第7話 ・・・夜明け前、いちばん暗い時間

設定89


オクファさんが取り出した円筒形はロケットランチャーではなかった。8本足で歩きだすロボットだった。自由に配置を決めて特定の位置でロケット弾を吐き出すのだ。

なんだ、やっぱりロケットランチャーだ…………。


【【ショップTV:始め】】

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【【ショップ終わり】】


そんなものを4本ほど地面に降ろすと、4本とも地面を駆け抜けて道路を下へと走って行った。待ち伏せるプログラムなのだろう。

他にラジコンカーみたいなのも2台ほど、勝手に走らせておく。さては地雷か、と思いきや。「偵察機なのね」

準備といってもこのような簡単な罠を展開するだけで終わりだった、あとは本人たち待ち伏せポジションに移動するだけである。


その公園には巨大な滑り台があった。山の上の方から滑ってくるやつだ。

「きいちゃん、滑ってみたい?」

ぶんぶん。否定。

「じゃああたしが滑っちゃおうかなあ」

おい。

時間がないんじゃなかったのか。そんな会話をしたような。


毬村ノイエは仮説を述べた。

「なぜブラッドプロセッサは人間に寄生したがるのだろう。哺乳類や鳥類や一部の軟体動物にはすごくよく定住するのに、棘皮動物とかには住み着いたという話は聞いたことがない。というか憑かない。これは私が推測してるだけなんだけど、たぶん、知能とか意識レベルとかを目当てに憑りつく相手を選んでるんじゃないかなって思うんだよね。

哲学的な理由とかじゃもちろんなくて、そうしないと繁殖できないとか。

そうであれば、なぜわざわざ脳を溶かしてその情報コピーを作るのか、という謎な行動様式にも説明がつく。私たちが今この瞬間に感じている意識が、心が、偽物であることは疑いない。媒質が破壊されてるんだから何らかの方法でコピーしてるんじゃなきゃ、私たちがこんなことを考えることは原理的にできないはず。

さりとて高名な寄生虫とその宿主ちゃんみたく、ばっちりマインドコントロールされてるかというと、そんな感じもあまりない。

多分、ブラッドプロセッサは生きていくために高い意識レベルを切実に必要としてるんだけど、原理的にそれがどうしても獲得できなかったんじゃないかな。そこで次善の策として選んだのが、そういう生物を手っ取り早く乗っ取ってしまうことだったんじゃないかな、と私は思うんだけど。

例えて言うならば虫こぶとかクラウンゴールとかがギーメの正体で。

ここまでは考えついたんだけど、その先の実験方法とか思い浮かばないんだよね。

まあ、私が勝手にそう思ってるだけなんだけど」

「……どうしてそんな風にダーウィンの使徒なの?」訳:生物オタクなの?

「うちのお父ちゃんが古生物学者だったから。ふぁみりーびじねすというわけ」


この話を他人にしたら、大胆な質問をするやつだと驚かれた。

私の方が。

ところでこの会話、いつの話だったか。

戦いの前の短い時間にこんな話をしたっけ。

いやいや、準備が終わってからしたに違いない。

しかしながら記憶の混乱があり、これはどこか別の日に、昼の時間でしたような気もする。


スレイブウイルスについての説明。やはりノイエから。

「これまで人類に仇なすものとしてさんざんギメロットを屠っておいてなんだけど、あれはひょっとしたら病気なのかも知れない。

ひょっとしたら治療法が存在するのかもしれない。

スレイブウイルスって知ってる?

ブラッドプロセッサ生物群、つまりギーメは実はウイルス病原体についてほぼ完璧な免疫を持っている。ウイルスはどうしても遺伝子が丸裸になる瞬間があるからね。そこを狙われるとひとたまりもないんだ。ブラッドプロセッサ感染体の本体とも言われているプロセッサスピンドルは、もっともそれが感染性であることを証明できた例は1度もないんだけど、機能は分かっている。リボソームだ。

リボソームってのは、具体的にメッセンジャーRNAからタンパク質を作ったりするのが仕事の細胞内器官。タンパク質工場だね。その中にブラッドプロセッサお手製リボソームが混ざるようになる。

そいつがあるとウイルスDNAやRNAはスレイブ化されてしまう。

そこから先、仮に血中ウイルス濃度が高くなったとしても、実はそれはカプシドだけで中身に別の何かが入っていたりする。そういう細胞内器官に作り替えられちゃったウイルスをスレイブウイルスと言うんだけど。

どうもブラッドプロセッサが人体を支配するのに、このスレイブウイルスというのが無くてはならないもの、みたいなんだよね。

ひょっとしたらギメロットはその辺りに欠陥を抱えているのかもしれない。それっぽい論文を見たことがある。

原因が分かれば治療できる、かもしれない。

これもルフトメンシュ先生の受け売りでしかないんだけど。ルフトメンシュ先生ってのはうちの顧問の先生ね」


これは間違いなく覚えている。あの時だ。殺傷性リップの使い方を質問した時。


私はノイエを滑り台の下に呼んで、殺傷性リップの正しい使い方を教えてもらった。

アクリタイスが来るまでもう時間がなかった。

そして訊かなければいけないことを質問する。

リップを使って殺さないで無力化する方法があるかどうかを。

「あるよ」


設定90


殺傷性リップは誰にだって使えるわけじゃない。

敵味方認識するタンパク質はひとり一種類。まれに重なっても他の要素がはじく。

そういえオルガンに来たときに、採血しました。

あの後で作っておいたみたいです。

「ただね。解毒剤が必ず効くかどうかは、わかんないとこがあるよ。侵攻性リンパ球のことは正直まだよく分かっていないんだ。まあ相手がショットモルフという種族であるからして、いくらかは普通の人より丈夫かもしれないけど」

ノイエ説明。追加説明ありがとう。


ところでノイエの説明欲が爆発してるらしく、時間がないというのに無理やり大量の内容を早口で喋ろうとする。

もう必要なことは訊いたんだけど。

「聞いて聞いて。ところでスレイブウイルスがあるからこそ、遺伝子の水平伝播がより活発におそらく機能的に発生しているという証拠だってあるんだからね。

これはあれ、あれだよ。

その昔、悪のコスプレ軍団は純粋な種族ほど強いのだ、とか言ってたけど、実はまったく逆で、雑種ほど強いのだ優れているのだ、だから雑種化すればどんどん適応力が上がって、絶滅危惧種から侵略的外来種にクラスチェンジしたりとかするのだ。きっとするのだ。だから遺伝子汚染とかはナンセンスで実は混ぜれば混ぜるほど良いのだ。

とにかくね。純粋種を残すのが自然保護です、とかいうのが前から気に入らなくて。

雑種こそが優れているのに決まっているのだ。雑種強勢なのだ。純粋種など新型インフルエンザ一発で全滅するのだ。ニワトリ育ててたおっさんが知らないはずはないんだけど。

そんで混ぜ込んだあげく、致命的なエラーが発生しましたとかいうならしょうがないけど、表現系がでなくなるから、とかいい迷惑。機能衝突さえしなければ何をしても許されるのだ。それでいいのだ。こうなったらセンダイウイルスとかヒト内在性レトロウイルスとかを使って、全人類を1つの巨大な肉球細胞にしてしまおうとか」


何の話でしょうか?

ついに人類肉球化計画について語りだしました。

戦闘突入直前なのですが。

死ぬほどどうでもいい話で戦闘開始を引き延ばし始めるノイエ。

さっきまで急いでいたのはいったい何だったんだ?

オクファさんの怒りが想像できそうで怖い。これだからもう油断すると。

にもかかわらずノイエの説明欲はまだまだ爆発し続けるのです。


「聞いて聞いて。いやそれどころか地球上の生物をすべて混ぜこぜた巨大機能融合体を作ってみるとか、そもそもだね。

雑種こそが進化の大きな原動力のひとつなんです。変な生き物が進化して出てこなくなってもいいの?」

いや、別にどうでも。

「そこで私が考えたのだ。動物と菌類と古細菌の遺伝子を混ぜ込めるように、そうだ寄生生物とかをつかって、いや待ちゃよ、むしろ人間と融合させた方がおもしろいんじゃない。センダイウイルスさえ使えば、あらゆる生物の細胞を融合させて、そうだな。アリとアリタケと松茸とベニタケと藻と人類を融合させて関東にばらまきゃぶてゆー悪魔的計画で新世界の神がまぶっ」

スペシャル早口。噛んだ。

いっぺんに何行分かの言葉を同時に発音しようとしたような。

それにしてもキノコ成分が異常に多い。

「……噛んデレはやめたほうが良いよ」

私はまったくの善意から忠告した。

「ふまっ、ふまっふもっ」

何を言ってるのか分かりません。

時間切れで駆け出すノイエ。「まふっ」


後で聞いたら、興奮するといろいろ思いつくのだ、とのこと。


しばらく待ってから配置状態についたバンビたちが待ち伏せ攻撃を開始。

邪神の笛の音のような甲高い音とともに、ロケット弾を放出する。それは山中の1本道をまっすぐ進んできた車列の先頭2両と後方2両を丁寧に爆砕した。

しばらくの間、アクリタイス戦闘団は身動きが取れなくなった。

戦闘開始。


設定91


【【ポイズンリバースの視点:6:始め】】

ギーメを人間に戻すには1度死体にしなくてはいけない。

今まさに活動しているブラッドプロセッサを排除するのは不可能に近いからだ。

私の研究はそれで、他の分野を見ている時間は、だからあまり取りたくない。

我が子を人に戻せるかどうかが、この世界の最大の関心事だ。

すでに本番だ。3回失敗した。


理論上は1回目で勝つのが望ましい。

2回目でも勝利する可能性はある。

しかし3回目ともなると厳しい。

4回目以降は未知の世界である。

ブラッドプロセッサは学習する。

倒しそこなう度に強くなる。

それでもあきらめることなどできはしない。

挑戦だけなら何度でも許されるのだ。昔とは違う。

なにせ、死体を蘇らせる作業である。

失われていくとはいえ、医療技術の魔法じみた恩寵はまだ残っている。覚えている。

何度も臓器を取り換えた。元通りの箇所などほとんど残ってないくらいに。

私の腕は、まだ技術を覚えているぞ。いま使わずしていつ使うのだ。


「うさぎは悲しいと死んじゃうんだよ」

明らかに人間である頃の彼女がそう言った。

死んだうさぎの絵を描いた。

いつも心にうさぎがいた。

厳密には違う。こういう生き物はいつも限界まで我慢するから。

だから、具合が悪くなったときにはもう手遅れである。


いつだって、悪いように見えたときには、もう手遅れなのだ。

でも、あきらめはしない。決して。この先に何もなくとも。

決して。

【【視点終わり】】


【【信徒たちの視点:1:始め】】

信徒たちは全速力で追撃していた。

「そこだ。そこの角を曲がれ」

間違えずにその道に進行、アクリタイス戦闘団の後方を取る。

遠くで爆発音らしきものが聞こえる。

「急げ! セラフィムが戦っておられる」

「言われなくても、充分急いでるよ」ドライバーがやじり返す。

信徒たちの長は、この反論した男に眉をひそめる。この男には信仰心がいささか足りない、だがそれを注意する時と場合ではなかった。

人間たちはこれまでも幾度も熾天使様を殺そうとしてきた。しかしその都度に熾天使さま方はそれを退けられてきた。信徒は恩恵を受け、守られる。いずれ熾天使様の1人となる巫女を差し出す儀式を行いさえする限りは。

このようにして、割合的にはごく少数だがゆえに血族がしばしば熾天使様となる。

それは娘であり神である。それが約束された守護の証。


ただ違う点もある。昔の信徒は、自ら戦いはしなかった。戦いは熾天使さまの領分。

だが今は違う。今日では、信徒たちも武器を持つ。時代は変わったのだ。

「最後尾だ。あそこだ」

信徒たちはアメリカ合衆国の田舎のミリツィア程度には武装している。

M4系列中心の武装。

【【視点終わり】】


【【灰人の視点:1:始め】】

5号車の後部ハッチが開いて、まず最初にミニバイクが飛び出してきた。

射出と同時に、前輪駆動軸から斜め上方へシャーシが展開して、前方に巨大なヴァンパーを形成する。

ホーンマウスと呼ばれる車種である。閉鎖空間で進化したメカなので当然ながら電気式。モーター音が地獄から来た悪鬼の金切り声のように喚きちらす。過剰すぎる出力を抑え気味にして最後尾に向かってすり抜ける。

「降車はじめ」ポイズンリバースの号令が後ろで響く。残りは前へ。

後ろでは信徒たちが射撃開始。


エンゲージ。

まずはミニバイクを駆って突撃する。

信徒たちが最後尾を攻撃して、アクリタイス側に混乱が広がっていた。

「後ろに敵がいるぞ」アクリタイス兵士F。

「なんだよ、これ、聞いてねぇよ」アクリタイス兵士G。

アクリタイス側に練度の低さが分かる発言が目立つ中、50秒弱でミニバイクが駆けつけ、サスペンションの機構で高く飛び上がる。炎を飛び越えて信徒たちの中に。

それから片手を離して。

突撃。

信徒たちが認識の声を上げる前に、スクイドケーブルが薙ぎ払う。5メートルケーブルである。

まずは右腕から。

蛇のような動きから突然に予測不可能な跳ね方をする、ケーブルの使い方に熟練した者の戦い方だった。

回転しながら綺麗に前衛を薙いだ。

「来たぞっ」ようやく信徒たちの反応。

まずは手持ちの銃火器を乱射。

ケーブルの運動質量の反動であり得ない速度で回避。ミニバイクが予測不可能な軌道をとって走る。

右腕のケーブルをしまい、つぎに左腕のケーブルを抜く。敵先頭車両の隣りを通り過ぎるまさにそのタイミングで、フロントエンジン部を破壊。こちら側でも爆風が物理的な圧制で空間を支配する。

再び向きを変える。

そのまま通りすがりの2人を切断。前方にそのまま突入。ホーンマウスの鋭くなりすぎたヴァンパーが1名の胴体を切断する。路上に縞模様を残して停止。降車して戦闘継続。

ケーブルで突き刺した男が血とともに言葉を吐きだす。

「セ、セラ、フィムさまを」

引き抜いて捨てる。

掃討するのに3分程度は必要と判断する。

ここでロケットピストルを使用することはない。

【【視点終わり】】


私は交戦中のノイエとオクファを後ろから見ている。

待ち伏せして予想通りの損害を相手に与えている様子。

相手側はなんとかして、2人の背後を取ろうとするけど、どうもノイエには自己の後方への視覚があるとしか考えられない。

オクファさんの説明では、エリアティッシュで触れたものを知覚できるとのことだった。

道理で見えないものを見えるわけだった。

真後ろへ向かって振り向かないまま正確に射撃して、むしろ不意を打たれるのは常に相手側の方だった。

言うまでもないことだが、エリアティッシュの前に相手の攻撃はまったく通らない。

例の白く濁る破砕面だけを見せて、まるで霧が2人の周囲を舞っているようで。

しかし、相手側の弾頭にも今回は秘密がある。

自律誘導弾頭、つまり目標に向かって自分から飛行経路を変える、そのような弾頭を使っているのだ。もちろん未来人にはこの手の武装があって当たり前だが、今まではなぜか使ってこなかった。高いからだ。向こうの世界は貧乏で貧しいのだ。兵隊の命の方が安い。

しかし、今回はそうも言ってられないのか、未来兵器を投入してくるようである。

この先、もっと出てくるだろう。

私は、その戦いを後ろから観戦している。

出番をうかがって。


【【毬村ノイエの視点:20:始め】】

第1派を撃退。第2派が接近。

こちらの居場所はバレているので、いっそのこと正面に出る。

エンゲージ。

アクリタイス兵士は道路の両脇から接近してついに、私が道の真ん中に突っ立っているのを発見する。

「武器を捨てろ、我々は」なぜか降伏勧告。第1派が撃退されたのを見ていないのか。

それとも投降するつもりに見えたのか。もはや永久に分からない。

くるり。

回転少女は台形を脇の下に回転してフルオート。薬莢がベルえりの内側から足下にぼろぼろと落ちてくる。

不意を打たれた最先頭の兵士が1人2人と倒れる。

叫び声をあげて後ろに下がる兵士を、完全な別角度からオクファの台形からの火線がクロスファイアに捉える。

回転少女もとい私は、今度は礼儀正しく正対して、肘でフォアグリップを固めて前進。敵に反応する暇を与えない。バーストを使い切って恐竜ナイフに切り替え。相手に向けて恐竜ナイフ内臓の射撃装置を使う。発射。弾丸はレルル・ココロフツゥエのメソッドを原型にしてるもので、自由自在に飛び回る凶暴な弾丸だ。命中しても自ら加速度を生成するので、そこで止まらずに次の人体を目指す。この兵器に対して弱装甲兵では装甲防御の効果がまったく無かった。10人が連続で自律的活動不能状態にさせられる。

さらに至近距離に近い相手ではナイフそのものを使う。兵士は銃を乱射するが、フェザープリントきらめくエリアティッシュが防御してしまうので、パニックになって逃走するか、さもなくば「まふまふ」恐竜の餌食になるか。

逃走しない1人に対しまず足を狙った。相手の背中側から器用にもアキレス腱を切断して、なぜなら反応速度がギーメと人間とではけた違いだ、この瞬間にもシリンジの効果が出ている、シリンジとはつまりこの時代でいう無線LANであり、プロトコルの違うそれは通常神経の情報伝達速度よりも当然に速くなる。相手を地に倒れ伏せしめた上を反対側に跳んで、距離をとった場所からナイフだけ伸ばして頭部を砕いた。

声もなく。

グレネードを2個ほど足下に転がして蹴飛ばして、爆発、自身はエリアティッシュの防御に頼り、相手だけを吹き飛ばす。

塵と化せ。

4秒を使って台形の弾倉交換。大胆にもしゃがんでその場で交換。

それから射撃と制圧。

2分間掃討してから引き返す。

計算通り。相手を引きずりながら叩く所存。

【【視点終わり】】


【【ポイズンリバースの視点:7:始め】】

自由落下、いや運動推進するレルル・ココロフツゥエの弾丸をスクイドケーブルの突きで叩き落とした。こちらの反射神経も尋常ではない。スクイドケーブルが射出する前に、さや組織から皮層を突き破ることでケーブルは突出する。その際に、鮮血が宙を彩る。

はじく。

弾丸、機能停止。

滑り台広場に進軍。

【【視点終わり】】


設定92


「ヴァンパイア症候群というのを知っているかね。

言わずと知れた犯罪被害者が、なぜだか加害者の行動原理を内面に確立してしまい、次の事件ではまったき加害者として行動する。すべてとは言わないが、確認されている加害者は、すでにいつの時点においてかで被害者であったことが多い。

法的にはだから情状酌量の余地がある、と利用されるところだが、真実は逆ではないのかな。と私は思うのだが。

つまり被害者はすでに汚染されている。

すなわち悪によって。

しかしこの場合、汚染の浄化とは何をもって言うのだろう。

加害者だけではなく被害者をも、社会から隔離すればそれで問題は解決するのか。理論的にはそうだろうが実際的にはそんなことは不可能だ。

何より数が多すぎる。

考えてみたまえ。人類誕生から此の方、どれだけの罪が犯されてきたか、数え上げるのは、まあ、止めた方がいいだろうな。

そんなことよりより興味深いのは、汚染されているにも関わらず加害者にならなかった存在だろう。時代によって犯罪発生率が速やかに上下を繰り返すところをみると、明らかにこのカテゴリの人々が多くいることは容易に推察できよう。しかし何が両者を分けているのだろうか。なぜ同じ悪によって汚染されている状況にも関わらず、加害者になるものとならないものとになぜ分けられてしまうのだろう。もちろんそのトリガーとなる事象は無数にあることは言うまでもない」


記憶の外側にあるレルル・ココロフツゥエの発言。私が経験した記憶以外。問題提起。

例によって例のごとく、実際に体験したはずのない記憶を私は覚えている。


私は小屋を抜け出した。あれは私の母、いや私ではなくルージュのお母さんだ。私ことノワールの母親ではない。もちろんそうだ。

ルージュは母親のことを嫌っていた、絶望していた。でも逆説的に私は彼女のことが嫌いになれない。

傷ついたうさぎ。私は彼女の一面を知っている。それはまるで私のようで。

この人は、本当は悪い人じゃない。甘いと言われようがまだ信じてる。直感。でも。

どれだけ傷ついているかという点において、認識不足があった。

今こそあれを使う場面だ。そう思って飛び出した。でも本当にそうだろうか。私は何か致命的な勘違いをしているんじゃないのか?


【【ポイズンリバースの視点:8:始め】】

混乱の中を管理事務所付近まで進んだ。

滑り台広場のそこかしこで銃声がしている。

破壊音がする方角は部下たちにまかせて、ひとり楠本生糸を目指した。彼女が最優先だ。

【【視点終わり】】


【【毬村ノイエの視点:21:始め】】

滑り台広場の戦い。激戦のクライマックス。

巨大メカ登場、パワードスーツの一種、マンタンクMk-n-X 。

蒸気プレス式衣服乾燥装置の豆戦車式転用といった感じだ。もちろんジャンプできず飛行できず、8つ足で歩く。

武装切り替え、マカロフPSMの先端に専用グレネードを装着、特殊弾頭を薬室に入れる。肘できつくしめ手は襟をつかみ発砲、射出後にミニロケットに点火、敵メカの正面装甲版になんとか命中。しかしまだ動き続ける。まったく効果がない。敵メカが高速機関砲を乱射してくる。敵メカがさらに、目標がまったく定まっていない誘導ロケット弾を周囲の森に放つ。そこかしこに火炎。

脇に退いて影になる場所へ、そこに計ったのごとく置いておいたスリングをぐるぐる回し始める。14式パンツァーウルフミーネ。ロケット噴射、ますます加速して回転を始め、ついにロケットスリングを放り投げる、高く放物線をとるそれは自ら姿勢制御を開始してまっしぐらに巨大メカの頭上に落ちる、爆発。高速機関砲は沈黙。しかしなお停止せず。歩行は止まらない。

マンタンクの砲撃、管理事務所を粉砕。思わず歯軋りするけど、相手から目をそらさず。

一転して道を戻って滑り台の上に登り始める。別の火線が注意をひきつけてる間に、相手の高さから上にジャンプ、恐竜ナイフを振るいまくる、上部構造物の残りを、信じられないけど、ひらりと切断して、とても金属のナイフでできることではない、信じられないほどの切れ味で巨大メカを解体していく。

しかし見てる人が見れば気づくだろう。背中の翼に。それはもう。

ところで車体上にいる私に銃火が集中しているようで、この戦いで敵もついに切り札のひとつ、非常に高価な有翼誘導弾フィンバレットを使用してきたのだが、銃弾の命中収束率がありえないほど高くなり、エリアティッシュが真っ白に白濁、周囲は白い闇と化す。しかしこっちも愚直に解体。手を休めることはない。相手は動き回ろうとするが、狭い場所が災いして大きく振り回すことができない。それでも何かに体当たりして私をはじき飛ばそうとするがその前に。

最後の装甲表面を抉り取ると、例のレルル・ココロフツゥエからもらった自由移動弾2つ目を、ナイフ内蔵銃身から中に叩き込んだ。

高速で金属板が削りぬかれる音、叩かれる音が繰り返す。「うわあああああああ」悲鳴とともに後部ハッチからドライバーが脱出ポッドで飛び出してくる。私もジャンプして降りた。巨大メカは数秒ののち、爆散炎上した。

もちろん1台のみである。

【【視点終わり】】


私はそのひとを見つけた。

ポイズンリバースなんて名前じゃない本当の名前。

楠本真綿。

X字様ボタン配列ジャケット。胸のVラインの内側にはアクリタイスの紋章付きインナーが見える。

アクリタイスの紋章は12星座の羊のマークに片側だけ羽ばたく翼がついたものだ。


さあ。

カノカ。今こそ戦う君の出番だ。

でも、彼女は出てこなかった。

オクファさんとの対決からこっち、彼女が表に出てくることはなかった。

なんでかというと。

(もちろん決定権が僕にあるからだ。当然だろう。僕は君ではない。僕は僕のやることを自分で決められる。何か勘違いしてるんじゃないか)

でも、だって。そんな。私が死んだら。

(君は死なないよ。それは確信をもって予言することができる。君は僕が時間旅行者だと忘れてしまったんじゃないか?)

いや、でも、そんな。だって。

私はだって、できないもの。

(よしんば、君が死んでしまったとしても、僕はまた巻き戻すだけだ)

いや、そんな簡単に言うけど。

実際には死ぬのはそんな簡単なことではない。

痛いし。苦しいし。そんな風に割り切れない。

(死の確率が充分すぎるほど高ければ、僕の巻き戻しで突破して見せよう。しかしそのためにも、まずは試しに、死んでみたまえ)

そんな無責任な。

(それが巻き戻しの戦い方だ。敗北してみなければ対策も何も分かりようがないではないか)

私は、まだ何か抗議しようと思ったけど、もう遅い。

目の前に猛獣が迫ってきている。

私の楠本真綿に対する親近感はあっさりと吹き飛んでしまう。

「生糸。そこにいたのね」

小柄な彼女は想像を絶するほど恐ろしく見える。それは小さなライオン。

「言いなさい。良い子だから」

彼女はショットモルフだ。私は何も考えられなくなった。

「その体をお母さんに返すって、言いなさい」

逃げるしかない。

でもすぐに追い詰められるのだ。

ライオンはライオンでした。首根っこをあっさり捕まれて、つかまる私。

その人は私の首をつかんで高く掲げる。

苦しみは私に余計なことを考えることを不可能にさせる。


閉じた世界の可能性を見よ。

この人に殺されてあげたら。そうしたら、きっと世界は今日も元通り。

私の悲鳴を誰も聞かない。だってそこには誰もいないんだから。

私のいない世界で皆が幸せになれる。

それが本当は、私のやらなければいけないことだったんじゃないの?

あなたひとりが犠牲になればいいのよ。

あがいたりするからこうなるんだ。

大人しく罪を受け入れろ。生きてきたことが罪。

生まれてきたことへのそれが罰だ。

苦しめ。力を抜き閉塞を受け入れよ。

ここなら永遠に安心だ。


やっぱり他人に頼るんじゃなかった。頼っても無駄だった。

ここからどこへも行けなかった。出口なんてどこにもない。

ずっとここで。


でも肝心なことを忘れてる。

終わらせられるなら、まだマシなのだ。


ところが、唐突に私の首を絞める力が弱まったのだった。

地面に墜落する私。べちゃり。

「その体の中のギーメ、お前はまだ殺さない。生まれてきた苦しみを思い知らせるまでは」そう言って放り出してしまう。

ポイズンリバースはもう私どころではないらしい。


理由はノイエがこっちに突っ込んでくるからだ。

ノイエとポイズンリバース、2匹の猛獣がお互いを認識した。

エンゲージ。戦闘開始。



設定93


夜明けの来ない朝はない。

でもこの夜は明けないかもしれないよ。

未来なんて初めからなかった。

それを知ってる。

なぜ知ってるかというと。


【【毬村ノイエの視点:22:始め】】

台形のフォアグリップを肘で挟んで固定して、この特殊な固定で相手の肉体に着弾させて気をそらす、まずは成功だ。

そしてそのまま射撃しつつ距離を詰めるこちらに対して、ポイズンリバースは右のスクイドケーブルを突き出した。

つながった皮層を再び切り裂いて血がほとばしる右のスクイドケーブル。

10メートル以上伸びて突きから払いに転化する。

予測不可能で理不尽で慣性に従わないかのように動作するそれは、私を一刀両断にしようと背を伸ばす。

これまでまったく敵の攻撃を通さなかったエリアティッシュが、いともたやすく美しく切断されていく。

スクイドケーブルはエリアティッシュの防御を貫通する敵の決定的な回答だ。

私は肘固定を崩して台形の射撃反動で、背中を折って身をきれいにひねって、どうにか逃れるのだけど、台形の前半部を抉り取られてしまう。台形は射撃不能。

すぐにそれを捨てて、体を起こしざまにフィギュアスケーターみたいに回転、でも真後ろ撃ちは響かず。弾丸は発射されなかった。カチャリと小さな音がしたのみ。

真後ろ撃ちの欠点として、ホルスター兼排莢用のアタッチメントをつけていても排莢不良が起こりやすい。直前の戦いあたりからジャムっていたとそういう。

慣性を無視してすぐに二の太刀を返すスクイドケーブルに、私は残された恐竜ナイフを振りぬく。

だが恐竜ナイフの金属体はどうみても、光学力繊維であるスクイドケーブルを切り裂けるはずがなかった。逆だ。ナイフもろともこっちを両断するのが速いことが確かに分かった。

この刹那、勝利を確信したであろう敵。

接触。しかし信じられないことに恐竜ナイフはスクイドケーブルを切断した。

いや、厳密に言えば、向こうからはそのようにしか見えなかった。


一瞬だけそれを抜いてから、また一瞬でそれをしまって見せた。


三の太刀が戻ってくるまえに、今度は、例のレルル・ココロフツゥエからもらった自由移動弾を、ナイフ内蔵銃身から撃ち放つ。

しかし優雅な螺旋の軌道をえがく自由移動弾は、ポイズンリバースの左腕から突き伸ばすスクイドケーブルに迎撃され、空中で完全に粉砕される。

左のスクイドケーブルが射出される際には、初回より激しい流血。しかしポイズンリバースには見た目ほどダメージはない。

その意識の集中の隙に、いっそのこと、ボロボロになったベルえりを引きちぎってしまう。

ベルえりの、内側のデザインがあらわになるのだ。

楔形に切れ込む胸元に両サイドからジッパーのラインが伸びて、胸の上側をカーブしてから楔につながる、左はダミー、右が服を分解するライン。

プラスチックホルスターを破壊する破片を飛び散らせながら、私はマカロフPSMを引き抜くことに成功。

スライドを引きぬいてジャムを抜く。射撃。残弾をすべてポイズンリバースの胴体に収束させるが、まったくダメージがあるようには見られない。

スライドストップ。残弾ゼロ。

拳銃弾では全身を防御する光学力繊維の装甲を貫けないのだ。

ポイズンリバースは、左のスクイドケーブルを下に、右のスクイドケーブルを上で「払い」を行う。

シザースクロスケーブル。

私には逃げる場所がない。

厳密に言うと後方に逃れればいいのだが、それが実は罠だった。実はこのスクイドケーブルの10メートルという射程はまだ充分に余裕を持たせた状態であり、さらに5メートルは軽く延長できる。だから後方に逃れさせたところで、そのまま必殺の突きで止めを刺せるのだが、しかし。


ポイズンリバースも先ほどの攻撃を回避されたことを知っている。

つまりこの時点で既に。

勝敗はついているのだ。

だからこそ私は両サイドから迫る刃を避けようともせず、足を開いて直立、恐竜ナイフすら掲げようともしない。

ただ、瞬きするのみ。


両サイドから迫るスクイドケーブルはそれぞれ一瞬で切断されて、先端部は遠心力のおもむくままに明後日の方向に飛び散って行った。


理由は明快だった。私―――毬村ノイエもメソッドホルダーなのだ。

そんなの、当たり前でしょう。まさか、そうではないと思ってはいなかったでしょう?

切り札は最後まで隠し持つもの。さもなきゃ切り札にはならない。

なんのために、銃だのナイフだのを、これまで使っていたと思う?

すべては最後の武器を隠し持つため。


ポイズンリバースの敗北が確信へと変わる。歯ぎしりする彼女。

「うああああああああああああああああああああっ」

歯ぎしりから叫びへ。

全力で対のスクイドケーブルをもう一度だけ振りぬく。



%%%%%

生きることは戦うこと。

生きることは殺すこと。

神様は私たちを見殺しにした。

もう誰も私たちを助けられない。

光より速く堕ちていくから。

二度と明けることのない夜の闇。

まるで闇の中に輝く孤独の星。

立ち止まれば人は誰も夜が明けることを信じない。

生きることは最も高貴な邪悪。

私たちの名前は一振りの剣。

その名を知る者はみな血を流す。

私たちの名前は一匙の毒。

その名を知る者はみな気が狂う。

%%%%%


%表示は上書き不可能絶対記憶領域、つまりブートキーメモリーだ。


黒く伸びる翼のフェザープリントが微かに見え。

そのメソッドは視線がそのまま切断する剣として機能する。

剣、あるいはウィッチブリンク。


ともあれ勝負は決した。


瞬きひとつ。ポイズンリバースは胴体を2つに切断されて大地に墜落した。

【【視点終わり】】


設定94


私は地面に放り出されて混乱してた状態だったので、それをオクファさんが引きずっていることに気づいたのは少し経ってからである。

その時には、ノイエとポイズンリバースの戦いはすでに終わっていた。


とにかくポイズンリバースの手の届くところから、私を引きずり出す必要がノイエたちには、あったのである。

もちろん勝手に出歩いていた私が悪い。といって、私のいた事務所は先ほどのメカタンクの砲撃で火がついてるけど。

不幸中の幸い、だろうか?


ところで体が半分になってしまった、ポイズンリバースこと、ルージュのお母さんはまだ絶命はしていない。

ショットモルフは、なんと、肉体を半分に切ったくらいでは死なないのである。

最新型のショットモルフは頭と心臓の間を切断されない限り死なない。言い換えると胴体を切断したくらいでは死なない。開放された血管系は即座にバイパスされリビルドされる。もちろん、交戦久しいギーメたちもそれを知っている。


「まだ、生きてるな」とノイエの宣言。

オクファさんが引きずって距離を取った私とは、ちょうど三角形の位置にいる。

三者の距離はまだ緊張している。


「生糸を人質に取らなかったな。それをすればもう少し楽に戦えてたろうに。ま、それでも私が勝つけど」

「お前たち相手に、そんな姑息な戦法は使わない。それにお前たちなら人質ごと殺すだろうからなっ」

吐くような敵意と偏見。みんな心の底からギーメは人類の敵だと信じている。

それがあの世界だ。いや、そうなのかもしれないけど。


もちろん、会話など成立しないのは、ノイエたちも変わらないのだ。

ノイエは宣言した。宣言は会話ではない。一方的な宣告だ。


「帰れ。

今日は生かしてやる。

2度と来るな。

おまえは私には勝てない」


そしてこちらを向いて、「きいちゃん、こっちに来なさい」てまねき。

言われなくてもオクファさんが私を羽交い締めにして引きずっていきます。

そうして、お母さんの手が届く範囲から完全に私が出ようとしたその時、


お母さんの、声が聞こえた。

それはうめくような。


スクイドケーブルの切れ端がわずかに伸縮してのたうつ。悲鳴のように。歯軋りのように。肉体ではなく心が苦痛に抗う証拠。

私は気づいた。この人はまだ諦めるつもりがない。

ノイエはきっと、そのひとがまだ抵抗するつもりなら容赦なく止めを刺すだろう。

まだ抗おうとする彼女は、でもそこまでだ。


目をつぶった。


でも、最悪の光景はそこでは回避されたのだ。


ぼんっ、という破裂音とともにミニバイクがもうひとつの戦場から戻ってくる。マンタンクの炎上する残骸を跳びこえて。

そして私たち3者のちょうど中間に降りる。


前輪駆動軸から斜め上方に伸びるヴァンパーが、うまく着地の衝撃を殺してくれる。ミニバイク、ホーンマウスがターンを決めて停車する。

彼が降りる。悠然と。


ギーメ信徒団は既にほぼ全滅に近い惨状で、わずかに生き残った者も退却した。


灰人がノイエを見つめる。

灰人、ノイエについての率直な分析。

「意外だな。なぜ殺さない。お前はすぐ殺す者として悪名が高いのではなかったか? 冷酷娘(れいこくじょう)ノイエ。お前がその能力を最後まで出し惜しんだのは、発動条件が厳しいからか。それとも他人に知られないようにするためか。もしくはその子の前で殺したくなかったからか。いずれにせよ。

おまえは俺に殺される。これから」


ここで灰人が私を見た。

違う!

これは、あの灰人じゃない。

目つきがまるで、まるで、私のことを知らないみたい。

ここでポイズンリバースが命令する。

「待て。その娘は殺すな。必ず生かして……」

「悪いが博士。俺はその女のことを殺せと命令されている」


灰人が私を見る。悪寒が走った。

殺される恐怖からじゃない。知っている人間があまりにも違う者になっていたからだ。

ヴァンパイア・ロリキートの最後の1匹がまとわりつくように飛行する。

羽が散った。

私の知る基準より遙かに短いスクイドケーブルが両腕から伸びて、彼自身に腕に絡みつくよう。

彼の腕から血が滴る。

その過程でロリキートを切り裂いている。

ヴァンパイア・ロリキートのおそらく最後の1羽が落命した。

彼がここでロケットピストルを使用することはない。


【【ポイズンリバースの視点:8:始め】】

生糸を取り巻く状況が再び変わった。

もちろん上層部から与えられた最初の命令は、灰人の言うとおりだ。

理解している。生糸を殺せと言う命令。

だから直接に陣頭指揮しているのだ。その命令の例外事項を適用できるように。

兵士たちにもそう命令してある。

この私は現場の裁量権が与えられるレベルの階級なのだ。

だが、この強化人間は私の言うことを聞かない。

計算外だ。

「待て。そのギーメは必ず生かして捕える必要がある。灰人っ、言うことを聞けっ!」

「悪いが博士。論外だ」

【【視点終わり】】


エンゲージ。戦闘開始。



設定95


%%%%%

私たちの名前は一振りの剣。

その名を知る者はみな血を流す。

私たちの名前は一匙の毒。

その名を知る者はみな気が狂う。

%%%%%


クロスステッチ。

2本の視線の剣を交差させる。

ルゥリィ・エンスリンの十字とはもちろん違う。視線の剣がターゲットを正確に交差する。だが当たらない。


チェーンステッチ。

2本の剣を非連続に飛ばしながら、相手を追尾。視線誘導。

瞬きひとつのはざま。

灰人は既にそこにいなかった。


苦戦していた。

素早さで絶対に右に出るものがない視線の剣が、しかし早くも通用しない。

まるで瞬間移動のように軽く移動してかわす灰人。


クロス。

だが交差する前に手前に入りこまれた。

もう一閃。斜めに。斬り裂く。

向かって真後ろに入りこまれた。


「くそっ。これだからカードを切るのは嫌なんだよ。対抗策も考えられちまう」

でもこれは対抗策と言えるようなものじゃない。チートだ。


灰人もショットモルフである。

そして灰人のスクイドケーブルはとても短い。それを両の腕から出して自身の腕に絡みつかせている。すぐには届かない。ノイエの視線の剣の方が射程距離が圧倒的に長いのだから。しかし回避されるたびに不気味に近づいていき、ほら、もう射程圏内。

早くもチェックメイトなのか?


いったいなぜ彼は、秒速の視線の剣を回避できるのか?

説明したい。

私はその理由を知っている。


このように高速で移動できる理由は、彼が腕にまとわりつかせたスクイドケーブルの性質に依る。見ると腕どころではなく胴体の方にもまとわりついている。


ここでちょっとだけスクイドケーブルの技術面のお話をさせて頂きたい。

スクイドケーブルは質量対エネルギー比の割合が著しく高い、ということは既に述べた。

ここで理解しやすくするために、ものすごく重いハンマーを振り回している人間を想像してほしい。彼ないし彼女はハンマーを振り回す。ものすごく重いので、振り回している人間の方がハンマーに影響されて動いてしまう。そのハンマーも慣性の法則に従った動きしかしてくれない。非常に予測しやすく、注意すれば鍛えられた人なら余裕で回避できる。

さて同じ大きさの人間がブラックホールか何かを飲み込んだかして、1000倍の重さを持ったと仮定してみよう。そうするとハンマーはロリポップキャンディのごとく自由にデタラメな動かせ方ができるはずだ。

もちろんハンマーの重さが小さくなるわけがない。

変化するのは別のパラメータ。質量と他者を動かせるエネルギーの割合が変化する。

それによって魔法のごとく事態は一変する。つまり他のものが軽くなるのだ。

もちろん質量が増している訳は無いのだから、増加しているのはケーブルが持つ運動量である。

ケーブルの内部では、何かが高速で運動し、非常に高い運動エネルギーを発生させているようなのだ。

まるで物理法則を無視しているような彼らの不可思議な移動や出力はそれがためである。


いわく、充分に優れた科学技術は魔法と大差ない、というか、それは魔法なのだ。

そもそもショットモルフたちは、どうも自分たちの原理やメカニズムについては詳しくない、知らされてないようなのだ、アクリタイスの兵士にとって、彼らの最新科学は切り札となるただの魔術に過ぎない。でもそれはそんなにおかしいだろうか? きっと40年代のアメリカ戦略空軍の新米兵士が初めて自分が取り扱う―――あの兵器を観るときと同じ。それとも古代人の兵士が自分の内蔵の仕組みを理解していたかな? 重要なことはそれが機能することだ。知っている事はそれだけでいい。


ところで、腕や胴体に貼りついているスクイドケーブルは触れた対象を切断しない。やはり切断は何らかの機械的メカニズムがあって、それをオンオフしているのだろう。

それによって慣性質量を変化させて、肉体をほとんど動かすことなく瞬時に、ガラス面を滑るみたいにヒュンと移動している。

これはあの恐るべき未来の世界で、敵となったショットモルフがこれをするのを見たことがあるので、それと分かる。知っているのだ。だって私にとって、私たちにとって、それは恐怖の象徴だったから。


ショットモルフは、まばたきするくらいの時間の間に、ぞっとするくらい近くまで踏み込んでくるのだ。


私とオクファさんがじりじりと下がることができたのは、ノイエが楯になってくれたからである。彼女を犠牲にして。それは視線の剣があれば、勝てるとふんでの戦いだろうけど。だったろうけれど。

でもそれはもうすぐただの犠牲になろうとしていた。

無意味な犠牲に。

この山の中で私たちだけ逃げられるはずがない。


さっきからまだ数刻も経っていないのである。


でも、ここでちょっと信じられないことが起きた。

なんと私が、参戦したのである。

いや、私というより、私の中の彼女だが。


設定96


【【カノカの視点:N+1:始め】】

目覚めた。

先ほどは冷たい対応をしたが、実のところ私は彼女を助けてやれなかったのである。

こちらに来た時点で、私はもう巻き戻しを使えないのだ。

メソッドは、肉体に、依存する。剥離記憶である私にはもう使えない。

もし、私が巻き戻しを使うとしたら、彼女に乗り移る前からになる。

だから、まあ、その意味では戦えると言えるが。

それも向こうの私が失敗を認識してから実行することになるわけだ。

だから、こちらの私には何もできない。

私がこちらに来た理由は、たったひとつだけである。


「灰人っ」

私は叫んだ。

この声は届くだろうか。

私は知っている。彼に何が起こっているかを。ずっと見てきたから。

【【終わり】】


【【オクファの視点2:始め】】

手の中の獣が暴れ始めたので、私は手を離したのだった。

あながち間違っていた対応ではなかったと思う。

はたして彼女にうまくやれるかどうか。

【【終わり】】


【【カノカの視点:N-200:始め】】

物語はいつも私で幕を閉じる。

だから私はいつも生きる気力を欠いてしまう。

けれどこの時代だけは別だ。

君がいるから。

私はここへ来ると、いつも少しだけズルをして、少し行き過ぎてから、君との人生を生きる。

「笑っていてくれたら、それでいい」

これ。

この言葉を聞くためにいつも人生の回り道をする。

でもこの時間は、本当はズルなのだ。

君が見てるのは、本当はいつだって。

別の時代の“彼女”だから。どうしてあのときは気づかなかったんだろうね。


私が幸せと希望で胸一杯にして、いつも時を巻き戻して、すべてをなかったことにするのは、君の言葉に応えるために。

だけど君は私のことを忘れてしまう。

いや、そんなことは最初から起こらなかったことになるのだから。

それでもいい。

それでも存在しない時代のあなたにふさわしい、そんな私でいて見せる。

本当は決して出会うことのないあなたのために。

私は生きるよ。

さあ。

【【終わり】】


【【カノカの視点:N+2:始め】】

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疑問。抱いてはならない理由。考えてはいけないことを考えた罪。すべてが無為に帰し、何事も叶わなかったこと。同じことを永遠に繰り返す。

%%%%%


逆向きについた真紅の剣のように見える翼のフェザープリントが微かに見え。


血晶析出。

それは全身の体液を固化させる、いや何らかの物質を転換させてすべてガラス質の何かに変えてしまう。

なんでも聞くところによると、宇宙の物理定数それ自体を変えてしまうことにより、必然的にこの宇宙の物質はすべて変質してしまうのだ。この宇宙以外の存在に接触したことがない此の世の物質にはそれに耐えることができない。


でも当てることは期待していない。

何かが空間にきらめいただけ。外れ。あっさりと攻撃範囲内から離脱する灰人。

それでもノイエへの間接支援だ。

ここでオクファは参戦しない。

「オッキーは入ってこないでっ」ノイエのかけ声を守ってる。

理由があるのだ。

私たちが失敗した時は、オクファのあれの出番だけど、その前に試すことがあるのだ。だからそれまでは下がっていてもらう。


戦闘中、でもちょっとお喋り。

ノイエが喋る。

「さて。かようにカードを切ってしまうと速やかに対抗策を採られてしまうから、こういうのは最後の最後まで取っておくにしくはない。人呼んで出し惜しみのノイエとは、何を隠そう私のことよ」

灰人が答える。

「それは同意できる。切り札は先に切るなというやつだな。だが、所詮は」

タイミングを見計らっているのか、お互いに相手を見ずにたわいない話をする。

「切って良いのはもう一枚が手の内にあるとき。さてこの先どちらの方が、手数が多いのかしら?」

「聞くのは無粋だろう。ここまできたら実際に確かめて見るしかない」

2人とも歴戦と問うのも愚かなくらいの死地を生き抜いてきた。

今日までは。


最後にノイエが、

「近づいてきたのは褒めてやる。実はこのメソッド、ウィッチブリンクもとい視線の剣、は距離を取れば取るほど破壊力を増していくそんな武器だ。なにせ視線の剣だからな。遠くのものほど大きくなぎ払える。怯えて距離を取ろうものなら首を刎ねていただろうさ。だから、一見すると真逆に、遠ざかるより敢えて近づくのが正しい解答だ」

と言った。


べらべらと秘密を教えるノイエだけど、これが本当かどうかは何とも言えない。

私も視線の剣のことはよく知らないのだ。ひょっとしたらとんでもない罠が混ざっているかもしれないが。

少なくとも超接近戦を想定しているのは確かだ。

灰人は何も答えなかった。

ここでの会話は終わりだ。駆け引きは終わり。


瞬き。


ノイエの攻撃。

彼女を中心に放射状に無数の剣が帯状に出現。

剣の本数は実は無制限のようだ。

それが放射状に射出された。


ポワン・ド・ネージュ。いと白きレースの紡ぎ。


無数の視線の剣が隙間なく空間を埋め尽くす。回避する場所はない。

ただし私の方向を除いて。

私を殺すわけにはいかないから、単純なただそれだけの理由だが。


したがって当然に予想されることとして、彼は私に向かって突き進んでくる、はずだ。直前に私を殺すと明言してるわけでもあるし。


そして、それは想定内だ。

それが私たちの戦術であり、罠だった。


設定97


ここで殺傷性リップを使った私たちの今回の戦術について、説明させてほしい。


殺傷性リップを使って殺さずに無力化する件についてのノイエの説明。

「あるよ。

真実の愛があれば、侵攻性リンパ球の破壊的機能がオフになるって言ったけど、真実の愛とはスレイブウイルスだ」


ノイエの説明つづく。

「ギーメはほぼすべてのウイルス病に免疫がある。

というより、ブラッドプロセッサにとってはウイルスというのは無くてはならない寄生相手の1つ、という感じかな。

ブラッドプロセッサに取り憑かれた細胞から出されるカプシド――ウイルス粒子は、もうウイルスの情報ではなく、ブラッドプロセッサによって好き勝手に組み立てられた情報しか載らなくなるんだ。つまりブラッドプロセッサの一部にされてしまう。

このようにギーメはウイルスを乗っ取ってしまうんだけど、もっというと、ウイルスが無いと生きて行けない。スレイブ化できるウイルスがまったく存在しないと、そのギーメ個体は死んでしまうんだ。つまりメルトリンクに失敗する。

また、そのギーメ個体がどの系統のウイルスを主にスレイブ化しているかによって、ギーメの血液型が決定されるくらいなんだけど。

あ、ちなみに私はEBウイルス依存血液型ね」


この時は、彼女に対して説明しているので、わざわざギーメ世界の社会常識まで細々と話しているノイエである。

そんなことより作戦の続きを話せ。


あ、ちなみに私と彼女は、サイトメガロウイルス依存血液型だ。

サイトメガロは人類種のあらゆる細胞に寄生できるので実に一般的にスレイブ化されているし、この血液型こそが当然ながら、ギーメ世界でいちばん数が多い血液型でもある。

失礼、話がそれた。


「つまりだね。侵攻性リンパ球の攻撃をオフにする情報が載っているのがスレイブウイルスなんだ。

で、リップの中身を、まあ説明を大幅に略すると、これにすることができる」


いきなり略しすぎだ。まあいい。

「これはアナフィラキシーショックと同じ仕組みで、ごく少量のスレイブウイルスで全リンパ球が感作する仕組みだから、ほんのちょびっとあればいい。時間もごくわずかだ。

実際のところ、王子様もキスで目覚めるのさ」

こいつ・・・


私はリップの後ろについてる採血針を慎重に伸ばした。

おっと、これは彼女がやったことだ。私じゃあなかった。間違いまちがい。


そういうわけで、準備万端はすでに整えてある。

かくて、戦いに戻る。


設定98


結論から言うと、灰人は洗脳されている。

それを元に戻すにはシリンジで書き換えを行うしかないが、通常のシリンジではショットモルフには耐性があるので難しい。攻撃が通らない。

だから、まず私が相手に近づけなければならず。

言うまでもなく相手もそれほどバカじゃない、こちらから近づいていけば逃げるだろう、そこで向こうからこちらに近づいてこざるを得ない状況を設定。

それに実はもうひとつ考えというか、ある目算があった。


ノイエいわく「およそ戦術の至高なるものは、敵に自分から悪手をうたせるよう誘導すること。これに尽きるんだよ。なぜならそうすることによって、敵は自ら状況に対応して改善する可能性を考えなくなるから、なんだよ」


まずは名言と言えるだろうが、もちろんこういうのはすべてレルル辺りからの受け売りであることは言うまでもなかった。まあ受け売りでも覚えているだけ良い。たいへんよくできました、をつけておきたい。


私はあの銃、裏切りの妖精をしっかりと握りしめた。


全方向性の剣撃による攻撃範囲からただひとつ外されている場所、それが私のいるところ、だから相手はここに来る。

近づいてきたところを、非殺傷モードの血晶析出で固めてしまう。

身動き出来なくさせたところであれを使えば、勝敗がつく。


でも結論からいうと、この作戦は完全に失敗した。


実はもう1方向が、攻撃範囲から外れていた。

ポワン・ド・ネージュの剣の嵐が通り過ぎたあと、彼は消えた。

そこには大地にぽっかりと穴が開き、つまりは地下へ逃れたのだ。

そんなばかな!

いや、笑いごとじゃない。これが他人事ならこの展開で笑えるかもだけど、私たちは命がかかってる。予想外の事態に真っ青になる私たち。

合計16本のスクイドケーブルが茎のようにきれいに大地をうがいて、切り開いた地下空間に滑り込む。

そんなことできる? できる。スクイドケーブルの出力比を考えれば。

彼は第3世代ショットモルフ。全身に光学力繊維を移植済み。

ちなみに私は第1世代の失敗作だ。


あの世界では、地殻にシールドマシンで穴を開けて他世界に攻め込むというのが、戦争のやり方だった。地下世界しかないのに他の地下世界と戦争ができるのはそのためだ。

灰人の能力は、限定的ながらそれを個人戦闘単位でも可能にしたものだ。

予想してしかるべきだった。


このとき少しだけ、さすがのノイエもパニックになったのかもしれない。

めくらめっぽうに、大地を剣で深く斬り裂くが、もちろん当たるはずもなく。


そして彼は、私の後ろの低みから、スプリングエフェメラルのつぼみのように、ぞっとその姿を現す。


設定99


きれいな繭状の光学力繊維のつぼみから、押し出される花茎のように彼があらわれる。光学力繊維の中から現れた彼には、泥粒ひとつついてない。

私を盾にとったのだ。

私の首に彼の手が回る。絶体絶命。

「ゲームオーバーだ」彼。

血晶析出より速く彼の手が私の喉を切り裂ける距離。彼の間合いだ。



「僕の勝ちだ」私、宣言。


私と彼女の、血晶析出が彼を確実に射程に捉えた瞬間だった。

もう彼は指先ひとつ動かせない。

「おまえ?」彼。疑問符。

赤い霞が私たちの周りにまとわりついている。


「なぜ呪文を唱えた後に、特定の空間にのみ効力が限定されていると思うものかな。そんな前提が通用しないことだって考えてしかるべきだろうに。もちろん特定の時間にだって限定されないよ。この力は最初に、その場所と時間を決定してから使うものなんだよ。そうじゃないとそもそも発動しない。

つまり、いちばん最初に空振りをしたのは、実は空振りではなくて、最初からこの時間帯を狙った遅効性の攻撃だったんだ」

私、解説。


そのまま、くるりと振り向いた、私。


「ねえ、知ってる? ショットモルフとギーメは、本当は同じ種族だよ」

私は彼に説明する。あまり意味はないのかもしれないけど。言わないと気が済まない。

私の感情が納得しない。


「ショットモルフは、ギーメを滅ぼすために人類が生み出した種族だ」灰人。

まだ彼は、返事ができる状態。

当然の回答。あの世界ではそれが公式。殺しあう2つの種族。永遠の宿敵。

でも本当は違う。


「違うよ。光学力繊維とブラッドプロセッサはお互いを排除しない」私。

「なぜそんなことが言える」

「“私”がいるから。私はスクイドケーブルを持つショットモルフでありながら、同時にブラッドプロセッサを持つギーメだから。この右手で生きるスクイドケーブルがその何よりの証拠」

私の右手からケーブルが出現する予兆としての流血。


「おかしいよ。ショットモルフには秘密がありすぎる。私たちは光学力繊維についてあまりにも知らなすぎるもの。これはただ機密だからという理由じゃない。不自然すぎる」

彼はまだ動揺しない。彼は決して動揺しない。

これが洗脳だから。これがシリンジの力だから。


「結論。あなたたちショットモルフもブラッドプロセッサを持っているはず。きっとギーメからショットモルフが進化して分岐したから。だからこれが通用する」


今度という今度は、やり直しは効かない。1回限り。

私は賭けに勝つ自信がある。


私は、

彼に、

キスをした。

リップを塗ったくちびるで。


何も考えるな。考えるのは禁止!


数秒ののち、私たちはお互いを突き放す。

彼のくちびるから血が流れるのは私が噛んだから。

血が染み通るまで少し。


「ぽひょーっ」

ちょっと外野陣のどよめきがするけど、気にしない。

女3人いれば仕方なし、なのではなく実はたった1人のせいなのだが。まあ仕方ない。

とにかく。


よし。これで通ったはずだ。私は凍りついた彼の肉体を解く。解くぞ。

でも。

通ってなかったら彼の光の剣は私を貫くだろう。

そうしたら私は。私自身の右手の剣で私を守ろう。守り切れるものではないけど。

彼は両手だ。そして達人だ。比較にならない強さである。

私は死ぬだろう。

いい。納得する。

私の使命としては納得するべきではないのだが、不測の死は、同時にあれの計画も乱すだろう。機能しなくなる。

それに後はもうひとりの私に任せて見てもいい。

巻き戻しの能力の使い手に。


さあ。解除。



彼は動かなかった。


成功かとも思った。


でも。


その眼の光を、


まだ失ってはいなかったのだ。


彼の右手が、私に向かって。

突きさし―――――


私の右手は間に合わずにあっさりとはじかれたっ。そして。


「きいちゃん、そこをどきなさいっ」さすがに焦った味方も。

「どかないっっ。絶対にどかないっ」


でも。


私の左えりのリボンを引きちぎっただけ。

服の両えりのところについていた小さなパープルのリボンの襟章の片方。


それを奪い取った彼は、それを口元に寄せて、大事そうにした。

その、匂いを嗅いだと思う。なんでそんなことをしたと言われてもそれは。

彼は「こんなことがっ」

と、こちらを見て小声で言って、

私を見て、ああ元の眼だ、と私にはすぐに分かったよ。

いつも私が見ていた時の彼の眼だ。そして私に遠くから話しかけるときの彼の。

もう大丈夫。


彼は後ろに飛びのいて、そして、消えた。

崖の下に落ち、あっという間に見えなくなった。

オクファが下まで追いかけていったが、崖の下にも何もなく、すなわち逃走した。


「本当に効いた」ノイエは少し放心した。

ショットモルフとギーメが同じ種族であれば、体内にブラッドプロセッサがあって、少なくともそのような何かが残っていて、それにスレイブウイルスで情報を送れば。

相手の洗脳を上書きできるかもしれない。

物理的な迂回手段を使ってのシリンジである。

相手の強固なゲートウェイを迂回しての内部ハッキング、しいて言えばそんなこと。

「物理接触型のシリンジ、実際に可能なんだ?」

研究モードに入りそうなノイエはそれが特に嬉しかったらしい。

今回の作戦は、この仮説をもとに立てたものだが、完璧に成功した。


さて。

私が彼を見たのは、これが最後だ。


なんだか。あまり感動的な最後とは言えない、あっけないシンプルなもの。

自分がカノカだとも言えなかった。それに彼が見ていたのは彼女だ。いつだって彼女だ。

これで良かったのだろう。

良くない。

でも言えなかった。

おとぎ話の本当はこんな現実。

灰人、最後に嘘をついてごめんね。

そしてこの嘘は、もうすぐ消える私と共に。

地獄に持っていくからね。


私はポケットの中の、とても古くて色が落ちて灰色のぼろきれのような例のリボンをつかんだ。まだ持っている。

いったいこれは何だったのだろうか? 今、その正体が分かります。

それを、そっと、今さっき無くした左胸えりの場所には、ぴったりと合わせてみよう。

ほら。

それは無くなったばかりのすき間をちょうどよく埋めた。

ただしとても古びていて。


さよなら。灰人。

私、あなたを好きだったよ。ありがとう。

じゃあ、これで。

【【終わり】】


カノカさんが消えたのが分かった。後に膨大な余剰設定を残して。

私の中で誰かが消えるたびに、あとに大量の記憶を残していく。



【【ポイズンリバースの視点:9:始め】】

光学力繊維にはギーメ細胞を抑えつける効果があった。

もちろんギーメに光学力繊維の植え付け手術は行なわれない。

そんなことは無駄だし、実験であればともかく、貴重な光学力繊維の挿し芽を浪費することは許されない。

光学力繊維は1人でも多くのショットモルフ戦士を作成することに使用される。

私はそれでもあの手この手でだまくらかして、我が娘に光学力繊維の挿し芽を植え付ける事に成功した。それは見事にギーメ細胞を消滅させた。一旦は。

だがそれでも奴らは戻ってきた。

これで手の打ちようがなくなった。

しかしあきらめるのはまだ早かった。

完全に押さえつける効果はないようなのだが。でもそれでも、脳の消滅や人格の変化までは発生しなかった。ブラッドプロセッサは、まったく悪さはしない普通の白血球として、そのような状態に退行したままであった。これが光学力繊維の効能なのだろか。

行けるかも知れない。

生糸は生糸のまま、なのかもしれない。例え長くは生きられないにせよ。

たとえ最終的には私がこの手で処分しなければいけないにせよ。

このわずかの間だけは。せめて。


ああ、生糸。我が娘。 大切な、たったひとつの、私だけの真珠。


その数日後、彼女の奇妙な噂話を聞く。

まるで性格が替ったかのようにビクビクとした行動。

かと思うと、気が違ったかと思うような攻撃的な行動。

かと思うと、いつも通りの彼女の冷静で優等生で子供らしからぬ隙のない行動。

何が起こっている?

なんとかしなければ。


やがて、娘は脱走した。最悪だ。先を越された。何を考えているか分からない。

もはや手をこまねいているわけにはいかない。追いかけた。


*****


私は今、逃げている。

あの隙をついて、私は自ら原生林のような森の中に入った。

蛇のように。

残った光学力繊維に蛇や蛸が取るような機動を取らせながら。

なんと惨めで醜悪だ。

敵は追撃してこなかった。私は逃げ切ったのだが、この生存には意味がない。

敗北だ。徹頭徹尾、敗北を喫したのだ。

私は、生糸を失ってしまった。私は生糸を失ってしまった。終わりだ。

また会える? もう会えない。今度はどれだけ眠れない。あきらめることなど出来はしない。取り戻す。

どうやって取り戻すの? まだあきらめられない。あきらめなどするものか。あきらめることなど許すものか。

今度はどうやって作戦を練るんだ? いつやれる?

私の頭はいつまでも晴れなかった。

【【終わり】】



設定100


【【客観的な視点:始め】】


森林内の公園に続く道路の分岐点。

ギーメ教団で生きてるものはすでに撤退した。

レルル・ココロフツゥエが遅れて到着したころには、もはや周囲に戦闘の影はなく、焦げた金属と燃料の匂いが残っているだけだった。

レルルは溜息をついた。

「ふぅ。多少なりとも戦力になるかと思ったが、足の遅さはすべての長所を台無しにする、いつも思い知らされるな」

「猊下。ここにいては危険です。ご帰還なされた方が」

数刻前に新しく旗下に入った部下が進言する。

「バカを言うな。メソッドホルダーが2人もいるのに危険ということはあるまい。それに」

しかし。3つめの勢力が現れる。外への出口を塞ぐような形で散開した。

「どうやら、遅すぎて出番がまったくない、というわけでもなさそうだ」


クロウリー・クロウラー、アクリタイス中級指揮官。

クローン同位体としての、その本性たちを引き連れて、姿を現す。

総数、200体。

見たところ徒手空拳だが、もともとアクリタイスは未来から来た勢力であり、将校クラスは21世紀人の想像を絶する武装を身に着けている。それが200人。


彼=彼ら は、見えるところまで代表たる1人が現れて、優雅に挨拶を行う。

「これはレルル・ココロフツゥエ猊下。お初にお目にかかります。私は」

「クロウラー指揮官、だったな」

「お見知りおきありがたく存じます。今回、私がこうして」

「待て。私は君と話し合うつもりはない」

「いや、しかし」

「交渉決裂ということだ。戦おう。そのために来た」

レルルは手持ちの四角系のハンドボックスを前に突き出した。


クロウラー指揮官はニヒルに笑って答えた。

意に介する必要はない。一方的に喋れば良い。

「私があなたがたのうち、誰が裏切り者であるか、よく存じておりますよ。よろしければ教えて差し上げても良い。なに、ほんのわずかの時間に過ぎません。それだけ聞かれてもよろしいのでは?」


レルルのハンドボックスがかちりと開いて、中身が下にこぼれでた。

ネジ。100個の金属ネジ。

それはたちまち生き物のように震え始め、耳障りで不快な飛翔音と共に空中に舞い上がる。

問答無用とばかりのレルルの行動に指揮官は抗弁した。

「あなたは、私の話をもっと怖れるべきだ。私が何を知っているか、知らなくても良いのか?」

「その必要はない」レルル。


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奇跡の秘密が本当は何の価値もないものでもかまわない。

それを信じる者が1人でもいるなら、

勝ち目のない戦いでも死に至るまで戦って見せよう。

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レルルのブートキーメモリーが作動する。メソッド、ディナメノツィ。

「私は詭弁家と議論する必要を感じない。私との対話を望むのであれば、ただ、戦え」

次いで、


%%%%%

絶望。呪い。ゆえに他者への盲目的な憎悪。

%%%%%


余二那のブートキーメモリーも作動する。メソッド、ヴァイトブラスト。

「及ばずながらご支援を」


金属の小さな固まりの群れは、不快な飛翔音を立てて飛び上がる。

それは高速で回転する金属の蜂となって、指揮官たちに襲いかかる。


一方、それに対して指揮官はスモークを放出、もくもくと周囲が霧に立ちこめていく。特にこのスモークはしばらくするとゲル化して、個体防壁となった。のみならず、巨大なゲル化煙の津波となって、レルルたちのほうへ流れ込んでくる。

その影で、指揮官たちの一部が前進していく。

一部の指揮官たちは、自爆装置を内蔵しており、その至近爆発で敵を撃破するつもりであった。ひとつの自我が無数の肉体を所有する、クローン同位体、もといミスキスならではの攻撃方法である。


レルルたちの側から見て、ゲル煙の津波に接触することはためらわれた。もし触れただけで致命傷となるような毒質であれば、それで終わりである。

「猊下っ、お下がりください。接触するのは危険です」

余が前に出て、レルルを後ろにかばう。


余二那のメソッドである、ヴァイトブラスト、生命付与の能力が実際上の盾となる。

あらゆる物質、有機物、無機物を問わず、暫定的な生命体にしてしまえるその能力は、迫り来る煙の津波をあっさりと生命化した。それらは当然ながら余のコントロールを受け入れる状態になるので、まるで煙津波は自ら意思があるように、自分から二つに分かれて、レルルたちへの直撃を避けるのだった。


さらにそれだけでは済まず、特に前方の指揮官たちの肉体には変化が訪れた。

ヴァイトブラストの影響力がここにも及び、指揮官たちの肉体が新たに生命を持った。

「ん? なんだこれは? う、うおああああっっ!」

疑問を感じたときには既に遅く、指揮官たちの肉体の一部が、自らの意思を得て、剥がれはじめていくのだった。激痛。

多くの場合、ブラスト化した部分は自らの筋肉を持つようになる。

全身をスーツで覆ってないタイプの指揮官は、肉が骨から剥がれ落ちて、活動不能になり、そのまま絶命していく。

しかし中には機械化している指揮官の個体もいた。ブラスト化はそれにも及び、金属部位はいまだに既知の歴史世界では目にすることのない、金属筋繊維になる。やはり剥落。

しかしヴァイトブラストの射程距離は短く、前方の指揮官たちを絶命させることはできたが、後方の指揮官たちにはその害は及ばなかった。


前方の指揮官たちの自爆攻撃はこのようにしてして、失敗した。しかし指揮官たちは、遠方から攻撃する次の一手を実行する。

何やら呪文のようなものを、ぶつぶつと唱え始めた指揮官たちは、いつの間にか、そのつぶやき声が異様な音質と高い音圧になって、レルルたちに降り注ぎ始めた。

それは一種の音響攻撃、高周波振動による対象の破壊を目的にしている。

これが成功すれば、レルルたちの方が今度は肉塊にさせられるだろう。


しかし、ゲル煙が晴れたことにより、レルルの金属蜂群が残りの指揮官たちに殺到していた。

殺到する蜂に対して、指揮官たちは、繊維状の金属防護幕を今度は射出する。

糸のような金属が細く延びて、それが多重にくるまって繭のようになり、物理防御壁を展開する。

これはギーメたちの、エリアティッシュを模倣した防御技術なのであったが。

銃弾などに対しては、充分な防御力を発揮する。


しかし金属のドリル蜂にはそれが通用しない。物理防御である限りは、それは高速で回転しながら穴を開けて、中に貫通するのである。

金属の繭は、たちまちのうちにドリル蜂によって穴だらけにされる。

相手が悪かった。指揮官たちが次の手を考え出すまでにすべてが屠られた。


指揮官たちは全滅する直前、ひとつの疑問を放った。

いわく、なぜ生きるのか?

レルルの答え。

「生存は闘争である。闘争は存在を正当化する。ゆえに疑問など抱きようがない」

その答えを指揮官たちが聞くことはなかった。


【【終わり】】


設定101


このようにして直近のアクリタイス部隊は壊滅したのであるが、私がその全貌を知ることができたのは、もちろん後の話である。

しかし、私にもすぐ分かるのは、戦場が静かになり、それは勝敗が明確についたということを意味していた。

もはや、このお話の中でアクリタイスは出てこない。

決着はついた。


しかし、当然ながらまた、それ以外の敵がいるのだ。

もう、あと1人のプレイヤーが。忘れてはいけない。


「ひ、ひいいいいいいいいいいいいぃ、ひぃ」

臆病で情けない叫び声を上げる中年男、腹が丸く突き出してる。両手を上げて。

後ろからオクファさんが銃を突き付けてる。

「捕虜に捕ったのね」

捕虜を前に歩かせながら、オクファさんが近づいてくる。


「やべ。うっかり勝っちゃったぞ。元々は逃げ回るだけの予定だったのに。まあ、レルルが帰還命令を出してくるまで遊んでたらいいっか」

わざとらしく、てへっ、っと声に出して弁解するノイエ。白々しいのがここに極まれり。


当初はモノを隠すなら戦場へ、というコンセプトで逃げてきたのだが。

しかし絶対分かっててやってたくせにと思うのだ。

それはともかく。


捕虜を見てノイエの瞳がきらめいた。気づく私。

不安に駆られる私。

そういえば、このひと快楽殺人鬼なんだっけ。

まずい、ノイエの捕虜虐殺が始まる。

止めなければ。


「わ、私は神を信じる。き、君たちも、き、きっと、そうだろう」

医務官はしどろもどろだった。

「ひ、人は、善を為さなければならない。そうすれば、ひ、人は許されるのだ。だから誰もが善をなす。そのようにで、できているのだ。与えられた正義を、なぜ疑うのだ?」

彼は殺されるかもしれない恐怖で完全にパニック状態だった。

ノイエが捕虜虐殺マニアであることを知っているのかもしれない。

「天国に行くために良いことをする人は、決して天国には行けないのよ」

ノイエが非情なまでに処刑しようと恐竜ナイフの銃口を向けるが―――コックが上がる音がする―――これを私が止めなくてどうする!

「……あの、この人は、その、そんなことする必要ないし、それに、ここはそのまま返した方がいろいろ、あれで、その」

ダメだうまく説明できない。なんでこんなときパニくるかな?

ちらりとこちらを見るノイエ。聞き入れてくれるかどうか。行儀よくなったといってもやはり快楽殺人者だ。

ダンッ。

散布される鮮血。

「うわああああぁ、あああぁぁぁぁぁ」叫ぶ医務官。

「大げさな奴だな。右耳は残しておいてやる。これからは横を向いて歩け」ノイエ。

左耳だけを吹き飛ばした、ということだ。

これで終わった。らしい。


でも。もちろん終わってるはずがない。


私たちの視界にまぶしい光が差し込んできた。深夜である。

当然、目に写る光ではない。シリンジで送り込まれた情報としての光。

それは、


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十字の―――――――――――――――――――光。

%%%%%



医務官はこっぱみじん十文字に爆裂する。即死。

血のシャワーを浴びる私たち。


エンゲージ。戦闘開始。


設定102


ぎいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいい。

頭蓋に響くは彼女の呪い。


完全に後手に回っていた。


シリンジ使いが制約なしにシリンジを実戦に使うこと。その意味。

普段、ギーメはシリンジを抑制的に使うことが多いから、シリンジ戦というものがすぐにはイメージされることはないが。

その実体は熾烈な電子戦というよりは、火力戦に近い。しかも1度、風向きが決まると、滅多なことでは逆転することがない。

相手よりも多くを与えよ。より多く。もっと多く。

もっともギーメたちにはシリンジに対する耐性がある、のは以前に説明しただろか。

シリンジによる精神汚染、ギーメならばファウストラ器官を切り替えて、つまりそっくり同じの人格がカバーしてくれる。それも汚染されたらその次のを。繰り返し。

それがギーメの対シリンジ耐性の正体だ。

しかし今は、ファウストラ器官が最大速度で次から次へと切り替わり、意識が吹き飛ばないようリフレッシュをしてくれるけど、限界に近い。

例のシリンジ受信は、何らかの理由でまったく機能しない。盾も失われた。

回転速度を振り切れるとどうなるかというと。まあ、良くてブラックアウト。


その大出力シリンジは、ざっと数万から数十万ファシノ。

オクファさんは気を失い、ノイエは頭を抱えてうずくまる。

私はというと、明滅する意識の中で、点滅するように彼女がやってくるのを見る。


周りからぞろぞろ人が集まってくる。

自由クロエ学院一般生徒用制服。

水青高校の制服。

見たことのない制服。

JRや郵便局の制服。

警察官の制服。

小さな子からおばあさんまで。

確認するまでもなく、みんな“彼女”だ。全員でシリンジ攻撃。全員で最大出力。

中心にいるのは、朱い髪の少女。

彼女だ。

X字様ボタン配列詰襟白。

ルージュなのか。

彼女もこちらの世界に来ていたのか。


「ようやく私の出番、待ちすぎておばあちゃんになるかと思ったわ」


「あれは封じさせてもらったわよ。あんたのあの反撃するシリンジ、あれは意味のある内容を強い強度で上書きしようとしたら起こる。そう推測した。こうやって単に圧をかけるだけなら、発生しないだろうってね。その通りっ」

コンピュータで言うと、どんなアルゴリズムを使おうと、DOS攻撃は単純に回避できない。分析するべきパターンすらない。そしてアクセスを切断する仕様にブラッドプロセッサはなっていない。そんな感じ。

それも1人分ではない。数十人、いや、もっとか。

超大規模数による飽和シリンジ攻撃。


余裕たっぷりで、こちらの切り札を封じこめた論理を解説。

意識をあまり集中させる余裕はないが、何しろ高速で点滅してるような状態なので、会話ができるかどうかは微妙。でも勇敢にも会話を試みる。無謀にもというべきか。

こんな感じで。

ねえ、あなたの名前、まだ教えてもらってない。


しかし相手は。

「はっ、ざまーみろ、くそあまがっ、何が信じてるとか愛してるとか、安っぽくまもってあげるとかっ、てめーらだっていざとなれば、反吐が出るくらい汚えだろうがっ、きれい事なめてんじゃねえっ」

そう言って、息を半ば切らせながら、うずくまるノイエの所へ行き、その腹を蹴りつけた。

「ぐぁううっ」うめくのがやっと。シリンジの負荷が大きすぎて、自分が現実にいるかどうかさえ、よく分からないのだ。戦闘不能状態だ。

「これは、こないだの礼よ。この程度で済ませてやる自分の優しさに鳥肌が立つわ」

2度3度、力をこめて蹴り上げる。「や……」止めなさいっという言葉がこっちも出てこない。息を吐くのに信じられないほど苦痛がいる。それでも自分がここにいることが分かるだけマシ。口がパクパクしてるだけの私。

「うぐ、うう」にらみ返すことさえしなかった。


うずくんだままのノイエ。勝ち誇る彼女。

ちっちっち。

「まだだ。まだ十字が残ってる。止めはこれで刺すと決めてる。借りをたっぷりと返して、あげないとね。生糸以外は」

この程度で済ませてやる気はまったくないらしい。

周りの人々に何やら指示する彼女。



終わりだ。私はどうしても生きる気力を振り絞れない。

だから、虫の息で、

「……ルージュ」私。ようやく息を絞り出す。

朱毛少女は振り向かない。

「……ルージュ、なぜ通報したの」


私は、彼女がルージュだと思った。少し混乱したのかもしれない。


タイムエレベータでの話。あそこで追っ手を差し向けることができたのはただ1人。

帰ってこなかったルージュだけだ。

だから私と灰人を逮捕させようとしたのもルージュ。

何のためにそんなことをした。逃げられなくなったから切り捨てたのか。

それとも最初から裏切るつもりだったのか。

だとすれば何故あそこだったのか。

私にはそれくらいの疑問しか思い浮かばない。

知識のない私には。


ようやく振り返る朱毛少女。

「私はルージュじゃないよ」にこり。

一瞬だけ混乱する私。凍りつく言葉。

「私の名前はルゥリィ・エンスリン。忘れちったの?」

「……でも、あなたは」

「私、助けてくれたこと、ずっと覚えてたよ。だから2人のことずっと見てた。ルージュとノワールのこと」


この子だけ助けてもらった。

「俺たちは?」「無理よ」


ルゥリィは自白する。

「でもルージュはここにはいないよ」ルゥリィ。

きょろきょろしてみせる。

「本当は、もっと遠いところにいる」

(でももうすぐ会える)ルゥリィ。

「でも、もうすぐ会えるよ。私たちが1人になれば」私。

はい、またやりました。

相変わらず同意のない上書きっぷりも健在。


設定103


「こいつらはアクリタイスと組んでるんだよ。

私を誘い出して、殺そうとした。敵同士が聞いてあきれる。

みんな同じだ、おまえら、他人を利用することしか考えてない。

それが好きという言葉の定義だろ。今さらお嬢様面して綺麗事を語ってんじゃねぇっ」


切れるルゥリィが、うずくまるノイエに対してシリンジで深々と上書きしていく。

「ん、ぐうぅ」

ノイエが消されていく。

あの憎悪と希望の混交が無くなってしまう。


「誰かを傷つけるのが怖いままなら、きっと誰も愛せないんだよ。

傷つけるぐらいがむしろ本当の愛し方。

だからお前たちにも愛し方を教えてあげる。

たんと味わえっ」


私は何もしない。やはり戦うだけの気力が湧いてこなかった。

だから、

「……ルゥリィ。もうやめて。あなたの言うとおりにするから」

ピタリ。

暴力の嵐が止む。これで終わると思った。


振り返る。


「いいえ。これは、あなたへの罰でもあるのよ。

だって、あなた自身に罰を与えても、あなたは困らないのだから。

だから、あなたの周りの人に罰を与えるの」


たとえ、どれだけ理不尽なことを言われても、

やはり、私は私を守るために、精一杯になるのは、ちょっと難しい。


「私は災厄だ。神は傲慢なる人類を罰するために私を解き放った。

だからいつの頃からか、私は人と共にあった。

ずっとそうやって、文明にまとわり続け、いつか最後の都市を滅ぼして、最後の人を殺めたとき、私はここから解き放たれるのだ」


旧神話めいた話をうそぶくルゥリィ。


ルゥリィは、ちょこんちょこんと、近づいてきて、私の顔を自分に向けさせる。

そして、

そっと囁いたのだ。

こんな風に。


【【エンスリン:始め】】

なんてね。


ねえ。

本当は知ってるよ。

誰も私を幸せにできないし、

私も、誰も幸せにすることができないって。

この手に誰も抱きしめることができないって。

誰だって、この私を本当の意味で好きになったりしないって。

私の言ってることを理解できる人も誰もいないって。

だから誰も信じない。

みんな私にかまってくれても、それは、その人たちの視野の中だけで、本当は。

本当の私は誰にも見えない。ずっとひとりぼっちで。

いつでも死にたいって思ってるよ。でも死にたくないの。

望んではいけないとわかってるけど、どうしても望んでしまうんだよ。

だったらこうするしかないじゃん。

永遠に苦しいだけなら、永遠に苦しめ続けるしかないじゃない。

どうせ嫌われるだけなら、嫌われてもしょうがない理由を作ればいいじゃない。

憎しみならまだいいじゃない。そうして敵を滅ぼす幸福を少しでも感じられる。

そう思ったよ。いや、そうだよ。その通りなんだよ。

【【終わり】】


え。


いま、なんて?


今のはあなたの思考なの?


「なに? どうしたの?」

笑顔のルゥリィが問い返す。自分が何を言ってしまったのかまだ理解してない。


こうしてすべては一本のリボンにつなげられたのです。

そのリボンはややこしくて、こんがらがっていて、とても古くて、解くことさえできなかったけど、解けなくてもつながっていることが、こうして分かってしまうこともあるのでした。


「……あなたは、永遠に命をもらったのね?」

私の友人によれば、呪いは力になるらしい。


私は、この言葉を誰よりもよく知っている。

なぜならば、   だから、

そういうことなら、


話は別だ。


私の中で、強すぎる絶望が唐突に裏返って、外側に向かう形式を取る。

それはどう考えても怒りではない。

では、なんという名前だったか? すぐに思い出せない。

まあいい。裏返っても、絶望はやはり絶望だ。

それはなにか、他者に対するあきらめ。


キンッと音がして、空間から音が消えた。

私が消したのだ。


ギーメはシリンジよる攻撃に際して、記憶の構造をマルチ化して、対抗上書きを行なうことでそれに抵抗する。

改竄されても、その都度、バックアップから復元するのだ。

問題なのは回転量で、その上書き速度の大きい側が当然ながら勝利する。

記憶が次から次へと切り替わり、シャットダウンとリブートと座標転写を繰り返すファウストラ器官の明滅する意識の中で、私はゆっくりと立ち上がる。

「あら? あなた、これで立ち上がれるの?」びっくりするルゥリィ。

圧力は相変わらず変わらない。それどころか増している。猛り狂っている。

でも、私は無理をしているつもりはない。

もちろんさっきは耐えられなかった。だけど、一瞬で世界は変わる。それが世界だ。


「気が変わったよ」            わたし。

「は?」                 ルゥリィ。

「あなたには分からせてあげないといけない」わたし。

「あんた、さっきとはまるで……」     ルゥリィ。

「永遠を殺した罪を」           わたし。

「ちがうような……」           ルゥリィ。


戦闘開始。


設定104


%%%%%

知ってる。

何を知ってる?

もうすぐ私が。

恋に破れて死ぬことを。

海のしずくになることを。

なぜならば。

私の瞳は永遠の答えを知っているから。

誰も私を殺せない。

自分から死のうとしない限りは。

知ってる。

何を知ってる?

幸せよりも素晴らしいものがあることを。

決して手が届かない希望に手を伸ばして、

愚かにも永遠の命を失うことを。

%%%%%


影のようにぼやけ広がる虹色のフェザープリントが微かに見え。

「収束律凝結」

宣言。敵の時間軸を凍結する。

「な、なに……が、……」

モノリス。

ルゥリィは周囲の時空間ごと、この世界から切り出されて停止する。


だが、もちろん敵もたった1人でここに来ていない。

「まだ終わっていないっ」

周辺から現れる無数のルゥリィ。

学生服の子たちもいる。すべて女の子。

ああ、委員長もいる。

すべて上書きして乗っ取った子たちだ。

「っ殺してやるっっ!」


%%%%%

十字の――――――――――――――――――光。

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リング状のごく薄いフェザープリント、天使の輪が微かに見え。


敵の攻撃。

右足に十字の形の穴ができる。すみれ色に染まる衣装。

ほとんどちぎれそうな惨状。左足だけで立つ。


%%%%%

行こう。

あの向こう側へ。

神に禁じられた、青色の彼方へ。

たとえそこに、何もなくても。

いずれ地に落ちて、無に帰すとしても。

時の果てに、すべてを忘れ去られても。

情熱は誰にも止められない。

翼を望む者ならば、

時には愚かであれ。

%%%%%


焦げてちぎれた皮膜のフェザープリントが微かに見え。

「再帰性共生」

右足の傷跡、もとい履歴を修復。なかったことにする。


「いったい、いくつブートキーメモリーを持ってるのよっ!」

敵が悲鳴を上げる。

黒い刃のギザギザナイフ、黒フランベルジュ。ルゥリィのスレイブ―――本体以外を仮定的にこのように命名―――は全員が何故かそのナイフで武装、一斉に引き抜く。

物理攻撃。それも集団。


((~))

倍数ナンバーをクラック。

半分を乗っ取って、同士討ちさせる。

たちまち周辺で始まる斬り合い。集団戦。


%%%%%

十字の――――――――――――――――――光。

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輝きが見える。刹那、味方の何人かが倒れている。

次から次へと十字聖痕で倒され、再び数で劣勢に。


こちら側、大出力シリンジ。

((光無き夜であれ))

敵味方すべてに上書き。

敵味方すべて視力を失う。

聴覚に優先切り替え。


%%%%%

十字の――――――――――――――――――光。

%%%%%


発動せず。十字聖痕は封じられた。

「どうしてよっ?!」

ブートキーメモリーは上書き不可能だが、その前提条件を変えることで、容易に発動不能にできる。

どう考えても、それは視覚に紐付けられたメソッドだ。

だから無差別に視覚を封じた。


%%%%%

疑問。

抱いてはならない理由。

考えてはいけないことを考えた罪。

すべてが無為に帰し、何事も叶わなかったこと。

同じことを永遠に繰り返す。

%%%%%


逆向きについた真紅の剣のように見える翼のフェザープリントが微かに見え。

「血晶析出」


左側範囲内の味方もろとも敵すべてを、動脈血を固化させて、窒息させて行動不能にする。

でもまだ右側が残ってる。


((この瞬間、疑問を感じるようなことは何もない))

敵側も見よう見まねで封印攻撃を行なう。

しかし、それは不可だ。私にシリンジの上書きは通じない。

しかし、どうしたものか。今回はそれを通してきた。

「やっぱりっ、自己定義に直接言及しない情報なら大丈夫じゃないっっ」

勝ち誇るルゥリィ。

この短期間でよくもまあ、思いついたものだ。彼女もまたシリンジの天才だ。

しかし。


%%%%%

疑問。

抱いてはならない理由。

考えてはいけないことを考えた罪。

すべてが無為に帰し、何事も叶わなかったこと。

同じことを永遠に繰り返す。

終わらない現実。

希望の質量。

その重さに耐えられた者だけが、

たどり着けるどこか。

%%%%%


逆向きについた真紅の剣のように見える翼のフェザープリントが微かに見え。

「血晶析出」

相手の血流が止まり、身体全体がガラス化し始める。

ブラッドクリスタライゼーション。汝ら、化合物の柱となるがいいよ。


残りほとんどを、窒息させて動けなくさせる。

もう何人も残ってない。

その一方で、ルゥリィ側のシリンジはまったく通じない。

「なんでよっ。同じことやってるのにっ」


シリンジは通している。

前提の問題だ。疑問を感じることはない、という命令そのものがこのブートキーメモリーを強化する方向でしか働かない。考えてはならない疑問だから。ルゥリィはこの戦術を見よう見まねで模倣してるだけ。本当の意味で理解してない。

そして理解するだけの時間を与えるつもりもない。


残りは数人。その1人に以前のミツメの体が残ってる。

突き出される委員長の黒フランベルジュ。

「まだ、まだ負けてないっ」


%%%%%

何を知ってる?

幸せよりも素晴らしいものがあることを。

決して手が届かない希望に手を伸ばして、

そして。

%%%%%


モノリスで固める。ミツメシリーズは世界からはじき出された。


「あはははあははははははっ」

奇妙な高笑いが響き渡る。

「あたしの勝ちだっっ」

ルゥリィの奇妙な勝利宣言。

「今までのはぜんぶ時間稼ぎだったんだよ。あたしに落とせない相手はない」

新たにルゥリィの一部として私の前に立ちはだかったのは。

ノイエとオクファ。

もう、2人はルゥリィに組み入れられた。

2人は、もう。

「これはもう致命的だよね。あたしたちを相手にしている間にどうしようもなく致命的な事態になってしまったよね。まんまと引っかかった。ざまあみろ」

「意外とそうでもないけど」

「まだ減らず口をっ。こうなったら思い知らせてやる」

私に銃を向ける2人。

でも、2人とも既にだいぶ弱っているし、そもそもこいつが2人をそのように傷つけたのだ。

「シネ。しねしねしねしねしねっっっっっ」

私だけは殺さない、と言ったのは激情のあまり忘れたのか、かまわず銃撃。

私に着弾。


%%%%%

行こう。あの向こう側へ。

%%%%%


「再帰生蘇生」

一瞬で修復。


「ぐうっ」

ルゥリィが無念をかみ殺す。死なないのかよ。そう、死なない。

私は死なない。

「ならこうだっ」

今度は自分たちに銃を向ける。


「誰にも愛されないなら、こうするしかないじゃない。誰にも手をさしのべてもらえないなら、その手を振り払うしかないなら、それでいて死ぬこともできないなら、こうするしかないじゃないっ。こうやって誰かを傷つけ、ずっとそうやって生きていくしかないんだ」

「違うよ」

「じゃあ、なに。ずっと心を殺して、閉じ込めて、閉じこもって、ひとりぼっちで生きて行けって言うの? どうせ誰にも、本当の意味で誰にも、この苦しみを理解することなんてできない。経験は人を孤独にする。知らない者に何が分かるっ? 誰にも分かるはずがないし、誰もここに来れるはずがないっ」

「その通りだ」

「はあっ、何言って」

「お前は永遠に孤独に生きていくのよ。それが永遠に命を救われた者の報いだ。永遠を殺した者の罪だ」

「なんなの、あんた、さっきから突然、人格が変わったみたいに」

「私は、ただ、あなたより、少しだけ」


「物知りなだけよ」

とどめを刺す。


%%%%%

呪われたるもの、汝は幸いなり。

呪いが祝福となるときが、生きていることをもっとも感じ取れる瞬間だから。

生まれてきた理由を知った時だから。

あなたはずっと、この時のために生まれて、

そして、

生きてきたんだよ。

%%%%%


緋色の文字のまるで放射状に広がる暗闇のフェザープリントが微かに見え。

「抗毒素感作」


後述。

私はギメロットを元に戻せる。

私は傷ついた魂のラベルを元に戻せる。


設定105


抗毒素で、結論から言うと、ギメロットに奪い取られた直後の体は、元の持ち主に戻る。

時間が経っていると不可能なのだが。少なくとも肉体は健康に戻る。

ギメロット化は、不適合な肉体をすべて排除しようとするブラッドプロセッサの正常プロセスのようなものだ。それゆえすぐに死ぬ。すぐに体を乗り移らねばならぬ。

この肉体は正規ユーザーだけがご使用になれます。

ブラッドプロセッサは、ずるをするのを、認めてはくれない。

私たちの心は、あくまでブラッドプロセッサが再現してくれる生前の人格に過ぎないのだから。


もちろん、再現された人格は、生きている人格であるよ。


それはともかく、

以上のような作用で、

肉体を奪われたばかりのノイエたちは一瞬で元に戻せた。

一撃で、ノイエたちの表層に宿ったルゥリィの人格は消し飛んだ。

それらのことは一瞬で起こるので、抗毒素でルゥリィの意識を消去したばかりのノイエたちの体は、そのまま地面に倒れる。

私はすぐに駆け寄って、様子を見ようとするけど、

でもできなかった。


それは突然にやってきた。


%%%%%

忘れない。

決して忘れたりはしない。

優しい木漏れ日の中でも、愛しい幸せの中でも。

嵐の夜を。

私は壊滅の娘。

%%%%%


どこか、空白の場所に飛ばされたような感じ。

目の前に、ノイエたちがいるのに、手が届かないし、動かない。

時間が凍りついた感覚。

灰色の霧に意識だけがとらわれて、プレス機に押しつぶされるような圧迫感を感じていく。

やはりこれが来たか。


厳密にはメソッドではないが、そういった類いのものだ考えていい。

特定のギーメに対して、設定を上書きするようなことをするとこれがくる。

そういうギーメはまずいないけど。

前回、ルゥリィに深く浸食されて発動したのと同じだ。

ノイエの直感は正しかった。私だけではなく、彼女も持っているのだ。

相互確証破壊。

一応はブートキーメモリーらしきものも確認されるが、毎回内容が違っているので、詳細は不明である。謎である。

この圧力は強大である。ファシノ圧はどのくらいだろうか、数千万単位はあるのではないか。

正面から抵抗しようとして抵抗できるはずがない。

こういうのは、カノカさんと接触してから、覚えている、おぼえているようになった。

もちろん私にこのような接触をすると、カノカさんにも問題があったのだろうか?

そんな感じには見えなかった。

それは、私が思い出しただけだからだろう。つまり。


(まだ勝負はついてないっっ!)

ルゥリィの声が聞こえるが、これは彼女ではない。

その者が、もっとも怖れ期待するものの声を採る。


(なんで知ってるの? 私でさえ知らないのにっ。

それに、だとしても、あんたの自我を乗っ取れるのは変わらないでしょうが)

そうではない。これは自我を乗っ取るものではなく、海の津波のようなものなのだ。

だから。


やり過ごす。


私は自分の中に大量の空白を、


(ぜったいぜったい、ぜったいぜったい、ぜったいぜったい、消されてなんかやらない。私は消されない。私を消すことは不可能だ。なぜならそういう風にできていないからだ。この世界はそういう風にはできていないからだ。そうだ。私は知っている。たったいま、思い出したんだ。だからお前は負けるしかないんだ。私になるしかないんだ)


(なんで?なんでそんなに私を嫌うの?私とあなたとどこが違うの? (……違わないから、嫌いなのよ))

ほら、読んでごらん。私の言葉が相手の言葉の中に組み込まれている。


(私の意識が生糸の中に浸透していって、そこにあったものを追い払って、埋め尽くしていった、どんなに空白を作ろうと、それだけ埋め尽くしてやればいい。私は飽きることなく、際限ない執拗さで意味を植え付けていった。でも、そこはどこまでいっても、果てがなかった。無限に続く空白を埋め尽くすのは無理だった。私は無限の中に奔流として流れ込み、白く逆巻いて流れていって、やがて勢いを失って、ただの湖になった。ただの水たまりに)


一瞬でそれに侵食され尽くす私。

100% それの思惟はダウンロードされた。

戦闘終了。


そして、

私は、それになった。


設定106


…………………………。

…………。

少し空白。


こうして私はルゥリィ・エンスリンになったのです。

楠本生糸あるいはノワールという存在は、消滅した……

………………

はずだ。


どっちにしろ同じ。

灰色の霧から現実に戻ってくる。

私は、ようやくノイエたちの生存を確かめた。


それからしばらく。

私は、後始末をする。


委員長の何番目かは、空っぽにして、元々の彼女に戻せば大丈夫。

それ以外は蘇生させたり、可能な限り元の人格を復元したけど、完全ではない。

また、この戦闘で、私は十字聖痕のメソッドも手に入れた。


「ううん」

寝かせたノイエが、何か寝言を言う。

ノイエもオクファも無事なはずだが。

抗毒素感作で、浅く浸食していただけのルゥリィの表層は消し飛んだ。


「でも、もう少し寝てた方がいいよ。ひょっとしたら彼女の記憶が少しくらい、混ざり込んでいるかもしれないから」

まだ、少しルゥリィであるかもしれないから。

「きいちゃん、なんか変、いつもと違う」

ノイエ小声。

うん、まだ、心を閉ざす前の自分を、思い出したからね。

「そうなんだ」


きっとすぐに、元に戻るよ。


「夢を見たわ」

ノイエ夢。

「なんか片思いというか、そんな感じの知り合いがいて、不幸な結末になるのを知ってるんだ。なぜ知ってるのか、よく分からないんだけど。

それで、ほんの少しだけ幸せで、それで不幸になっていくのをもう1度見てるんだけど。

なんか絶対に助けられないみたいなんだよね。そういう風に決まってる」

「うん」

「言っとくけど、あんたじゃないよ。全然、違う場所の違うお話だった。

でも、もし耐えられなくて変えてしまうと、とんでもないことが起こってしまうんだって。夢の中ではそうなるのを知っているの。

これって、やつの記憶なのかね。

でもね、そのほんの少しだけの幸せってのが、すごく、切ないというか」

「うん」

「ああ、もう、思い出せないや。やっぱり夢だよね。これは。こんな風に消えないもの。本物なら」


うん、それはね。

私は言おうとして、はたと、自分がそれを知らないはずのことに気づいた。

まあ、そういうこともあるだろう。

私はすでに混濁している。彼女以上に。

なぜならば。


「さて。でもいつまでも寝てる訳にはいかないし」

「まだ、寝てた方がいいのに」

「通信回復したかな。それだけ調べとかないと」

結局、ノイエはそのまま起きてしまった。




「あ、そうだ。あれ、どうなったん?」

こっちを見る目がじろり。

「あれって?」

とぼけてみる。

「最後、あいつにわざと、浸食させてたでしょ? まさか???」


あれ、認識できてたのか。じゃあ寝てたのは。


これは冗談でも言おうものなら即座に斬られるな、と思ったので、すぐネタバレすることにする。

以下解説。


「あのね。

オレが使ったのは、シリンジの受信なの。

上書きしかできないシリンジ、送信しか出来ないシステムが受信するとはどういうことか。それはつまり、送信した側が上書きされるということなの。

つまり、こちらに上書き攻撃をしかけた相手を逆攻撃できる。

何でこんな風になっているのかは知らない。

シリンジやメソッドがどのような原理で動いているか分からないので、仮説すら立たないけど。ただできると言えば、できる。そういうものなの」


「ふーん」

ちょっと無理があったでしょうか。

「まあ、いいや。やつだったらすぐに分かるし。違うし。じゃあ、気が向いたらホントのこと教えてね」

ばれてる……。


とにかく、この説明で同士討ちは回避できたと思う。


もちろんノイエへのネタバレは嘘だ。

ご存じの通り。

私やルゥリィのような、ある特定のギーメに対して、自己定義を書き換えるようなシリンジをかけると、とんでもない反撃がくる。それが世界の摂理だ。

それは私も彼女も同じだ。

ただ、同じと言っても、私には彼女に対して、ある絶対的に有利な条件があった。

世界の摂理を破壊しない理由。

それは―――でもこの説明は他人には秘密。

言ってはいけない。


(秘密だよ)

私は……おそらくは。

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