゃん」
「だ、大丈夫だよ。どうして」
向こうの世界でのことは、こちらの世界での数秒にも満たないはずなのだが。
心配されるような、何かがあったのだろか?
「そ、そうなんだ。なんか泣いてたし」
「え……」
涙をぬぐって、それは塩辛い水の涙で。それを手でぬぐって。
「もう大丈夫」と言ったけど、
その後もじとーっと見つめられてたので、
たぶん、あと100年くらいは大丈夫、という言葉は付け足さなかった。
水青町での戦いはこれで収束した。
パイプオルガンの部隊が大量に入ってきて、後始末をしたあと、今度は日本政府の部隊が入ってきて、避難勧告が解除された。
私は、ポケットの中の例の古くてよれよれのリボンを取り出して、元々ついていた場所に重ね合わせる。それは歳月の重みの分だけ、新しさと古さがずれていた。
ぼろリボンを握りしめる私。
手を握るって魔法だ。
それに、転移の間で、灰人から渡されたあの手紙、よく見ると、新しいものだった。
まったく同じ手紙の新しいもの。
繭の間の引き出しの中の設定に、こんなページがあった。
#設定 R87
【【自称怪物の視点:778B:始め】】
それは暗い寒いどこまでも広大な場所だった。
雪は吹雪にまではならないけれど、どこまでも降り続け、無限に体温を奪っていく。
私のブラッドプロセッサは死につつあった。
機能的な意味構造を破壊されたのだ。
意味的にいえば、放射線にたっぷりみじん切りされた後のDNAと同じくらい。
私は死につつあった。
そんな私は、誰かに背負われている。
誰かが私のことを気にかけているのだ。
自分の力ではもはや移動も叶わないけれど、彼が運んでくれているのだ。
それが誰なのか、という記憶は既に破壊されてる。
血液知性は回復不可能なほどのダメージを受けたのだ。
「心配するな。俺が助けてやる」
彼は永遠の中を歩き続ける。
「必ず助けてやる。ブラッドプロセッサならここにもう1セットある」
私の魂のラベルが替わる。
【【視点終わり】】
#END
カノカ、灰人、ずっとそばにいてくれて、ありがとう。
設定124
その数日後、私たちは病院にいた。
ギーメの化け物じみた回復力は、あんまり体に良いものではなく、ブラッドプロセッサに負担がかかってしまう。
大幅に増えた血球数は、いずれ致命的な状態を引き起こす。
灰泥病とかいうやつだ。
なので、血球数が自然に回復するまで、入院しての穏やかな回復を余儀なくされる。
活動禁止である。
つかのま、私たちは年齢相応の子供として過ごした。
「メソッドホルダーはギーメでいちばん年長さんなんだよ。だから大人扱いのはずなんだけど」とノイエがこぼしていました。
年齢相応の子供として扱われるのがまた更に不快なご様子。学生の本分に真面目に取り組まなきゃいけないのが嫌だったのかもと推測。そう、病院でも授業はあるのです。当然なのです。そして好きなことは好きだけど、嫌いな科目は大嫌いなそんな彼女です。
「……どうしてポイズンリバースを殺さなかったの?」
私は入院の時に、訊ねてみたことがある。
「きいちゃんにとって、大切な人なんでしょ。きいちゃんに嫌われたら意味ないし」
仕事だから助けてくれたんじゃないの? 嫌われるとか嫌われないとか。
「ご褒美がなきゃ誰もがんばらないよ」
ご褒美なんだ。
ポイズンリバース、楠本真綿の消息は分からなかった。
彼女は、まだ何もあきらめていないだろう。
アクリタイスのメンバーなので、おそらくまた出会うこともあるのだろう。
敵として。
そのあと、2人だけで誰にも見つからないようこっそりベッドの下で、パパイヤミルクムースポッキーを食べました。味がちょっとふしぎ過ぎるけど、美味しかったです。
あ、あとニャンモランシー伯爵が出てくるアニメを見ましたよ。アニメネタだったんだ。とってもハイファッションが似合う可愛らしい主人公。シュールなギャグアニメでした。でもノイエが1人で大爆笑してたのに、私はどこが面白いのか分からなかったよ。コメディは難しい。
新しい外務部長はレルル・ココロフツゥエが就任して、私を正式に国民として受け入れてくれた。知らないうちにロザリ・アン様が失脚してた。
これからはここで生きていくことになるので、いろいろ覚えないといけないことが多い。普通の人が普通に出来ることが私にはしばしば出来ないので、早くも心の負担。
ギメロットの人たちは、私がこっそり治療してるのを、今はレルルに黙認してもらってる。
私はしばらくすると退院許可が下りたけど、ノイエだけはまだ入院したまま。
特にノイエは頭部損傷があるから本来はもっと重篤なはずのだ。
血液知性なので、普通に歩き回っているように見えるけど。
退院してすぐ。
ルゥリィ・エンスリンとは再開した。
「どうやら、私はあんたに勝てなかったみたいね」
念のためにスペアを残しておいたのだ。
「仕方ない。あんたのことはあきらめるわ。じゃあ、しばらく会うこともないけど」
意外なほどあっさりと、彼女はストーカーを止めた。
彼女がシリンジ戦で敗北したことの悪影響だった。彼女の基本的な性質の一部がこのとき、永遠に破壊されたのだ。しかし、変わらない部分もある。
「でも、私は必ず戻ってくるわよ。ここにね」
いずれにしろ、この私が、再びルゥリィに会うことは2度と無かった。
オクファは、最初は私に対して警戒感をしぶとく抱いていたみたいだが、
いろいろなことが起こるたびに、それが面倒くさくなってきたようで、
そもそも、私より遙かに厄介なことが、VDの案件として持ち込まれてくるのだ。
というわけで、友人になれたかも。少なくとも私はそう思ってる。
オクファの警護付きで、水青町にも行った。
リコママ、もとい猫間静湖さんには会った。
というより、こっそり見た。
静湖さんに掛けられた悪い魔法はきれいに消された。
静湖さんは私のことを覚えていない。
静湖さんが覚えてるのは最初の死んだ娘の猫間理湖だけ。
可能な限りきれいな記憶手術。
私を覚えていることが彼女の危険だ。やむを得なかった。
それで良いのだ。
それは、寂しいこととは違う。
私があの家を知っていたのは当たり前だった。
まだ楽しそうな笑顔はときどき見せるだけだけれど、理湖がいなくなった事実から立ち直って、どうか元気になってほしい。かけがえのない理湖のお母さんなのだから。
私はまだ思い出せるだろうか、理湖のいた時間を。
もう、うまく思い出せないな。あまりに昔すぎる。
静湖さんが元の職場である医療機関に復職したことは後に聞いた。
静湖さんの微笑みが私の中でまだ生き残っているのを今ははっきりと感じられる。
うん、これは悲しい気持ちとは違う。
さようなら。お母さん。
そして、最後まで残してきた宿題が残った。
設定125
詩緖。この物語の最初に出てきた他者。
実は私は嘘をついていた。
詩緖は、冒頭にしか登場してないと思われるかもしれないが、
その後もずっと出てきていた。
詩緖というのは、読者の前で、私が適当につけた偽りの名前だ。
「久しぶりね」
「……いいんちょ、も無事だったんだ」
「言っとくけど、それ、私の名前のつもりで言ってる?」
「……うん」ためらいなく。
「はぁ」ため息をつかれる。
だっていいんちょは委員長なんだもの。
そんなことはどうでも。
彼女は、あの助けてもらった時のままだ。
良かった。体は大丈夫みたいだ。
彼女は同位体であるだけなので、外に出るのに制限がない。
「……いいんちょ、いえ、ミツメちゃん。あの」
「……あの、ごめんなさい」
「謝らなければいけないのは、こっちじゃないかしら。なんか迷惑をかけたみたいだし」
相変わらず冷たい感じ。
「……そうじゃなくて、あの」
私は“裏切りの妖精”を取り出して。
制止される前に、フォアードバレルを動かして、自分に心臓に当てて、
撃った。
もちろん弾は出ない。
この銃のトリガーは見た目通りではない。本当のトリガーは持ち主が所有する。
あくまで本来の持ち主の意向に従ってのみ、攻撃システムがオンになる。
安全装置もダミーだ。
手に取った者の決して自由にならない武器。それが“裏切りの妖精”だった。
私は、彼女の持ち物を彼女に返した。
「これは、最初からこういうものだったでしょ?」
私は、傲慢な昔の自分にもどる。
「謝るのは私の方でしょ。私は」
逆に廻谷ミツメの方が、謝罪しそうだ。
それ以上は言わせない。
いいんちょは自分から口を開けば、いつも壊滅的なことしか言わないのだから。
「これからあなたの前では、絶対に、自分がダメだとか醜いとか、言わないよ。
難しいけれど、たとえ心の底で思っていても言わない」
まだ続く。
「だから、あなたも、周りに合わせないで。周りのみんながやっていることだから、それが世界の法則だから、仕方ないなんて言わないで」
「別に合わせてないけど」
私が、私自身の悪口を言うのが気に入らなかったのだ。
彼女は本当は、そういうのが我慢できない気高い人なのだ。
「暴力が上から下にしか流れないように見えるのは、あなたの気持ちがそれに屈したから。でも世の中にはあなたのように絶対にそれに屈しない人もいる」
「あんたの言ってることがメチャクチャなんだけど」
「でも、オレはあなたに守ってもらったんだよ。それが何よりの証拠。オレがあなたの目の前でまだ生きていることが、あなたが決して世界の決まり事に膝をつかなかったことの証明」
「守ってないし。実際にあんたを守ったのはノイエとかでしょ」
「守ってくれたよ」
「ああー、うるさい」
逃げられないようにこれを人前でやる。本当は私の方が神経は図太い。
何せ、人の反感を買うようなことを無意識でやってしまうくらいなのだから。
これから、彼女の関係がどうなるか、ここでは書かない。
ただひとつ、完全に死亡した彼女の姉妹の替わりに、新たに捕獲したルゥリィ・エンスリンの朱毛の少女をミツメシリーズに代償として付け加えた。なので、あの朱毛の少女にはまた何度も顔を会わせることになる。
カノカさんは私たちと入れ替わりに、病院に逆戻りし、症状が悪化した。
最期が少しずつ近づいてきてるとのこと。
シスカさんが頻繁にお見舞いをするようになった。
姉妹仲はこれまで以上に良いみたい。
カノカさんが巻き戻しを使うことは2度となかった。
黒く枯れた桜の葉は大地に堕ちて死んでしまったけど、
その後からすぐに新しい緑の葉が芽吹いてきた。すでに葉桜になってしまったけど。
なぜ倦むことなく緑の葉で灰色を埋め尽くすせるのか、その情熱の由来を私は知らない。
設定126
そうだ。これを書かないといけない。
ノイエ説明。
「メイナードスミス効果って言ってね。
寄生生物は、最初のうちは宿主を殺してしまうけど、例のヴァンパイアのジレンマがあるから、だんだんと殺さないようになるんだ。生かしたまま共存する方向に進化する圧力がかかる。
これは対象となる宿主の種類が少なくて、寄生先の選択の余地がないときに特に効果が強くなるんだけど。
たとえば、インフルエンザだったら、年々弱毒化していく。最初のスペイン風邪がいちばん致死性が高くて、それより後のは、人に免疫ができたことと、ウイルス自体が弱毒化するので、なんというか、普通の風邪になる。
逆に、今は普通の風邪に思えるような病気は、かつては恐ろしい死の病だった時代があったのだと思う。そこからゆっくりと手懐けて。まあ、ウイルスが人を飼い慣らしたのかな。
そして理想は、感染していることで宿主が何の害も受けず、宿主たちが生きていく限り共存して生きていけるウイルス。例えば唇のところにできるヘルペス類とかがそれ。まあ、あれはまだ痛いけど。
そして最終的には、自分のDNAを人間のDNAの中に組み込んでしまい、出芽することすらなくなる。つまり機能融合したひとつの生物になる。ミトコンドリアみたいに。そうなると宿主も寄生体がいないと生きていけない。寄生体はもちろん宿主がいないと生きていけない。
もちろん、それで終わりじゃない。人を飼い慣らしても、また他の動物を新大陸として感染してしまえば、今度はそっちで死の病気になってしまう。それが数が少ない生き物だったりしたら、あっさりと滅んでしまうかもしれない」
「そして言うまでもないことだけど、仲良くなるまでにどちらかが、どちらかを、殺し尽くして終わりになることも、ある」
私が繭の間に行ったときから、ギーメにある病気というか、深刻ではまったくない症状が発生したのだが、それはまた後日に書こう。
ただ平たく言うとそれは、ある夢を見るようになった、ということだ。
それも、ときどき。
設定127
もちろん、今の私にはルージュの意思に賛同するつもりがまるでない。
しかし、時とともに私は摩耗し、ルージュのように絶望に染まっていくのだろう。
そしてそれは多分、避けられないことなんだろう。いつかは。
でもそれは、ずっと先のお話。
今でも彼女の呪いは私自身のものでもある。
つまり滅びればいいってこと。
私たちには生まれてくる資格がなかった。
私たちには存在する価値がなかった。
私たちには生きる理由がなかった。
私たちの幸福は無意味だった。
そういうことでしょ。
ほら、耳をすませば、彼女の声が聞こえる。
彼女は私だから。
遠い未来で呪いの言葉に侵食され尽くす私。
今は遠い未来の物語。
もちろん、私はあっさり未来をより良いものにしてしまうことができるかもしれないし、そうなったら私はここに来ることはありえず、この私も消えてしまうのだろうか。よく分からなかった。
いずれにせよ、不安な未来を抱えることは不幸であろうか。
そうは思えない、いや、思えなくなった。まだ今のところは。
やがて夏の光が強くなればなるほど、私はノイエたちに連れられて新しい色んな場所に行って、色んな結果を積み重ねていくことになるけど、でもそれもまた別のお話だ。
例えば、ある日の私は、またしても手を引っ張られてる。
ほら、こんな具合に。
「ほらー、はやくーはやくぅー、伝説のメロンマロンバウムを今日こそは売り切れる前に入手するんだからぁ」
貴重な外出許可を無意味に乱用。
「乱用じゃないよ、ご褒美なんだよっ」
まだまだ手を離してくれないのです。
設定128
これは僕の記述した記憶だ。
僕ではない人の視点も混じってる。
かつて死んでいく少女だった僕から、生糸という名前のギーメである私に向けて残す記憶。私も含めて誰にも読んでもらえないかも知れないけれど。
設定129
私は多分、この小さな世界から外に出ることが永久にできない。
一生をこの暗い狭いオリのなかで生きていく。
ノイエは私に手を差し伸べてくれたけど、誰にも私は助けられない。私の世界は私で行き止まりだから、彼女たちが私を理解できる日は決して来ない。
なので、狭い箱の中で、私は現実を歪めてでも無理矢理に成長する。
そこはとても狭い世界だから、世界の意味をねじ曲げて私は自分の生存理由を偽造した。
だからまだ信じてる。
あこがれは人に翼をあたえるから。
いつかこの言葉は世界になる。
数え切れないほどの夜と朝の繰り返しの向こう側で。
きっと忘れてしまうから、ここに書き残しておく。
忘れてもまた思い出せるように。
***
作者より
(このお話はフィクションです。作品に登場する個人・団体はすべて架空のものです。ただしこの話を読んであなたが思ったこと考えたことは、すべて本当のことです)
ヴァンパイアドウターズあるいは生きることはもっとも高貴な邪悪 @socialunit13
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