第四節 ニールセンの憂鬱
連衆国の首都ワシントン。海軍省航海局長チュニス・ニールセン少将は久々の休暇で疲れた身体を休めていた。ラジオからはどこかで聞いた軽快な音楽が流れ、いつもと変わらない番組が流れていた。状況が一変したのは、とある臨時ニュースだった。それは水晶湾が攻撃を受けたというものだった。
それからすぐに、ニールセンは海軍省へと赴いた。水晶湾の惨状は予想していた以上に悲惨であった。戦艦が五隻が撃沈、他の戦艦もかなりひどいダメージを受けていた。基地としての機能もかなり低下し、正常に機能するであろう場所は、燃料補給所くらいなものだった。通信も中央はほぼ崩壊、航空機や滑走路も壊滅状態だった。これほどの打撃を受けるとはニールセンは勿論、ほとんどの人間が想像できなかっただろう。しかし、それからしばらくしてもう一つの衝撃のニュースが飛び込んできた。
それは、南方への輸送任務に従事していた第八機動艦隊の空母『オールドチャーチ』が敵艦隊の攻撃を受け沈んだということであった。乗艦していた、司令官ヒューイットは辛うじて脱出できたようだが、第八機動艦隊は壊滅的な被害を受けていた。現在は水晶湾基地へと戻ったヒューイットが臨時的に太平洋艦隊の司令官を代行しているが、このような失態をさらしてしまった彼もまた失脚であろう。次が誰になるか。それが本部での一番の話題だった。ニールセンはその貧乏くじをひかされる人間に心の中でお悔やみを言いながら、会議を聞いていた。
その翌日、ニールセンにローウェル大統領からの召喚状が届いた。ニールセンはいやな予感を覚えたがホワイトハウスへと向かった。すると、そこにはローウェルとクイーンズがいた。挨拶と敬礼を済ませるとローウェルは早速口火を切った。
「ニールセン。君をカルマンの後継の太平洋艦隊司令官に指名しようと思っているんだが・・・。」
嫌な予感が的中したと内心思いながら、黙ってローウェルのことを聞いていた。ローウェルは静かに続けた。
「もともと、私は君に太平洋艦隊司令官になってもらおうと考えていたんだ。しかし、君はあの時若輩者ということを理由に蹴った。だが今回こそ受けてほしんだよ。」
「なぜですか? 私ではなくヒューイット中将の方が適任ではありませんか?」
「水晶湾の惨状は君も知っているだろう。将官たちの士気もかなり落ちているんだよ。それを立て直すのには空母を喪失する失態を犯したヒューイットでは無理だ。」
「なるほど。分かりました、しかし、階級に関してはどうなりますか? 私は少将です、少将では太平洋艦隊司令官となるに批判の声が上がりませんか?」
ニールセンは懸念を伝えたが、ローウェルは不敵な笑みを浮かべながら、こう言い放った。
「何、問題はない。君は明日から大将だ。もう議会の承認も得ている。先例もあるから心配するな・・・。」
(結局、自分ありきだったのか・・・。全く、あんな無茶な通牒を出しておいてあれだけの被害を出したくせになんの申し開きもなしか・・・。)
ニールセンは心の中で舌打ちをしながら、黙ってその打診を受けた。決して簡単な仕事ではないことを実感していた。
自宅へ戻ったニールセンは水晶湾への引っ越しの準備をしていた。その最中に水晶湾の惨状を思い出していた。
(あれほど壊滅的な被害になるということは、やはり航空戦力によるものなのだろうか・・・。しかし、それ以上にまさか水晶湾基地を攻撃するとは・・・。)
ニールセンも含めて、皇国海軍が最初に大規模な攻撃を仕掛けるのはフェリペアナ諸島の海軍基地だと思っていた。なぜならいくつか理由がある。一つは皇国が戦争へと踏み切った理由は石油だからだ。石油を皇国へと輸出することをこちら側が規制したことが原因だ。そのため南方の産油地への侵攻の可能性が高いと考えられていた。そして皇国本土への危険が及ばないためには最も近いフェリペアナの基地への攻撃が最もあり得ると考えていたのだ。
(いったい誰がこれを計画したんだ? あの国で・・・。)
ニールセンはこの計画を発案したのが誰なのかを、考えていた。その時ふっとある光景が浮かんできたのだった。それは豊葦原瑞穂皇国がロマノア帝国との瑞穂海海戦に勝利した戦勝祝賀会での出来事だった。
三年前、豊葦原瑞穂皇国海軍、戦艦『若草』の艦上。ロマノア帝国との海戦において完全なる勝利とも言える結果を出した豊葦原瑞穂皇国海軍主催の祝賀会が開かれ、雪湊賀に寄港中であった戦艦『オハイオ』に乗艦していたニールセンとヒューイットも出席していた。
「まさか、あのバルド艦隊にこのような弱小国が勝てるとは思わなかったな。」
ニールセンにそう話しかけたのはヒューイットだった。
「ああ、大連合帝国との同盟がかなり有意義に働いたということもあるのだろうが、本堂司令官以下参謀たちの優秀さもあったということだろうな。」
「ニールセン、君は彼らを買いかぶりすぎていないか? バルド艦隊がどこを通るかは分からず、勘であの場所を取っていたという話ではないか。だとしたら、単純に運が良かっただけのことだよ。」
「そうかもしれないな。しかし運も実力のうちだよ。」
ニールセンはヒューイットとそんなやり取りをしながら周囲を見渡していた。ほとんどが軍人のように見えた。それは当然のことだろう。戦勝祝賀会である以上そこに招かれている人間は軍関係者か外交官くらいなものだからだ。
そんな人間たちの中でニールセンは一人の人間に目をとめた。しっかりとしたドレスを着たまだ十代の幼さの残る少女だ。目鼻立ちもはっきりしていてかなりの美人だ。着ている服装からするに余興に呼ばれた踊り子などではなく、正式に招待された客であろう。ニールセンは近くにいた在瑞連衆国大使館所属の外交官クラークに訊ねた。
「クラークさん。あそこにいる少女は誰ですか?」
クラークはニールセンの質問に快く答えた。
「ああ、彼女は皇国政府から送られた特使梅溪通槻子爵の娘で、梅溪静流という方ですよ。」
「なんでまた特使の娘なんかが?」
「なんでも梅溪子爵の奥様は病弱だそうで、それで妻の代わりを娘さんがやっているそうですよ。私も先ほど話しましたがなかなか知的な御嬢さんでしたよ。」
「なるほど・・・。珍しい話もあるもんですね。ありがとうございました。」
ニールセンが礼を言うとクラークは静かに去って行った。するとすこし酔ったヒューイットが絡んできた。
「どうした? お前あんな小娘が好きだったのか? 確かに美人になりそうだがマズイだろ?」
「いやそう言うわけではないのだが・・・。ただなんとなく、あの娘がそういう子爵の娘と言うのに何か違和感をあってな・・・。」
「そうかぁ。俺にはただの小娘としか見えないがな。」
ヒューイットはそう言っていたがニールセンにはどうにも腑に落ちなかった。確かに彼女の立ち居振る舞いはとてもしなやかでそつがない。そしてこう言った場所にはいくらか出てきているのだろう。とてもうろたえている様子がない。皇国の女性とはかなり奥ゆかしく腰の低い女性が多いと思っていたニールセンからしたら、それを兼ね備えながら、アクティブに動く彼女に少しだけ違和感を覚えたのだ。そしてそれを一層強めたのが彼女の話し方と立ち居振る舞いだ。隙がなさすぎるのだ、こういった場に置いて軍人と外交官を区別する方法はいくつかある。例えば、表情だ。外交官というものは、常に相手方の国の人間を不快にさせてはならないという心理が働いて、笑顔を絶やさないことが多いのだ。逆に軍人は笑顔を見せながらも油断してはならないという意識がどこかで働いてしまい、上手く笑うこともできにくくなってしまうのだ。彼女は後者に近かった、多くの人間と話している中で常に笑顔を見せているように見えるが、それはかなり無理をしている。時折その表情に疲れが出て、素の表情が覗き出るのだ。彼女の素の表情は、相手に自分の考えの内を明かそうとしない軍人の顔だったのだ。それはどちらにしても、十代前半のまだあどけなさの残る少女がするような顔ではなかった。ニールセンはどこかその可憐な容姿をした少女になにか不吉なものが映ったように見えた。
ニールセンの太平洋艦隊司令官任命が決まって一日が経過したが、彼の憂鬱は尽きなかった。大統領のローウェル及び海軍作戦部長クイーンズからの指示だった。クイーンズは大統領からの指示が伝えられた。そこには前司令官であるカルマンの部下である幕僚たちを全員解任しニールセンが別に幕僚を選ぶことがあった。これはニールセンにとっては受け入れることが出来なかった。
「クイーンズ大将。幕僚はカルマン前司令官のものを受け継ぐべきです。私は副官のみを連れていくのが適切な判断であると考えています。」
「私も確かにそう思うのだがね・・・。しかし、大統領はそうは思っていないんだよ。あのような失態を受けた以上、幕僚たちにも責任があると言ってきかないんだよ。」
「水晶湾の悲劇は誰にでも起こりえたことではありませんか・・・。私が仮に司令官であったとしてもあのような惨状になることは防ぐことは出来なかったはずです・・・。」
「私もそう大統領閣下には進言したのだが・・・。しかし、大統領は意見を曲げることはなかったよ。彼が言うにはあのような失策を犯した以上、司令官であるカルマンは勿論のこと、その部下である幕僚たちも更迭されるべきだとのことだ。残念ながら軍の最高指揮権は大統領にある、私の助言を聞く人間ではないんだよ・・・。」
「この状況下で怒りに身を任せているわけですか・・・。冷静にならなければこの戦争に勝つことは出来ないでしょうに・・・。」
「しかし、大統領は意見を曲げる気はないだろう・・・。ここは、一つ君が折れてくれないだろうか・・・。幕僚の人事は君に一任するということだ・・・。候補者はある程度こちらでリストアップしている。好きな人間を選んでくれ・・・。」
クイーンズは申し訳なさそうな顔をして、部屋を後にした。残ったニールセンはイスに倒れるように座ると天を仰ぎながら深い深いため息をついた。
「はぁ・・・。」
雑務をしていた副官のレイズ大尉は、ニールセンをいたわるように声をかけた。
「大丈夫でしょうか・・・。」
「大丈夫なわけがないだろう。さまざまな引継ぎがあるというのに新しい幕僚に選考までしなければならないんだぞ・・・。しかも、すべて私に一任ときたものだ。気が重いよ。まあ、候補者を向こうで絞ってくれたのが唯一の救いだな。」
そう言いながら、ニールセンはクイーンズから渡された書類に目を通し始めた。
数時間後、ニールセンは眉を顰めながら渡された資料を机に放った。
「なんだ・・・、これは・・・。」
その書類に書かれていた名前のほとんどは海軍内の派閥の均衡を取るために書かれた名前で全く太平洋艦隊と関係のない名前まであったのだ。
「大統領やクイーンズ大将はこんなので、現場の人間たちが納得すると思っているのか!」
ニールセンはぶつけようのない怒りを露わにした。レイズ大尉は、ニールセンの副官を務めて数年になるがここまで感情をあらわにしたニールセンを見たことが無くなんと声をかけていいか分からなかった。ニールセンは少しだけ落ち着きを取り戻すと、背もたれにもたれると、天を仰ぎ深いため息をついた。そして書類に目を落としたニールセンの姿は何時になく弱気だった。そしてニールセンはレイズに聞こえるか聞こえないかの声でこうつぶやいた。
「この戦争・・・、私は勝てるか分からない・・・。」
それはレイズが聞いた初めてのニールセンの弱音だった。
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