第2話


 午後は、外に出かけた。


 風もなく、日の光が暖かい。冬にしてはおかしいくらいの晴天だった。私は勉強道具と、ユウからもらったお小遣いの入った財布とをトートバッグに入れ、公園に出かけた。ユウは自分の部屋で眠っていた。

 平日だったけれど、公園には人がいた。赤ちゃんを連れた母親たちと、赤ん坊と呼ぶには少し大きいちびっこたちが、遊具やベンチの周りにちらほらと見えた。数日前に通販で私服とマスクを買っていたので、制服姿で悪目立ちする、というようなことはなかったけれど、その人だかりにはどうにも近寄りがたかった。あたりを見回すと、自動販売機があり、そのそばに空っぽのベンチがあったので、そこに座った。

「……」

 静か、だった。

 いつもはよく喋るユウが隣にいるので、余計にそう思う。遠くで子供たちがはしゃぐ声や、木々が風にざわめくのが少しだけ聞こえてくるが、些細なものだ。私はトートバッグからノートを取り出して、勉強の続きを始めた。しかし気づいた時には、ノートにはいたずら書きが出来上がっていた。

 なんとなく描いた、ベビーカーを押す女性のらくがきを見ているうちに、ふと独り言が溢れた。

「おかあさん、か」

 一体母親や父親は、私が幼い頃、どういう風に自分に接してくれていたのだろう。あんな風に、穏やかに、公園に連れて行ってくれたりしたのだろうか。いや、きっとそうしていたに違いない。そうでなければ、私はもっと早い段階で、児童相談所か児童保護施設などに送られていたはずだ。私への対応が変わったとすれば、きっとそれは、幼児期以後のことになるのだろう。そんなこと考えたくもないし、知りたくもないけれど。

 私はらくがきに向かって、小さく言った。

「本当に、死んだの?」

 ユウには、まだについて話してもらっていない。

 というか、聞けなかった。あの人たちが死んだ、自分があの人たちを殺した、そう聞いて真っ先に安堵を覚えた自分に対して、どんな感情を持つべきか、わからなかった。わからなくて、考えることから逃げている。今も。

 けれど、これだけは薄々気づいていた。

 私はきっと、あの人たちにはもう、生きていてほしくない。

「ごめんなさい」

 私は小さな声で謝ると、消しゴムを取り出し、らくがきを消した。消しゴムをかけ終えてみると、ページはしわだらけになっていた。何度か手で伸ばしてみたけれど、そのページは、決して元どおりにはならなかった。


 それからしばらく、公園で過ごした。


 もっぱらベンチで勉強ばかりしていたが、数学ばかり解いていても疲れるので、スケッチをして時間を潰した。遊具や空の雲、散歩中の犬、草花など、公園はスケッチの題材には事欠かない場所だった。絵を描くのは楽しかった。午前中にユウと将来の話をしたけれど、もしなれるのなら、絵を描いて暮らせたらいいなとも思った。もっとも、売り物になるようなレベルのものを描ける自信なんてこれっぽっちもなかったけれど、デッサンの練習をすれば、もしかしたら本当になれるかもしれない。あるいは職業として画家になれなくても、画家のように誰かを楽しませられるような職業につければ、それが一番いいと思った。

 まあなれるかどうか、わからないけど……。

 そんな風に過ごしているうちに、夕方になったので、私は道具をしまって家に帰ることにした。公園から出た時、ちょうど五時を告げるベルが鳴った。遊具で遊んでいた子供たちが「ばいばーい」と言い合う声がして、なぜか私は慌てて走り出した。自分でもわからないが、早く家に帰りたいと、強くそう思った。

 息を切らしてマンションのドアを開けると、寝起きの眠たそうな顔をしたユウが、少し驚いたように目を見開き、「おかえり」と笑った。

 

 

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