第二節 水晶湾攻撃
同年十二月八日未明。アウィ―諸島水晶湾沖約百二十海里。豊葦原瑞穂皇国海軍太平洋連合艦隊空母機動艦隊は停船していた。第二航空戦隊『紅龍』の第一分隊長宮瀬大尉は、総員起しのラッパで目を覚ましていた。時計を見るとあまり眠れていなかったようだが全くそのような気はしなかった。手早く飛行服を着て飛行甲板へと出た。そこには、自分の愛機である零式戦闘機が上がっていた。他の戦闘機も準備は整えられていた。空を見上げると重巡洋艦『手取』から飛ばされたであろう偵察機が数機飛んでいた。しばらくそれを眺めていると第一分隊士の須田中尉が声をかけてきた。
「分隊長。待機室で司令官からの訓示との事です。」
「分かったすぐ行く。」
待機室では多摩内左門中将が宮本八十丞司令官の訓示を述べた。
「皇国の興亡この一戦にあり。今から旗艦『宮古』はZ旗を掲げる。この旗に恥じぬよう奮戦してほしい。以上だ。」
これを聞いて士気が上がらない皇国軍人はいないだろう。あの、朱海海戦や瑞穂海海戦でも同じように勝利をもたらしたそのZ旗がむこうにあった『宮古』になびいていたのだから。少し間を置いて隣にいた『紅龍』艦長天城渡大佐は命令に従い出撃することを告げた。
宮瀬は自身の愛機である零式戦闘機に乗り発艦した。そして、部下たちが発進するのを待った。実戦経験は皆無であったが、ほぼ全ての飛行士たちは南方の久重山諸島沖や北方の京島列島沖などあらゆる海域において徹底した発艦訓練を行っていたこともあり航空戦隊は危なげなく全機発艦することが出来た。宮瀬が周囲を見渡すと他の空母からの搭載機も集まってきた。零式戦闘機を始め白式艦載爆撃機や阿蘇型艦上攻撃機などのべ四百機を超える大航空編隊が水晶湾へと飛び立っていった。
第一攻撃隊の神島中佐は、アウィ―諸島の島の一つオアフ島の陸影をとらえた。神島中佐は愛機である阿蘇型艦上攻撃機は皇国海軍最新鋭の艦上攻撃機だ。神島は『手取』の偵察機が戻ってきていないことから航空戦になる事を覚悟した。しかし、その直後偵察機から電信が入った。
「水晶湾内、在泊艦は戦艦十、重巡三、軽巡十。空母確認できず。更新を終了する。」
神島は舌打ちをしながら通信員へ第一艦隊旗艦『宮古』へ空母不在の報告を挙げるよう指示を出した。
「事前報告通りか・・・。」
報告が終わると、神島の眼前には、水晶湾が見えてきた。水晶湾という名の通り海面は透き通り紺碧が鮮やかだった。そしてその水晶湾にずらりと並んだ敵戦艦があった。それを見た、神島はそれまで空母がいなかったことを残念がっていたのがウソのように興奮を隠しきれなかった。そして、通信員に攻撃のための略号を発信するよう指示を出した。「
「全機突撃せよ。」
通信員はその言葉を受けあらかじめ指示されていた略号を叩いた。
攻撃の合図であるタツ・タツ・タツの略号はすぐさま全機に伝わった。
一九三七年一二月八日午前五時、連衆国太平洋艦隊を完全に崩壊させるための第一波、水晶湾攻撃の始まりだったのだ。
連衆国海軍太平洋艦隊水晶湾基地、戦艦ミネソタの乗組員のハロルド上等水兵は当直を交代しミネソタから自分の寮へ戻ろうと準備していた。そして舷門を出るために甲板へ出た。ふと空を見上げるとそこには大編隊が迫ってきていたのだ。一瞬状況がわからなかったがそれが敵機であり、攻撃であることは基地に響き渡ったサイレンで気付いた。しかし、その時には遅かった周囲に停泊していた艦から激しい火が上がり始めたのだ。そしてハロルドのミネソタの艦首からも轟音と熱気が押し寄せてきた。ハロルドは爆風に飛ばされながら意識を失った。それが彼にとって最初で最後の戦争の経験だった。
神島中佐は、激しく業火に被われた水晶湾の炎上を眺めていた。今まで航空戦というものは軍人として生きてきた中で初めてだったが、こんなものかと思えるほど単純な攻撃だったが効果が絶大であることを示していた。神島は部下の須田中尉以下自身の部下たちに母艦への帰艦命令を下した。自分たちの編隊の残弾がないため第二次攻撃編隊へ任せることが先決であると考えたからである。
連衆国太平洋艦隊司令長官ハワード・エイムズ・カルマン大将は頭を抱えながら深いため息をついた。自分の軍人としてのこれまでのキャリアが終わりであるということを悟ったからだ。自分はきっと戦史において近代戦最大の奇襲をむざむざと許した男として歴史に名を残すことになってしまうだろうから。決して警戒を怠っていたわけではない、日本が十二月八日の午前零時すぎ、豊葦原瑞穂皇国が連衆国に対して宣戦布告をしたことは電報として届いていた。織り込み済みだった、ターンブル・ノートを突き付ければ皇国が独立を守るために連衆国に戦争を挑んでくることは、最初からわかりきっていた。皇国を戦争へと舵を切らせる下準備はかなり前から進んでいた。そうロマノア帝国との戦争後、アジアにおける皇国の台頭が目立ったころから。ロマノア帝国はその後革命により崩壊し、現在も大規模な内紛状態が続いている。前皇帝の息子アレクシスを擁立する白軍と共産主義者を中心とする赤軍に分かれ大規模な内紛状態が続いている。そのこともありロマノア帝国のアジアにおける影響力は大幅に低下しており、そのことから、アジアにおける植民地拡大をもくろむ欧州などを筆頭とする白人至上主義国家は、皇国のアジアにおける台頭を許すわけにはいかなかったのだ。そのため、皇国を含むすべての大国に対して国土面積に相対した軍縮を行うという条約を結ぶことを決めたのだ。しかし、結果的にこれが意味を成したかは疑問だった。それは皇国陸軍の桜井という技官が行った天道虫型飛行機の開発と飛行実験の成功だった。皇国は軍隊創設以来、世界で唯一の陸海軍の権威を統合し軍務大臣の元に両軍が置かれるという体制を取っていた。そのため技術共有が積極的に行われておりそのこともあって、軍事研究の開発が進んでいるようだ。特に航空機と対空兵器に関しては皇国軍のレベルはどの列強よりもぬきんでていたと言っていいだろう。そのことも勿論織り込んでいた。しかし、皇国が最初に攻撃する場所は東南アジアであると政府の人間は勿論軍部の人間も信じて疑わなかったのだ。カルマンは炎上していく軍艦たちを呆然と見つめていた。再び編隊が迫ってくるのだと確信した、恐らくそれは第二次攻撃編隊だろう。しかし、カルマンには何も打てる手立ては無かった。水晶湾基地の防御機能は完全に崩壊していた、立ち上る黒煙のせいで編隊への陸上からの砲撃は不可能だろう、その上、対抗できる航空戦力はほとんどが東南アジアのウェーク島やミッドウェー島に向かっていて航空戦に持ち込むこともできない。カルマンは自身のキャリアの終りを悟った。
太平洋艦隊の被害は戦艦『ミネソタ』・『ニューハンプシャー』・『ニューメキシコ』・『オレゴン』・『イリノイ』が撃沈、『カンザス』・『ニューヨーク』大破、『アーカンソー』中破。重巡二隻沈没・一隻大破。軽巡三隻沈没・二隻大破。駆逐艦八隻撃沈。航空機三百七機破壊百八機損傷。戦死者は三千二百九十五人に上った。一方で豊葦原瑞穂皇国軍の被害は未帰還機十一機、損傷機三十八機という結果で轟沈・撃沈した艦は一隻もなかった。この結果は様々な国に太平洋の制海権は皇国の手に渡るということを予感させていた。
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