第6話 ・・・時間遡行戦闘

設定77


「さて。これで再上書きをすれば元のいいんちょには戻るぞ。これで今回は怒られずに済むぞ」

ノイエは、いいんちょの体を丁寧に横たえた。

こういったところは複合体であるクローン同位体(ミスキス)の自由で便利なところだ。上書きされても自我情報を消されない。バックアップから復元すればいいのだから。

まるで機械みたいだって? 失礼な。機械の方が私たちに似てるのだ。

でもこのままだと目覚めた時にやはりルゥリィが出てくる。

「よし。じゃあシリンジして取りあえずブランクにしようか」

上書きシリンジでルゥリィを消さないといけない。


大出力は必要ない。低出力で丁寧に。

傷つけないように。

ただでも、

「うーん、でも、どんな罠があるかも知らんから、いちおう睡眠シリンジだけ使っておくか」

とするノイエ。

今、この瞬間に実行されたシリンジの反撃技がもし相手にもあったら。

そっくりじゃなくてもいい、こんなやり方があるのだ。それを元にして似たような技があるかもしれない。

なにせ、相手は未来人だ。未来では常識でも、自分たちには常識でないことなどたくさんある。

そう考えたノイエなのだ。

ただその前に。


ノイエが何か話しかけてくる、私に。

「ねぇねぇ、私はさ。本当は」

しかしその先を聞くことはなかった。

飛来した何かが、彼女の体を打ち砕いたからだ。


ここで、さよなら。


*****

巻き戻し。

*****


【【タバコの視点:3:始め】】

「野郎どこ行きやがった。見つからねえぞ」

拡大視界にクローリー・クローラーが映らなくなってしばらく経過する。

「それどころではないかと思われますが」戦術副官。

「だな、あの姉ちゃんたちにつけを払ってもらわねえとな」

めずらしく他の隊員の意見と同調する。

「ふん、ようやく全機能フルリリースか。待ちわびたぜ」

見えない機械に熱が回りはじめる。

中継装置であるタバコに赫い火がともり、照準装置からの情報が流れ込んでくる。

照準装置以外はこれが最初の実戦である。

【【視点終わり】】


【【桜緒カノカの視点:8:始め】】

巻き戻し。


さて。ノイエを喪失すると私の計画は水泡に帰すことが経験上分かっている。

そこでシリンジを警告がわりに使用することにする。

敵よりも早く。

もっともその代り、こちらの位置も露見してしまうが、それはもう仕方ない。

敵の見える位置で戦う。


電気原付折りたたみ式で、経験上最もリスクの少ない道を、最もトラブルの少ないはずの時間に合わせるように進む。昼間から曇り気味だった空は更に雲行きを怪しくしている。

小さな街の郊外の、都市を包む丘の上をようやく越える辺り。


警報。発射。


ぎぃぃぃぃぃいいいいいいんん。


精神空間がうなりをあげて、それから敵弾の最初の一撃が来た。

私は即死した。


*****

巻き戻し。

*****


これで敵の位置を把握した。


さて、今回の答えは簡単だ。迷うことはない。戦術的回答はひとつ。

大出力シリンジで一気に蹴散らす。ショットモルフと呼ばれる種族以外はそれで一掃できるはず。超大出力では抗シリンジ剤も通用しない。そもそもシリンジの真価はこの手の無差別大規模洗脳攻撃にある。これ以外のどんな攻撃方法があるだろう。政治的な理由で好まれないだけだ。

私は、空間に白く折れ曲がった翼―――大銀白鳥のフェザープリント―――を現し、ブラッドプロセッサ出力全開。50万ファシノ以上。


(((我は我なり)))


全員に自分を転送。その瞬間。


赫い光が私の頭に重なる。

その直後、砕け飛ぶ上半身。

エリアティッシュがまったく通用しない。

致死量のブラッドプロセッサが流出し、死亡した。

奇襲攻撃。


*****

巻き戻し。2回目。

*****


ふむ。つまりこの方法ではダメらしい。

自分の記憶が消える最後の瞬間にそう気づいてやり直す。

今度は相手の位置範囲を絞り込んで集中攻撃。


つまりこれが私のメソッドであり、攻撃方法だった。

うまくいくまで際限なく繰り返す。

どんな相手でも無限の繰り返しで砕く。これを防ぐ方法はないはず。

ならば。


無効。反撃で死亡。


*****

巻き戻し。3回目。

*****


どうやら大規模シリンジ攻撃はなぜか通用しないらしい。

おそらくこの敵はおもってるよりはるかに手ごわい相手だという予感がする。


つまり大規模シリンジ攻撃で倒すのを断念した。相手はこのやり方を熟知しているのだ。ならばといっそ、このまま電機原付で進む。


赫い光が私の頭に重なる。

その直後、砕け飛ぶ上半身。

やはりエリアティッシュがまったく通用しない。

致死量のブラッドプロセッサが流出し、死亡した。


あまりうまくなかった。

やり直し。


*****

巻き戻し。7回目。

*****


7回。

まだ7回だが。

私もエリアティッシュの装備者なのだが、作動している気配がない。

突然、爆発する。

手榴弾レベルの爆発だが、これは飛来する銃弾とは明らかに違う。そうであるならエリアティッシュが防げないまでも反応するはずだからだ。

これは飛来して来るモノじゃない。

繰り返す内に、しかし観測されての攻撃であることに気づく。

ある平面上に姿を見せると爆発が来るのだ。

つまり狙撃のたぐいなのである。観られている。

ノイエを危険にさらすのは以前にさんざん失敗している。待機はありえない。

おかげで何か月分を巻き戻したことか。

私はその平面に姿をさらけ出さないようなルートを選んで強引に進行。

自分が攻撃された地点を覚え、どこから観られているかについて当たりをつけていく。


*****

14回。

*****


丘を越えて市街地。バスの影に隠れてかなり距離を稼ぐ。


*****

21回。

*****


市街の大半を抜けることに成功。


*****

26回。

*****


図書館に通じる主要道路にたどり着く。ここからが厳しかった。


*****

32回。

*****


ここまで来ると、どうにも観測点がひとつではないらしい。想定されてしかるべきだが、あちこちに視覚センサーがあるらしく前に進めなくなる。

ならば。


*****

33回。

*****


霧を発生させる。もしくは煙を。火災を起こせばいい。火災というのは不穏当だが。

レルルとの事前打ち合わせ。

事前に特定都市にスモーク発生装置の設置。

不審に思われたが説得に成功する。

そこまで巻き戻す。


沸き起こる煙幕の中を進む我が電気原付。

だが爆発は来た。

狙撃。粉砕。

正面からの突破を断念した。

視覚センサーじゃないのか? どうやら煙で見えなくなるのではないらしい。

音波探知などであろうか。

いずれにしろ相手のテクノロジーが判明しないなら妨害手段に根拠がなくなる。

考え方を変えることにした。


そもそも巻き戻しは無敵のように見えて、重大な弱点がある。それは答えにたどり着かなければ答えがわからないこと。

時間を旅するものにとっての意外と絶対的な弱点。

初心者はそんなことは起こりえないから起こらなかったと単純に考えているけれど、そんなわけがない。


そもそも最初から戦闘を発生させないようにすることさえできる。

生糸ノワールをあらかじめ取り除いておくこと。

もしくは遥かな太古にまでさかのぼり、彼女の過去世界への移行を阻止すること。

できなくもないけど、意味がなかった。

私にはある事情で、どうしても彼女にこの隘路を通り抜けてもらわねばならない切実な事情があった。


*****

34回。

*****


1日前にあらかじめこの都市のある場所に潜伏しているという手段を選んだ。

前日に無人戦闘機の操縦をこなさなければならないから、ちょっと時間的に厳しい。私の体調から肉体的にもかなり厳しい。

言い忘れていたが、すべての時間で巻き戻しを使えるわけではなかった。私は、私がいるはずの時間帯でしか、これを使えない。巻き戻しを使用可能にして数年前から準備万端整えてこの戦闘に望むのは、どちらにせよ無理であった。不特定要素が思ってるよりはるかに多い。この戦闘に至らないこともありうる。いや、まだ無限のすべてを試していないが。いいアイデアとは思えない。いちばん早く通り抜けられそうなルートにリソースを集中したい。


それに私の肉体の有効寿命もある。無制限に巻き戻しを使う前にこの肉体の命が尽きる。

そうしたら。


どうするか。


そもそも今だから言うけれど、初日の空中戦が起こる日時も、実はランダムな要素だった。場所もしばしば変わった。タイミングの問題で必ず起こることに変わりはなかったけど。細部はともかく。


*****

41回。

*****


失敗した。

最悪だ。3人とも死亡。これはいかん。

振り出しにもどる。

ほんの少しだけ、時間警察が出現するかどうか試したかったぐらい致命的。そんなものがいないことは私がいちばんよく知っているけど。

もういちど時間改変を考えてみる。生糸ノワールがここにいなければ。まあそれでもパスは通るんだけど、さすがにまだ試したくない。どれだけ遠回りになるか。そもそも間に合わないかも。見失って無限の時の中で再び見つける自信はなかった。

とにかくいけない。私はこのページのクリアに執着する。これが最初で最後のチャンスだと思う。残り時間は少ない。時間を無限に巻き戻せる私の残り時間は、しかしどれだけあるだろうか。

まだかなり残っていると思いたいけれど。


*****

67回。

*****


攻撃方法への妨害を繰り返す。

いま少しで答えにたどり着けそうでたどり着けない。この時点で私が知りようもない未知の観測手段を用いてるとしか。

飛行船を撃墜しただけで撃退できた先日の戦いとはひどく食い違う。

もしかしてあそこで飛行船を撃墜しなければ良かったのだろうか。

試したが無駄だった。

どうしてもここを通過しなければならない。

相手側の火器管制中枢を叩かなければ。


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79回。

*****


あらかじめ潜伏して、ひとりで行動して。

相手側をひとりだけ捕虜にしてシリンジで知っていることを全て吐き出させる。こういうのを最初にやっておけば良かったと反省。巻き戻しの力を過信しすぎていたかも。

タバコの男、とかいう人物が中心にいることを発見する。

だがどの時点でどこにいるか、というのが不安定だった。

捜索攻撃失敗。時間切れだ。


*****

126回。

*****


ちょっと手詰まり感がする。過去にもっと手詰まったことがあるからまだこれしき。

相手の指揮系統への接近を試みる。要するにスパイの募集に応じる。

敵に情報を与えすぎて不利になりすぎること25回。味方から内応を疑われて粛清されること43回。パイプオルガンの防諜網がそれなりに優秀だと分かった。

成果なし。

タバコの男の更に詳細な情報を入手。

戦闘中は常にタバコを口に咥えている。そんな男のようだ。


*****

195回。

*****


完全な裏切り行為を試してみる。味方に重傷を負わしてアクリタイス陣営へ逃走。

しかし即座に処刑されてしまった。失敗。


*****

244回。

*****


うんざり、うんざり、うんざりだ。

でも私の強さは忍耐強さだ。少し休憩してシシュポスの仕事を再開。


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245回。

*****


まだこの近くに潜伏しているロザリ・アン様と同盟。あることを取引条件に承諾。もちろん昨日のうちに交渉を済ませておく。さすがに自分が危険を犯すのはよしとしてくれなかったけど、また少し捕虜が手に入る。タバコの移動経路を補足して待ち伏せ攻撃を試みる。1度のチャンスでいい。近くに行ければ。


*****

345回。

*****


近くに来た。

口に咥えたタバコを視認した。

ロザリ・アン様から静二音を借りてくる。

ほんの少し前に死にかけていたのがまるで想像できない二音。ありえないタフさだ。

彼女の再生能力が強いのか、それとも。あの攻撃はそれほど強力ではなかったのか。

「よっしゃ、まかせてっ」なぜかハッピー。


%%%%%

ビオマグネトー。

裏切りと罪悪感。自分だけが知っていればいい自分の罪。

%%%%%


生体だけに負荷をかける特殊な磁場。

全員をねじ切った。


最後の瞬間に相手の脳にアクセス。シリンジでデータを逆移送させることに成功。敵の正体を確かめる。熟練の極みを要求されるが何とか出来た。

反物質転送爆雷。

ある性質をもったワームホールに通常物質を投下すると、それが反物質になって転送される。反物質と通常物質が触れあうと爆発するので、爆発物の生成と起爆を同時に行うことができる。反物質は上記の性質から貯蔵が難しいが、生成と同時に起爆するのでその点もクリアだ。もともとこれは移動用か通信用として開発されたものだが失敗して、その挙げ句の副産物らしい。本来の要途としてはまったく使えないが兵器としてなら及第点だ。厄介なことにこのワームホールが観測照準装置を兼ねている。これでは妨害は難しい。

照準機能だけは以前から使用されていたみたいだ。相手を観測し、そこに銃撃を加える。爆雷まで含めた全機能を使用したのは今日かららしい。

これはひょっとして。

建物や丘やバスの影に隠れるのも無意味なんじゃないのか?

これまで有効と思っていた戦法まで、実は幸運か偶然のおかげだと判明。

相手側にその気が無かっただけだ。


まあいい。

ともあれ勝利することが出来た。ようやく。


だがこれで終わりではなかった。その瞬間、私と彼女は狙撃されて死亡した。


*****

346回。

*****


タバコの男は本体ではなかった。

彼を殺してもシステムは停止しなかった。


かるく絶望色。


どうすればいい?

無論、リトライあるのみ。

何回か繰り返す内にあの男を殺しても本質的な問題解決にならないことが分かった。

愕然とする。

人か機械かはともかく予備システムがあるようだ。


*****

464回。

*****


自分ひとりで情報閉鎖して戦い抜くのをあきらめた。

レルル・ココロフツゥエに自分の正体を告白する。

答えにさえたどり着ければ、また巻戻して告白を無かったことにすることはできる。

それもしんどいが。仕方ない。


レルルのアドバイス。

「こちらは相手の過去に位置しているのだ。相手の存在自体を消滅させてしまうことは可能だろう」

そりゃそうだけどどうやって。どこの誰かも分からないのに。

レルルは小さな箱型の革カバンを取り出して、それを机に向けて開いた。

中からネジ状の金属帯が大量に飛び出してくる。

うん、弾頭とかではないようだ。ネジだ。もしくはただのかなつぶて。


%%%%%

私は人を信じていない。人は下へと堕ちる生き物。

でも未来はまだ信じてる。

たとえ最終的な勝利が手に入らず敗北のうちに滅びるとしても、

私だけは最後の瞬間まで抗う。

1人でも多く。わずかでも長く。

奇跡の秘密が本当は何の価値もないものでもかまわない。

それを信じる者が1人でもいるなら、

勝ち目のない戦いでも死に至るまで戦って見せよう。

私が戦わなければ誰も守ろうとしない人々のために。

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レルルのメソッドである。

ハイイロアマサギのフェザープリントが微かに見え。

金属のネジがぐるぐると渦を巻き始め、蜂の唸り声をあげて群れとなって空中に飛び立った。いや、蜂じゃないな。これは。

歯科医。ドリル。高速の回転音。

「我がメソッドを貸し出そう。まあ単純な命令しか聞き入れないが、そのかわり永久動作も可能だ」

あっさり自分のメソッドを見せてくれたことにかなり興奮した。ふつうメソッドホルダーは自分の手の内を明かすのを極度に嫌がるのに。

「なに、他のやつにも持たせている。忠誠と呪いの指輪、といった感じでな。だから遠慮することはない。ああ、ノイエには最初から銃弾の形で渡した。あの女に忠誠心を説いて聞かせても無意味だからな」

まあ、私も知ってはいたけどね。知らないことにしていたというか。

その名はディナメノツィ。ツワナ語に由来する適当に作った造語だそうだ。

この力で一挙に逆転できるだろうか。


ディナメノツィが戦場に姿を現すようになって状況は一変した。

初日の戦闘でほぼすべてのアクリタイス要員が戦死してしまった。初日は圧倒的であった。ノイエたちが死闘するまでもなかった。私の無人戦闘機も戦いすらしなかった。

こんなものがあるなら最初から出してくれと思ったが、内心で彼女に相談するのは本当に最後の手段だと気づいた。別にレルルが嫌いなわけじゃない。ただ頭のいい奴に知識を教えるとロクな結果にならないと身をもって学んできただけ。歴史がカオス的に分岐し始めてしまうので。私から見て、巻き戻す手間が指数関数的に増える。

取り敢えず初日はよし。

だが2日目はそうはいかなかった。


無数の観測照準装置が存在しているらしく叩いても叩いても姿を現した。

ディナメノツィがひとつひとつ丁寧に破壊しても、いや、破壊できたかは分からないけど。射撃地点を割り出して突撃、といってもその付近の空中を切り裂いて飛んでいるだけで、ダメージを与えたかどうかはまったく分からない。いずれにしろ、新しい場所から新しい観測装置が次から次へと現れた。その繰り返し。

敵の司令官であるポイズンリバースを戦死させても反物質転送爆雷は消滅しなかった。

「まあ、そんなところだろうな」

レルルはまだ余裕を見せている。

「もうひとつ、別働隊に待機を与えてある。それが意味のある行為になるかどうかは何とも言えないが」

未来に向けて大量のディナメノツィの大群を送ったのだ。いや、ただ待機させたのだ。その時が来るまで。しかしこれでは成果を期待できない。その時が来ても、ディナメノツィは複雑な価値判断ができない。誰か、その場で命令してくれる誰かがいなければ。


*****

724回。

*****


私は覚悟を決めた。

太古代。私が未来世界に居住していた頃に至るまで遡るしかない。

やりたくなかったけど、仕方ない。

まったく別のパスをあてどなく探すよりマシだろう。

レルルの当初のアドバイスを実行することになる。

嫌だな。







「じゃあ僕より彼女の方が困ってるとそういうんだな。それが君の答えだと言うんだな」

彼と偶然会った場所で彼に不満をぶつける。

済まない。君に八つ当たりを。

少し、いやかなりイラついている。

少し遠くで誰かさんが目を伏せたのを見てしまった。

なぜこいつは、いつも人に頼ってばかりなのだろう。

それが見当違いの怒りであることを、今回に至ってようやく認識できた。

手遅れだけど。

起きたことはできるだけ忠実に繰り返した方がいいのだ。余計な分岐が起きると迷子になる可能性がある。死ぬような思いでどうにか元のルートに、戻れればいいけど、最悪、まったく戻れない事象に入り込んでしまうこともありうる。変更不要な部分は、可能な限り、丁寧に繰り返していくのが安全だ。

ごめんね。






兵器設計局は航空局という名称だった。

地下空間しか領土がない国で航空局とは不思議かもしれないが、母体が昔からある組織なのかもしれない。

私は待機させてあったディナメノツィか、あるいは私自身による大規模シリンジ攻撃を繰り返し、あっさりとその建物を制圧した。

何度も。何度も。

その度に、新しい図面を手に入れ、新しい証言と自白を手に入れ、その度に巻き戻した。


*****

2764回。

*****


ついに反物質転送爆雷の開発年代を突き止めた。

その時代に巻き戻す。巻き戻しが可能な時代だったのは運が良かった。

私がいた時代のひとつだったのだ。

ところで無力化方法だが、

設計者を殺すだけではダメだ。

既に試した。

代替の計画が出てきても大丈夫なよう、それ自体に自壊する要素を組み込まなくてはならない。

私は本来の設計者より先に、その計画を立案した。

そして私が設計者になった。

そして故意に実験を破局させる試みを繰り返した。

残念なことにかなり理論的な証明が達成しやすいものらしく、計画を破綻させるのに何度も失敗した。私が失敗しても他の誰かが成功したのでは意味がない。


*****

6239回。

*****


計画を断念するのではなく捻じ曲げることに努力を集中する。買収、工作、あらゆることを繰り返す。

ただでさえ短い寿命がさらに擦り切れそうなまでに短くなっていくのを感じ取れた。

巻き戻しているから主観でそう感じるに過ぎないが。

そもそも私の寿命が長くないのはこれが原因なのでは、とも考えるがどうしようもない。


*****

12387回。

*****


遂に予算が打ち切られ、本来の計画が縮小された。

代替計画では、観測装置を1人の人物に統合させることになる。


*****

12388回。

*****


近くに来た。

口に咥えたタバコを視認した。

ロザリ・アン様から静二音を借りてくる。

ほんの少し前に死にかけていたのがまるで想像できない二音。ありえないタフさだ。

「よっしゃ、まかせてっ」なぜかハッピー。



%%%%%

ビオマグネトー。

裏切りと罪悪感。自分だけが知っていればいい自分の罪。

%%%%%


生体だけに負荷をかける特殊な磁場。

全員をねじ切った。


………………。

沈黙の時間が確実に過ぎ去っていく。

次の狙撃は来なかった。


答えに到達した。


*****

12389回。

*****


レルルへの告白をすべて無かったことにして、1人ですべてを実行した。


可能な限り、必要最低限のことのみ行う。

介入は少なければ少ないほどいい。

取り敢えず、ここまではクリア。

【【視点終わり】】


設定78


りん という音と共に戦闘終了が告げられた。

誰かが誰かに勝利したらしい。

それがどれだけ血と汗と涙と後悔と寿命を代償にして勝ち取られたものかなんて、私には心の底からどうでもいい。なにせ私には最初から何もないんだから。


なら、なぜ終わらせないの?

そんなの、終わらせられないからだ。決まってる。好きで続けてるんじゃない。こんなの、そんなわけないじゃない。こんなくだらないもの。


いつものぐらぐらを15秒ほど頭の中でテレビコマーシャルさせてから、私はようやく周囲の様子を観察にかかる。無駄なら演算力の浪費はいつものこと。

私が我に返らざるを得なかったのは、「もういいよ」と言って彼女が私の手を引っ張るからだ。彼女と言うのはノイエのことだ。


「どうやら勝ったみたいだな。さすがカノちゃん。なんでも常勝無敗で一度も負けたことがないなんて言うけど、そんなわけないと思うけどそれにしても伝説がすごいよね。病気でさえなければなー」


私たちはいいんちょを図書館の中に横にして後で救援を呼ぶことにした。しかし私とノイエは救援を待たずに移動することにする。今さっき勝利したばかりの味方と合流するのだ。


「……そういえば、さっき何て言おうとしたの?」

私は訊いてみた。

「さっき? さっき何か言おうとしてたっけ? 私?」

ああ。そうか。彼女には起きなかったことなんだ。

起きていないことは覚えていないのは当然だ。


「……なんでもない」私は話を流そうとしたけど。


「じゃあ行こか」と手を強制的につないで歩き出してしまうのだ。彼女は。

この押しつけがましい優しさ、おせっかい。

いったいどうしてくれよう。この子にはちょっと思い知らせてやらないといけない。

彼女がどれだけ生を浪費しているかということを。

といって暴力などと無粋なことをやるつもりはない。もっと良いやり方がある。


「……ねえ、わかってる? あなたのやってることは優しさじゃないんだよ」

それは押しつけがましい身勝手さ。

「……他人に気持ちをむりやりおしつけて良いと思ってるの? 知らないなら教えてあげる。それは暴力っていうんだよ」

「うん。そうだね」

いまなんて言った?


ノイエが本音を吐く。いまこそ、隠された正体を見せるとき。


「ねえ。きいちゃん。

愛と暴力は同じものだとは口が裂けても言いたくないけど、残念ながらこの2つはとてもよく似ているわ。認めがたいけど。

だから勘違いする人も出てくると思うの。

私が思うに両者の境目は」


一区切り。


「相手の反撃を自明としているかどうかよ。

自分が相手を搾取するときは、相手からも搾取され返されるかもしれないことを、当然に覚悟しておかなければならない。そういう緊張感がないといけないよ。

愛とはひとつ間違えれば相手を殺してしまうか、もしくは相手に殺されてしまうか、2つに1つの危険な行為なんだから。その恐怖を自覚してこそ暴力は愛に化けるのだと思うの。ペナルティ有りのルールつき暴力ゲームこそが、愛の正体だと思う。互いに互いを殺さない場合だけが勝利条件になるって感じかな。

だから私はあなたを」


向き直り。


「呪ってあげようと思う」


「……呪う?」


「私は、あなたのために、全人類を殺せるよ。

まあ、いいところまで行けると思うんだけどな。

いちおう自信はある。

私は他の生き物を殺す天才なんだ。こう見えて。どうかな?」



【【どこかの記憶:リピート】】

呪ってあげるわ。


そう。

私は、あなたを呪う。

約束する。私があなたを好きになることはあなたを決して幸せにはしない。

約束する。そんなに不幸がお望みなら、私があなたを不幸の底に突き落としてあげる。

間違いない。私と一緒にいれば、必ず不幸になれるよ。

だって私はこんなんだもの。戦い続けることを選択したやつがどんな最後を遂げるかなんて、想像がつくでしょ。


そんなことは誰よりもよく知ってるよ。でも不幸にするから嫌いになるなんて間違ってる。

なにせ生きてることは暴力なので。

誰かを好きになることは相手を傷つけるかもしれない。いや確実に傷つける。私が生きてるだけで相手を傷つける。

でもずっとそうやって生きてきたんだもの。

だからこれからもずっとそうやって生きてくの。

誰かを想う気持ちが間違ってるわけがない。

いや、間違っていようとそんなことは知るか。


ふふ、

たとえ世界を焼き払っても、あなたがひとりだけ生き残る残酷な世界になろうとも、そんなことは私の知ったことか。私は自分勝手にあなたを助けるよこれから。

生きることは暴力だから、自分の感情を押しつけるよ今から。


裏切られるとか裏切るとか傷つけるとか、そんなことはそれほど重要なことじゃないの。これに比べたら。1人で死んでいけるとか勘違いすることに比べたら。

だから私の手を、取りなさい。

いちどくらい、他人を信じてみなさい。

人を信じて、不幸になりなさいっ。

【【どこかの記憶:終わり】】





そ。


「……そんなこと。頼んでないし」

「でしょうね。

でも他はあんま得意じゃないんだわこれが。だから私があんたのためにしてあげられることで一番すごいことがそれ。

まあ、それ以外のことをお願いしてくれるなら、期待に添えないかもしれないけど、一応は努力してみるよ」



「あ、そうそう。

これ。やっぱあなたが持ってなさい。

私は使い方知らないのよ」


ノイエはそう言って、例のいいんちょが持ってた、スライドを前にずらす銃を渡してくる。後で調べたところ、これは“裏切りの妖精”という名前の銃器らしくて。本来の持ち主の感性にどう響いたのかな、と思ったのだ。


私は、もう1人の彼女のことを考えた。

ルゥリィとノイエはどこがどう違うのだろう? あまり変わらないように見える。


そうして私は、私たちはその人との合流地点に辿り着いた。小さな住宅地のご近所公園。


彼女たちは1台の折りたたみ式電気原付を地面に横たえて、公園のいすに座って待っていた。

1人は私の知っている人。ロザリ・アンさまのお連れの1人。

静 二音。少し警戒するけど、今はあなたに関心はないから、と言わんばかりに手をひらひらする。「気にしないでねー。カノカのいる所で手を出すつもりはないから」


もう1人。

桜緒カノカ。

なぜかパジャマルックだ。

「やあ、久しぶり。君がノワールだよね」

彼女は私のことを知っていた、ような挨拶。

いや、知らない。彼女は私のこと知らない。

私が彼女のことを知らないのと同じように。

「ノイエ、ちょっとだけ2人きりで話をさせてもらえないかな」


設定79


私はカノカさんに、ちょっとすみっこの方に連れて行かれ。

「結論から言おう。このままだとノイエは死ぬ」


それはあまりにも唐突な結論です。

どうして、こんなことが言えるんだろうってその時は思った。

そもそも、そうだとしても、私に彼女を助けられるはずがないのに。


「ひょっとしてギーメの寿命のことだと思ったかな。無茶なことをしているというのも理由だが、なにせ前線に立ち続ければ再生数も多くなるからな。再生数が多くなればなるほど、死に近づく。後方に下がっていればいいものを。もっとも他人のことは言えないけれどね」


話はいったん止めた。


「しかし、僕が言っているのは、もうそういうことじゃない。

彼女は今夜のうちに死ぬ。君を守れずに死ぬ。

いや、君が助かる代わりになって死ぬと言った方がいいかな。

僕はそのことを誰よりもよく知っているんだ。

運命を変えられるのは君自身の行動だけだ。

何度も試した。君以外の誰もノイエを助けることはできない。必ずそうなる」


カノカさんは改めて私の想像を否定した。


「もうひとつ。君はこれから灰人にあう。そう、あの未来で君を助けてくれた彼だ。

君たちにとって最悪の敵として彼は現れる。洗脳されてるんだ。彼を責めるな。

そして彼を殺してはならない。もし彼を殺せば君自身も助からない可能性がある」


これも話が止まった。その後、絞り出されるように追加の言葉。


「いや、そうではない。そうではないな。

そういう言い方をするべきではなかった。

こういう言い方をするべきだった。

そう、こういう言い方をする。

殺さないでくれ。

灰人を殺さないでくれ。

頼む。この通りだ。

僕の一生で、最初で最後のお願いだ」


桜(さくら)緒(お)花(か)ノ(の)香(か) は私に頭を下げて、そうお願いをした。

それを見た私は。でも私は。

いつも。何もできないから。


「と、まあ。ここまでは礼儀でね」

カノカさんが表を上げた。

チリチリチリ。何かを感じる。

カノカさんが極小レベルのシリンジを仕掛けてきているのだ。

しかもこれは。弱いけどしかし致命的になるような使い方だ。

このまま放っておいたら。


【【永訣のことば:カノカ】】

生き残った者は、みな悪魔なのだ。2度と再び、日の当たる世界には戻れない。

だがそれがどうだというのか。我々はその代償に力や幾ばくかの経験を手に入れた。

そしてその力を行使する資格も手に入れたのだ。

その経験こそが悪を未然に防ぎうるのだ。何が悪であるかという定義の問題こそあれ。

むしろ誇るべきなのだ。

我らこそが人であると。これまでは人ではなかった。

人の形をした人々の多くが、まだ人ではないのだと。

私たちは人に生まれてくるのではなく、自らの意思によって初めて人になるのだと。

この呪いこそが、選ばれた者だけが持つ祝福。

我々だけが、闘える。闘うことが許されたのだ。

【【終わり】】


何だろう。

何かが思い出される。


「そう。それだ」とカノカさんが言った。

カノカさんはループするリンクを切った。

彼女は知っている。

「シリンジは上書きしかできない。そういうことになっている。

ところが受信ができる者がいる、らしい。この場合の受信というのは、攻撃した側が、逆に上書きされるというものだ。

あ、もう知ってる? 使った? なんだそうか。

まあ不思議なことじゃないさ。そもそもシリンジがどういう原理で動いているか、というのを僕らはまったく知らないんだから。だから逆向きの作用があってもそれが非常識かどうかすら本当は分からない。電磁波やなんかと同じはずだとなんとなく思い込んでるだけでね。それも、これまでのシリンジでは送信側しか見られなかったというそれだけの論拠でね。

高度に発達した科学は、いやこの場合には古代人には免疫生物学の最新理論が理解できないということなんだろう。我々はさしずめ古代人なんだ。

どれだけ当たり前の仕組みでも、最初にそれが解けるまでは謎に満ちて見えるものだからね」


「それは誰にも知られるなよ。味方にもだ。まだみんな知らないんだ。何が起こるかわからん。もちろんそれを判断するのは君だが。だが知れわたったら周りのみんなに何をされるのか。これはよく考えておくんだ」


カノカさんは釘をさした。


「僕のメソッドは時を巻き戻す。

ゆえに未来を知っている。

選んだ方の未来も、選ばなかった方の未来も。だから当然知っているんだよ。


いやしかし、君はきっとそれでも動くことはできまいな。

分かっている。言い方が悪いんだ。

こんな当たり前の理由で歩き出せるくらいなら、とうの昔に君は歩き出している。

だからくだらない現世のわずらいより、もっと重いことを僕は教えようと思う。


向こうには答えがある。ほら、繭の間と言ったかな?

行けばなんでも願いが叶うとかいう、例のうさん臭い逸話がある場所だ。いったい誰がそんな悪趣味な話を語り始めたのか。まあそれはいい。

君が望んで止まなかった真実が、そこにはある。だからそこへ行って選ぶといい」


真実。答え。

「君に必要なのは、君の疑問に対する答えじゃないかな。今まで誰も答えられなかった質問の答え。君の問いかけをそもそも誰も理解できないから。できるはずがなかったから」


真実はとても重要なのだ。なぜなら本当の真実は隠せないから。

隠せるようなものはまだ真実とは言えないものである。


カノカさんは少しだけ、しんどそうに一気にまくし立てた。


「そうだ。君は記憶をかなり失っているようだ。よければ僕の方から足りない記憶を補充したい」


手を差し伸べるカノカさん。

私はその手を少し見つめてしまった。

意図は分かる。

シリンジで記憶を受け渡すというのだ。

私は長い旅で、血液知性がこぼれ、記憶をかなり失っている。

別に忘れても困らないような遠い過去の話ばかりなので、気にしなかった。

だがそれを私に渡すというのだ。

そもそも、なぜあなたが私の記憶を補填できるのか?


いやそんなことより。受け取ってしまってもいいのだろうか。

これは分岐点だ。


「まだー、はやくー」

後ろの方で誰かさんのせっかちな声が聞こえる。

「積もる話があろうというものを君は分からないのかい。少し待ちたまえよ」

大きな声でやじり返すカノカさん。


私は。

カノカさんの手を取った。

「それでいい。おっと、もちろん例の受信は使わないでくれよ」

100ファシノ以下。ジジジジ。と耳鳴りがした。


ふと、気が付くと、カノカさんが方で息をしているのに気づいた。


設定80


永遠は病室の隣のベッドで寝ていた。

彼女が言うには、自分はもうすぐ死ぬが、永遠としてその後も生き続けるのだと言う。

だから私は永遠なのだと。

しかし。

と彼女はここで特に注意を喚起した。

それは天国でもなければ地獄でもないし、私は幸福になることもないが、苦しんで死ぬことにもならないだろう。私は成功もしなければ失敗もしない。全体との合一もなく、といって再び個として転生するわけでもない。ただ半ば苦痛であるとさえ言えるだけの平凡な時間を、そこでただ、ただ、永遠に等しい時間を、過ごしていくのだから。そうね。その長さだけは地獄と言っても言いすぎではないでしょうね。

これは奇妙な信仰だ。

こんな子供は聞いたこともなければ、もちろん見たこともない。はじめてだった。

でもそれは私の隣にいる。

私たちは同じ病気だった。敗北はすでに決定している。

私たちは同い年の子供がそうするように、お互いに会話することから初めて、そして。

私たちはつかの間、友達になり、

最初に彼女が、次に私が死んでいった。


私は思うのだけれど、

たぶん、

これは何かの、誕生前に見る夢だったのでは、

ないでしょうか。


でもそれを聞けば、彼女はきっとこう言うのだ。

「それは嘆きよ。でも嘆きは罪じゃない。誰がそんなことを決めたの?」

私は弱い。

彼女のいうとおりだ。


設定81


ノイエの目の前に戻ってきました。

ノイエは早速、ちょっと疑問ちっくな目線をぶつけてくる。

いったい、何を話してたの?

どうやってごまかそうかな。


しかし、想定外のことが起きる時には起きるというか、

カノカさんがここで、倒れそうになった。よろめいて跪いた。

「カノちゃん!」

ノイエがとっさに抱き留め、私もカノカさんを支える手に力をこめる。

「失礼、……ちょっと、……疲れただけだ、本当に」

カノカさんはパジャマチックな服に上着をつけた服装。キレイな原色の形が乱舞する抽象的なデザインのパジャマので、ぱっと見、普段着に見えなくもないけど、それは病院での服装だった。ゆったり。

医療情報のついた名札をつけてある。記号と名前しか書いてないので判別はできないけど。


そこへオクファさんとシスカさんが、ようやく合流したのだ。

2人とも無事だった。でも「なんでこんなところにいるの? 何があった?」などということは訊かないのだ。そんなことよりも。


オクファさんはノイエの所に、

シスカさんはカノカさんの所に。

それぞれ駆けつけた。


「カノカ、何やってんだよっ、おまえっ」

一番最初に質問されたのはカノカさんでした。私でもノイエでもありませんよ。

そしてオクファさんは、何も言わずに何かの機会を出して「ノイエ、血液検査するから腕を出して」と有無を言わさず強引にノイエの腕を取り「あとで。今忙しいから」とノイエが抗弁したのを完全に無視して採血開始。

「ああもう」とノイエおかんむりだが、こうなってくると手を動かすとむしろ痛いことになる。

といっても注射針などは突いて無さそうな、ただの丸い、丸くて、ボタンと小さな画面がついてるだけの。変な機械。それをノイエ腕に押しつける。

医療関係者を思わせるオクファさんの、素早い、いや鋭い措置。むしろ行動がナイフだ。そのナイフであっという間に検査を終えてしまう。

でもオクファさんはその数値を見つめてしかめっ面をする。


一方で、シスカさんはそんな専門訓練など受けていないのか、ほとんどパニックになってる。「カノカ、カノカ、しっかりしろよ!」慌てている。

「大丈夫、本、本当に、疲れた、だけだ。帰ればすぐ治る」


それを見たノイエは決断を下す。

当然、オクファたちが廃病院に置き去りにしたパンツァープリウスを持ってきてもらっていた。

「シスカ。パンプリは使っていい。カノカを連れて帰還しろ。現状でお前の報告任務よりカノカの生存報告の方が優先される」

シスカさんの方からは声がない。

「司法部のクローティルダの一般命令より現場戦術指揮の私の判断が優先される。近くの救急病院でいい。他に何か足りないものはあるか?」

「ノイエ、応急的な治療をさせて欲しいのね」オクファさんが割り込んでくる。

「あとで、今必要ない」

「今やりたいのね」

「あとだ。これは命令だ。シスカ、2人で行けるか?」

シスカさんはついに怒りをこめて立ち上がった。

こちらに向き直る。

瞳の強さはこれまで見たことがないくらい怒っている。

オクファさんは別の丸い機械をノイエの腕に推し受けて、その後に絆創膏をはっつけた。どうもこれが医療用注射器であるらしい。治療終わり。

というわけで、シスカさんとノイエのけんか。

「エロゲのバッドエンドみたいな実人生送ってる奴に、心配なんかされてもちゃんちゃら可笑しいんだよっ」

いきなり言ってはならないゾーンに攻撃。

そりゃ攫われてたそうだから、何かあったのかもしれないけど。

言われた方も平然と、

「そっちこそ不良のくせに放射能被爆なんてちゃんちゃらなんだよ」

「不良関係ねえだろ、それ!」

ん? 今の話は。

「この人、福島県夜の森出身なのですね」

「別にすぐ避難したから実害としてはちょっと目が腫れたくらいだ。あたしんちじゃなくて祖父ちゃんちだからな。あの時は親にめっちゃ心配された」

よく分からないが何かあったんだな。レッドゾーンへの攻撃に対してはレッドゾーンへの言葉攻撃で返す。

「そのときはまだ親に心配されてたんだよね」とこれはノイエセリフです。

言っちゃった。

良い子はこーゆーのを真似をしてはいけません。

「…………てめえ、ぶっ殺す!」シスカさん宣言。

ノイエもオクファさんの手を振り切って、たちまち始まるキャットファイトだけど戦闘技能ではシスカさんではノイエに勝てるはずもない。

「くっ」たちまち腕を抑えられてしまうシスカさん。でもその前にノイエの腰にさしてあった拳銃を引き抜く。

「にやり」とほくそ笑んだのは無論ノイエの方である。ここまでくれば正当防衛で相手を殺せるのだと思う。まさか。そんなことしないよね、と思いつつもシスカさんも表情が引きつっている。

しかしシスカさんは賢明にも撃つのではなく、ただ放り投げた。その銃は崖っぷちをゴトゴトと転がって、なぜか入り口が開いている排水溝に落ちてしまう。

「ぎゃあああああああーっ」ノイエ悲鳴。

あてどなく落ちて消えていった。―――――― ぼきゃん。かなり深い音。

「なんてことしやがるっ。Beretta 8000 Cougar L があ。あれ絶版なのにっ」

「ざまーみやがれ」

その隙に組みほどいて体勢を立て直すシスカさん。

「ののれ許さん。本気で泣かすっ」と本気になるノイエだけど第3者が参戦した。


「「「いい加減にしたまえ」」」


カノカさんのお叱りです。ビクッとする2人なのです。

止めてくれた。


「こんな時だからこそ年齢相応に子供なのかね。ギーメらしくもない」

怒られました。これは2人に効果があった。むすっとして両方がそっぽを向く。

「メソッドホルダー級のギーメというのは、先代の使い手より継承した記憶を持つから、実年齢より精神年齢が高くなるはずなのだが」

カノカさん説明。メソッドを継承した時点で、以前の使い手からノウハウなども受け継がれるらしい。これが強制的な人生経験の追加になるのである。

「しかし君たちは年齢相応に子供だな」

少し息が戻ってきてるカノカさん。

「女子のケンカではなく小学生男子のケンカなのですね。だから大丈夫。後を引かないから」

オクファさんが私の肩を叩いて、小声で私だけに聞こえるように囁いてくる。にこり。

いや、あの。そんなこと言われても。そうなんだ。


「さて、少し息も戻ったことだし、悪いが僕は先に上がらせてもらうよ。これ以上は戦力になりえないからね」

カノカさんが立ち上がった。でもその力は弱い。

見た目で少し虚勢を演じているのが分かってしまう。


「ではVD隊員、よき狩りを」


VDというのがノイエたちのことらしい。

素早くシスカさんが駆け寄って肩を支えて歩く。

シスカさん振り向きざま「おまえ、カノカに何かあったら絶対許さな、もふっ」などと首を絞められたりしながら退場していった。


(すぐに分かる。私が与えた記憶をよく思い出してくれたまえ)カノカさんが別れ際にシリンジで語りかけてきた。

この人も平気で他人にシリンジしてくる人だな。そのシリンジは、私だけが聞いたのだけど。それとも、違うのかな。なにか、勘違いしてるのかな。


こうして、カノカさんとシスカさんと、ミツメさんの体が一体、戦場から撤退した。


設定82


「さーて、どれにしよっかな」

駐車してる車を眺めて歩いていくノイエ。

どうやら泥棒するつもりみたいです。

「お」

明らかにアクリタイス兵士と思われる、制服を身に着けていない、銃器を肩にかけた男性が1人で車番をしているのを見つけた。

「あのー、すいません」

平然と近づくノイエ。

「ここは立ち入り禁止で、あ」相手の人。

気づいた。

ノイエはくるりと回転して手は脇の下で後ろ向きに射撃。2発。ベルえりを隠れみのにした後ろ撃ちだ。

「借りますね」

絶命した兵士をひきづり下ろして車を拝借するノイエ。

殺し合いに慣れてきた私。

ベルえりのせいで脇の下に銃をコンシールドできるから。

多分、あのロシア製のPSMという銃だとおもう。

それにしても、真後ろに向けて正確に着弾させるノイエである。

どうやって、やっているんだろうか?


乗り込む2人。否応なく私。

「パンプリだったらサイレント走行モードが使えたのね」

「仕方ない。あの2人に死なれるとそれはそれで困る。うちらはうちらで」

シスカとカノカ。そう言えば名前も似てるし、どことなく顔立ちも似てた。いや顔立ちだけじゃない。声も。瞳も。

「あと、ギーメ教団の人たちが増援に来てくれるのね」

「ホントに? 助かるー、やっぱ戦争で必要なのはまず捨て駒だわ。これがないとどうにもならん」

ちょっと注意したくなるようなセリフを吐きました。

何やらケータイみたいなものを出して操作、見てる間にエンジンのクラッキング起動に成功する。

「信徒の人たちは何時頃につくの?」

「約1時間」

「なら予定を変更して8番を使う。あそこなら森の中だ。派手にやっても害がない」

「あそこは行き止まりなのね」

「だから釣れる。なに、いざとなりゃあ歩いて山を抜ければいいじゃんか。うちらが引きつけて背後から挟撃させろ。すぐ信徒たちに連絡を。うまくいけば敵の重装備を廃棄させることが……」

さあハンドブレーキを抜きますというところでオクファさんの手がブレーキハンドルをストップ。

「その前に診断させて」オクファさんは誤魔化されない。


「15万」計測値。

その数字がどういう意味を持つかは私には分からない。

「末期白血病患者並みなのですね」

「頭部損壊ならこんなもんでしょ。増えたのはダメージを回復するための高分化能マクロファージだから、たいして害はない。すぐに数が増えたのが何よりの証拠だよ。時間がたてば元にもどる。だいじょぶ!」

「だとしても! 本当は安静にしてないといけないのですね!」

言葉に棘のあるオクファさんだ。

「それはだめ。当面の戦いが終わるまでは休めないし、休むつもりもないし、何より元気いっぱいなので」にこりするノイエ。

即座に行動の支障がないとはいえこのレベルの傷害は、蘇生できてもかなりの重症であるのだ。黒く染まった包帯を頭に巻いて、隻眼の海賊のハーフターバンみたく見えるノイエ。オクファさんの言葉の棘を気にもせず踏み砕く。

「カノカがなんでああなったか、分かってるの?」

「再生能力を酷使しすぎたからだろ。有名な話じゃんか。てか、個人差があるんだから」

「あなたにはカノカよりもブラッドプロセッサの異常変異耐性が高いという根拠は?」

「さあ、いまそんなこと言うのはやめ。それどころじゃないから。さあさあ、終わったらちゃんと休むからさ」

見た目に寄らず、かなりの重症らしい。

でもまだ戦闘の任に耐える彼女である。


設定83


【【ポイズンリバースの視点:5:始め】】

ヴァリュキュリャ砲は失敗作だったか。

夜闇の中心に目を向けて独りごちた。

漠然とあまり期待しなかったことを覚えてる。開発の経緯に違和感を感じたことを覚えている。政治的な理由で技術開発が破壊されてしまう例だと思っていた。担当分野が違うので顧みる余裕はなかった。


残り少なくなった兵力を再計算する。

脇に控える少年を見る。

彼は網で捕獲したブラッドプロセッサ感染ロリキートを丁寧に踏み潰していた。

翼を持つ生き物を殺すことに執着している。

「再設定は良好のようですな」医務官が言う。

いまや生き残りの中ではこの医務官が自分に次ぐ高位士官である。

「行動を中心に自己を再規定させれば疑問を抱くこともなくなります。より分かりやすく言えば、罪を犯すことで人はより従順な奴隷になるのです」

甘木灰人の再利用を提案するとき、抜け目なく医務官はそのように説明したものだが、実のところ自分には、この少年を助けたことについてまったく別の目算があった。彼は生糸のすぐ近くにいた。それは相手を説得するのに向いた条件。いや、誘き寄せるのに好都合か。腐臭のする専門家の解説を長く待つ寛容さは今の自分にはない。

「お前も武器を持て」銃器を医務官に差し出す。

「は、しかし私は」

「私の指揮下では活動できるすべてのメンバーが戦闘員というのが原則だ。お前も理解してここにいるのではないのか? さもなければ」

「も、もちろんですとも」慌てて肯定する医務官。

引きつった顔の医務官に武器を取らせると、やおら振り返り兵士たちに激を飛ばした。

「いまいちど、だ。まだ敵の居場所は分かる。諸君、我々にとってこれが任務を達成する最後の機会だろう。

必ず生かしたまま楠本生糸を捕えろ。

今、私はここで諸君にすべての秘密を明かすわけにはいかない。だがこれに勝利したとき、歴史は変わる。文字通りの意味で。我々がどの時間帯にいるのかを想起せよ。苦痛を取り除くときは今。フォー・ザ・マンカインド!」

残された数少ない偵察機器がまだ目標を補足し続けていた。

「「フォー・ザ・マンカインド!!」」

兵士たちの応え。

まだ士気は残っている。

【【視点終わり】】


設定84


【【ロザリ・アンの視点:始め】】

「二音ははまだ戻らないの?」

「まだのようです」

ロザリ・アンは自分が発した質問に二那が答えるのを聞いた。

「カノカめ、私には思わせぶりなことを言っておきながら」

ロザリ・アンは頭の中で同じ疑問を何度もくりかえす。

何を考えてる? 桜緒カノカ。

楠本生糸に逃げられた直後に桜緒カノカから協力したい、という予想外の打診があったので飛びついてしまった。繭の間に関する知識を持ち出され、レルルという共通の脅威を挙げられては疑う余地もないと思われた。だが。

足下を見られたのではないか。

焦っていたというのか。歯軋りするような感覚で自覚する。

焦るのは当たり前だ。

あの力は、理非を超越する力だ。

ここに来たギーメは人生を変えたいという理由のある者ばかり。

ゆえに求めて当然だ。みなそれだけの過去を持っている。

桜緒カノカについては正体不明の点が多い。

数年間、植物状態だった娘がある日、目覚めてみたらまったく別の人格になっていた。家族のだれも受け入れることなどできなかった。

双子の妹だけが変わったままの姉を受け入れた。

ギメロットではなくメソッドホルダーだと判明したが、自分がどのようなメソッドを所有しているかは、決して口にしなかった。

「もちろん秘匿する権利があると、僕はそう理解していたのだが違ったかね?」

無論その通りだ。

結論として奴は正体不明だ。

一方で私の過去については知られすぎている。誰もが知っている。

協力の条件も静二音を貸してほしい、というものだったから2つ返事で引き受けた。

二音がいなくなることはリスクとしてそれほどのものではなかった。だから安い取引だと考えたのだ。本当にそうだろうか?

余二那を貸してほしいと言ってきたらどうする?

こうして側に置いていてもこの二那という女は、本質的にどこか信用できない点があると直感が告げている。対して二音は裏切るだけの知性というより想像力に欠けていた。

二音は裏切らないから問題ないと思ったのだが、本当にそうだろうか?

楠本生糸が反撃してくるのも予想外だった。1対3でなお相手を蹴散らせるほどの強力なメソッドの所有者だったのか。普通はあり得ない。無論のこと、それを想定に入れなかった自分のミスである。

いやここで、1人で懊悩しても始まらないか。

もうなるようにしかならない。腹をくくる。


ロザリ・アンたちは図書館でのやり取りを知らない。


「誰か来たようです」

余二那の報告。

「うむ」

ようやく戻ってきたかと思い、視線をそちらに向けた。

ルダンゴトとも呼ばれるオルガン正装コートの一種を着ている。斜めベルトが印象的な春コート。

「遅かったわね、二音」

いやひょっとしてカノカかと思ったが、彼女がフードをまくりあげて自分の正体を明らかにした時に、しばらく認識が遅れた。

誤魔化しようのないほどの南部アフリカ由来の黒すぎるほど黒い肌。

「今朝以来でしたか、猊下。ご無事なようで何よりです」

レルル・ココロフツゥエか。

「な、なんの用かしら」

さすがに突き止められたか。

不覚にも声が震える自分がいまいましい。

「ただいまの時刻が20時ちょうどですな」

腕時計を見るレルル。

「それがなんだというの?」

「それはつまり現時点でもってあなたは最高会議幹部会の議員を解任されたということです。もうあなたに権限はありません。この件はすべてシスターイヴに報告済みです。念のため付け加えますが」

正四面体型のハンドバック。こいつも武装を持ってきている。まずい。この武装とは相性が悪かった。

「ばかなっ、なにを根拠に」

「楠本生糸を追い出すためにオルガン都市領域にアクリタイス将校を招き入れましね。クロウラー指揮官でしたか」

悪寒が背筋から這い上がるのを感じた。

こいつ、まさか最初からそれを狙って。

わざと事態を放置していたのか?


瞬間的にロザリ・アンが理解できてしまったのは、このような構図だ。

レルルが気づいているかどうかは判別がつかなかった。しかし気づいているとしても何も仕掛けてこないので、私は次の行動に移る。

だが気づいていないはずがなかった。

私がいなくなり、即座の対応が出来なくなるタイミングを待っていただけなのだ。

私が対応できなければ、幹部会の方向性を思うがままに誘導できると判断したのだ。


だがまだ勝負がついた訳ではない。

「分かっていないようだから言っておくけど、彼は我々の情報提供者よ」

「そうでしょうか? 申し開きならば取り調べにてお願いします。私に言われましても対処しかねますので」

「そもそも私が何のためにこんなことをしているのか、それを理解していないようね。この探索はギーメ国家の未来を守るために必要なことなのよ。それを邪魔したことの意味を分かっているのでしょうね?」

「そこまでして奇跡を求めずとも、そのようなもの我々には必要ありませんが」

「お前では話にならない。このことは直接聖下にご報告申し上げる。下がれ」

「取り調べはシスターイヴ聖下が直々に執り行われます」

「なにっ!?」

シスターイヴとはパイプオルガンの最高政治指導者の称号である。

さすがに青ざめた。

既にシスターイヴの裁可が下りているのか。

…………。

この私が。

道化だったとでもいうのかっ。

ロざリ・アンはまだあきらめない。

「ふぅん、あなたはあの奇跡の価値がわかっていないの? 

そこに至ればありとあらゆる願望を叶えることができる。

なのに、こんなクーデターの口実に利用するなんて、なんて愚物なのかしらっ。あなたは。自分が何をしたか、分かっているの? 真実に目をつぶり途方もなく価値のある宝物を闇に返すつもり?」

「お言葉を返すようですが、統治者にとって必要なのは真実ではなくその運用ですよ。いずれにせよ彼女の調査を続けるとしても、それは私の部下にやらせることになります。よろしいですかな」

「もうあなたとは話す必要もないようね。愚か者は後悔しないものだけど、あなたはどうかしら」

「VD隊員、連行せよ。丁重にな」

「くっ……」

ゲームオーバーである。

これ以上会話する必要はないとばかりに指示を出すレルルである。

ノイエやオクファとは別チームのVDスタッフが現れてロザリ・アンを連れて行こうとする。余二那も当然連行されるはずだった。

「ああ、彼女は必要ない。ロザリ・アン様だけをお連れしろ」

その言葉に思わず目を剥いた。余二那の方を睨むが、こいつは普段と様子が変わるところさえまるでない。

「私に触れるなっ。自分で歩けるっ」

古(いにしえ)の元帥のような言葉を残してこの物語から退場するロザリ・アン。

【【視点終わり】】


【【黒幕さんの視点:3:始め】】

ロザリ・アンは自分を連行するはずのVD隊員たちを、まるで儀仗兵であるかのように従えて退場した。

知識の調べを使わない。探索は失敗に終わるが権力闘争でまだ完全に敗れたわけではない。まだ抗うつもりなのだろう。私もまだ彼女が完全に無力化されたとは思っていない。それについても考えてはある。とりあえずこの場はケリがついた。

「さて」

レルルが先に口を開いた。

「弁解せずとも良いのか? 裏切るのを決めたのは今この時点なのであろう?」

一応は訊いておく。

「私のことは赦免していただき感謝の言葉もございません。この上は行動をもって忠誠の証明とさせていただきます。余計な言葉はかえって信頼を損なうことになるかと」

平手を左肩に当てるオルガン式の敬礼をして余二那は言う。麻痺した右手である。

「旧主に信用されないほうが保身としては都合が良いか。その思考は理解できる」

レルル・ココロフツゥエは緑色に染めてある髪をなびかせて言う。

「私はお前のことを全面的に信用はしない。しかし非合理的な行動をとる女ではない。そういう意味では信用してるし、正直、私ならお前を使いこなせると思っている。私の期待に背くなよ。警告しておくぞ」

「まさにそのような言い方をなさる方を上官として仰ぎたかったのです」

【【視点終わり】】


【【余二那の視点:3:始め】】

二音。私たちはここではただのローゼンクランツとギルデンスターンでしかない。

死に至るまで主に付き従うゆえはない。

二音がなんと言うかはもう分かってる。

二音はなんだかんだ不平不満を言いつつも、私のやることを承認してくれる。

いつもそうだった。

【【視点終わり】】


設定85


「台形だ」

ノイエの手の中に収まるは台形型反動相殺装置付きマシンピストル。全体的に台形の形に見えるのでそう呼ばれている。

「残ったのがこれか」

ノイエの運転がやはりちょっと危なっかしかったのでオクファさんと交代してます。

オクファさんのほうはヴァンパイアの伝統的な武器――MP7をキープ。

「病院のゴミ箱から取ってきたの? 後で回収しようと思ってたんだけど」

「それは新品。というよりあの状況でどうやって助かったのね?」

「しばらく死んでた。そうしたら」


*****

「敵は逃走したようです」

「追撃しろ。1人も逃がすな」

ポイズンリバースは簡潔な命令を出す。

敵がここに残した阻止兵力は今まさに倒したところだ。


だが、まさにそのとき、隣に立っていた副官が爆散する。

爆散というのは大げさだったが、血圧が急激に解放されて血液が辺りにまき散らされる。

死ぬ直前に副官は見た。

十字の光。

何かが輝いたような気がしたのだ。

これに気づいた時には副官の体は4分割して四散していた。辺り一面血まみれに。

「反撃しろ。ギーメだ」

ポイズンリバースがまたしても単純な命令を繰り返して、素早く反撃しようとするが、その余裕はなく、秘匿された場所から一方的に遠距離攻撃をされる。

「相手の位置を確認できませんっ」部下の1人が悲鳴に近い報告を上げる

この肉体の四分割する攻撃は。あれだ。

「場所を移動する。全員、移動を急げ」

このままでは一方的な攻撃を受けて全滅する。とりあえず相手の攻撃圏外に離脱するしかない。


その結果として、今まさに倒したばかりの阻止兵力、が息を吹き返す時間を与えられたのだった。

*****


「まあ、結果的にあいつに助けられたのかな? あまり認めたくないもんだな」

ノイエはルゥリィを嫌っている。

「……ノイエはルゥリィが嫌いなの?」

もういちど訊いてみる。

殺すことは仕方がない。そう言っていたのはノイエじゃない?

ルゥリィが他人を捕食して回るのも仕方ないことじゃないの?

「だってあいつ自分勝手なんだもん」

ノイエの理由である。

「自分勝手が人になって歩いてるようなノイエに、こう発言させるのだから、あいつも相当なものね」

誰かさんに、混ぜっ返される。


「だから、自分だけは何してもいいけど、他人がするのはダメだー、とか言ってるようなとこがあるじゃん。私は自分がしてることなら、他人がしても文句言わないもん。後は実力の世界というか」


必死で言い訳、もとい彼女の考え方の説明。んー、そうかな?


「そういうダブスタにカチンと来るというか。まあいいよ。その考え方自体は。力には権利がある、なるほどそれは確かにその通り。でもだったら、私みたいなのが敵に回ることも当然に覚悟してもらわないと」

ここで彼女なりに少し考えたらしく、少し間が置かれた。

「まあ、そうだね。奴の在り方を否定する資格は、私にはないさね。でもこっちは味方を殺されてるんだよねー。そのつけを払ってもらわないと。うちらは軍隊だからね。目の届く範囲で勝手をやられて黙ってるわけにはいかない。これは譲れないよ」


味方というのは、誰か、監視官の1人を食べられてしまったということだそうだ。

それによってオルガンはルゥリィの存在を認識したらしい。

ルゥリィの周囲が眼中にない行動はやはり敵を招き寄せていたのだ。

「1か月くらい前かな。堂々と犯行の跡を残していくギメロットがいるな、って知ったのさ。もちろんその1人だけじゃない。いいんちょが最低でも2人、悪ければ3人。合計4人以上。これは落とし前をつけてもらわないと、ね」


ノイエは暴力組織の人間である。暴力組織の人間は、やられっぱなしになっていることを極端に嫌う。


ゲーム理論的な原理に基づいて、攻撃に反撃しないのは弱みであると周辺に認識されてしまうリスクがあるからだ。そうしたら一斉に攻撃されはじめる。いくら強くても相手が多ければもてあます。だから力がまだ充分にあることを知らしめるため、手を出してきたやつは、血祭りにあげないといけないのだ。

それが、暴力組織が自らの身を守るやり方である。いや別に暴力組織とは限らないだろうけど。法律に守られている社会だったら、司法機関がそれを代行してくれるだけである。

かくて、あらゆる社会は暴力装置を必要とする。


私たちは市街地ではなく、すでに森の中を進んでいる。街からそれほど遠ざかっていないのにこんなに濃い自然があることに驚かされる。都市と自然の落差が極端に感じる。


「ノイエ。ほんの少し眠ってたらいいのね。つくまで少しかかるから」

「いや、そんなこといったってえ」お寝ぼけノイエ。かなりふらふら。

明らかに頭がふらふらしだしているノイエは「んー」といってそのまま意識が落ちたみたい。

それはオクファさんが運転しているほんのわずかな間。

「血液知性は睡眠を必要としない。それでも私たちが眠るのは、血液知性が仮想的な私たちをより正確に再現するためだ」

それはオクファさんの説明だ。いつもの語尾変化はない。


%%%%%

あなたが信じているものは、いつも他人を踏みつけて手に入れたもの。

あなたが抱いているものは乾いた血の塊を身にまとう幼く無自覚な殺し屋。

あなたには悲鳴が聞こえたかしら。

この肉体の細胞がいつも奏でている小さな悲鳴が、あなたには聞こえたかしら。

ほら、こう考えることでまたひとつシナプスが死んだわ。

こう考える同じ時間でまたひとつ種が滅んだわ。

こうしている間にも世界のどこかで誰かが死んだわ。

当たり前だと思ってるものは実は当たり前じゃない。

世界は死と滅びに満ちている。

青い空はいつだって無数の絶望を飲み込むためにこそ青いのだ。

ほら、今もこの瞬間も、こんなにも豊饒な、裏切りの悲鳴をいつもありがとう。

感謝してる。いつも他人を踏みにじらないと生きていけない私だから。

私たちは死の子供。

死を食べ続けなければ死んでしまう。

だからこそ、生あるものよ命を奪え。

生まれたことのそれが代価だ。

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リング状にたわんだ翼が微かに見え。

ブートキーメモリーが宣言された。それを近くではっきりと聞いた。それはつまり。

「安心して。ここでは仕掛けない。私は念を押しておきたいだけ」


森の道路が進んだ先には小さな公園があった。この公園を作るためだけに長い道路を切り開いた。戦闘再開まで時間がある。

「すぐに終わるから。ノイエにはほんの少しだけ寝ててもらえばいい」

車を止めて、ノイエを残して、私たちはほんの少しだけ話し合う時間を取った。

オクファは言った。


「ずっとあなたを警戒してきた。ノイエに死をもたらすような存在は、私が排除する」


設定86


オクファさんは赤い瞳で私を見つめてくる。

ギーメの瞳は赤い。しかしこれは微量シリンジを相手に無意識のうちにかけるために、相手からみてギーメの瞳は赤いように見えるのだ。テレビカメラではこの色は映らない。ただし時間がかかるようになるとテレビカメラの映像の瞳も赤く見えるようになってくるという。もちろんそれは録画を見ている人間に影響を及ぼすがゆえに。

もちろんこの程度のファシノで私には健康の支障はない。


彼女の背後の方から伸びてきた、元の根はどこから来たのか見えない、糸のような曲がる針のようなものが私の喉に突き付けられた。


あの。話し合いですよね。


「ツィンダルの針。かつて先代の使い手が、誰かにこれを見せたとき、その相手がこれを元にして、時間を超えて襲い掛かってくる怪物を作品に書いたらしい。その怪物の由来はともかく、殺し方は同じ。この小さな針がね、変形した歯で表面にひとつの穴を開けただけで、内側をぜんぶ削りつくすの」

オクファさんは自分のメソッドについて解説してくれた。おそらくは私を怯えさせるために?


【【オクファの視点1:始め】】

この武器を出すときには、周囲に対して催眠をかけるシリンジが同時起動する。

それは非常に強く、発動する前に作用し始めるので、例の恐怖小説の話は、ここら辺が過剰に解釈されたのかもしれない。

なのだが、この女は眠りにつこうとする予兆すらない。

ノイエは現に眠っているのだから、効果が出ていないはずはない。

楠本生糸は思っているよりも、シリンジ攻撃に対して強い耐性を持っていたのだ。


オクファは北の国の出身である。

その国には強制収容所があって、そこでは、国家の敵とみなされた人をただ処刑するのではなく、奴隷労働力として再利用する。名目上は再教育を目的としているが、再び外に出て来れる人は滅多にいない。消耗品として次から次へと送り込まれはするが、原則として出てくる人はほとんどいない。その収容所は最悪と恐れられた場所ではなかったが、人間が住める場所にはほど遠かったのは事実だ。

最初は外にいた。そして看守の子供が当然に身に着ける価値観として、収容者をいじめて遊ぶ風習があった。もちろん痩せこけているとはいえ、大人相手に油断は禁物だ。やけを起こして1人でも多く道連れにしてやるとでも思われたら面倒だ。だから遠くから石を投げるとかである。悪い気分ではなかった。

次に中に入った。両親がいなくなったので、裏切者の家族として適当な場所に放り込まれた。今度は石を投げられる側になった。苦しかった。それ以上に問題だったのは、自分が石を投げる側だったのがバレると危険だったこと。なぜなら助けてくれる相手は、中にいる者たちだけだから。バレていたのかどうかはついに分からず仕舞いだったが、おそらくバレていたのではないかと思う。その時のことを思い出そうとすると、あの例の身をねじるような居心地の悪い感情を同時に思い出してしまう。

その次には逃げ出した。

どういう経緯かは分からないが、外国にいて、妹が死んでいくのを見ていた。私より美人で、気が強くて、思いやり深くて、いつも無謀なことをするんじゃないかとヒヤヒヤさせられた妹、そして私は病気で衰えた彼女の分の食べ物まで独り占めした。どうしても分ける気になれなかった。彼女は死に、私はさらに油断すると頭を壁に打ちつけて割ってしまいたくなるような感情も感じるようになった。

誰よりも生きることを求めていたのに、ふと気が付くと自分で自分を傷つけることが多くなった。

そしてバスの中に乗って移動していた時に、外国にまで追いかけてきた政治警察がそのバスを止めた。袋のネズミだった。強制送還されて殺されるのを待つだけ。ところがその中の1人が、なぜか外部にコネがあって、その外部に護衛を依頼することができた。もちろんまともな筋ではない。いわばギャングである。その護衛としてやってきた中にいたのがノイエだった。

泣く子も黙る政治警察が、涙を流して命乞いをしたのを初めて見た。そしてそれを容赦なく笑いながら殺した自分と同年代の少女がノイエである。そんな出会い。しかしノイエはなぜか私を気にいったらしくて、そのまま一緒に連れていかれた。

「私たちは殺すために生まれてきたのだから。だから別に恥ずかしくはないのよ。生き残るために誰かを殺してしまうのは、むしろ良いことなの」

私には優しい彼女。

ノイエのそばにいるとだから安心できる。もう身がよじれる思いも頭を壁に打ちつけることもない。居場所があった。ずっと彼女と一緒にいたかった。メルトリンクした、つまりギーメになることをそう呼ぶのだが、それをしたのはそのためだ。ずっと一緒にいるために。

だから、その居場所を奪われかねないものに対しては、敵意を抱く。本能的に。自分の生きられる場所を奪う敵として。もちろんこれでノイエに嫌われたら元も子もない。でも裏を返せばそれは慎重にやれば大丈夫だということだ。


ここで、楠本生糸があの声で喋り始めなかったら、間違いなく殺していただろう。

「待ちたまえ。いま僕を殺すとノイエが死ぬぞ」

一瞬、心臓が凍るかと思った。

それはあの女、カノカの声色だったからだ。

カノカが、楠本生糸の中にいる?

「僕だ。カノカだ。こんなこともあろうかと、彼女の内部に僕の記憶を残したのだ」

カノカはいったい何をしたのだろうか? これがギメロットというやつなのか?

カノカは残り少ないと言われる自分の肉体を放棄して、楠本生糸の体を奪ったのだろうか。

「いやいや。これはただの記憶だ。ある理由から僕と生糸はお互いの記憶が拒絶反応を起こすことがない。ゆえにひとつの自我として共存できる。もちろん向こう側の僕が消えたわけではないし、こうして記憶が話しているのも、生糸の自我が話したいと望んでいるからだ。言ってみればこの私は心理学でいうところのペルソナに過ぎない。なにより生糸自身にも生きる理由があってね。それも切実な」

「だったら何?」

「我々はノイエを生かすために協力できるということだ。いや、協力しなければならない。そうしなければこの戦いに勝ち目はないからだ」

その言い方は、生糸の死を望むことを、ためらわさせるには充分すぎるくらいだが。

問題は信用するかどうかだ。

「カノカの言い分は分かったわ。でもあなたが何を考えているかは本当のところはよく分からないし、それどころかいつもよく分からなかったし、あなたとノイエは対等な立場だと思うから、私にはそれは決められない。私が何かを決められるとすれば、それは、楠本さん、あなたの意見なのよね」

そう言うと彼女は首を垂れた。

彼女の視線が下を向くとようやく、彼女自身の言葉が出てきた。

「………………

……あなたは人魚姫? それともイカロス? もしくはマッチ売りの少女?

あるいはどっち?」

私は彼女の話を聞いた。


うぬぼれてもよいなら、私は地獄というものを多少は知っていると思う。

しかしそれはさしずめ地上の世界に近い側。

下には下がいる。

はるか底には。それが。

【【終わり】】


【【誰かの詩:はじめ】】

世界の最後を私は知ってる。世界の終わりを私は見た。

私たちの、希望や祈りや、愛や犠牲が、すべて無意味になるとき。

いつか遠い未来に望みを託すこともなくなる日。

なぜなら未来そのものが永久になくなるのだから。

自分たちが滅びたあと、再びいつか誰かが。そんなことはない。

なぜなら誰も来ないのを見たから。

この種が芽吹かないことを私は知ってる。

水をあげても無駄だと私は知ってる。

それでも私がまだ水をあげるのは。

私が最後にまだ生きているから。

真実に眼を開く人々よ。あなたがたに呪いあれ。

なぜと言えば、この最果てを汝らは共有するから。

永遠に、永遠に、永遠に。永遠に終わり続ける世界を。

永遠の死の世界を。

【【終わり】】



「もう! どうしてすぐ起こしてくれなかったのさっ」

起床したノイエは怒った。

といっても彼女が睡眠した時間はごくわずかなのだが、次から次へと事態が急転する戦場では数刻の遅れは致命傷になりかねない。

「もし私が寝こけていた時に相手が攻めてきたら、どうすんのさ。まったくまったく。まあ、もういいけど」

冷えるのも早い。

「さあさあさあさあ、準備準備準備準備」と私たちをせき立てる。

オクファさんはいくらか青ざめたような表情でそれに従い、

私はめずらしく「……ノイエ、オレは?」と積極性を見せて自分の配置を訊いた。

「きいちゃんはあっち」

向こうに管理人さんが入る家がある。要は隠れていろということだった。

私は戦場では役立たずだ。

だって私は戦わないから。


設定87


追記。

ノイエの補足。これまでで説明不足のところを、準備期間中に簡潔に説明してくれた。


カノカさんの病気について。

「ギーメはガンにならない。スレイブウイルスとかいろいろ制御系が増えるので治っちゃうんだ。ガン患者の最後の治療法としてギーメになる選択肢があるくらい。でも唯一例外もある。それはブラッドプロセッサ自体が壊れた場合。

高分化能マクロファージは強力な再生力をもたらすけど、その代わり増えすぎると暴走する。それはもう末期ガンなんてものじゃなくて、ものの数時間で全身が溶ける。灰泥病と呼ばれてる。治療法はない。

もうお分かりだと思うけど、前線で傷を負えば負うほど高分化能マクロファージの破損は増える。化け物じみた再生能力は無限には使えない。

時間が経てばゆっくりもとの数に戻るんだけど、もう後戻りが効かなくなる場合もあって、かのちゃんはもうそろそろだからみんな心配してるというわけ」


シスカさんとカノカさんについて。

「あの2人は姉妹だ。性は違うみたいだけど。カノカは長い間ずっとある事情で眠り姫だったんだけど、目が覚めたらああなっていたみたい。2人しか知らないことは私も知らない」


VDって何? カノカさんが言ってた。

「ああ、それ? 正式名称はヴェンジェンスドウターズ。私たちの部隊の名称。

復讐の娘たち、という意味だからね。間違ってもVはヴァンパイアのことじゃないからね。ま、私も入るまでヴァンパイアだとおもってたけど」

そうなんだ。いや、訊いてない。そんなことは訊いてないし。

「ギメロットや裏切り者とか、あるいはギーメを殺そうとする人間たちに報復するための軍隊。メソッドホルダー級のギーメ女性がやることになってる。太古の昔から」


ギーメ教団って?

「ヴァンパイアのジレンマって説明したっけ? 寄生体は宿主を滅ぼすと自滅するから宿主に対して保護的になるんだ。だから人類をギメロットから守ってやったりするわけ。そうするとギーメが人間の守護者であるように見えるので、人間からはすごい尊敬のまなざしで見られる。それがギーメ信仰で古代から現代まで続いている。私たちは彼らの信仰の対象というわけ。天使みたいなイメージなのかな。まあどっちにしろ昔ほどじゃないけど」


もっと根本的な質問をする。

「……ノイエは何で私を助けてくれるの?」

なんかいつもそんなこと訊いてるな。私。

なんどでも。なんどでも訊くよ。

私、何度でも訊くよ。

「同胞を助けるのが義務だからだよ。VDの仕事のひとつだし」

公式の理由です。

でも私を助けるのに無理しすぎていると思う。

「ううーん、似てるからだよ。昔の私とかそっくり」

絶対に嘘だ。

「そんなことないって。みんな最初は少し変なんだよ」

それは私が変だということを―――いや、その通りだから別に構わないんだけど。

「自分と似てる子はさ、やっぱなんか気になるじゃない」


いつの間にかノイエと私の距離感が、随分と縮まってしまっている。

これでいいのか。

私は彼女たちの役に立たない足手まとい。

私は自分の身を守れない。守らない。私は敵を殺そうともしない。

いや、殺してきた。信じられないほどの敵を殺してきた。敵でないものを数え切れないほどの数を殺してきた。巻き添えになったもの。意図的に巻き込んだもの。

自分の手で黙らせたもの。

うまく思い出せないが、大量にいるはずだ。そうでなければこんな私が生きてこれるはずがないからだ。

私は、私は、私は。私はどうしたらいいの。

私は何もしない。命を賭して私のために戦ってくれるそんな彼女を見ているだけ。

いつも見ているだけ。

そして彼女が死んでも、私はきっとまだ見ているだけだ。

彼女が死んでいくところを。彼女の体が冷たくなっていくのを。

まるで、自分とは関係ないとでも言うように。

これまでは関係なかった。なぜなら私は無意味だったから。

私が生きているのは私にとって無意味だから。私の生は無価値だから。

でも彼女は無意味ではない。彼女の命は価値がある。

私でもそう思える。

彼女に死んで欲しくはない。

でも。どうしたらいいの。

こんなとき、いつも私は身を固くして、やり過ごす。

何もかも台無しになって、元通りダメになるのをじっと待つ。


言葉に気をつけなさい。その言葉は、      運命になるから。


これが私の運命だった。

ただ生きながら死んでいくことだけが。

もう変えられない。もう戻れない。

どうしたらいいの。

どうしたら。

どうやったら、死んでいる私が生きている彼女を助けられるの?

神さま。神さまはいない。いないけど。だって。だって本当の神さまは実は。

でも私は神さまに祈りたかった。

お願いしたかった。もしお願いできたら何を願うだろう。

願ったことなんか、これまでになかった。

最後の祈りは、遠い昔でもう思い出せない。

遠い昔には。

あったかもしれない。

今でもできるだろうか。

まるで生まれてはじめてするように。

この世に生まれて最初の願いを。

私は言えるだろうか?


言葉よ。私を助けてください。


もしその言葉が私を助けてくれるなら。

私は。

私は。


でも。願いは重い。いつだって。

犠牲なくして叶えられる願いなんて。ありはしないのだ。

では、犠牲とは何か。


設定 ERROR

(*注意:この設定は他の箇所と間違えて配置されている可能性があります。当該の設定番号を参照し、異常が存在するかどうか確認をしてください)


私は彼女に質問をした。

「……どうやったらそんな風に強くなれるの?」


「成長するには簡単、ふりをすればいい。

君がなりたいと思う人間の姿を演じればいい。

より正確に本物らしく無理がないようにね。

中身は後からついてくる。

イメージで作った鎧で戦って勝利していくといい。

しかし、いつか壁にぶつかる。

鎧では勝てない壁だ。

そうしたら、鎧を脱がないといけない」


「……でも、鎧なしで戦えるの?」 


「さあね。でも可能性はある。

鎧の下に、まったく新しい別の肉体が出来ているかもしれない。

もちろん元通りに弱い自分が現れるだけかもしれない」


「……」


「弱さも武器だ。自分が弱いと知っているものはもう弱くはない。

君の弱さを使ってごらん。ものごとには何でも別の側面がある。

悪いことには必ずどこかに良い側面があり、良いものにも必ずどこかに悪い側面がある。

何事も一面だけのものはない」


それは短い時間。

「さ。これで終わりだ」私たちはノイエの前に戻ることにした。


設定88


それは異常だ。

私の中に、カノカさんがいるのは、異常なことだった。

普通ならふたつの人格が共存することはギーメにとって相当なストレスになる。

ブラッドプロセッサは液体コンピュータなので、動き続けると様々なものを動的に書き換えて行ってしまう。2つの意識が併存するというのは、お互いに対する書き換えと混乱を意味する。具体的にいうと気分がひどく悪くなるとか。狂気にかられるとか。

つまりシリンジのダメージの延長線上にある。

ルージュと私がひとつの体を使っていたときも、片方が起きている時はもう片方が起きないようにしていた。そうやって少しでも干渉を防いだのだ。

しかしカノカは私の中に普通に共存していた。いや、共存していたとかいうレベルではない。これはもう、同じ人物のような感じだ。

私自身がカノカを演じているような感じだ。しかもこのカノカは完全に私によって再現されている。と思う。私がカノカを知る機会など今まであるはずもない。

これではまるで。


まあ、いい。仕組み的なことはいい。とにかくできる。

うっかり何かに気づきそうになったが、これはまずいと本能的に何かがささやいた。

それに、そんなことは、今は重要ではないのだし。

では、これを使ったらダメだろうか。

これを使ったら、嘘でもいいから、もう少し何かができるようになるだろうか。

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