第7話



 友達を家に招くというのは、たぶん多くの人にとって「普通」の部類に入るのだろう。普通、つまりは「正常」の範囲内。そういう行為のはずだ。だから俺は、リアの振りをしてシノを自分の家に呼んだ。正しくはリアとユウの家、なのだけれど。

 招待したのにはそれなりのわけもある。シノの身の上話がどうにも信用できなかったのと、それと同じくらいに、俺はまだユウのことを疑っているのだ。毒をもって毒を制す、ではないが、とにかく二人を会わせてみたら、何かわかることがあるかもしれない。そう思ってのことだった。

 シノは二つ返事でOKした。重病で入院しているにしてはやけに軽い了承の仕方だったが、この際それは気にしないことにした。そして彼に「自分は本当はリサではなくリアという名前なのだ」とも打ち明けた。彼は笑って「わかった」と言って、それ以上追及もしてこなかった。まるで、はじめから、そんなこと知っていた、とでも言いたげに。


 二人で住む家に、俺が黙って他の男を連れてきても、特にユウは顔をしかめることもなくにこやかに応対した。

「あれ、おかえりリアちゃん。今日はお友達と一緒なんだね?」

「家に連れてきたいと思って。駄目かな?」

 俺がリアの振りをしてそう言うと(ちなみに家を出るまではリアが表に出ていた)、ユウは一瞬だけ氷のように冷たい、見透かすような目でこちらを見たが、あとはいつもの優男の笑顔でシノを家に迎え入れた。

「紅茶を淹れようか。クッキーもあるよ」

 シノはリビングに入ると、ユウの目を見上げて、「どうも。ボク、シノって言います」と口元だけで笑んだ。

「リアちゃんの同居人って、日本の方じゃないんですね。色々不便じゃありませんか?」

 そう言われて、ユウは微笑みを崩さぬまま、即座に答えた。

「君は、白髪で目の色も個性的だけど、中身は普通の日本人だよね。それなのにそんな奇抜な格好をしてるのは、単に女の子の気を引きたいからってだけの理由かな?」

「違いますよ」

「そう。僕も別に、困ってはいない」

「そうですか」

 二人の間にピリついた空気が流れたが、ユウが紅茶を入れにキッチンに行くと、シノはいつものようににこやかに俺に向き直った。

「面白い人だね」

「う……うん」

 居心地は決して良くなかったが、自分で招いた事態だったので、仕方なくテーブルについた。やがて、ユウが紅茶とチェスボードクッキーの乗ったトレーを運んできたが、カップが全員に行き渡ると同時に、彼は「さて」と両手をテーブルの上で組んだ。

「何が狙い?」

「……え? なんですか?」

 シノは紅茶のカップに伸ばしかけていた手を止め、首をかしげたが、ユウは至極真面目な顔で続けた。

「とぼけても無駄だよ。君はSSMの回し者だろ」

「え……なんですか、それ? 何のことです?」

「雰囲気からして、君が殺し屋とか裏の筋の者じゃないのはわかる。でも、君が普通の男じゃないってこともわかってるよ。大方、友達としてリアちゃんに近づいて、結社の情報を得ようとしているんだろう?」

 それを聞くと、シノは一瞬きょとんとした顔になったが、すぐにけらけらと笑い始めた。

「何言ってるんですか? いきなり冗談きついですよ、お兄さん。もしかして、この紅茶にも毒が入ってるとか、そういう感じのアレですか?」

「いや、違う。僕は毒使いじゃないからね。君を殺すとしたら、僕はナイフを使う。君がもし僕らに危害を加えようとしたら、その瞬間に僕はナイフを使って君の頚動脈を掻っ捌く」

「な、危害、って……」

 シノは当惑の顔になり、両手を顔の前で振った。

「そんなこと、するわけないじゃないですか。ボクはリアちゃんの友達ですよ。本当に、ただの友達です」

「そんなわけがない」

「それ……どういう意味です?」

 シノは今度は、少しむっとした顔になる。

「あなた……リアちゃんとどういう関係かは知りませんけど、その言い方だと、まるでリアちゃんみたいな子には一生友達ができない、とでも言いたげですね?」

「できないよ」

 ユウはきっぱりと言った。それは、一足す一は二であると述べる時のような、あまりにも確信に満ちた口調だった。

「できるわけがない」

「それ……かなり酷い言い草じゃありませんか。ていうかあなた、自分が酷いことを言ってるって自覚、あります?」

「あるさ。でもそれが現実だ」

「なんて人なんだ」

 緑と青の目が、軽蔑のまなざしをユウに向けた。ユウは眉一つ動かさない。

「あなたがもし、リアちゃんの家族代わりのような存在なのなら、彼女の幸せを願ってあげるのが筋じゃありませんか」

「願ってるよ。でも、どう頑張ってもリアちゃんに友達なんて永遠にできない」

 ユウはこともなげに言って、自分の紅茶に口をつけた。

「ユウさん……あなたはリアちゃんがいなくなると自分が一人になるから、そんな意地悪いことを言うだけなんじゃないですか?」

「僕は元々一人だし。それに、僕とリアちゃんは家族じゃない」

 今度はユウが微笑んだ。

「結社の絆は、家族なんてそんな生易しいものとはちがう。隷属だよ。仲間のためなら命も投げ出す。そういう繋がりなんだ。甘ちゃんの君にはわからないだろうけど」

「隷属というのなら、そもそも個々人の自由な交友関係も許していないはずでしょう? 束縛が厳しいんだか、甘いんだか、それじゃ滅茶苦茶じゃないですか」

「じゃあ、こう言えばわかってくれるかな。人間関係において『隷属』がすでに当たり前になっている人間の集まりが、うちの秘密結社なんだよ。うちのコミュニティでは、とにかくそれがスタンダードというわけだ。その辺がわかってない人間とは、未来永劫、友情なんて築けない。それは僕自身の経験と、今まで見てきたたくさんの多重人格者の例から、ほぼ間違いない」

 隷属? 

 何の話をしているのだ、と俺はユウを見やった。確かにリアも俺も、基本的には他人に従うことで生き延びてきた。それは確かにある種の奴隷気質といえるかもしれない。しかし、だからといって必ずしも他人に従うわけではない。自分の命に関われば、他人の命令や指示を裏切ることだってある。それも、特に良心の呵責を感じることなく。その程度の従順さが、「隷属」とまで呼ばれるほどのものとは思えなかった。それとも、世間の人間は、もっと我が儘に生きているのだろうか。

「隷属が、なんなんですか?」

 シノが負けじと反論した。

「どんな子にだって、友達を作る権利はあるはずですよ」

「そりゃ、権利はね。でも、果たして君は、リアちゃんみたいな人間に友情を感じられるのかな?」

「は?」

 ユウは頬杖をつき、上目遣いにこちらを見た。

「どこまでも風見鶏で、日和見主義。君がどれだけ苦しんでいても、どこ吹く風。そんな子に、シノくんは友情を感じられるのかな」

「な、」

 遠回しに言われたその言葉には、俺とリアに対する皮肉がこれでもかと込められていて、面食らった。

「僕ら多重人格者には、友情という概念を理解する回路がおそらくない。なんであれ、1か0かなんだ。曖昧な繋がりなんて、絶対に理解できない。そういうものなんだよ」

「そんなこと……」

 思わず椅子から立ち上がりそうになったが、その瞬間、ユウは俺にだけわかるようにいたずらっぽく片目を閉じ、唇に人差し指を当て「静かに」という仕草をした。そこで、俺はようやく気づいた。


 

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