CASE.71「不幸少年のラブストーリー(その4)」


「……え?」


 最初は何を言ってるのか把握できなかった。五鞠の怒鳴り声で静まり返った空気の中、俺は思わず黙り込む。


 最後の別れ? 今、五鞠は“最後の別れ”と口にしたのか?


「おい待て、アイツは里帰りってだけじゃ」

「違うわよ……私、この耳で聞いたんだから」

 噛みしめる表情で俺を睨み続ける。


「……お嬢様、父親と一緒にアメリカに帰るって話をしてた……お嬢様、帰りたくないって泣きながら飛び出していったわ」


 泣きながら? 心名が泣いていた?


「あんなに感情的になったお嬢様は久々に見た……きっと、また長い期間向こうに戻るんだと思う。下手すれば、二度とこっちには」

「待て、そんなこと」

「冷静に考えてみなさいよ。まだ終業式すら迎えていないこんな中途半端な時期にいきなり国に帰るなんておかしいと思わないの?」


 ……次第に俺の背筋が凍り付いていく。

 待て、いや、そんなまさか。だって心名の奴、いつも通りのリアクションをしていたじゃないか。いつもと違う表情も、いつもと違う仕草も全く見せなかった。


「いつもと違うところは見せなかったって思ってるでしょ……お嬢様、きっとアンタを心配させないために言わなかったんだと思う。また、帰ってこれることを信じてさ……次はいつ帰ってこれるかも分からないのに」


 力が抜けていく。

 俺の体が金網からズリズリと落ちていく。


「そんな……いや……」

 俺は慌てて携帯電話を取り出した。

「そんな……そんなはずっ……!!」

 まさか本当なのか。本当に里帰りではないのか。不安に追い詰められた俺は心名の電話にかけようとした。





 しかし、電話に出ない。


「どうしてッ……!」

 聞こえてくるのは向こうの都合か電波の届かないところにいるためかからないというメッセージ。


「どうしてだよ……嘘だと言えよッ……!!」

 ラインも送ってみる。いつもだったら秒で返事が返ってくるスピードだ。だが、こちらも結果は一緒。既読が着く気配が一切ない。


「嘘、だ……」

 俺の手から、携帯電話が落ちる。

 携帯電話を握る力さえも抜けてしまう。頭もポッカリと穴が空いたように透き通り、今まで感じた事もないような肌寒さを感じる。


「私、時間だから行くわ」

 五鞠は屋上から去っていく。

「それを伝えたかっただけ……アンタがお嬢様に何を思ってるのか聞きたいけど、私も時間ないから……ごめんね」

 あと数十分。心名が飛び立つという便が近づいている。五鞠は歯痒い感情を押さえつけながらも、心名の待つ空港へと向かって行った。


「……そんな、嘘、だ」

 俺は、どうしようもない虚無感に苛まれるしかなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 数分後。平和はそこから動かなかった。

 ずっとベンチの上で体育座りをして落ち込んでいた。そうすることしか彼には出来なかった。


 どうして気付いてやれなかったのか。


 いつもと変わらない仕草。いつもと変わらない風景。

 今覚えば、彼女が平和に対して悩みを話したことはほとんどなかった。平和にそのことを悟られたときのみ喋るだけ。自分から話しかけてくることはほとんどない。


 そうだ、気付けるはずだった。どんなに些細な事であれ、気付けるはずだった。

 音楽の事でいっぱいだった。今までと違う作品を作りたいという、いつも以上のこだわりに取りつかれていた。心名の事へ気持ちを向けられないくらい。


 虚無だった。それから数秒数分、何も考えることは出来なかった。

 頭の中に浮かんでいた曲の事も全部吹っ飛んでしまった。ある程度は携帯のメモ帳とかに保存していたとはいえ、そんな保険の事さえも考えたくない気分だった。


「ここな……」

 不幸だ。最悪だ。最低だ。

 平和は自分を追い詰めることしか出来なかった。


「……隣、空いてるかい?」

 聞きなれた声が耳に入る。顔を上げなくても、平和はその声の主が何者なのかをすぐに理解した。


 来栖だ。この学園の迷惑生徒会長。最も耳に入れたくない声の持ち主ぶっちぎりのナンバーワン。しかも寄りにもよってこのタイミング。最悪なタイミングでの彼女の登場に余計な虚無感が体を蝕んでいく。


「……ごめん。話、聞いてたよ」

 また、おちょくってくるのかと思いきやだった。

 真剣な声。いつもと違うトーンで来栖は平和に話しかけてくる。


 制服が擦れる音が聞こえた。声の位置からして、体育座りをしている自分の隣にゆっくり腰かけたのだろうと平和はすぐに把握できた。


 来栖の話を聞く限り、いつも通り彼をおちょくろうと思って屋上に足を踏み入れたら、たまたま五鞠と平和の口喧嘩の現場へ立ち入ってしまったようだ。


 気まずい空気。どのタイミングで声をかけようか迷っていたようである。


 ……平和は“無視してほしかった”と思っている。

 正直な話をすると今は誰とも話したくない。こんなにも自分のことを無神経な奴だと感じられたのは初めてだった平和は苛立ちのあまりに歯ぎしりを起こしている。


「……失恋しちゃったのなら、今が最高のチャンスかな」

 感触。冷め切った平和の体を来栖は抱きしめる。

「ッ……!!」

 心名とは違うシャンプーと香水の匂い。心名と比べて大きな胸の感触。暖かい抱擁が彼を出迎える。


「私ね、ずっと昔から……君の事、好きだったんだよ」

 それはあまりにも無神経な誘惑だった。

「私は君が夢に一生懸命だってこと知ってるよ。皆に認められたい。皆に好かれたい。君の歌は叫びだ。私だって君のライブを何度も見ていたから分かる……君の気持は理解してあげられる」

 廃れ切った精神。凍え切った肉体。銅像のように固まって動かない平和の耳元で、いつもと違って蕩け切ったトーンで微笑みかけてくる。


「私が今までやってきた事は照れ隠しの裏返し、ずっと君に構ってほしくて。君の事も、自分の事だけのための君の音楽も大好きさ。君の何もかもが愛おしい……だからさ。言うよ」

 口元が頬に触れそうだった。少し荒い息が彼の顔にかかる。


「私と付き合って、」

「うるさいッ!!」


 立ち上がる。


「はぁっ……はぁっ!!」

 平和は苛立ちのあまり、萎え切っていた体に鞭をうつかのように動き出した。


「……」

 来栖はその場で倒れ込んでいる。

「だから……お前のことは”嫌い”なんだッ!!」

 今すぐにでも殴り掛かりそうな感情を必死に抑え、平和は来栖を見下ろしている。


「何処までも無神経な奴だ……本当に、お前だけは……ッ!」

 目には涙が浮かんでいた。平和ははち切れそうな拳を必死に抑えている。

「自分の事だけのための音楽? そんなわけあるかッ! こうやってプロのミュージシャンを目指すのも今後の自分のためではある……でも何よりもッ!!」

 平和は隠し通してきた本当の気持ちをぶちまけた。


「“心名の隣に立つため”に! “心名の隣に立つのに相応しい男”だと認められるために、ここまで必死にやってきたんだッ!!」


 何度も何度も、涙を拭きとっては自身の胸に爪を立てる。

 頭を掻き回す。抑えようのない感情を、今までにないくらいの感情を表にぶちまけている。


「アイツは気にしてなかったけど、俺は耐えられなかった……このまま、アイツの告白に答えるわけにはいかなかった! 誰にも認められない俺が、皆に嫌われている俺がアイツの隣に立てば……いつか、アイツを不幸にすると思ったから……!」

 

 来栖は平和の瞳をじっと眺めている。

 怯えていない。その気持ちを正面から受け止めている。


「こんな俺にも一つだけ取り柄があった……それが音楽だった」

 平和の音楽の才能。自身はまだまだと口にしているが、その実力は商店街のおじいさんおばあさん、そしてフランソワの店主である大淀。ライブにこそ顔を出していないが、そのライブ映像を目にしている数名が認める程のものだ。



 唯一。それが唯一。


「音楽なら……この道で結果を出せれば、俺は、皆に認められる存在になれると思った……」


 それが唯一、自身の事が嫌いだった平和が誇れる事。


「心名の横に立てる男になれると思ってたッ!!」


 ___自分のせいで心名を不幸にしたくなかった。

 不幸体質。彼はずっとこの体質に苦しめられてきた。



 何より我慢ならなかったのが……その体質のせいで回りが苦しむこと。

 こんな自分に仲良くしてくれる皆に迷惑をかけてしまうのが嫌だった。彼等も面倒な存在だと後ろ指をさされる光景を平和は見たくなかったのだ。


 特に心名。誰よりも平和と仲良くしてくれた彼女。あの太陽のように眩しい笑顔に曇りを刺すような存在にだけは、彼はなりたくなかったのだ。


 音楽。ライブをしている時だけは彼が疫病神だという噂をかき消してくれた。

 天才だと。本当にセンスがあると。忌々しい都市伝説全てを忘れさせてくれる存在になれると。


 この道で。音楽で有名になって、彼女の隣に立って。

 彼女の隣に立つに相応しい男になるために、彼は唯一のとりえである音楽に没頭し続けたのだ。


「……なのに、なのにっ!」

 全てを出し尽くしたのか、平和はベンチに再び座り込んだ。

「なんで……いきなりいなくなるんだよっ……!」

 どうしようもないこの状況に、強く唸っていた。








「だったら、行ってきなよ」

 来栖は制服についた砂埃を取り払う。

「そこまで好きだというのなら……伝えてきてあげなよ」

 失恋したというのに彼女はいつも通りからかうようにウインクをして、学園の校門を指さしている。


「お前……」

 その一瞬。平和は来栖を見た。


「……馬鹿か。もう間に合わない」

「間に合わせるよ」

 来栖の目線が屋上の入り口に向けられている。


「あぁ! 間に合わせるさ!」

 また、いつもと変わらないテンションの来栖の声が屋上に轟く。あまりの耳障りさ、しかし平和は来栖に釣られてその視線の先へ___


「早く来い平和!」

「まだ間に合うでござるよ!」

 いた。彼を応援してくれる奴ら。彼を支えてくれた友が。

 原付用のヘルメットをかぶるがリーゼントがはみ出してしまっている牧夫。そして、もう一つのヘルメットを持ってピースサインを送る三句郎の姿。


 どうやら、彼等も聞いていたようだ。来栖と同じタイミングで屋上にやってきていたようである。


「……だから無理だって」

「言っただろう。間に合わせるって」

 来栖は携帯電話を手に取っている。


「私を誰だと思ってるんだい? 何でもできる生徒会長・来栖龍華だぞ?」

「……」

「ほらっ」

 牧夫の方へ平和を押し出す来栖。


「行きますぞ!」

 三句郎から手渡されるヘルメット。これからすぐに原付の止まっている駐輪場へと向かうために足踏みを始めている。


 ___どう足掻いても間に合わない。でも。


「……来栖」

「なんだい?」

「ごめん……ありがとう」


 ___でも、彼は足を踏み出した。


 牧夫と共に、駐輪場へ向かって走り出していた。

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