第5話



「リサちゃんの家族って、どんな人?」


 いつものベンチの真ん中に、コンビニで買ったチョコレートクッキーを広げて開けて、それを挟む形で私たちは座り、会話をしていた。天気は快晴だった。クッキーのそばには、シノが買った温かいミルクティーのボトルと、私が家から持ってきた紅茶の入ったタンブラーが置いてある。

「血は、繋がってないけど。なんていうか、すごく……すごい人だよ」

「へえ、そうなの? すごいんだ」

 私は頷きながら、クッキーをかじった。思ったよりも甘い。

「うん。なんでもできる。料理も、掃除も、人と会話するのも。いつもはちょっと怖いけど、最近はちょっと抜けてて、面白いよ」

「いい人だね。もしかして恋人?」

「そういうんじゃないよ。ただ、一緒にいるだけ」

 ミルクティーを一口飲んで、ほう、とシノが息を吐いた。口元から出た息が白い。

「ただ一緒にいるだけか。なんかいいなあ、そういうの。仕事とかしてる人? 職業何?」

 う、ともう一つクッキーを摘もうとしていた指が止まる。シノに不審げにこちらを見られて、私は慌てて言葉を返した。

「えっと……や、役者。演技をする人」

「役者かあ。ボクの知り合いと、気が合いそう」

「知り合い?」

 シノは少し、遠くを見るような目になって、人ごとのようにそっけない調子で言った。

「ボクの知り合いは、なんていうか、もともととてもすごい音楽家だったらしくて。ピアノを主にやっていたそうだけど、代々音楽家の家に生まれたからなのかな。金管楽器や弦楽器もやらされていて、弾けない楽器はほとんどないんだって」

「すごいね。エリートって感じだね」

「うん。実際、子供の頃はジュニアコンクールを総なめにしていたらしい。でも、彼女は……今はもう、絶対に楽器をやらない」

「どうして?」

「彼女の親は、ジュニア最後のコンクールの日に、飛行機事故で死んだ。でも、彼女は悲しみのために楽器をやめたわけじゃない。彼女の親は徹底的なスパルタ教育をしていた。大人でも根をあげるほどに厳しく指導して、それでいて彼女がコンクールでどれだけいい成績をとっても、一切褒めることはなかった。飴と鞭の、飴が一切ないバージョンだね。でもそれは、あくまで子供のより良い躾のためというか、子供がジュニアと呼ばれる年齢を終えるまでの、家に代々伝わる教育の方針だったんだ。でも、結果的に彼女は、両親から賞賛の言葉を一度も与えられることなく、ひとりぼっちになってしまった」

「……」

 私はタンブラーに口をつけたが、飲むことなく離し、ベンチに戻した。シノは物憂げな目で、遊具で遊ぶ子供たちを見ていた。

「それがきっかけで、彼女は完全におかしくなってしまったらしい。楽器をやらないとは言ったけれど、それは『まともな場所で演奏をしない』って意味で。時々自分の家なんかで、気まぐれに楽器を触っているみたいだけど、演奏会や音楽教室なんかには、もう絶対に出ない。そんな彼女の鬱憤晴らしの方法は、人を甚振ることでね。株や利息かなんかで自動的に収入が入ってきて、お金には不自由してないから、お金に困っている貧乏人を買っては、こう……いじめるのさ。そんなことをしたって、心の隙間を埋めることなんて、永遠にできやしないのに」

 シノは吐き捨てるように最後の言葉を言って、ミルクティーを喉に流し込んだ。

「可哀想だよね」

 可哀想、ということばに、鼓膜が震えた。そして思わず、尋ねていた。

「……と思う?」

「え?」

「もし私が、心の病気を患ってるって言ったら、シノは私を可哀想だと思う?」

 シノは不思議そうにこちらを見たが、ふ、と笑って睫毛を伏せた。

「ちょっとだけ、思うかも」

「そっか」

「でも君も、ボクが病人って聞いた時、少し可哀想に思ったんじゃない?」

「そうなの、かな。わからない」

 私には何もわからないままだな。

 タンブラーで手を温めながら、私はそんなことを思う。

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